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2005年12月8日
第54位
ジョン・レノン 『イマジン』 1971年
ジョンの誕生日10月9日から命日の12月8日までの
2ヶ月は毎年レノン商戦の最大の稼ぎ時だ。今年も
ベスト盤が出たし。しかしさすがにネタ切れ感が
否めないが、リマスター盤をホイホイ買ってしまう
私のような人達がいれば大丈夫か。
さて本作が発表されて34年、彼が亡くなって25年間
で彼の評価も変化しながらもここ数年は、愛と平和の
人のイメージが世間的には落ち着いている。
さすがにマッカートニーを露骨に皮肉った
「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」とか今となっては
どうでもいいくらい時間が経ってしまった。
愛と平和のジョン、ロッカーのジョン、
いずれにしてもビートルズから通算すれば
彼に影響を受け人生変った人は、相当いると思う。
もう宗教に近いかも知れん。
「ロックにだまされな」って誰か言ってたっけ?
本作のプロフィールに行きましょう。
ジョンのロンドン郊外の自宅に敬愛する
プロデューサー、フィル・スペクターを招き、
仲間のミュージシャンを集めてレコーディングされた
アットホームな作品だ。メイキングビデオではその
雰囲気がよく伝わってくる。メンバーと昼食をとったり
ジョンがバンドメンバーに新曲をピアノで披露する
シーンなど実に楽しそうだ。ジョージ・ハリソン、
ニッキー・ホプキンス、ジム・ケルトナーなど、
その名を書くだけでウキウキしちゃうね。
僕が思う本作の最大の魅力はジョンが、
いい曲(イマジン)が書けた!っていう自信や安堵感を
持ち、それが全体にみなぎっているとこだ。
ちなみに本作のリマスターは、あのもっこりした
雰囲気が少なく、何かスッキリしてフィル・スペクター
色が薄まっている。フィルは最近評判悪いね。
久保の眼
■「ロックにだまされな」と言ったのではなくて、一
文字「る」を加えた「ロックにだまされるな」と言った
のは、もちろん私。一文字で意味が正反対(笑)。
ってゆーか、みんなが集まってくれたあの東京での
『共犯新聞』アンプラグド会を、午前5時に終えて、
私は同じホテル内の自分の部屋に戻るエレベータ
を待っている時に、大きな鏡で、自分の姿を見た。
赤ワインでシェイクされた脳味噌が、みんなの顔と
声を一気に思い出させた。ベッドに腰掛けたギロ
男爵の「今、久保さんとっても重要なこと言いました
ね」とか、華「久保さんは体制派ですか?反体制
派ですか?」、スライダースのDVDを恋人を観るよう
に見つめる参加者たち、嬉しそうに私の側に来て、
人生を語ってくれるダンナさん、月見子猫を交互に
抱く男どもを見て「みんな、オトーサンなんだねぇ」
と、つぶやいたイノウエ姉・・・。で、鏡に映ったのは
43歳の私。そいつが、そこで、ここぞとばかりに私
に言ったコトバが、「ロックにだまされるな」。
■アルバム『イマジン』はテラが説明してくれたよう
に、ジョンの自宅に友人ミュージシャンを集めて、
9日間で作られた。現在から考えると、この名盤が
たったの9日間で制作されたことに、驚かされる。
しかしこの9日間は、レコーディングであったことより
もジョンにとっての長いパーティだったのだ。フツウ
のパーティであれば、午後7時から始めたとしても
せいぜい翌朝の5時には終わる。ジョンの場合は、
それを延々と9日間続けたのだ。
■5年ぐらい前だったか、テラが札幌に来たので、
一緒にバーのカウンターでウィスキーを飲んでいた
時のこと。私が、「ジョン・レノンは結局、彼自身の
やるべきことをまだやり終える前に死んだのだ。」と
言うと、テラが顔色を変えて「どういう意味だ?」と聞
き返してきた。「つまり、今、残っているジョンの全て
のレコードや曲は、たいしたことがない・とゆーこと
だ。ジョンは、これからが本番だったんだ。」と私が
言うと、テラはムキになり「それは違う。」と、いかに
ジョンの仕事が魅力的であったかを語ってくれた。
そんなことは私も分っている。テラも、私が分かって
いることぐらい、分っている。
■ジョン・レノンが死んだ時、私は札幌にいた。 |
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★今日の英単語
(読み方のカナは参考。)
complicity
(カムプリ!サティ)
名)凶暴、
共犯
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RC SUCCESSION
CD2枚組&DVD
ライブから25年、
レコード会社の倉庫から
音源が発見された、
全18曲の完全実況録音盤!
\4500 |
●Disk 1
1.Opening MC(New!) 2.よォーこそ
3.ロックン・ロール・ショウ(New!)
4.エネルギーOhエネルギー
5.ラプソディー 6.ボスしけてるぜ
7.まりんブルース(New!)
8.たとえばこんなラヴ・ソング(New!)
9.いい事ばかりはありゃしない(New!)
10.Sweet Soul Music
〜The Dock Of The Bay〜(New!)
●Disk 2
1.エンジェル 2.お墓(New!)
3.ブン・ブン・ブン 4.ステップ!(New!)
5.スローバラード(New!) 6.雨あがりの夜空に
7.上を向いて歩こう 8.キモちE
9.指輪をはめたい(New!) |
ここをクリックすると、キヨシローから貴女に、じきじきにご質問がございます。 |
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第57位
ボブ・ディラン 『追憶のハイウェイ61』 1965年
自叙伝が発売されたり、映画が公開されたりと、
ちょっとしたディラン・ブームだ。
それとはまったく関係なく、ここ一年ほどよく行く
カウンターバーが東京、国分寺にある。
その名は「BAR DYLAN」042-327-0017。
ディランを中心にアメリカンロックのかかる飲み屋だ。
他のシンガーによるディランカバー曲も揃えた、
実にマニアックなバーだ。
さてボブ・ディランは昔から聞くし、
レコード、CDも数枚持ってる。
が、ビートルズやストーンズ、ボウイほど
なぜかのめり込めないのが私にとってのディランだ。
なぜだろう?かと考えたが、おそらくディランの今ひとつ
一貫性のない音楽スタイル、ライブの度にめまぐるしく
変化するアレンジ、
なんかはぐらかしたようなメッセージ、
そう、いつも答えは風の中。
聞くものが試されているような歌詞。
そう本盤収録の「ライク・ア・ローリングストーン」の一節
HOW DOES IT FEEL? 気分はどうだい?
って常に問いただされてるみたいで、
呑気に聞いてられない。
この曲、落ちぶれて浮浪者になった人の歌だが、
ストーンズのブライアン・ジョーンズがモデルだ
という説もある。ハマリすぎ?
アル・クーパーやマイク・ブルームフィールドが
バッキングを勤めた本盤はフォークスタイルから一変、
実にスリリングかつハチャメチャなロックがある。
それで充分じゃないか。
久保の眼
■えっ!?と、最初は思った。イギー・ポップ&
ストゥージズ『ロウ・パワー』(1973年)が92位とか、
デレク・アンド・ドミノス『レイラ』(1970年)が71位
とゆーのは、世間の位置とは違ってもまぁ、TERA
らしーなぁ、とは思ったが、なんせ、ディランである。
しかも代表作である。これ、57位で、いーの?
■しかし、TERAの文章を読むと納得。今回の文は
この連載の中でもベスト3に入る名文である。特に、
「聞くものが試されているような歌詞」というくだりは、
優れて個性的なディラン論となっている。
■世にディラノロジストと呼ばれる人たちがいるそう
だ。つまり、ディランの詩などを、哲学的に分析する
連中のことだ。確かに、その苦労に値する魅力を持
っているのがディランである。しかし、その袋小路で
はTERAのような視点は提示できなかったであろう。
■私が今年観た超印象的だった 映画『ゴールデン・
カップス・ワンモアタイム』の中で、1960年代後半の
日本のロック・シーンで輸入盤でしか聴けなかった
バンド「ポール・バタフィールド」の演奏について語
るシーンがあるが、そのバンドの音楽的中心者が、
まさに、このアルバムの音楽的個性を決定させてい
るマイク・ブルームフィールドだ。私が今、一番欲し
い中古CDがポール・バタフィールドのアルバムなの
だが、日本では手に入らない状況は1960年代から
今にいたるまで変わっていない。しかし私たちは、い
つでもディランの『追憶のハイウェイ61』で、マイク・
ブルームフィールドの、すごいギターが聴けるのだ。
■しかし、と、私はもう一度言おう。ディラノロジスト
たちの魅力的な分析(?)の言葉も、ここで紹介して
おくのがフェアだろう。大鷹俊一が、このアルバムに
対して書いた文章をいくつか紹介したい。→「一気
に時代を一回転させた、ロック史上に残る傑作」、
「新しい秩序を自らの手で創造しようとする気迫」、
「 共犯者たちを得て、言葉が何倍もの広がりを見せ
る」、「言葉のインプロヴィゼイション」、「良質なロック
に不可欠な”混沌”を足元にたぐり寄せた」・・・・・・。
■また、このアルバムはディランがフォークを捨てて
ロックへと転身した記念碑ではあるが、アルバムの
最後の曲「廃墟の街」は12分延々と言葉のイメージ
をつないでゆく、超大作のフォークだ。TERAと私の
バンド仲間であったサカタが、高校時代に友人から
この曲の歌詞の説明を聞かされたという、印象的な
思い出も、この機会にここに記録しておきたい。
■いずれにせよ、こんな超すごいアルバムを57位に
しちまったTERAの選ぶ残りのアルバムとは何だ!?
いよいよこのコーナーも佳境に入ってきたという彼の
宣言のようなセレクトである、と、私は強く感じた。 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
drastically
(ドラ!スティカリ)
副)激烈に、
強烈に、
徹底的に、
思い切って、
厳しく
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2005年9月3日
番外編 【TERAのロケンロー亭日乗】
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いやはや、ディランの『ハイウェイ61』の
登場は早すぎたかかな?
