トゥオネラの川





憂うつな一月

原稿用紙に書いた日から
時どき
後頭部のあたりで
チェロの音が
ゆっくりと
陰鬱に鳴り出すようになった

   その人は
   昼すぎの陽光を避けるように
   木立の下のベンチに座り
   本を読んでいた
   どこかで見た絵に似て
   本と足元で
   葉陰が小刻みに揺れている

   遠くの草むらから雲雀が飛びたって
   甲高く鳴きはじめると
   追うように顔をあげ
   本を差し出して何かを言っている
   笑いながら
   私の方を指さしているが
   雲雀の鳴き声が増幅されて
   声がとどかない
   
   とどいてこない

何回目かの
重厚なチェロの音が響きはじめた三月
それが
シベリウスの曲であったことに気付いた

   イングリッシュホルンが
   白鳥の鳴き声になって奏でられると
   霧に覆われた冥府トゥオネラの
   暗く冷たい川が波打って両岸を浸し
   かすかな波音をたててゆく

   ほかに聞こえるものはない
   耳の奥で鳴っていた高周波音が止み
   川波が届いた先で
   父母や兄たちが
   黙している
   その人も
   黙している

卒哭忌(そっこくき)が近い



「海市」第8号掲載