さっちゃんも、プールに行きました。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ ロック パラパラ・・・偏 愛書物★Book グルメとは、肉体の共犯♪好 物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
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友部正人Around the Cafe in his Life
ファンキーってなんだい。
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die高石ともや
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die高田渡
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die友部さん芦別DYLAN訪問記念(?)「乾杯」特集(?)
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die友部正人2009
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die加藤和彦の自殺2009

2008年5月31日 土曜日 午後2時18分←■芦別「ディラン」の伊藤マスターから、電光石火に銀の皿2枚のプレゼントが届いた!音、いいいいいいいいい♪やっほー♪
2008年5月26日 月曜日 午前1時10分←■芦別『DYLAN』での「友部正人+リクオ」ライブ、ぶらぼー♪またしても私は、特別な夜を生きた!
2008年5月25日 日曜日 午前4時57分←■今夜、
友部さんに「映画やっぱ、映画館で観たい♪『実 録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』、 観た?」って、
聞いてみよう。
text by うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 (2008年5月29日 4:10Am)
25 日、オトナ3人、ジム・ビーム1本♪
投稿者:久保AB-ST元宏
投稿日:2008年 5月19日(月) 午後5時49分
黒いディラン、いいですなぁ〜♪
では、さっそく、お顔を拝みに
25日にお邪魔させていただきたいと思います。
今度こそ、夢 のディランでお酒♪のために、
運転手をキープいたしました。
友部さん&リクオLIVE、オトナ3人、予約間に合いますでしょうか?
間に合えば、是非、よろしくお願い申し上げます。
私が帰路の運転をしなくてもOKであれば、
ジム・ビームをボトル・キープ・オン・ロケンロー
させていただきたいと思います♪
仕入れておいてください(笑)。
さて、相変わらずの頭がおかしい私のHP『共犯新聞』では、
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die友部さん 芦別DYLAN訪問記念(?)「乾杯」特集(?)
行っております。
お時間があれば、更新に間に合えばご覧ください。
では!
ディラン25周年!5月25日(日)に芦別『ディラン』で誕生日にライブ♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die 乾 杯!!
投稿者:ディラン
投稿日:2008年 5月19日(月) 午後11時15分
>久保さん、
三名様、い つものアリーナBOX、予約入れておきま す。
今回は飲酒モードですか。
ジム・ビーム、仕入れておきます。

石垣では腹の奥まで真っ黒になりました。
当日は腹黒ディラン、堪能してください。

「乾杯」いいですね。
中学生の頃、部屋でこの歌をかけていたら、
ばあさんに
「下手な歌を大声で歌うんでない!!」と、
しかられました。
友部さんと間違われたことを喜んでいいものやら・・。
とほほ・・な記憶を呼び覚まされました。

♪ 口はクチオシイといって今夜も飲んだくれていました
そして、2008年5月25日(日)
慢性的な寝不足のまま、ライブが始まる夕方まで、旭川市や深川市を、ふら&ふら。
冬期間は休業しているArtとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!「うなかがめーゆ美術館」が、5月20日、冬眠から目覚めた♪
うなかがめーゆ?がくっ。
サロンのにぎわい。
「うなかがめーゆ」とは、「夢がかなう」を逆から読 んだ、おまじない(?)。
夢がかなう10月!?音楽は芸術の一形態であ〜るぅ?
友部正人(とも べ・まさと、1950年5月25日生 まれ)が
今の私と同じ年齢、46歳のときの
1996年のアルバム・タイトルは、
共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪夢 がかなう10月』

うぇ〜ん!いっ たん、沼田町の自宅にもどり、運転手(?ありがとー♪)上林文雄ちゃんが午後4時30分に迎えに来てくれた。
この直前、「オトナ3人」で行く予定の「オトナ1人」がドタ・キャン。まぁ、いいか。友部さんの「良さ」って、むずかしいのかな。
で、
かつては、マトモに<沼田→滝川→赤平→芦別>コースで、2時間かけていたんだけど、最近は近道を発見し、なんと半分の1時間で、到着♪
うぇ〜ん!午 後5時30分、「ロック・ハウス・ディラン」ではリハーサルが行われていた。
リハーサルなら、芦別?がくっ。
リクオは伸びた髪の毛をかきわけながら。友部さんは、い つもと変わらないな。
リハを2曲、見させてもらった。
特に印象的だったのは、
ボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」のカバー。