実はその後を悩んでいる。スランプじゃ。
というわけで、私の唯一の行き着けバー「ディラン」
「BAR DYLAN」042-327-0017で
知り合った人々を紹介しよう。昨年の3月くらいから
週一くらいのペースで顔出してるバーだ。 |
マスターは俺より10歳くらい上のワシントンホテルから脱サラして店を開いた人。
毎日ディランを聞いても全然飽きないくらいのディランファン。
他にはニール・ヤングやCCRが好きなんだって。
常連で最初に話するようになったのがKさん、
関西出身H製作所勤務のエンジニアさん、
この人音楽は詳しくないが焼酎には詳しい。
Mさんは俺と同い年の主婦でありキャリアウーマンだ。
中小企業向けコンサルの仕事をしている。
昔はイベント会社にいてS−KEN担当だったそうだ。
ロフトの話は盛り上がるに決まっている。 | |
Oさんはアニメ制作会社の人で、とにかく音楽に詳しいく日本酒に詳しい。
Yさんは俺より五つくらい上でS金属勤務のエリートだ。
エロネタと車の話で盛り上がるが自分が設計制作した音響スピーカーを
世に送り出そうと企んでいる人だ。フランス・ギャルを紹介して差し上げた。
Sちゃんはデザイン会社の女の子でめったに会えないが、
しっとり気の合う人だと勝手思っている。
SHさんはメタリカ好きの22歳多摩美の学生さんで行けば必ずいる。
なぜか俺を慕ってくれる、かわいい野郎だ。
Hさんはちょっと年上の学校の先生でジャズ、アイドル、昔のフォーク、ロックに詳しく、
しょっちゅう出張やら学会で日本全国行っている。若い頃ピアノをやっていたそうな。
Aちゃんは大学院生で心理学をやっているメチャ酒の強い子だ。
おまけにメチャ歌が上手い。ハンパじゃない。
話はまだある。最後に登場した二人とバンドをやることになった。来週初リハだ。
ドラムが俺、ピアノが先生、ボーカルが心理学の子、
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ベースはこの店での常連ではないが
君もよーく知っているキューピー池上だ。
練習曲としてキャロル・キングやUAの曲に
トライしてる。
今年中にどこぞのジャズクラブで
ライブをやりたいと思っている。
ギターでなくピアノというのが俺には新鮮だ。
実はジャズに挑戦したかったんだが。
でもオリジナルも書いちゃおかな!?
ではロック100選がんばります。
そーだ君のHPでも紹介していた鈴木杏の
出演ドラマ、『がんばっていきましょい』
(9月13日火曜日10pm最終回)にハマッテいる。 |
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★今日のグラビア・ガール
(更新日;2005年3月27日)
鈴木 杏(すずき・あん)
1987年4月27日生れ●
B78 W64 H85 T162 S24.5
(変わっていると思います。成長期なのに
いつまでたっても同じ表示ですから。(^_^;))
96年テレビドラマ『金田一少年の事件簿』
(NTV)でデビュー。映画は
ハリウッド映画『ヒマラヤ杉に降る雪』、
『Returner リターナー』(山崎貴監督)、
『青の炎』(蜷川幸雄監督)、
『花とアリス』(岩井俊二監督)ほか。
テレビドラマに『Stand UP!!』(TBS)、
『六番目の小夜子』(NHK)など。
大友克洋アニメ『スチームボーイ』声優。
舞台は2003年『奇跡の人』ヘレン・ケラー
役で初舞台。同年蜷川幸雄演出
『ハムレット』でオフィーリアを演じ、
『アオドクロ』の後、『ロミオとジュリエット』。 |
▲アニメ『スチームボーイ』声優の当時。 |
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久保の眼
■「バンドには解散の自由がある」とは、私の名言だが、
やはり&そのためには、メンバーとの出会いが必要だ。
「テラ・君は相当なコミュニケイターなんだね。」と、埼玉県
出身の、オマン・めんさんが言っていた通りなのかも。
■それにしても、ビートルズのTERAと言われた(?)リンゴ・
スターも、そのコミュニケイター能力で作ったバンドが、
「リンゴ=スター&ヒズ=オールスターズ」ってな感じの、
「小林旭のものまねをしている片岡鶴太郎みたい」なバンド
になりがち。ジョン・レノンやポール・マッカートニーとて、
バンドのメンバー選びが上手であったとは言えないのだ。
・・・って、自分たちをビートルズと一緒にしてどーする(笑)。
■確実なのは、TERAはギタリストに苦労したとゆートラウマ
があって、よーやくギターから解放されたってコトか。がくっ。 |
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2005年6月22日
第59位
オアシス 『ドント・ビリーブ・ザ・トゥルース』 2005年
オアシスの最新作!
あまりにもいい出来なので速攻エントリー!オアシスは
2作目から聞いているが、彼らのすばらしいところは
常に新作がいいのだ。前作の『ヒーザン・ケミストリー』も
気に入っていてエントリーしようと考えていたが
やはり最新作の方がよかった。
よくビートルズが引き合いに出されるが、
常に新作が優れているところがビートルズだと思う。
つまらい曲がなく飛ばして聞くことがないのも
ビートルズだ。いやビートルズは「イエスタデイ」とか
「ロング・アンド・ワイディングロード」など退屈
きわまりない曲があるので、つまらない曲がないという
点ではビートルズ以上だ。ノエル・ギャラガーの
ギトギトのレスポール・サウンドも好きだが、
リアムの声が一番好きだ。本盤はドラマーに
リンゴ・スターの息子ザック・スターキーが全曲参加し、
名実ともにビートルズの血を入れたオアシス。
そのどっしりとした説得力のある演奏がロックとして
ポップスとして多く支持されている理由だと思う。
しかしビートルズチルドレンでミュージシャンとして最も
成功したのがリンゴの息子というのが実におもしろい。
ジュリアンとかショーンはどうしているんだろう?
久保の眼
■今年は記念すべき「ロック発祥50周年」の年、だ
そーだ。ふ〜ん。その理由は、アメリカの音楽雑誌
『ビルボード』でビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの曲
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が年間1位になった
のが1955年であるからだそーだ。ふ〜ん。それは、
単なる偶然なんだろーけど、かつてロックを聴いて
いた貧乏青年が、ある程度の金銭的な余裕を得た
ことを意味する時間の経過が50年でもあるのだろう。
それは同時にロックの商品価値が上がった、という
コトをも意味しているのだ。その匂いをかぎつけた、
マスコミは一斉に”オトナのロック本”を企画出版し
CDショップにも”ロック名盤”コーナーが目を引く。
ここの「TERAのRCK名盤100枚!」とて、
ある意味、ソレの便乗(?)かもしれない(がくっ)。
■それらが意味するのは、「名盤」が「名盤」である
がために、懐古趣味に陥ってしまう危険性でもある。
ロックとは、すぐれて今日的な音楽であったハズで
ある。「現在」をリアルに表現できる器であったのだ。
そのロックが、まるで骨董屋の陶器のように扱われる
のは、嬉しいような〜&悲しいような〜なのである。
だからTERAが出たばかりのアルバムをこの企画に
登場させたのは、とても意義がある。サスガである。
■ちなみに今年が「ロック発祥50周年」とゆーのは
間違いである。「ロックン・ロール発祥50周年」と言う
のが正しい。ロックが生れたのは、1962年である。
この年、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・
ディラン、ビーチ・ボーイズが世に出ているからだ。
ちなみに、久保、TERA、高田エージが生れた年で
もあるのだよ。だからロックも私も43歳。とほほ・・・。 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
fledged(フレ!ッジド)
形)羽毛が生えそろった
巣立ちのできる
一人前の
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2005年5月9日
第58位
ヴァン・モリソン 『テュペロ・ハニー』 1971年
ヴァン・モリソンは60年代にゼムでデビューした
プラスティクソウルマンだ。
ミック・ジャガー、エリック・バートン、
スティーブ・マリオットらイギリス出身の連中みたく
かっこよくブルース色の強いシンガーとは違い
ジャズ、カントリーと幅広い音楽性を持っている。
というよりアンチロックの道を歩んできた人だ。
それは彼がアイルランド出身というところが原因
しているのか、ルックスへのコンプレックスなのかは
定かではないが。この人、歌う時オーディエンスを
ほとんど見ないのだ。どこか宙を見ている。
目の焦点が合わず無表情だ。しかし
ボーカルはすばらしい。卓越した歌唱力を持ち
ながら決して歌い上げることなくロックボーカリト
として絶妙なバランス感覚を持った人だ。
チーフタンズとの共演盤などもあるがアイルランド
色の強い作品は意外に少なくなんか物足りない
気もする。そして本盤もアイルランド色は薄く
カントリー色が強いが大好きなアルバムだ。
彼の作品の(かなりの枚数がある、もちろん全部は
持っていない)の中ではもっともハッピーな作品だ。
ジャケットからも幸せが伝わってくる。
ギターはロニー・モントローズ!
