共犯だベァ〜。がくっ。I'll follow you wherever you may go!
『共犯新聞』NEW YORK地図映画歴史】★読書ワイン
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北海道余市町

★チェリーな少年〜♪ Play That Funky Wild Cherry Music !

に誘われ、へ。
に誘われ、へ。
そしてまた、中途半端なふりだしへもどる。

text by. 久保AB-ST元宏(2007年5月16日 4:17Am)
2007年5月12日(土曜日)
10Am ヤミ米屋の業界、恒例の「観桜会」
今年は★遠いのよ♪魚は美味いが♪余市町である、
ってんで、約180km南へミーのカーを走らせる。

なか&なか、こんな遠くまで来ることは無いので、
途中で営業をしながら南へ、南へ。

こんな商売をしていると電話だけでしか会っていない人も多い。
お互いに顔も見ていないに、ヤミ米を売り、ヤミ米を買う。
そしてそこで移動する「お金」だけが、信頼の証しだ。
だから、「私はお金しか信用しない。」と、逆説が真理に裏返る。

顔を見てもいないのに商品を売るなんて、ちょっとした冒険だ。
実際、恥ずかしながら私も何度か、だまされている。
これから向う「余市(よいち)」という人口2万6千人の漁師町に住む
2人の女にも私はイヤな思いをさせられたことがある。
猫なで声で電話がかかってきて、バケ猫のように消えた。
何度も郵送した請求書は、まぬけなブーメランのように戻ってきた。

そうかと思えば、奇蹟のような出会いができるのも「商売」、だ。
すでに長年の取引になるが、この日に初めてお会いした男性もそうだ。
もうすでに老人と呼ばれるのが自然な彼は、
大手のレストラン・チェーンの本部で働いている。
アポ無しで突然に現れた長髪の男が取引先の米屋の社長なのだから、
彼に同情もするが、それでも彼の話は興味深かった。

すごく単純にまとめれば、こんな感じだ。
★余市〜♪

全ての先人の教えにウソは、無い。
しかし、先人の教えは先人の環境の中でだけの教えにしかすぎず、普遍では無い。
だから、我々は、できるだけ多くの先人の教えを聞き、
それぞれの彼らの環境を独自に調べ、そこにある共通の方程式を探し当てるのだ。
そして、得た方程式を後輩たちに教える時には、
今度はまた別のテクニックが必要になる。そこで失敗する者も多い。
つまり、聞く技術、分析する技術、伝える技術。それらは、それぞれまったく違う種類の技術だ。
そして、それら3つの技術を持っている者がいる組織は魅力的だ。

・・・ってゆーのは、もちもん、その老人の言葉を私のコトバに置き換えたのだが、あまりにも若々しい発想と分析力に驚いた。
おおむね、「仕事」とはつまらないものだし、時にはクダラナイものだ。ただし、こーゆー出会いが救ってくれる。

ちなみに、その老人は私に上記のような人生訓(?)を説教したわけではない。普通に私と商売の話をしただけだ。それだけなのに、会話に方程式があったのだ。

3Pm ヤミ米屋業界のオヤブンたちと合流し、
★遠いのよ♪魚は美味いが♪ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所 へ。
つまり、オヤジどもの「見学旅行」、である。
♪桜がお出迎え〜
余市の町には、いたるところに桜の木があり、ちょうど満開か。
大きなビルディングなど無い、こじんまりした町並みだが、
清潔感があり、景観も整備されている。
その代表が、ここ、ニッカの工場だ。もちろん、桜も咲いている。
♪2007-0512nikka-pot
単式蒸溜器(ポットスチル)を勉強する久保(笑)。
昔ながらの石炭による「直火焚き蒸溜」が行われている。

日本のウイスキーの父と言われてきた
ニッカの創業者、竹鶴政孝は、
1920年、ウィスキーのふるさと、
スコットランドで知り合ったリタと結婚。

余市工場にはリタ夫人の肖像画もあるが、
彼女自身が描いた絵画などの遺品も多く展示。
絵画の技術は稚拙だが、
純粋な性格が絵に表れている。
ラブリー・リタ
♪余市と言えば、これ?
★2007-0512nikka♪
ウィスキーの原酒を試飲。少し、怖い味。