友部さんの奥さん=写真家の小野由美子さんが、
客席から一眼レフのカメラを抱きながら見ている。
時々、窓の外の淋しいJR芦別駅に向けてシャッターを切りながら。

そして時々、友部さんが由美子さんから意見を求める。
由美子「高いキーの部分はリクオが歌ったら?」
友部「でも、この音なら、ぼくも出るよ。」
由美子「後半の、掛け合い、やってよ。」
リクオ「あ、こうだね。(と、ピアノに合わせ歌う。)」
由美子「そこ、二人で違う歌詞で掛け合いしたら?」
友部「ああ、それやったことあるね。」
由美子「あたし、あれ、好きなの。」
友部&リクオ、やってみる。
友部「いいね。」
リクオ「お客さんも歌えるように、英語の歌詞でサビ、やりませんか?」
由美子「うーん。やっぱ、正人の訳詩のままがいいな。」
友部「そうだね。このままにしておこう。」

と、まぁ、こんな感じ。
由美子さんは間違いなく、友部のライブを全部、観てきているので
アレンジのアーカイブが全部、記憶されている。
そして、聴き手としてもすてきなので、
友部の信頼はこんなに厚いんだね。
うぇ〜ん!私 はずっと
リハを観ていたかった
けど、
文雄ちゃんが、
「メシ。」と、
言うので・・・。
芦別?がくっ。
ミスター場末(笑)!
最近食べた美味いもの! ゴクリ!福ちゃん
芦別市北1条西1丁目13番地
JR芦別駅から、徒歩2分♪

「ガタタン」の手書きポップが
店頭に無造作に(笑)
貼ってあったので、
「おっ。やっぱ、
芦別と言えば、ガタタン♪」

初めて食べたけれど、
かなり複雑な具(笑)と、
超シンプルな味付け(笑)。

食べている最中、
おばちゃん、ツケモノを
サービスしてくれたよ。
夢がかなうガタタン?
すいとん風な「ガタタン」 \600
がくっ。ってーよりも、ガタタン?
「ガタタン・ラーメ ン」 \800

喰えば、芦別?がたたんくっ。 芦別市内の飲食店には、「含 多湯(ガタタン)」という名前の料 理があ ります。
みなさん、何だかわかりますか?
ガタタンは豚骨や鶏ガラなどで取ったスープに白菜、タマネギなどの野菜や フキ、
タケノコなどの山菜のほか、豚肉、イカゲソ、小麦粉で作った親指大のだん ご、こ
んにゃくなど10数種類の細かく切った具を入れ、片栗粉でとろみを つけ溶き卵を
加えた「具 だくさんのボリューム満点中華スープ」の ことです。
戦後、旧満州から引き揚げてきた村井豊後之亮さん(故人)が中国で食べた家
庭料理をアレンジし て自身の中華料理店で出したのが最初です。一人前で満腹
になり身体のしんから温まるこの一品、芦 別では60年近く食べ続けられてきま し
た。芦別が炭坑でにぎわっていた当時は、飲 み会のしめにこれを食べる炭坑マン
が多かったとか。芦別の人々にこよなく愛された料理はヤマの火が消えた今 も、
大切に引き継がれています。
                                         芦別市HPより
手はいいけど、芦別?がくっ。
帰り道は、無意味に(笑)探検♪
フリ〜・ホ〜リン?夢がかなう路地裏?
やっぱ、炭鉱が閉山後、どん&どん、街が死んでってる なぁ。
シャッターが、ガタタン?
シャッターが、 ガタタン?ってか!?(がくっ。)

♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die午 後6時30分、ディランに戻れば、ちゃんと、最前列&中央の席に、「久保様」と シールでキープ・オンされていた♪ありがと、伊藤マスター♪
ライブ・チャージは、\3500。そして、ついにここで初めて呑めるぞ! の、私の大好物=ジム・ビーム、\5500♪
ボリューム満点で味が舌から消えない「ガタタン」を喰った直後なので、お ツマミ無しで、空酒、水割り、手酌酒♪
ディ ランは店頭も店内も、
オリジナルのオブジェであふれている。
両足とも、芦別?がくっ。
前座のリクオは、さすがのエンターティナー♪おみごとな歌 と、演奏と、グルーヴ♪
夢がかなうsong?
友部さんのソロをはさんで、後半は二人で♪