のちにハードロックバンド、モントローズを結成する。
私、この人、高校1年の時見たことあるのよ。
それもジャズドラマーのトニー・ウイリアムスのバックで。
かなりマイナーな自慢話でした。
タイトル曲「チュベロ・ハニー」は
すばらしいバラード曲だ。
久保の眼
■1970年代に中学生、高校生だった私の世代に
とって、ヴァン・モリソン初体験は1976年11月25日
に行われたザ・バンドの解散ライブ『ラスト・ワルツ』
の映像であったと思う。この映像は記録映画となり
1978年にレコードと共に日本でも公開されている。
映画監督は、なんと今や超巨匠であるマーチン・
スコセッシ。ディランやクラプトンなども参加したの
で、超お買い得だと思い私も3枚組みのLPを当時
買った(笑)。しかし、なんだかオヤジ臭い。みんな
仲良しこよし、ヒゲをはやして、人生を悟ったようで
ステージ・アクションも無く、つったって歌っている。
1978年、当時、高校2年生の私にはもう、ロンドン
からのセックス・ピストルズのニュースが耳に入って
いたのだ。何度聴いても、3枚組みのLPは金持ち
趣味のアメリカン・ヒッピーの断末魔に聴こえた。
■そんな中、ヴァン・モリソンはデブで短足でハゲ
で、もっともオヤジ度が高かった。なんだか中年の
サラリーマンのカラオケに付き合わされているような
つらいモノがあった。
■しかし。ロック少年は20歳、30歳、40歳を過ぎる
たびに、ロックのリスナー戦線から、離脱してゆく。
離脱しなかったロック残党兵(?)は、聴くべきLPを
捜して、若い頃聴かなかったミュージシャンに手を
染める。その時にハマルのが、ある者はフランク・
ザッパであり、ある者はトッド・ラングレンであったり
するのだ。そして、ヴァン・モリソンも魅力的な仕事
を残してきたコレクター大喜びのミュージシャンだ。
■「ハゲとデブと入れ歯は、歳をとってから笑え」と
言う名言(?)がある。いよいよ私もヴァン・モリソン
と対等に向かい合える年齢になった(?)。
■この『テュペロ・ハニー』は彼のアルバムの中で
は、あまりにも幸福過ぎて彼の本質がつかみ難い
かもしれない。彼の他のどのアルバムも、これよりも
重い。誰のために、こんなに悩む必要があるのか。
■1945年8月31日に北アイルランドで生れた彼は
『ラスト・ワルツ』の時にはまだ31歳だったんだね。
おっと、いけねぇ、また今回も年齢の話になった! |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
emblem(エ!ムブレム)
名)象徴、
典型的人物、
紋章として用いられる
象徴的な物体、
寓意画
他)象徴する
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2005年5月9日
第61位
レッド・ツェペリン 『コーダ』 1982年
ジョン・ボーナムについて語りたい。
1980年ウォッカの飲みすぎで死んだ話は有名だが、
実はポール・マッカートニーのお誕生日会にお呼ばれ
してウォッカで泥酔し、死に至ったという話は意外に
知られていない。しかし何でウォッカなんだろう?
ボーナムはデビューから1980年の死の直前まで
全てのプレイが絶好調だ。そのほとんどのプレイが
ツェペリンの演奏だ。ツェペリン以外でのプレイは
知ってるかぎりポール・マッカートニー&ウイングスの
客演だけで実はあまりパっとしないプレイだ。
ゲッ!またポールだ。
ボーナムのドラムセットは他のプロドラマーより
全ての太鼓のサイズがでかくシンバルもでかく分厚い。
このスペックのドラムをあれだけ美しく鳴らせるのは
並のテクニックでない。筋力以外に瞬発力と脱力とを
駆使した表現力を持った世界屈指のドラマーだ。
一度聞いたら忘れられない爆発音的ドラムサウンドは
その後サンプリングされロックサウンドの代名音として
今でも利用され続けている。彼の地響きのようなバス
ドラムの連打は若干の恐怖感を伴い、ロック神経を
刺激し興奮させてくれるのである。
さて本盤は正式アルバムではなく解散後に未発表
テイク等を集めた作品で録音年代もバラバラだ。しかし
非常にクオリティーが高く正式アルバムのようでもある。
中でもボーナムのドラム曲「Bonzo's Montreux」は
すばらしい!
久保の眼
■このアルバムを聴くたび私はいつも、超豪華な
だだっ広い録音スタジオでジミー・ペイジがポツン
とたった一人でミキシング台に向かい、泣きながら
「Bonzo's Montreux」をミックス・ダウンしている姿
を想像してしまう。実際、この曲はドラム・ソロのみ
なのだが、それをジミーがシンセサイザーなどの
電気処理をして完成させている。ドラムの録音は、
1976年9月12日なので、ジミーの処理がボーナム
の死後かどうかは分からないが、この直前に発表
されたアルバムの『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』と
比べると、明らかにドラム中心に音の処理がされて
いることが分かる。特に1969年録音の「ウィアー・
ゴナ・グルーブ」などは発表された1982年の時代
のセンスにピッタリで、私も当時は驚いた。当時は
ニュー・ウェーブが全盛期でレッド・ツェッペリンは
オールド・ウェーブの象徴として、冷遇されていた
からだ。そんな彼らの古い録音が、故ボーナムの
ドラムの音を中心に再構成してみると、なんと当事
の最先端、PILが『フラワー・オブ・ロマンス』などで
試行錯誤していたリズムへの回帰と同じだった!
■それにしも1980年9月25日と12月8日、ポール・
マッカートニーの周辺で32歳と40歳の2人のジョン
が消えちまったんだねぇ。 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
renewal
(リニュ!ーアル)
名)更新
再生
やり直し
書き添え
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2005年4月25日
第62位
ドクター・ジョン『ガンボ』 1972年
本盤、発売当時のライナーノーツに
ドクター・ジョン自身のメッセージとして
「ロックンロールの大きな要素でもあろう
ニューオリンズのルートミュージックをたくさんの人に
聞いてもらいたい」と書いていた。
彼は自分の知名度と音楽的力量をもって
ニューオリンズの音楽の紹介に力を注いだ作品で
ある。彼自身のオリジナル曲は入れず
全てが50年代60年代のニューオリンズのカバー曲が
連なる。しかしその魅力はなんと言っても彼の
ブギウギピアノとダミ声、シンコペーションを多用し、
独特のアクセントを持ったマーチングドラムだ。
このリズムにウキウキしない奴はモグリだ!日本では
久保田摩琴やどんと率いたボ・ガンボスなどがこの
楽しさを再現してくれた。ニューオリンズと言えば
古くはファッツ・ドミノ、ルイ・アームストロング、かつて
本ページでも紹介したドラマーのアール・パーマー
などを輩出している。町全体がファンキーミュージック
に溢れ、いたる所で演奏しているそうな。
是非行って見たい場所のひとつである。
久保の眼
■ジャニーズ事務所から KinKiKidsがデビュー
した時、「近畿の少年」というネーメング以外に、
UKロックの英雄バンド、キンクスの名前からも、
インスパイアされているのではないのか?と思っ
たのは私だけではないはずだ(笑)。それと同じ
ような感性で言えば、歌手の aikoがデビューした
時に、このドクタージョン『ガンボ』を思い出した
全国のロック・オヤジは多数いたのではないか?
まーこりぁーアルバム1曲目の「♪アイコ、アイコ」
っー印象的な歌い出しからなんだが(がくっ)。
■つまらない冗談はそれぐらいにしておいても、
1968年に グラム・パーソンズがロックにカントリー
を導入した業績に匹敵するのが、この1972年の
ドクター・ジョンのアルバムによるニューオリンズの
ロックへの導入だ。さらに同年、ボブ・マーリィが
イギリスのアイランド・レコーズと契約し『キャッチ
ア・ファイアー』で世界デビューし、レゲエもロック
へ導入されてゆく。 この時期、ロックは植民主義
であったかのように、世界各地に素材を求めてい
たのだ。これってある意味、当時のロックが疲弊
していたことの証明でもあるのではないかと私は
思うのだ。つまりあれほど魅力的なサイケデリック
サウンドだったが演奏する側は疲れていたのだ。 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
rehabilitation
(リーハビリテ!イシャン)
名)復職、
名誉回復
社会復帰
リハビリテーション |
ブルーノート東京
ドクター・ ジョン / Dr. John (p,org,vo),
ジョン・フォール / John Fohl (g,vo),
デヴィッド・バラード
/ David Barard (b,vo),
ハーマン アーネスト III
/ Herman Ernest III (ds,vo)
2005年9/16(金)〜9/21(水)
CHARGE:\8,400(税込)
SHOWTIMES : 7:00P.M. & 9:30P.M.
※9/18(日)、9/19(月)のみ
S:6:30P.M.&9:00P.M. |
ドクター・ジョン & ザ・ロウアー 911
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第63位
あぶらだこ『木盤』(通称)1985年
あぶらだこは昔ボクらのバンドと目黒のライブハウスで
対バンとして同じステージで演奏したことがある。
彼らも自分達もまだバンドを始めて間もない頃だ。だが
彼らはまだライブ活動している。サザンもびっくりの
長寿バンドだ。おそらく他の仕事をしながらの音楽活動
だと思うのだが、うらやましいポジションだ。最新盤も
是非聞いてみたい。さて本盤は20年前の作品。
変拍子の応酬とヘヴィなギター、
パンクというよりプログレ?
町田町蔵の人民オリンピックショーがビーフハートや
ザッパのサウンドを踏襲してたり、Pーモデルが元々
キング・クリムゾンのコピーバンドだったりと、
ちょうど高校生の頃プログレにはまって
その後パンクに転向したという人、
意外に多かったりして。あぶらだこはそんな
サウンドに暗黒舞踏的な発声と美しい詩がのる。
「貧困で出現の根源、突然家出の今、
見えざる死にざる着飾る、骨の髄まで青い鳥、
大変化は開拓の労働により光に守られ、
あとさきも何も考えず卵の中から蘇る」
「なぜ生きているのか分からなくて一人で外に出て
みる、もっと自由の偽善の嘘で楽しく暮らしたかった、
僕らの未来は全々暗くないと信じてみる」
「千里の荒野に踊るいちりんの花に唄う」
などほとんどノストラダムスの予言のようだ。
さて昨日43歳の誕生日を迎えた私に
気になる一節があったぞ
「打ち砕かれたのは43回目の春
霧の中で遊ぶ7人の小人の山、
救われたのはユダの紙切れ一つ、
黄泉の国からプランクトンの嵐」どういうことなのー?!
久保の眼
■確かに、キャロルや横浜銀蝿を聴いていてから
パンクスになったのと、クリムゾン卒業生とでは、
かなり似て非なるパンク音楽となるわな(笑)。
またRCサクセションや三上寛のようにフォークから
パンクに入った人も多い。あ、遠藤ミチロウもそう。
そう考えるとパンクというジャンルの持つ吸引力や
表現スタイルの雑多性を今さらながらに思い知ら
される。つまり、世間で見られているようにパンクと
は単純な音楽ではなくて、複雑な角度を無限に
持った表現の「場」なのだ。ちなみに私は、沢田
研二からパンクに入りましたとさ(がくっ)。 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
eerie(イ!アリ)
形)不気味で恐ろしい
不可解で神秘的な
謎に包まれていて
気味の悪い
びくびくおびえた
|
2004年3月14日
第64位
YMO「ソリッド・ステイト・サヴァイバー」1979年
日本の音楽シーンで最重要人物のひとり、細野晴臣の
アイディアで発足したユニット。ハードロック、日本では
歌謡曲全盛の時代に汗ひとつかかずに短髪で
涼しげに演奏する姿が当時は印象的だった。
しかし今聞いてみると、すごいアナログ!
