歩き慣れた路地で





隣家の屋根の向こうから
白鳥の声がする
聞くことを重ねてきたこの位置で
朝霧と共に今年も耳にする
海峡を越え山脈を横切り
自らの生のため
彼らはやってきた

  歩き慣れて路地から見える景色
  わずかな範囲のこの生活空間で
  人は
  生きることの問いなど発することなく
  切なくも今を生きている

  離れた家族の元へ引越しした人がいる
  新しい地へ飛びたった若者がいる
  遠くからこの景色を懐かしむ人がいる
  素知らぬふりで通り過ぎてゆく人がいる
  空家へ戻った息子夫婦がいる

白鳥は
この街の周辺を巡っては
時おり甲高い哀しい声をあげ
編隊の形を変え
思いのほか大きい羽根の音を残し
朝霧を縫って飛んでいった

川向うの岸辺へか
葦に隠された沼のほとりへか
それとも
もうひと山越えた広大な平野の田んぼで
うずくまり
首を抱えて眠るのか

  朝霧に覆われた路地を
  今朝
  気持新たに窓から見通す
  長く歩き続けたこの路は
  いつもと変わらず
  ただそこに在るだけだ

  歩き慣れた路地から見える景色の中で
  静かに暮らしはじめた人がいる



                                                                    「密造者」第98号掲載