ライブの後日、友部のCDもたくさん持っている好きな人から「友部さん、 何を歌ったの?」と聞かれて、よーやくその時に私は気がついたんだけど(笑)、
この日は、リクオとのジョイント、っーことで、
どーやら、友部さんのレコーディングにリクオが参加したり、リクオがアレ ンジを担当した曲を中心に選曲していたよーだ。
だから、いわゆる、有名な曲(=つまり、私でも知っている・笑。)は、あ んまり演奏されなかった。ソロのパートは、新作アルバムからの曲だし、ね。
ひとつ足を踏み出すごとに。
最 初、ギターの音がぼやけていたけれど、途中から、その音が気持ちよくなっちゃった♪
Hey, 夢がかなう友部?
トーキン・ブルーズ!

むかし、大阪にディラン、という喫茶店がありました。
『大 阪へやってきた』 1972年 友部正人のデビューアルバム。

   東京からヒッチハイクで名古屋にやって来て
   大須・七つ寺界隈を根城に路上で歌い始める。
   やがて交番に火炎瓶を投げ、鑑別所に入れら れ、
   大阪へ渡って作ったというアルバムだ。
友部さんは MCで、会場の「ディラン」の想い出を少し語った。

「ここで演奏する人は、みんな言うと思うけれ ど、
むかし、大阪の難波にディラン、という喫茶店が ありました。
ここの芦別のディランの四分の一の、せまい店で した。
ぼくはそこで、西岡恭蔵、大塚まさじらたちに出 会い、
いろんな話をしました。」
そう言えば、
この夜のリクオは
彼のソロ・コーナーで
自殺しちまった西岡恭蔵さんの歌を選んでいた なぁ。
「大阪の じゃなくて、芦別のディランに初めて呼ばれたのが、
1998年、10年前の野外コンサート。
そして8年前には初めてお店でライブをしたんだ けど、
とにかくお客さんが入っていなかったことしか
憶えていません(笑)。
そして、その次が今夜です♪」

また、友部 さんはこんな話もした。

「ぼくは東京で生まれたんだけど、
小学校入学と同時に札幌へ引っ越しました。
ぼくの最初の”一人旅”は、
父に逢うために
札幌から夕張へ行った時でした。」

友部さんが北海道に住んでいたと知る人は意外と 少ない。
ましてや、彼にとってのキーワード”一人旅”の 原点が、
「夕張」だったなんて!
そして、
「父に逢うため」って・・・。
演奏が全て終 わり、二人が中央で、シェイク・ハンド♪
するとカウンターから、「たんじょうび、おめで とー!」の声。
そう、今夜は友部正人の誕生日で もあるんだ。
友部さんの地顔は「照れ顔」なんだけど、もっと照れ て、
祝福の拍手がおさまったころ、
今度は友部さんがディランの伊藤マスターに向かっ て、
「ディラン、25周年、お めでとう!」
芦別?がくっ。
「た んじょうび、おめでとー!」の声がかかった瞬間♪
詩を朗読し、夢がかなうsong?
アンコールでは、
メガネをかけて
詩の朗読。
詩にこだわるのも、友部さんの大切な一面。

ディランの美香子ママがアンコールの途中、私に無言でボールペンを渡しに 来た。
「?」・・・あ、テーブルの上にあるアンケートを書け、ってことね♪えー と、これはリクオが用意したアンケート用紙だ。
ファンキーなリクオよりも、
あの不器用な友部正人が、よりファンキーだった。
そして、友部のファンキーを引き出すキーがリクオだった。

と、書いていたら、ギターが静かに鳴り出し・・・
「♪ふとー、」
あっ!「一本道」だっ!
アンケートを書いていた最中の私は、首をがばっと上げた。
アンコールで一本道だぜ、芦別?がくっ。
写 真の左ハジ、じっくり聴いてる文雄ちゃん♪

文雄「”リクオ”って、へんてこな名前だなー、お い。」
久保「彼は、李空王(り・くおう)とゆー中国人なん だよ(←うそ)。」
アンコール の最後の最後、
友部さんはギターを持たずに、
左手で持ったハーモニカをふきながら、
右手をグーにして歌った。
バッキングをするリクオがきざむ正確なグルーヴ は
友部さんに足踏みをさせ、
まるでちょっと不器用なオーティス・レディング (?)。