ビートもロック。
当初ドラムは細野の昔からの仲間、林立夫に依頼した
が断られ高橋幸宏に決定した。これが大正解だった。
幸宏は林立夫ほどのテクニシャンではないが
強力なビートの持ち主でオシャレでクールなイメージも
新鮮だった。しかしもう25年も前なんですねぇ。
当時、細野を筆頭にその周辺のミュージシャンは
皆メチャ楽器が巧く
あらゆるジャンルの演奏をこなしていた。
その超テクニシャン連中がその演奏力、表現力の
新たな鉾先としてコンピューターを選んだ。
そして時代はめぐりコンピューターは
逆に楽器のできない人々に音楽の道を開いた。
10年程前のYMO再結成はこれでもか、というくらいに
単調で無機質なコンピューターミュージックだった。
これは90年代以降にあまりに蔓延したデジタル
サウンドへの自身も含めた嫌味だったのだろうか。
久保の眼
■今も昔も最先端のオシャレを上手に演じることが
苦手な私であるが、だからこそ見えてしまうことって
ある。たとえば、1980年前後のYMOブームは音楽
の革命でもイノヴェーションでもなかった。アレは、
単純にディスコ音楽にすぎなく、ギミックにも新しい
手法は無かった。演奏は当時のスタジオ・ミュージ
シャン・ブームの加熱の副産物であるフュージョンの
方法論がドイツ・テクノの楽器で再現されただけで
あったのにすぎない。今でも時々テレビで1980年の
回想映像みたいのが流れる時に、竹の子族(笑)が
YMOの「テクノポリス」か「ライディーン」に合わせて
踊っているシーンが流れるが、それは優れた選択
である。ただし、私がそこで踊っていたなどと誰にも
思って欲しくは無いが(がくっ)。 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
anthropologist
(アンスラパ!ラジスト)
名)人類学者
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寺沢香織(陶芸家)の名古屋ロケンロー通信
◆ …緊迫の中の一息、う〜〜…。 ◆
2005年2月12日 6:36のEメール
モトヒローヴィチ・クボコフさま、おはこんばんちはでございます。
只今窯焼き中、何だかモ〜ロ〜とした頭をフリフリぱそこんに向かっているので、
いつも以上に怪しい文面でもどうぞご勘弁を。
寝ちゃいけねーと叱咤しつつ、さっきからウトウト。
(明日搬入、間に合うのか?!)
展覧会の告知して頂いてありがとうございます。
今回本命を焼きで失敗(←この窯もそのせい)、
時間も無いのでストックで間に合わせるしかなかった為ちょっとヤバイ様子。
各レベル(組作品)はバラバラ、
意図もハッキリ解らないだろうなぁ…アイタタ★((*ε*))☆
でも出す以上そんな言い訳は通用しないので、
これ以上皆さんに見放されない様、今後注意しなければ。(ダウナー…)
今回しかご縁のなかった方は…もう痛すぎて立ち上がれないよ〜〜!
今更ながらベルベット・リボルバーのキレた、についてですが、
つまらないというより、何がどうでもよくなった、という感じの意味でした。
結局楽しまねば行った意味がない。
急にビッグになりすぎたバンドが経てきた道を通り、その後個々での活動は
パッとせず、もう一度再起(と栄華?)をかけて臨んだであろうこの結成は、
いくら肩慣らしジャパンツアーでも気合いが入って当然と期待するし、
そして思ってた以上にカッコよかった。
でも思い返してみれば、はっきりいって
ガンズというバンド自体は高1の頃の彼が大ファンだったというだけで、
元々自分はそこまで好きでもなかったんですよねぇ〜。
(だってジューダスやハロウィン好きですから。)
私、大まかにアメリカ産バンド的な音が苦手だったのですが、
彼氏のやってたバンドがガンズ、SKID ROW(≠G・ムーア)、ハノイ、
そしてツェッペリンなんかのコピーをして たと
ころから耳慣れた、というか。
なので、思い入れもあり、好きなのは1stと次のミニアルバムまでなんです。
それ以降は全く興味がない音作りと活動、今でも
あの2枚組が何故あそこまで売れたのか理解不能、そんなに良いかなぁ???
だから、ガンズも「名古屋付近に来るなら一回くらい観てみよう」
な気持ちだったんだろうな。
しかし、メールを頂いて、確かにまずは本物を観てみよう的な所はあるな、
と納得いたしました。
生は一回きりですもの、機会があれば多少無理しても行っておかなきゃ!
という気が働くんですね。
(しかもまだイベントの会社でバイトしてボトム時代の仲間とも一緒なので、
勝手にメンバーに組み込まれてるんです。
「行くよね?取っといたから。」←事後承諾。苦笑)
外タレの名古屋飛ばしは相変わらずですけど、
それでも都市部を離れた方々からしたら何とも贅沢な事ですよね。
そうそう、ベルベット・リボルバーのライブですが、
アルバム聴いた時は正直言っていい曲もあるけど殆どピン!とこず、
ピンと来てもアクセルの声が聞こえてきそうだったりしてたんですけど、
さすが生もの、ライブ用アレンジや曲中ジャムってるのが数段カッコよくなってて、
彼らのリラックスして楽しそうな様子にこちらまで幸せ気分になったのでした。
18日は多分、柏木広樹さん(Cello:exG-CLEF、現葉加瀬太郎サポートメンバー)
を含め、NANIWA EXPや元THE SQUAREの人やらの5人のセッションライブを
ボトムラインにて聴 きに行こうと思ってます。
私は高校の頃からG-CLEFファン、
そして特に榊原大さんと柏木さん(の笑顔←邪)の大ファンなのです。
絶対行くぞ!!と固く決意してるのですが、
同じ決意の11日のダンス+オペラのイベントを製作で泣く泣く見送った
前例を作ってしまったので(←当たり前。仕事しろ!! -_-#)、ちょっと弱気。
ベジャールのバレエ団にいたA・シルヴェストリン振付、
白河直子(H・アール・カオス)+津村禮次郎(能)にメゾソプラノとバリトンが付く
という、私にとってはスーパーイベントだったのに〜!
愛知県文化情報センターという所の企画ですが、
もう十年以上も(たぶん)“身体・音・空間”をキーワードにした
フィルム上映&レクチャー、イベント等を行い、
’03にはローラン・プティのデューク・エリントンバレエ
(牧阿佐美バレエ団。まだ上野水香ちゃんがいました♪)を招聘したりして、
何かと私好み、随分お世話になっているのです…勝手に。
バレエのお話しになるとまたまた長くなるので、今回はこの辺で。
あ、因みに、K-BALLETで思い出しましたが、今回東京バレエ団から移籍
した荒井祐子ちゃんは小学校の頃同じ水泳部で共にリレーメンバーでした。
仲も良かったんですが、彼女が15歳の時、ローザンヌでスカラシップ賞を
取ってハンブルグへ行ってしまう直前に一言お祝いを言ったのが最後で、
直接会えずにいます。
東京バレエ団で来名するたび観に行くのが楽しみでした。
もっと前から同カンパニーにいる榊原有佳子女史(とお姉さんの弘子さん)も
地元出身、うちの近くには塚本洋子バレエスタジオがあるのです。
後年、中学の頃に見に行ったこちらのスタジオの発表会で、ジャズダンス部門
に(元?)コンボイの舘形比呂が出ていたのを見付けて驚いたり☆Σ(@o@)
ここ十年程のローザンヌは東洋・中南米・オーストラリア人で埋め尽くされ、
クロード・ベッシー女史も退いて退屈極まりないですが、
チェックし続けてしまうのも地元応援精神(?)からかもしれません。
…結局相当長くなってしまいましたね。
先程色味を出し、少し流れ過ぎたかも!と蓋を開けたくない気分ですが、
ガンバって冷まして明日搬入。
恐ろしすぎです…。
とりあえず、これから2週間分の睡眠を取り戻そうと思います。
では、おやすみなさいませ。
(=_=)Zzz‥
★寺沢香織(陶芸家)の展覧会、出展情報
展覧会は、名古屋伏見のギャラリー名芳洞の企画展で、
『冬季ミニチュア100人展』というものです。
去年から始まった企画で、、実際は100人以上の名芳洞さん縁の作家が、
一人一点という建前で(十数点持ち込む人も。え〜?!)、
小品を持って集まるという面白い展覧会です。
期間は2005年2月8日〜20日、全作品1点1万円で販売致します。
ギャラリ- 名芳洞(めいほうどう) 『冬期ミニチュア100人展』
2005年2月8日(火)〜 2月20日(日)
11Am〜7Am(最終日 5Pm) 2月14日(月)休廊
〒460-0003 名古屋市中区錦一丁目20番12号伏見ビルB1
Tel.Fax 052-222-2588
*地下鉄東山線伏見駅下車9番出口すぐ(横浜銀行B1)
|
去年1点だけ持っていったら追加が何件か入って後が大変だったので、
今年は数点持っていかねば…と言いつつ持っていけるかなぁ★
でもここは抽象絵画が得意なギャラリーなので、
立体物は空間が自由に使えてちょっとお得?!