ごくり。呑む土産。うめ〜〜〜。 差出人 : jimono
送信日時 : 2007年5月17日 10:46Pm
宛先 : 久保AB-ST元宏

ニッカはどうでした?
私は連休に岩内の荒井美術館に行く途中で、
また寄って小瓶を手に入れました。
飲んだその日から味の虜になりました。
シングルカスクのソルティ&ピーティ、癖の強さがいいです。
やっぱりパラパラ・・・村上春樹みたいなスコットランドやアイルランド巡り
してみたいですねぇ。
ロケンローの、お稽古。Yeah!

★遠いのよ♪魚は美味いが♪ホテル水明閣 (すいめいかく)
北海道余市郡余市町山田町687番地 電話;0135-22-2838

4Pm ホテルにて、ヤミ米商談会。

商談会の冒頭、衝撃の報告があった。
なんでも、北海道で一番大きいヤミ米屋が廃業するというのだ。
とにかく、その会社は他社と比べてもケタはずれに大きい。
それなのに、廃業?
財産がたっぷりあるうちに米屋をやめて、不動産業に専念するという。
そこの先代の社長と、私の父が仲が良かったから、誰もが
「おい、久保くん。君なら情報をくわしく知っているだろう?」
と私に聞くが、恥ずかしながら私は何も知らなかった。

う〜む。
最近のヤミ米の相場では、普通なら利益が出る。
よっぽど、この業界がイヤになったのか?
それとも、家族の問題か?
とにかく、今期、最大のヤミ米屋ニュースであることは間違いない。
★回る♪2007-0512enkai
鍋物だけは、回りテーブルは
やめたほうがいい。
がくっ。
5Pm 引き続き、ヤミ米「宴会」。

漁業の町だけあって、魚が美味い。
特にここのホテルは鮎料理で有名だ。
★あーゆーOK?がくり♪
で、なぜか豚肉しゃぶ&しゃぶ。
しかも、回りテーブル。
えっ!?
肉を鍋に入れると、ぐるっとテーブルが回され、
結局、食べることができない。がくっ。
「なんじゃ、これっ!?」
牛肉と違って豚肉はスグにかたくなり、
誰もが鍋に入れるだけで食べない。
しまいには、鍋に豚肉がてんこ盛りになっていた。

7Pm ホテルでの宴会が終わったら、
ほとんどのメンバーがタクシーで
余市町の飲み屋街に出る。
ナイト・サパー「青い鳥」(笑)でカラオケ大会。
ここのママが私が一番、ノリがいいと判断したのか
なぜか私がコスプレをさせられ、盛り上げ役。
まぁ、そこ&そこ、盛り上がる。

9Pm 2件目。ぞろ&ぞろと、全員で移動。
居酒屋「くいに恋」。すげー名前。
なぜか、そーめんの食べ放題(?)。
なんだか、その理由が分らない。

で、ヤミ米屋の若手(?)4人で、別の店へ。

10Pm なんせ、どこの店に行っていいのか
分らない。テキトーに店の外観で決めて、
ドアを開けては&閉め(笑)、チェック。
まぁ、そこ&そこの店を見つけ、入店。
「クラブJY−ジュライ−」、だってさ。

0Am タクシーでホテルへ帰る。
もう、全員、寝ている。
「おやすみ〜」と、いったん4人分かれるが、
「なんだか、まだ眠くないね。」と、私。

で、今度は2人だけで、タクシーを呼び、
また余市の飲み屋、新規開拓(笑)へ
Uターン!まったく、何度、往復するんだ?