歌に熱が加わってゆくと、
その右手が少しづつゆれだし、
クライマックスでは、
にぎりしめた右手を高くふりだした。

これが、いわゆるロック・コンサートであれば、
観客も一緒になって右手をふりあげた・のだろ う。
たとえば、サザンとか、ラルクとか(わからん が・笑)。

でも、友部さんの聴き手は、
そんなことはしないだろうな。
私の席は一番、前だったので
店内のみんがどーだったかは見えていなかったけ ど、
きっと誰も右手をあげなかっただろう。
まるで、
誰もぼくの絵を描けないだろう
のように。

ボトル・キープ・オン・芦別?がくっ。
ひとりで呑んだ
ジム・ビーム♪
ボトルの
ブラジャーの位置まで
呑んだ。
キープしてもらったけど、
次、
このブラジャーを
脱がせるのは
いつだ?
だれか一緒に
ジム・ビームの
ブラジャーを
脱がしに行こうぜ。
ライブが終わった。
友部さんは、ステージ横のL字型に曲がったカウンターの奥に引き上げる。なんせ、狭い店内(笑)。
楽屋など、ないし(がくっ・や。)。

もう20年以上前だと思うけれど、札幌のライブ・ハウスで友部さんのライブを観た私は、すごく「感動」して、
まるで、アタリマエのよーに、その足で、すすすすすすっ・と、楽屋に行き、
楽屋で一人っきりの友部さんに逢いに行った。友部さんは、あっけにとられていた(と、思う。)けれど。

この夜も、私は、まるで予定されていた儀式のように、
すぐに、すくっと立ち上がり、カウンター奥の一番暗いところにいる友部さんのところへ向かった。

私は、なんのあいさつも&自己紹介もせず、こう切り出した。
友部正人・一本道(だ、だーい好きだった、とも!)
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die乾杯
1973年
久保「友部さん、おつかれさま で す。」
友部「あ、はい。どうも。」
久保「映画やっぱ、映画館で観たい♪『実 録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (みち)』、 観ましたか?
友部「観ていません。」
久保「そうですか。」
友部「でも、この前、沖縄で若松孝二監督にあって、この映画の 話、したん ですよ。」
久保「そうですか。映画には、ちゃ んと、”泰子さん”のこととかも描かれていましたよ。」
友部「昨日、「乾杯」、歌ったんです。」
久保「えっ!?くぅ、でですか?」
友部「いや。くぅは金曜日ですか ら、東川町で。」
久保「あっ!写真のイヴェント以 来、東川でライブをやっているんですか?」
久 保も行った『東川町フォトフェスタ2003』での友部さんは、ここをクリック!→読んでね〜。★My Deep ART Diary!
友部「あれから初めてです。」
久保「そうですか・・・。「乾 杯」、歌ったんですか。」
友部「若松さんの今回の映画、評判 がいいから観ますよ。」
久保「是非、観てください。そし て、友部さんの言葉で文章にして発表してください。」

以上。
ほんの3〜4分の会話だったけれど、私が言いたいこと、知りたいことは、全部、言えた し&聞けた。
だからもう私は、ライブの後に予定されている「打ち上げ」の誘惑には勝っていた。
私にとって映画『実録・連合赤軍』は、それほど「評判がいい」という位置にはいないが、
私の稚拙な感想を事前に押し付けるよりも、友部さんの言葉で語られる新鮮な映画『実録・連合赤軍』体験を待ちたい。

さて、あとは伊藤マスターにあいさつをして帰るだけだ。
で、カウンターに行けば、燃え尽きた(?)リクオが座っていた。
さっき書いたアンケートをリクオに渡すと、マスターが近寄ってきた。
マスター「久保さん、リクオくんとは初めて?」
久保「あ、ことぶき光って、知ってる?」
リクオ「あー、同じ事務所だった。」
久保「あいつ私の弟なんだけど、
   10数年前に弟と遠藤ミチロウと3人で飲んだ時に、
   共通の知人としてリクオの話がでて、
   それから気になってはいたんだけど、
   観たのは今日が初めて(笑)。楽しめたよ。ありがとー♪」
と、私はカメラを出し、ふつーならリクオを撮影するんだけど、
なんと失礼なことにリクオにカメラを渡して、
私と伊藤マスターのツー・ショットを撮らせた(がくっ。)!
夢がかなう伊藤さん!?音楽は芸術の一形態であ〜るぅ?
撮影;リクオ(笑)。
リクオ?がくっ。
で、今度は伊藤 マスターがカメラを出して、久保&リクオを、パチリ♪
マスター「久保さん、またこの写真、メールで送りますよ〜♪」