井内正樹さんからの名古屋に出張メール
2005年2月18日(金) 4:22PmのケータイEメール
<名芳洞とセントレア>
井内です。
本日お昼にBOY名古屋店地下1階の名芳洞へ訪問致しました。
受付のご婦人に『どなたのお知り合いですか?』と聞かれ、
『寺澤さんの知り合いの知り合いです』と答え、拝見させて頂きました。
丸いオブジェが3個組み5セット飾られてて、
1セットに売約済のシールが貼られてました。
見るからに手間がかかった、素敵な焼き物でしたよ。
他にも沢山の絵画が飾られており、まずまずの盛況でした。
盛況と言えば、昨日、名古屋では中部国際空港がオープンし、
9万6千人が見に出かけたとの事。テーマパークのようなもの
もある人口島で、愛称はセントレアです。うむ〜、少し恥ずかしいゾ。
2005年2月18日(金) 4:36PmのケータイEメール
<セントレアとセントラルパーク>
井内です。
ついでに、横文字シリーズではないですが、名古屋の中心には、
長〜いグリーンベルトがあります。札幌の大通り公園に似た
雰囲気(大通り公園が似ているとも書きますが)で、テレビ塔もあります。
そもそも、名古屋の街って、札幌に似ていると
(札幌が名古屋に似ているとも書きます)思います。
そしてその公園の名前は、セントラルパーク。
これもなんか、呼ぶのは恥ずかしいな。
名古屋の人って、横文字が好きみたいです。
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2005年2月2日
第66位
パティ・スミス『ラジオ・エチオピア』 1976年
前回のスティーリー・ダンには、
多数ご意見いただきありがとうございます。
贅沢に時間と東西スーパーミュージシャンを
起用して制作された『エイジャ』の発売とほぼ同時期に
寒いニューヨークの地下室でライブをしていたのが、
パティ・スミスだ。前に紹介したラモーンズや
テレヴィジョン、トーキング・ヘッズなどとニューヨーク・
ロックの最も熱い時代を展開していたのだ。
本盤はパティ・スミス・グループの2枚目の作品で
強烈な緊張感が全体に漂う家族団らんの場では
絶対にかけられないアルバムだ。歪んだギター、
絶叫するボーカル、炸裂するドラム、全てが一体と
なって異常なテンションを生み出している。
ニルバーナやビョークなんかもこの緊張感を目指して
いるのかな?私は数年前に『ゴーンアゲイン』ツアーで
このグループの演奏をおよそ20メートルの距離で
体験したのだが、本盤のテンションそのままか
それ以上の演奏でニューヨーク・アンダーグランドを
目の当たりにしたようだった。
もっと上位ランキングで考えていたアルバムだが
前回の対比もおもしろいかと思い紹介しました。
久保の眼
■このアルバムの1曲目「アスク・ジ・エンジェルス」
の歌詞に「♪rock'n' roll is what I'm born to be」
とゆー部分がある。「ロックン・ロールが私の全て」と
でも訳するのだろうか。かなり恥かしい言葉=宣言
だ。しかし、まるでグランジ・ロックの原石のような音
と過剰な詩を、締め付けられた雌鳥の断末魔の声
で散弾銃のようにぶちまけられるとロックン・ロール
への詩人からのカミング・アウトのような言葉に私は
立ち止まってしまうのだ。
■考えるまでも無くロックは若者の音楽だ。つまり、
まだまだ先人のロック・スターへの憧れを持ったまま
に楽器を手にして表現されるジャンルである。彼女
もそうであった。ただし、優れた表現者がそうである
ように、彼女の「憧れ」は厳しい「批評」と同義語で
あったのだ。パンクは可能性の拡大のことだった。 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
punk(パンク)
形)劣る、
みじめな
名)パンクファッション、
青二才、
与太者
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寺沢香織(陶芸家)の名古屋ロケンロー通信
◆ VELVET REVOLVERへ行ってきました。 ◆
2005年2月3日(木)3:36PmのEメール
こんにちは〜。
この前、打ちかけのお返事があったのですが、
さすがに笑えない状況になってきたので保留になってます。
で、昨夜ライブへ行ったので取り急ぎご報告まで。
作業の進行具合が余りにも厳しーいなか、チケ取ったので行かねばなりません。
友達との食事も諦める決意も全く無駄になった50分押しの開演、
機材のトラブルなんて大嘘バレバレ。
30分押しくらいで始まると踏んでたんだけどなぁ…
ガンズも、アクセルのワガママだけじゃなかったのね…。
ライブ自体は超×100カッコ良かったです!!!
薬漬けで歌えない疑惑のスコットも最後までよく声出てたし、
お得意の拡声器姿も絵になってて存在感◎。
オールスタンディングでギュウギュウパンパンなライブだったけど、
ここまで危険で本格的な雰囲気を持ったバンドは今もう殆どいないと思った途端、
なんかキレたというか…。(笑)
やっぱり'92・3(?くらい)のガンズの来日公演、
無理しても東京行って観とけば良かった!!と今更ながら後悔★(T_T)
帰宅し現実に戻ると、なんとものっぴきならない状況に背中が薄ら寒くなりますが、
名古屋ではこの冬初めての積雪、寒さのせいという事に致しましょう。
アディオス☆
★寺沢香織(陶芸家)の展覧会、出展情報
展覧会は、名古屋伏見のギャラリー名芳洞の企画展で、
『冬季ミニチュア100人展』というものです。
去年から始まった企画で、、実際は100人以上の名芳洞さん縁の作家が、
一人一点という建前で(十数点持ち込む人も。え〜?!)、
小品を持って集まるという面白い展覧会です。
期間は2005年2月8日〜20日、全作品1点1万円で販売致します。
ギャラリ- 名芳洞(めいほうどう) 『冬期ミニチュア100人展』
2005年2月8日(火)〜 2月20日(日)
11Am〜7Am(最終日 5Pm) 2月14日(月)休廊
〒460-0003 名古屋市中区錦一丁目20番12号伏見ビルB1
Tel.Fax 052-222-2588
*地下鉄東山線伏見駅下車9番出口すぐ(横浜銀行B1) |
去年1点だけ持っていったら追加が何件か入って後が大変だったので、
今年は数点持っていかねば…と言いつつ持っていけるかなぁ★
でもここは抽象絵画が得意なギャラリーなので、
立体物は空間が自由に使えてちょっとお得?! |
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From: "teradaya"
To: 久保 元宏
Subject: ロックじゃない?
Date: Fri, 21 Jan 2005 21:31
テラダヤです
スティー・ダンはちょっと無理があったかな?
飯島にもちゃかされそうだな。
スティー・ダンはビートニクの影響が強く皮ジャンロックンロール
というよりやっぱジャズなんだよね。もともとロックバンドスタイル
でデビューしたけど目指しているのはジャズだよね。ブルーノート
からデビューするより時代的にロックレーベルをとったのかな?
しかしロックミュージシャンが完全にジャズミュージシャンに転向
した人っていないよね。やっぱ敷居がないようであるんだね。
でも本当に懲りにこったアルバムだと思う。エンジニアはロジャー・
ニコルズだ。久保君が言うようにウイン・シャーターのソロがスティーブ
・ガッドのドラムソロに負けてるよね。
On 2005/01/22, at 0:46, Kubo Motohiro wrote:
テラダヤさん、久保です
スティー・ダンはちょっと無理があったかな?
↑
■いえいえ、入れてよかったと思う。
あのアルバムは時代を築いたし。
日本では、当時のジェフ・ベックとパラレルで聞かれていた・と思う。
チャーも、彼のDJ番組でほめまくっていたよ。
スタジオ・ミュージシャンにとっては、マニフェストだったんだろうね。
■実はakillerさんの「ベスト1」は、このアルバムだ。
From: saito akira
To: "Kubo Motohiro"
Subject: Re: ロックじゃズない?
Date: Sat, 22 Jan 2005 03:05
アキラです。
よーくご存じで。
あたしゃスティーブ・ガッドフリークでやんす。
でもそんじょそこらにいるフュージョン野郎ではないでやんす。
文体ちがうから元にもどします。
きわめて単純にいうと、再結成のライブインアメリカじゃ
表題曲のAjaはデニーチェンバースがドラムのフレーズ
を完コピしてたのはガッドに対するリスペクト。
70年代のガッドはコカインやりまくりでNYのスタジオ
やライブハウスを渡り歩いてたわけで、あのころの雰囲気を
追体験しようとNYまで3回もいったけどなんにもなかったわけで。
関係ないか。
しかし西海岸系はどうも好きじゃない(当時)し、当時は
Ajaも参考までに聞いてた。ってガッド浮いてるじゃん。
絶対浮いてる。テラダヤさんのいうとおり67位くらいが
いいんじゃなーい。
ちなみに僕のガッド叩いてるやつの1位は、意外や意外。
S&G再結成セントラルパークのアンソニー・ジャクソン(b)
とのコンビっつうことで。ひとつよろしく。
久保元宏です。
■さて、スティーブ・ガット。
私がakillerさんの書斎訪問をいたした時に、
「akillerさんの一番好きなLPはどれ?」と聴いたところ、
2分の熟考の後に、『aja』を取り出したのを憶えています。
それだけの理由で私はスティーリー・ダンを軽視できないのです(笑)。
ただ、もちろん、『共犯新聞』TERAロック100への、
「つっこみの目」にも書いたように、
やはりリスナーの多くはスティーブ・ガットを聴きたくて、
あのLPを聴いてきたのであると思うよ。
■ジャズとロックの境界については、
下記の転載の2大ドラマーのおっしゃる通りですね。
ジャズ側からマイルスがブバブバやって、
ロック側からジェフ・ベックやスティーリー・ダンが
「おしゃれ」にキメたんだろーね。
こーゆー時にコルトレーンが1977年に生きていたら
どんな音を出していたのだろうか?
■でもまぁ。
私にとっては、偏見かもしれませんが、
ニューヨークの高級マンションで夜景を見ながら
照明を落とした部屋で、
ボリュームをしぼった高級オーディオ・セットで
聴いているのがスティーリー・ダンであったと思います。
その近所の地下室では
パティ・スミスやトム・バーラインが
文学パンクをやっていたんだけどね。
■ストリート・スライダーズの数年先輩が、あのカシオペアなんだから、
こーゆー時代だね。
で、ボリュームを絞った中で、
一瞬、爆発&キラメクのが、スティーブ・ガットのドラム・ソロなんだよね。
それを、おしゃれなニューヨーカーは
気がつかないフリをしながら、ひそかに傾聴して、
そのパートが終わったら再び、BGMの彼方に意識を離す。
その両義性が、魅力であったのでしょう・ね。
■しかし、ロジャー・ニコルズ!