「ガルボ」とゆーカウンターのバーと、
なんだかってゆー名前の忘れた2件ハシゴ。

4Pm ホテルに戻り、さらに自動販売機で
缶ビールを買い、廊下で飲む。
「なんで、あの会社、廃業すんだろ?」
とか、
酒漬けの脳味噌で考える話題では無い。
★おいおい、何時♪2007-0513masuda
午前3時30分、余市町の夜も長い(?)。店を出ると、雨だった。
雨に打たれながら、明かりの消えた田舎の飲み屋街に立っていると、
さすがに、「なんで、俺、ここにいるんだろ?」と、一瞬、思っちゃう。

などと、2人で廊下で、ひそ&ひそと飲んでいたら、4時30分ごろ、年配のヤミ米屋が起きてきた。彼らはいつもこの時間に起床しているらしい。
「おはよーございます。」と、声をかけると、相手はドキリ。
「おっ、久保くんたち、早起きだねぇ。そうか、沼田町は遠いから、もうそろそろ、出発しなきゃいけないのかぁ。そりゃ、たいへん。ごくろーサマ。」
「は、はぁ。」
「じゃ、気をつけて帰ってください。」
「は、はぁ。」と、言いつつ、缶ビールを手にしている夜明けの2人であった。
7Am 起床。朝ごはん。風呂。自宅から持ってきた大型のドライヤーで、長髪を乾かす。 ★散る〜♪2007-0513cherry
マークXに、桜の花びらが、4,5枚。

PTA会長をくぐり抜けた2人。
牧野さんは、彫りの深い西洋人っぽい顔
久保は和顔。がくっ。っーか、酒の呑みスギで、顔がパン&パン。
★えこなジュースたち♪
帰宅後、牧野さんのジュースを飲むと、
すげー濃かった!うまい!若林博士に飲ませなきゃ。
10Am また&また、アポ無しで、
無器っちょな俺は まるでリュリ♪えこふぁーむ農民芸術学校、へ行く。
農家なのだが、北海道中の農民を集めたオーケストラの指揮者&作曲家でもある。
15年前に、東京のワインの製造会社を脱サラして、余市で農業を始めた。

私は初めてここに来た。もちろん、初めて会う。
行くと、ご主人の牧野さんが、ブドウの棚を一人で作っていた。

「牧野さん、おはようございます。とつぜん、すみません・・・。」
と、声をかけると牧野さんは振り向き、
「あ、久保さんだね。」
「え?どーして分るんですか!?」
「新聞で顔を見ているから。」と、両手の指でコンピュータの画面を作る。
「あ、共犯新聞。がくっ。」

会うまでは神経質で付き合いにくいタイプかと思っていたが(笑)、優しい方だった。

「お一人で農業をやっているのですか?」
「ええ。家内は農業に向かなくて(笑)。」
「えええ?こんなに広いし、かなりいろんな作物を作っていますよね?」
「まぁ。でも、楽しいですよ(笑)。米は機械などの経費がかかるのでやっていませんが。」
「で、雨が降ると作曲ですか。交響曲を作曲するなんてスゴイですよねぇ。」
「あはは。最近は少人数の室内楽を書きましたよ。」
「晴耕雨作曲、ですね(笑)。」
「久保さんも音楽をやってるんですか?」
「う〜ん。大昔、ロックを少々。」
「ギターですか?」
「まぁ(笑)。」
「ほほー。」
「私の場合は小説や演劇よりも、手っ取り早い表現としてロックを選んだんです。」
「へぇ〜。」
「牧野さんも作曲する時に、まず言いたいこと、テーマを決めますよね?」
「う〜ん。両方だな。単純に音が美しい、というだけででも曲を作りますよ。」
「なるほど。私の場合は、それが無いんですよね(笑)。」
「ふ〜ん。」と、牧野さんはニヤ&ニヤ(?)。
「言いたいことがあったから表現方法として一番、インスタントなロックを選んだだけです。」
「へぇ〜。」
「クラッシックのオーケストラを組織することよりも、ロック・バンドは超インスタントですよ。」
「ははぁ。」
曲を作って、チンピラを4〜5人集めて、ジャァ〜ン!ってやればいいダケですから(笑)。」
「あはは。」