久保「それにしても、リクオと友部さんのジョイント・コンサートなん て、すげー企画、よく思いついたね〜!」
マスター「ふふふ。実は、リクオくんが先、だったんだ。」
リクオ「がははははは。」
久保「えっ!?それって、まさか、まさか!?」
リクオ「おれが、稚内、利尻島、と、ライブをして次の札幌か どっかの間の移動日が空いてたんで、ディランに電話してライブを決めてたんや。」
久保「それって、ダブル・ブッキング!?」
マスター「リクオくんの後に、友部さんからもまったく同じ日にディランでライブをしたいって電話がきちゃってさぁ(笑)。」
久保「うわー。すげえ。」
リクオ「まっ、ディランにまるめこまれたっちゅーわけさ(笑)。」

だから、あんなリハーサルが必要だったんだ!
ま たしても私は、特別な夜を生きた!

うぇ〜ん!そも&そも、私と芦別「ディラン」が相互交流を始めたのは、沼田町商工会青年部の ホーム・ページをたちあげた1998年8月(=もう10年!)からだ。
当時、コンピュータを持ってもいなかった私が、沼田町商工会が購入したコ ンピューターのキーボードを指で1本づつ押して
検索で知り合った、芦別「ディラン」、江別「BooXBox」、函館「ジ タン」の三者のホーム・ページから教わることは多かった。
それは、ホー ム・ページは、コンピュータの知識よりも、コンテンツの魅力だ、 ということ。
それは私もぼんやりとは気がついていたが、さすが実践している方の存在は 私に「勇気」を与えてくれた。
その後、函館「ジタン」のマスターは自殺しちまうが、芦別「ディラン」 と、江別「BooXBox」の田原さんは今にいたるまで私にとっての偉大な年長者だ。

うぇ〜ん!私が初めて芦別「ディラン」に訪問したのは、今、大阪で『共犯新聞』スポーツ記者 (笑)の★点数を入れなければ、勝てない!井内正樹さんと一緒に行った、
1995年7月11日、『南正人with グレイハウンド』ライブだった。グレイハウンドってのは、伊藤マスターがボーカルのバンドだった(笑)。
まだ、当時、長髪だった伊藤マスターが日本語で歌ったボブ・ディランの 「ノッキン・ザ・ヘブンズ・ドアー」、かっこよかった。
イントロのギターの弦を慎重に一本づつまさぐるように弾きだし、最後には 怒涛の洪水を店内に充満させたパフォーマンスだった。
その伊藤マスターと近しく(?)なれたのも、インターネットの魔法が始 まった1998年8月以降のことだ。

うぇ〜ん!1998年8月9日、い つもの不 健康な(?)店内から飛び出し、ディラン伊藤は、すげえイヴェントをやりとげた。
泣いて、芦別?がくっ。
永 遠のロケンロー・ジプシー南正人に抱っこされて泣いているのは、
私の長女、空夢(そらん)。
その後ろで今まさに缶ビールを開けようとしているの が、まだまだ若い、友部正人。
これ、すげー写真だなぁ。
・・・ほんと、分かる人が見ると、ビビルぜ。
高田渡さんと、夢がかなうsong?
会場をさまよっていた高田渡さん。
渡さんに近寄って行ったのは、
私の長男、新太(あらた)。
長男はアイスクリームを手に、本人の前で
渡さんの曲「アイスクリーム」を歌った。

死ぬな。泣いて、芦別?がくっ。いつまでも、ロックン芦別。
野外 ライブで、かなり内省的なMCをしていた西岡恭蔵さんは、その翌年、私の妻の誕生日に自殺した。
右側のポスト・カードはそれからすぐ、芦別「ディラン」が引越し&開 店をして、私が花を贈ったお礼に届いた。

そんな&こんなを、私が当時連 載していた月刊誌パラパラ・・・『しゃ りばり』2000 年5月号に書いたコラムが、これだ。

伊藤さん、絶対に死ぬな。泣いて、芦別?がくっ。右翼も怖くないよ〜ん。伊藤さん、絶対に死ぬな。泣いて、芦別?がくっ。
伊藤さん、絶対に死ぬな。泣いて、芦別?がくっ。政治団体のナカジマから電話で本を売られても、買いはしない。