そーだった。テラダヤに言われるまで忘れていた。
こりゃ、1970年代のソフト・ロックと解釈する方向からの見方も有効だ。
こーなりゃ、両義どころか、多義性だね。
やっぱ、偉大なるクロス・ロード(=クロス・オーバー?)であったのか。
■S&GのNYライブは、BSで毎年、
放送されるたびに、ついつい観てしまう。
SもGも全盛期ではないんだけれど、
いつの間にかあのライブがピークに感じてしまうな。
でも、サイモンのガーファンクルをチラと見る冷たい目!
・・・私はそれを見逃していないぜ。
あの後、バンドのメンバーで5番街あたりの
高級レストランに打ち上げに行ったんだろーな。
サイモンは欠席したんじゃないかな?邪推ですが。
で、ガットは便所でコカインかよ(笑)。
■村上ポンタさん、やはり影響あるよね。
ステックを長めに持って、ちょい、ゆらゆら気味で、
カーンと、一点爆発、さらに全体で大きな揺れ。
どんなメンバーでも個性を出す。
↑
テラダヤです。
「モーラー奏法」といって、
体を固定しないで叩くという欧米の有名ドラマーがやる
スタイルで日本のドラムスクールではタブー視されている叩き方らしいよ。
でもこれがウネリを生むんだよ!
特にフットペダルがバスドラにアタックした瞬間にペダルから足が離れている
という奏法!これが早打ちと大音量を生む秘訣。私も最近トライしているが、
なかなかうまくできない。紹介したホームページがあります。
http://premium.mag2.com/sample/P0000349.html |
|
TERA(東京・ドラマー)
2005年1月25日(火) 4:15Pm
なんでまた?
クイーンのボーカルにポール・ロジャース就任!
久保AB-ST元宏 (北海道・ヤミ米屋)
2005年1月25日(火) 5:35Pm
■私も今朝のフジテレビ『めざましテレビ』で観て&知って、びっくり。
確かにポールは3(2?)流ロッカーかもしれないが、
後輩の下の2匹目のドジョウになるって、どうよ?
■「音楽」面だけでは、ロバート・プラントが適任かもしれんが、
これでは「格」が違うとゆーコトか。
そー考えると、とっかえひっかえボーカルを変えた
ディープ・パープルって何者?と思ったよ。
寺沢香織(名古屋・陶芸家)
2005年1月25日(火) 11:05Pm
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あらら…
噂が現実になっちゃいましたね
…そうなんだぁ…。
(最近音楽誌はおろか、
TVも見てない化石人間。) |
今更P・ロジャースみたいな人入れて“QUEEN”名乗って、
メンバー以外の誰が喜ぶというんでしょうね?!
流行をあざとい位に掬い取って消化したものを、
過剰なまでの“QUEEN”印で呈示してきた彼らの音は、
フレディの美意識が強く働いてのもの(というか纏り)だと思うのに。
彼が亡くなってからの“遺作”やトリビュートツアーでも???なのに、
こんな微妙な(上手いけど)保守的玄人を連れてくる意図っていったい…?!
そう凄いファンでもないんですけど…
でも女性cho.とお手々繋いで出てきて“一人QUEEN”ぶちかますB・メイはともかく、
ロジャーやJ・ディーコンまでそれに乗っかっちゃうなんて、
ちょっと嫌な感じですね〜xxx
(二人は冷静だと思ってた。実は、ディーコンの曲が好きなんですよねぇ。ポップ♪)
ん〜、自身のコピバンに成り下がるくらいなら、
歌える人間入れて進みたいってとこなのかな…??
(ゴメンなさい、情報入れてないので。)
しかし色がな〜…!?!
久保さんはどう思われました?
久保AB-ST元宏 (北海道・ヤミ米屋)
2005年1月26日(水) 1:35Am
■下記をクリックして、まずは映像を観てみよう。
↓
◎クィーン+ポール・ロジャースの動画
■う〜む。こりゃ、別のバンドだな、やっぱ。
バンド名は「クィーン」じゃあナクって、「王様」にしたら良いでしょう(がくっ)。 |
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第69位
ジミ・ヘンドリックス 『エレクトリック・レディランド』
1969年(68年暮)
待ちに待った69位。「69はエロの年」という曲が
フランスで書かれたが、1969年という年はロックに
とって最もエキサイティングな年だ。間違いない!
ウッドストックが行われ、ビートルズもストーンズも
ディランも新しいことを始め、
ルー・リードもイギーもニール・ヤングも活躍し始め、
サケデリック、フラワームーヴメントとキリがない。
そんな中で最もエキサイティングなのが
ジミ・ヘンドリックスだ。
ロックの代名詞、ロックといえばジミヘンだ。
ファッション、ギター、ドラッグ、セックス、
全てひっくるめてジミヘンのイメージだ。
今更ベタな説明をしてもつまらないので、
最近読んだピーター・バラカンの回想から「当時
イギリスではデビュー前からかなりの話題だったが
自分が一番印象的だったのは、バンドの3人全員が
アフロヘアだったことだ。サウンドとピッタリハマッタ」
とある。そっそうかアフロにびっくりしたのか!?
私もびっくりした。ロックの代名詞がアフロヘアというのも
おかしな話だが、クラプトンもこの時期真似してたね。
ジミはアメリカ人だが、イギリスで見出されアメリカに逆
輸入された。アメリカの最初のコンサートでストーンズの
ブライアン・ジョーンズが紹介役をかって出ていた
シーンが私的には印象的ですね。新旧のロック、
ジャズミュージシャンを虜にしたのは確かだろう。
久保の眼
■ジミ・ヘンは、登場した時から完成されていた。
音楽シーンで活動したのは、たったの4年半だった
が、超高性能ターボ・エンジン付き最新型ジェット・
マシーンでありながら、タイム・マシーンでもあった。
いやむしろ、ビートルズをロックのエンジンとするの
ならば、ジミ・ヘンはそれにそそがれた超ハイオク・
ガソリンであったのかもしれない。今回、テラの文に
インスパイアされてジミの「If 6 was 9」っー曲を
訳詩してみたら歌詞の中に「Let it be」っのが出て
てきたぞい。リンダもジミのジャケ写真を撮ってるし。
■とにかく、まだまだロックがお子様のアイドル稼業
の1966年に、いきなりアフロでフォクシー・レディ!
だもんね。当時、エレキ・ギターの可能性を探って
いたクラプトンやジェフ・ベックなんか、もー大変!
「自分のやりたかったことが全部、新人にやれれて
しもうたわい、わっはっはっは〜。」と、最近、ベック
は回想しているが、ギターの音、アクション、歌える
し、曲も歌詞もバッチリ作れるし。そー言いやぁ、後
年、ベックがトーキング・モジュレーターで「シーズ
ア・ウーマン」を演奏していたけれど、これもすでに
ジミがやっていたんだよね。もうそろそろ時効だから
ベックもジミみたく、歯でギターを弾いてみたらどう
だろうか?演奏が終った後、ギターの弦に入れ歯
が付いていたりして。がくっ。
■完全無欠に見えるジミだが、唯一、残念なのは
4年半の活動で死んでしまったことだろう。たとえば
彼の死の直前にマイルス・ディヴィスとのセッション
がギル・エヴァンスによって準備されていたらしい。
もしそれが実現していれば、音楽も世の中も変わっ
ていたに違いない。と、想像させる男なのである。
|
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
lust(ラスト)
名)強い欲望、
渇望、
肉欲
自)熱望する
Mr.
Jimi
Hendrix
was
born
in
27
November
1942
!
|
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第70位
フェイセズ『馬の耳に念仏』 1971年
映画「イカレスラー」とは何の関係はないが、
B級というカテゴラリがある。個人的な印象だが
フェイセズというバンドはB級バンドの王様だ。
クラブバンドと言ったほうがいいのかな?
バーボンウイスキーと、金髪美人と、
ブギウギロックンロール!
今ひとつグルーヴしないドラム、しゃがれ声、
貝殻がキラキラするロン・ウッドのギター、
ラグタイム風のピアノ、等々、
とってもイカシタB級バンドだ!
60年代に結成されたスモール・フェイセズと
ジェフ・ベック・グループが合体した形だが、
当初はベースのロニー・レーンが仕切っていた。
が、いつのまにかロッド・スチュアートのバックバンド
みたいになってしまう。最後にはレーンが抜けて、
日本人ベーシスト山内テツが参加する。
この頃のライブは当時(75年頃)NHKで放映され、
ワクワクしながら見たものです。前述の元リーダーの
ロニー・レーンはイギリスのミュージシャン
に最も愛された人ではないだろうか?彼が不治の病に
かかった時治療費集めのチャリティが行われ
ベック、ペイジ、クラプトンらが参加し話題になった。
しかしロニーの体は縮み続け亡くなってしまった。
とにかく誰からも愛されるハッピーなバンドだった。
お客がまじかに迫ったステージで演奏するフェイセズ、
すてきなジャケット写真!
