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脳味噌共犯 movie days (and
movie
nights !!)
暗闇の私。≒ 私の暗闇。
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2008
年8月24日(日) 8:50Pm〜10:
10Pm●夜高と、初七日の狭間
に、映画♪
スガイ・シネプレックス札幌劇場
レイト・
ショー \1200
監督;ジュリー・テイモア(1952年12月15日生まれ、女
性。)脚本;ディック・クレメント、イアン・ラ・フレネ 撮影;ブリュノ・デルボネル 美術;マーク・フリードバーグ 出演;エヴァン・レイチェル・ウッド 、ジム・スタージェス、ジョー・アンダーソン、 デ
イナ・ヒュークス、マーティン・ルーサー・マッコイ、ボノ、エディ・イザード、
サルマ・ハエック、ジョー・コッカー ■ついにビートルズは、神話に なった。それは、かつて書名に使われた『ビートルズ神話』 のよーな意味ではなく、人類の普遍的共通認識としての、神話、だ。 普遍的無意識とまで 言い切ってもいい。 ■かつて1991年7月から 1992年2月まで、小林信彦の小説『ミート・ザ・ビートルズ』の時代 考証はどこまで正確なのかと音楽評論家の松村雄策が指摘した「ビートルズ論争」が戦わ れた(笑)。私は両者とも好きなので、不毛にしか感じなかったが、 心情的には松村の立場 に立つ。それと言うのも、1979年に出版された小林の小説『ビー トルズの優しい夜』を本屋 で見かけるたびに私は不快になっていたからだ。つまり、ビートルズ 便乗商売のような印象 をこの手の「商品」に持ってしまう感覚が私にもあったのだ。たぶ ん、松村の不快の源泉も 同じだろう。ビートルズは、ビートルズのもの。それを加工や引用す るのはビートルズを汚す こと。ましてやオトナがするなんて!世界中のビートルズ・ファンは そう想っていたはずだ。 ■ところが、時代はぐるりんこと 5回転ぐらいしてしまった。価値紊乱がアタリマエになった。 そんな時、人類の最大の共通認識としてビートルズが位置し続けてい たのだ。それは私も アルバム『レット・イット・ビー・ネイキッド』が発売された時に、 『共犯新聞』のバラバラな愛 読者たちがいっせいにビートルズを語りだした時にも感じた。「こい つらに唯一の共通の 話題があるとすれば、ビートルズなのか!」・・・かくして、ビート ルズは神話になった。 ■人類の共通知としてのビートル ズの楽曲を大きな物語へと再構成するのは魅力的な アイディアだ。そこにはちょっとした無理やコジツケも必要となるだ ろうけれど、ベトナムでの 米軍兵が自由の女神をかついで、「♪she's so heavy」と歌う解釈に代表される新鮮さの 連続に心地良い映画時間が約束されている。監督の貪欲なまでの情報 処理能力には 才能を感じる。あまりにも素晴らしすぎて、エンディングが陳腐に感 じてしまったぐらいだ。 |
私
が経営しているヤミ米屋など、ほんのちっぽけな会社なのだが、遠くで売上高と利益額のみで判断するヤカラには大企業に見える・らしい
(笑)。
だからか、定期的に、「わしは、××会の××だ。えへん。このたび は、北方領土の返還を書いた本を買っていただきたい。」などとゆー電話をいただく。 私はアホだから、右翼とかサヨクとか禁欲とか混浴とか、よーわからん。 が、「いばる人」はニガテだ。その人のシソーがどんなにご立派であろーとも、「いばる人」であるだけで、私にとっては、サイテーだ。 だから、 2008年5月29日 木曜日 午後2時56分←■また右翼から、「北方領土の本を買え。買わなきゃ、街宣車で訪問する。」と電話。 ってなコトも、あるのであ〜る(笑)。
このバアイの「いばる」とは、「権力」も、もちろんそーだけど、それ以前に、日常生活の「いばる」、だ。 そんなことを札幌でさらに考えたのが、2008 年8月 2日(土)、だ。
「映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』、
観た?」って、聞いた夜の
2008年5月25日 (日)、芦別『Rock House DYLAN』で観た友部さんのライブの感想と、 友部さんもライブで自分の訳詩で歌った、ボブ・ディラ ン「アイ・シャル・ ビー・リリースト」の私の 訳詩(笑) を、 それ&ぞれ、『共
犯新聞』からカラー・コピーして友部さんの自宅に送りつけていたのだ(がはは)。
映画『靖国』を
観終えて映画館を出た私は近くの
ブックオフに入り、次の予定との時間調整。ブックオフだからと言って、ただいま、絶賛トルストイ『アンナ・カレーニナ』読書中!の私にとっては、古本を買う欲望を克服&克服。 で、友部さんの中古CDが売っていたので、買う。 そー言えば、友部さんも「いばる人」が苦手っぽい。買ったCDの中にも、「いばる人」アレルギーな歌詞がある。 ほら、こんな感じだよ。
友部さんは言葉
の人なので、CDや曲に収まらな
い過剰な言葉はけっこー多くの本にエッセイなどで書かれているんだけど、▼
こんなコトバを読むと、「いばる」とゆー概念の本質をさわったよーな気
になる。
▼
と
ころで、「いばる」の反対は何んだろー?
つい、うっかりすると、「やさしさ」だ と思っちゃうけど、違う。「いばる」 の反対は、「公 平」だ。 私がそれを確信したのは、先月に訪問した造形アーティスト★山里稔さ んの工房での会話中の、こんな脱線(がくっ。)話から、だ。 ▼
商談会は4: 45Pm〜8Pmまでかかり、「二 次会」のお誘い(?)をていねいに断った私は、またしても映画館の暗闇へ♪
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赤塚不二夫は1935年9月14日、満州で生まれた。
赤塚が死んだ2008年8月2日の日本経済新聞には、電通の最高顧問、成田豊の「私の履歴書」連載第二回が掲載されていて、 1929年に植民地の朝鮮で生まれた彼が、
と、回想している。
同時期に満州で育った赤塚にも同じように、「いばる人」へのアレルギーが根付いたのも当然かもしれない、
さ
らに、どしゃぶりの雨に濡れながら、映画館へ走る。
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で、オチではないが(が
くっ。)、2008年
8
月5日(火)9:41Pm、 暗闇に隠れていたパトカーに、私はスピード違反で捕まった。 「い
ばる人」を人工的に作ろうと意図するシ
ステムは唾棄すべきものであ
り、「いばる人」を演じなくてはならない人は、ちょっぴり悲しい人だ。
そして、そのルールは、まるで年金から天引きされる後期高齢者の負 担金のよーに、きちんと、郵便局などから国家へ入金されるように美しくできあがっている。 「国に納付されますので、手続きを書いてください。」と私に言う郵 便局の窓口の人もまた、なぜか、ちょっぴり悲しい感じ。 まぁ、もちろん、捕まって&金を払わされる私が一番、悲しいんだが (笑&がくっ。)。 それでも、誰もが悲しいまま無言で、このあらかじめ作られた人工的 な「いばる人」システムに従っている理不尽さは、本質的な問題を抱えている。 |
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