ディ ランです
差出人: dylan
送信日時: 2008年5月26日 9:52Am
宛先: 久保AB-ST元宏

いつも遠いところをありがとうございます。
昨夜はすっかり酩酊し て
またまた醜態をさらしたようです。
ライブだけで酔っぱらってりゃよかったものを・・。

25周年らしい気分のいい夜でした。
ありがとうございました。

二日酔いでフラフラした頭なので、
とりあえず、このメールで写真だけ送ります。

ディラン

遅くまでディランで誕生日♪うなかがめーゆ?がくっ。
リクオさ んのちょっとヒネった
バースデイ・ソングで誕生祝い。
かなり合唱しづらかった・・・。

今度逢うのは、夢がかなう10月!?音楽は芸術の一形態であ〜るぅ?
この日は ライブハウスをやっていてよかったと
心から思ったライブでした。
ディランの25周年にわざわざ来てくれた
たくさんの人たちに感謝します。
こういう夜があるから続けてこられました。
ディラン25周年!5月25日(日)に芦別『ディラン』で誕生日にライブ♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die 気持 ちよくさせて、あ・げ・る。
差出人: 久保AB-ST元宏
送信日時: 2008年5月26日 10:37Am
宛先: 芦別のdylan王

ディランさん、おめでとうございます。
そして。
またしても、ありがとうございます。

25周年だからって、花束を贈るなんて芸当はできませんが、
安ボトルをキープ・オンできて、良かった→自分が。

ほんとうは、私、今回は朝まで(笑)のつもりでしたが、
なんせ運転手(=例の沼田町のカフェ『昭和プラス』主人)が
介護母をかかえているもので。

それでも、カウンターからアリーナ席の私が見えたでしょうが、
私の背骨に、グルーブが入っておりました。

ピアノの腹をキックするリクオはチャーミングで すし、
そんなリクオよりも、もっと、もっと、
(あの不器用な)友部さんのほうが
ファンキーであることに気がつかせてくれた、夜。

うれしい。

で、ライブ終了後、2分後、
私は友部さんと、例の話をきちんとしました。
私もすごいが(笑)、友部さんも、すげえ。
このことも含め、今週中には、私のHP『共犯新聞』にUPしますので、
ディランさんには是非、読んでいただきたいな。

そして、リハーサルを含めての、何度かの「アイ・シャル・ビー・リリース ト」。
この曲は大塚まさじさんを始め、無数の日本語訳がありますが、
私も訳しています(笑)。
おそらく、私の訳が一番いいでしょう(笑)。
いつの日か、友部さんにこの私の訳詩で歌ってもらいたいものです。
あ、まだディランの二階で寝ていたら、
プリント・アウトして渡してやってください♪

うぇ〜ん!久保AB- ST元宏・ 訳 「アイ・シャル・ビー・リリースト」

ではまた、夜汽車が背骨を、がたたん、がたたん。

2008年5月25日(日)「芦別 ディラン」

「ディラン」の25周年をお祝いして、リクオと2人でライブをしました。ぼくが「ディラン」で歌うのは9年ぶりだそうで す。
まずリクオが1時間歌いました。相変わらず、新しい曲を書き続けているリクオに感心しました。8月に出る新譜が楽しみで す。
ぼくはソロで何曲か歌って、それからリクオと二人で演奏しました。
「アイ・シャル・ビー・リリースト」「カルバドスのりんご」など久々にやる曲の他に、
「雨は降っていない」「言葉がぼくに運んでくるものは」など、「歯車・・・・・・」の中の新しい曲もやりました。

終演後は、「ディラン」の25周年と、ぼくの58歳の誕生日を祝ってバースデイケーキとワインで乾杯。
お客さんからも「ディラン」からもプレゼントをいただきました。

芦別は昔炭鉱町として栄えたそうですが、今は町はひっそりとしています。
そんな芦別で25年もお店を続けてきた「ディラン」の伊藤さん夫妻はすごいなあ、と思います。

♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die友 部正人

芦別『ミュージック・ハーベスト』の偉大な歴史
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die第1回 1998年8月9日(日)
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die第2回 2013年7月28日(日)
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Die第3回 2014年8月3日(日)