久保の眼
■それにしても、クラプトンの『レイラ』よりも、
フェイセズを上においたロックのランキングは
前代未聞だろう(笑)。しかも、70位前後という
低レベルでの順位争いとゆートコに、TERAの
無意識の悪意(?)を感じてニヤつく私。
■今回、このアルバムを聴こうと思って40歳代
後半のご近所のロック中年オヤジに声をかけて
みたものの、ダァ〜レも持っていなかった(笑)。
かと言って、けっしてマイナーなアルバムでは
ない。なんてったって、スタァの宝庫だし。でも、
1971年当時のロック少年だったらフェイセズを
聴くぐらいだったら、もっとダークなストーンズを
聴いていただろーし、ロック少女だったらグラム
に走っていたんだろーなぁ。中途半端なのよ。
むしろマーケティングとしては、歌謡曲ファンや
当時のグループ・サウンズ卒業組がハマリなんだ
ろーなぁ。そーそー、つまり ロックにしては底抜け
に天真爛漫すぎるんだなぁ。それが素直に受け
入れられなかったっちゅートコに70年代のロック
少年の屈折があるんだろーねぇ。当時は西城秀樹
や 世良公則にその方法論が使われたのも、納得。
でもご当地イギリスでも、天真爛漫、スコットランド、
タータン・チェックのマーケティングで、バンドが
作られたのよ。 S、A、T、U、R、D、A、Y……。
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
seethe(シーズ)
自)煮立つ、
逆巻く、
騒然とする
他)液体に浸す、
つける
名)沸騰、
ほとばしり、
騒動 |
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第73位
ノラ・ジョーンズ『カム・アウェイ・ウイズミー』 2002年
近年アメリカで最も評価された女性シンガーだ。
マドンナやマライヤのようなサクセスストーリーも
シンデレラストーリーはなく、ラヴィ・シャンカールを
父に持つ彼女はまさにエリートだ。そんなスマートな
ところが今風なのかしらん?このアルバムに収録された
曲や歌と演奏、全てが洗練されたアメリカのプロの
職人技という感じだ。このアルバムの制作に関わった
作曲家やスタッフは別のプロジェクトでも活躍しはじめ
ている。かつてジェームス・テイラーやキャロル・キング、
バカラック、カーペンターズなど活躍した70年代の
アメリカンポップス全盛期の雰囲気に似ていると
思うのは私だけ?ノラ・ジョーンズ本人はじめ新たな
ミュージシャンの人脈が生まれ、
これから広がりを見せるのだろうか!
それら期待を込めてのランクインでした。
久保の眼
■2003年グラミー賞は、2月25日に発表された。
ノラ・ジョーンズが6冠も受賞し、時の人となった。
この日は2001年に死んだジョージ・ハリスンの
誕生日。ノラの父親は世界的に知られるインド
出身のシタール奏者で、ビートルズ時代からの
ジョージの友人ラヴィ・シャンカール。
■いかついオヤジ顔のラヴィしか知らない私は、
まずはノラの美貌に驚いた。私は無自覚だが、
どうやら色白でクチビルぽっちゃりの顔に惹かれ
るようだ(笑)。最近では、映画『ロスト・イン・トラ
ンスレーション』や『真珠の耳飾りの少女』に主演
したスカーレット・ヨハンセンが、いいと思ったり。
■大ヒットの要因は一つだけではなくて、かなり
多くの要因が複合的に噛み合って生れる。この
アルバムの場合も、つかみはラヴィの娘であり、
第二ステップは彼女の顔であっただろう。そして
決定打が、のほほんソングだ。モードのおおきな
うねりとして「緊張」と「弛緩」の往復がある。 2001
年9月11日の同時多発テロ以降、ニューヨークは
「緊張」せざるを得ない環境があった。そこへ古き
良き時代のニューヨークをイメージさせるジャズの
名門ブルーノートから素朴な少女がささやくように
歌い始めたのだから、もうそこで 大ヒットの方程式
は完成していた。やっぱこれって「癒し系」かよ?
■私の記憶が正しければ、「癒し」という言葉を使
い始めたのは大江健三郎だったと思う。原子爆弾
に管理された社会の小説『治療塔惑星』の中で。
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
tender(テ!ンダー)
形)柔らかい、
軟弱な、
傷つきやすい、
優しい
他)柔らかくする |
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2004年9月19日
第74位
ポール・マッカートニー『パイプ・オブ・ピース』1984年
ビートルズの中心メンバーであり、解散から現在に
至るまでコンスタントに音楽を続け、スーパースターで
あり続ける人だ。その40年に及ぶ活動は時代ごとに
随分評価も変化している。
70年代までは現役ミュージシャンとしての評価、
80年代は大御所扱い、
90年代はまだまだ頑張るオジサン、
00年代はビートルズの曲を再現できる最後の人、
人間国宝扱い。
しかしこの人は僕を惑わせる。昔、大麻をどっさり持って
来日して逮捕され、投獄され囚人と「イエスタデイ」を
歌ったとか。囚人たちはやさしくしてくれたと言ったかと
思えば「フローズン・ジャップ」なんて曲を書いたり。と、
この人の支離滅裂ぶりは他にもいくつかあり、それが
微笑ましくない所が特徴だ。それより一番惑わせるのが
ビートルズ後のアルバムの完成度のバラツキだ。
これほどの才能とキャリアがあるのになぜだ?
僕が彼に期待しすぎるのか?(期待して何が悪い!
相手はポールだぞ) しかし本盤は完璧だ。意欲的に
アメリカのミュージシャンを使い(マイケル・ジャクソン、
スティーブ・ガッドなど)彼らしい美しくハッピーな曲を
完璧なアレンジと演奏で表現している。
タイトル曲のメロディは何度聞いてもうっとりしてしまうよ。
昨今の人間国宝扱いは気の毒に思う。
あれじゃ新曲書けないよ。
久保の眼
■多くの人にとってポール・マッカートニーは、
アルバム『ロンドンタウン』(1978年)で過去の人に
なっちまっているのではないのか?私もそうである。
本来ならば私が最も音楽を聴いていた1984年の
アルバムであるのに私はこれを聴いていなかった。
1984年という時代はポール・マッカートニーなどに
かまっているヒマが無いほどに連日、ロックの新しい
実験が世界各地で同時多発していたのだ。
■ロック・アルバムのベスト100にビートルズを入れ
ない人はいない。ジョン・レノンのソロを入れる人も
多いだろう。しかし、ポールのソロを入れるのは少々
勇気がいるものだ。とにかくポールという人は、彼の
持っているとてつもなく巨大な才能とは別に、そー
ゆー扱いをされちゃう人なのだ。
■それでもポールを過去の人にしてしまうほど現在
流通している音楽が優れているとは思えない。今、
「ポップとは何か?」と問う時、それは「ポールとは
何か?」の答えを得た彼岸にしか理解できない。
■1980年にジョン・レノンを失ったのは、我々よりも
まずはポールであった。永遠に失われた右腕を、
捜し求めるかのようにスティービー・ワンダーと前作
を作り、本作はマイケル・ジャクソンと組んでみた。
アルバムのテーマも前作は「戦争」であり、今作は
「平和」である。そこにジョンへの鎮魂の影を見る。
その作品がスゴイのだから、さすが永遠の左きき! |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
cathedral
(カシ!ードラル)
名)大聖堂
形)大聖堂のある、
権威ある |
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第81位
ルースターズ『インセイン』 1981年
1981年頃は日本のロックにとっても私にとっても
忘れられない年だ。
YMOがデビューしてからP−MODEL、スターリン、
町蔵が出てきてジュリーが何度目かの頂点を極め、
アブノーマル・ストリッパーが結成されている。
ルースターズはそんな中でも最もバンド色が濃く
R&Bとパンクとスカがまったく違和感なくミックスされ、
自分のバンド活動でも影響されたグループだ。
(バンドメンバーとオールナイトでルースターズを
見に行ったっけ)
博多出身の彼らはファーストアルバムでは、
初期のストーンズ的サウンドだったが、
本盤サードアルバムでは歌詞もサウンドも飛躍的に
成長している。この成長の速さは60年代のフーや
ビートルズにも匹敵するのでは!?ルースターズの
魅力はやはりバンドサウンドだ。それもシンプルな
ギターバンドだ。ロックの基本?!
ほとんどの作品を作詞作曲した大江慎也はその後
精神病でリタイヤしたが、今年復活を遂げ
名曲「Case of Insanity」(本盤収録)を歌ったそうだ。
久保の眼
■先日、ギタリスト布袋が高岡早紀とチューをした
と写真誌にスッパ抜かれていた。確か高岡早紀の
実家は横浜の有名なライブハウスであったと思う。
んで、布袋は元ボウイだ。最近はタランティーノの
映画『キルビル』に曲が採用され海外でも注目され
ているよーで、まったくもってケッコーなことだ。
言うまでもなく(?)高岡早紀は私の好みなのだが、
布袋の妻の今井美樹も15年ほど前は特権的な
オーラを持っていて私は好きでした(笑)。そもそも
布袋は最初の嫁の山下久美子@ブスルームより愛
をこめてがお似合いの年増担当ホスト系ギタリスト
がせいぜいの地位であると私などは思っていたが、
ついに高岡早紀とチューとは、とんだワラしべ長者
である。
■そのスキャンダル(?)を報道するテレビの芸能
レポーターが布袋を紹介する時に彼が1980年代
に在籍していたバンド”ボウイ”を「日本を代表する
伝説のロックバンド」とか、「今、活躍しているバンド
は全て、ボウイを聴いて楽器を持った」とか勝手な
コトを抜かしていやがったが、悔しいが、このままに
しておくとソレが通説になってしまいそうで、とっても
私はイヤだ。私がわざわざ言う必要もないぐらいに
アタリマエのことだが、ボウイはロック・バンドでは
ない。テラの文に出てくる1981年当時の偉大なる
ロッカーたちの名前を見よ。まるで、格が違うハズ。
■そして、ルースターズもロック・バンドだ。私は、
1982年ごろに新宿ACBで100人ほどの客の前での
ライブの印象が深い。その時、ボーカルの大江は
ライブの中盤で「ザ・ルースターズです。メンバー
紹介をします。ボーカル、大江慎也。」と言って、
次の曲を歌いだした!普通のメンバー紹介は、
ボーカルが自分以外のメンバーを順番に紹介して
最後に自己紹介をして終るのだが、なんと大江は
自分しか紹介しなかった!その時は、シニカルな
ユーモアかと私は思ったが、20年後の今、思うのは
大江はもしかしたらルースターズの真のメンバーは
自分だけだと思っていたのかもしれない、と思い、
なにかゾッとするものを感じた。
■ギターの花田裕之は布袋のプロデュースでソロ
アルバムを作っている。彼の最大の汚点である。
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
zeal(ジ!ール)
名)熱意、
熱心 |
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第80位
ザ・ローリング・ストーンズ
『ザ・ローリング・ストーンズ』1964年
本当に大好きな1枚!ストーンズのファースト。
間もなく34回目の命日を迎えるブライアン・ジョーンズが
ロンドンのマーキークラブで、オープンチューニングで
スライドギター(60年代初頭のロンドンでは
彼が最初では?)を弾いているのに度肝を抜かれた
ミックとキースが声をかけストーンズは結成される。
当時のリーダーはもちろんブライアン。
彼は前述のスライドギター、ハーモニカなどを駆使し
ロンドンにブルーズを伝えた偉大なる男だ。
本盤はストーンズで最もブライアンがリーダーシップを
とって制作されたアルバムではないだろうか。
ブライアンと後に仲たがいしたミック・ジャガーが
一番好きなストーンズのアルバムはなんと本盤なのだ。
ファーストアルバムならではの勢い、
バンドとしてのまとまりは何物にも替え難い魅力に
溢れている。キース・リチャードの
チャック・ベリースタイルのギターも実にすばらしい。
ブライアン命日に合わせて早めのランキングでした。
久保の眼
■ビートルズのデビュー・アルバムから始まった、
『テラのROCK名盤100枚!』も、よーやく80位。
ビートルズのファーストが100位で、ストーンズの
ファーストが80位、とゆーのが面白い。つまり、
ビートルズにとってのロックは進化するものであり、
ストーンズにとってのロックは最初から完成されて
いたもの。その両極を黎明期に持つことができた
ロックというジャンルは幸福であったと言える。
■ただ、ここで整理しておかなければならないのは
ブライアン・ジョーンズという男の価値だ。たいした
遺作も無いこの男が、なぜ我々を魅了するのか?