と、なんだか私ばかりが話しているようだったので、
「お仕事中、すみません。では、また。」
と、言いかけると、
「ちょ、ちょっと待って。せっかくここまで来てくれたんですから、記念にブドウ・ジュースを。」
「おっ。ワインですか(笑)。」←いつも密造ワインを、そう呼んでいたから(笑)。
「いえいえ、普通のジュースですよ。」

★おお、ここにも、花♪2007-0513dss 牧野さんの農場を後にした私は、
ホテルのフロントに教えてもらった
余市町の古本屋に行った。
書棚をていねいに見たが、
私が欲しい本は、
コリン・ウィルソン『音楽を語る』ぐらいだったが、
なぜか買う気が盛り上がらず、
何も買わなかった。
それは途中で寄った札幌の
ブックオフ前田店でも同様。

そんな感じでマークXは札幌の中心へ向う。

2Pm ふと、思い立ち、門馬ギャラリーへ。
札幌の少し北の当別町にある
家具のデザイン事務所
「デザイン・スタジオ・シマダ」の
展覧会の準備中だった。

代表の島田晶夫は1971年生まれ。
スウェーデン木工を学んだセンスが
商業家具の枠を超えて魅力的。

余市町から離れるほどに
桜から遠ざかっていたのだけれど、
ここにも、花が。

無料の駐車場がある映画館、といえば、札幌では、アソコか。
って、ことで、行く。
2007年5月13日(日)
3Pm〜5:33Pm映画を観た♪
サッポロ・ファクトリー
ためたポイントで、タダで観た♪
★言葉が通じない。心も通じない。想いはどこにも届かない。私たちは争いが絶えない世界の住人である前に、同じ星に生きる命のひとつではなかったのか?
やっぱ、映画館で観たい♪『バベル BABEL 』
監督;アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、
ガエル・ガルシア・ベルナル、役所広司、
アドリアナ・バラッザ、菊地凛子

★火星大接近の日に、眼球に乗り移った火星♪赤い惑星が眼球に焼き付いた!?久保の眼
「ネタバレ」とゆー言葉があるが、
「批評バレ」とゆー言葉を作りたくなった。
って言うのも、この映画を観る前に私は
朝日新聞に連載されている沢木耕太郎の
映画時評「銀の街から 『バベル』」を
読んでいたからだ。
沢木の文には重要な「ネタバレ」は
書かれてはいない。まぁ、それがエチケット。
が、そこにはこんな批評が書かれていた。

「理解不能な世界における希望を描く」という
大いなる野心のもとに作り上げたこの作品が、
ついに真の「傑作」たりえなかった理由
存在していると思われる。

原因が結果となり、結果がまた原因となって
世界のさまざまな場所で生きる人々の
運命が交錯していく。

だが、しかし。登場人物たちは、
「人は互いに理解し合えない世界に生きている」
という枠組みの中で、極めて類型的な設定を
されている。チェスの駒のように役割を与えられて
動かされているだけのため、出演者たちも
類型的な演技しかできていない

つまり、菊地凛子だけがその「内面」を
演じることが許されたからなのだ。

いつも私は、映画を観ながら自分の脳味噌の中で
具体的な映画を抽象的な感想へと昇華しようとする。
それが今回は、考えることがいちいち沢木の感想へと
近づいてゆくだけなのだ。こりゃ、「批評バレ」である。
沢木が書かなかったことも、いくつかあるが、
それは&たとえば、菊地が高校生に見えるのには
無理がある、っー具体的なことばかりだ。
まぁ、1981年生れ、25歳の菊地が高校生は無理。
さらに、25歳の高校生(?)の奇妙すぎる突飛さ。
しかし、そんな「違和感」の蓄積こそがこの映画が
生れる初期衝動でもあったのだろう。
最近のアメリカ映画には珍しいぐらい、ざらっとした
感覚(=つまり、流れがスムーズではない。)も
監督が意図しているのであれば、かなりの確信犯だ。

そして&また、
私は
120km北の書斎へ
もどった。