そう考える時がロックとは「作品」とは別のところに
本質があるのではないのか、と我々が邪推する瞬間
である。稚拙な評論家がそれを「ロックとは生きざま
である!」(笑)などと抜かすのは、説明不能の部分
を精神論に言い換えているマヌケな例だ。そんな
思考停止の精神論がロック評論のみならず、ロック
そのものをも低レベルの袋小路に追い込んできた。
そーゆー意味でもブライアン・ジョーンズは、魔性の
男だ(笑)。
■では、ブライアンとは何者なのか?私が思うには
彼は偉大なる「不在者」である。磁力を持つ「不在」
は完成した組織を撹乱させる。コケは生えない。
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
brink(ブリンク)
名)縁、
最高点、
瀬戸際
Mr.
Brian
Jones
has
been
dead
from
3
July
1969
! |
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TERAのロケンローEメール
2004年10月7日(木) 3:28Pm
昨日、HMVでCD買うため
レジに並んでたら
俺の前に並んでる人が
でかいボックスセット抱えてるのさ。
それが何とルースターズでさぁ
思わずその人の肩叩いて
何それ?って聞いちゃった!
CD27枚DVD5枚だって!
39000円!
そもそもそんなに音源あったっけ?
ちなみに俺は
ブライアンウィルソンの『スマイル』
を買った! |
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ケビン・エアーズ(元「ソフトマシーン」のギタリスト)
◆西日本ツアー
2004年5/13(木) 岡山ペパーランド
2004年5/14(金) 近江八幡 酒游舘(Acoustic Show)
2004年5/15(土) 大阪BRIDGE
◆東京公演 追加公演決定!!
2004年5/16(日) shibuya O-West(On Air West)
2004年5/17(月) shibuya O-West(On Air West)
東芝EMIより紙ジャケ4タイトルを発売中
問合せ先ポセイドン 03 3264 5910 |
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2004年3月24日
名盤100選、番外編
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イギー&ストゥージズ
コンサートレポート |
最初に言います。今までのイギー・ポップのパフォーマンスの中で最高でした!
私が実際に体験した過去3回のライブ、ビデオやCDで聞けるもの全てを含めて。
今回はストゥージズ。それもファーストとセカンドのメンバー(ベースだけ
マイク・ワット、新加入である)だ。今回のコンサートはファーストと
セカンドのほぼ全曲、それと今回の再結成で新たにレコーディングさ
れ最新アルバムに収録された数曲。これ以外は演奏されなかった。
つまり「ラスト・フォー・ライフ」も「チャイナガール」もストゥージズサード
の「サーチ・アンド・デストロイ」「ロウパワー」さえも演奏されなかった。
そう、完全にオリジナルストゥージズのコンサートだったのだ。
イギーはずっとツアーのたびにメンバーをかき集めて、ストゥージズの曲や
ソロの曲を演奏させてきた。言い過ぎかもしれないが、チャック・ベリー方式。
バックの演奏がいつも安定していないのが、彼のライブの欠点であった。
それが今回は完全にバンド。まさにバンドサウンドの醍醐味だ。
単調なギターリフ、重たいビート。パンクでもグランジでもなく、
もっとプリミティブなデトロイトの骨太のロックサンドだ。。
イギーは初期のストゥージズの曲は今までもよくやっていたが、パンクを
意識してかアップテンポで演奏していた。しかし今回はどっしりとヘビーで
オリジナリティに溢れたエキサイティングなビートだった。これがこのバンド
が目指したビートだったのか!
今回イギーの声も実によく出てるし、新曲も良かった。音もデカくて本当
にいいコンサートを見せてもらった。それにしても30年越し再結成だぜ。
イギーは30年間ずっと上半身裸だぜ。スゲーなぁ!
久保の眼
■我々リスナーが「ロックを聴いてきて良かった」と思える瞬間だ。
「パンクのゴッド・ファーザー」とゆー冠もあるイギーだが、
どんなに大げさな形容詞よりも、テラのレポートは雄弁だ。
■特に印象的なのはバンドにこだわった結果の成功だという点。
イギーのように特権的な存在でも、さらにバンドの化学反応が
効果を加速させる。そこが、ストゥージズ名義でのライブの凄さだ。
勘違いしてしまいそうになるが、実は再結成バンドのライブほど
クダラナイものが多いのが実情だ。かつての栄光と技術を勘違いした
年老いた若作りロッカーの集金ツアーは、悲惨だ。
だからこそ、今回のイギーのライブには意義がある。
(って言ってもダジャレじゃないが。)
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93位
ブラインド・フェイス『スーパージャイアンツ』1969年
当時、若くして天才と言われブルージーなボーカルが
魅力のスティービー・ウィンウッドと
クリームで絶頂を極めた大スター、エリック・クラプトンら
によるバンド。これ1枚しかないけど
重たいブルースロック全快のアルバム。
今で言えばユニットという感じのスタイルだけどやっぱ
バンドサウンドだな。クラプトンがウィンウッドの
ボーカルをサポートして盛り立てて、歌が冴えている。
でもなんと言っても一番目立っているのはドラムの
ジンジャー・ベイカーだ。
このバンドのオフィシャル音源はこの1枚。
時間にして約42分。その内ドラムソロの曲が15分!
比率にして実に35%!(テラ総合研究所調べ)
チャーリー・ワッツなんか40年のストーンズの活動で
ゼロなんだから驚異的数値である。
恐るべしジンジャー・ベイカー!
おまけにソロはいまひとつ!
久保の眼
■ひな祭りの原稿なので、山下達郎FM番組ばりに
ガールズ・グループかと思いきや、こてこての1枚!
でも、ある意味、四人囃子かも。ジャケも女の子だし。
■私やテラのよーに1970年代中盤からロックを聴き
だした”遅れてきたヒッピー(?)”には、このLPは
とても眩しい。だって、リアルタイム体験できなかった
スターたちが交差した、たった一度のクロスロード。
でも冷静に聴くとベイカーのドラムは、な〜んだか、
段ボールをバタバタ叩いているだけみたいだよなぁ。
のちに1985年のPIL『アルバム』に坂本龍一らと、
ベイカーが参加したのには驚いたし嬉しかったケド。
■それにしてもジンジャー・ベイカーの名前を聞くと、
いつも私の脳味噌では「神社・米菓」と変換される。
それって、ひなアラレのことかよ?・・・おそまつ。
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
idol(ア!イドル)
名)偶像、
崇拝物、
アイドル
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95位
萩原健一 『ドンファン』 1980年
ショーケンのロックアルバムである。
彼が大麻不法所持で逮捕される前、
黒澤明の映画に出て、いしだあゆみと結婚した頃、
公私ともに全盛期の作品である。
記憶があやしいが、この頃彼は「欧米みたいにドラッ
グ文化としてのロックを日本でやってみたい」と語って
いた。それを裏付けるようにここでのショーケンのボー
カルはかなりきわどい。発声、メロディ、全てがイッ
テいる。一心不乱にロックする当時のライブをTVで
見た私の母親は「気がふれたか?」と評していた。
本当にかっこよかった!そして逮捕された。
その後、瀬戸内寂聴の力を借りて復帰するが、すっ
かり骨抜きにされ、シンガーとしても、役者としても
その魅力は激減してしまう。私は瀬戸内さんを恨む
よ!このアルバムで聞けるR&Rは幻のようである。
今じゃ声すらほとんど出ないからね。ちなみにバック
は石間秀樹、篠原信彦、速水清司など大物がそろっ
ているよ。
久保の眼
■ついに日本のアルバムも登場したか!
この連載を始める前にあえてテラダヤとは、
「日本も入れるか?」と打ち合わせをしなかった。
つまり、日本のロックも欧米のそれと比較して、
ベスト100に入るかどーか、世界基準なのかも、
彼だけの選択にゆだねたかったからだ。
たとえば、日本のロックLPも含めて選択しても、
日本のLPが一枚も入らなくてもそれは順位だ。
しかし、彼はビートルズのデビュー・アルバムを
上回る名盤を日本人が造り上げたと評価した。
もし、この順位選びの「遊び」に意味を見つける
のであれば、そんな発見のロマンティシズムだ。
☆参考⇒『すずめの学校』12/February/2003 |
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
marijuana
(マラフワ!ーナ)
名)麻、
タイマ、
マリファナ
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第98位
ブルースブレイカーズ『ベアワイアーズ』
ジョン・メイオール率いるブルースブレイカーズは、
エリック・クラプトン、ピーター・グリーン、
ミック・テイラー(本盤参加)ら名ミュージシャンを
生み出すが名盤らしきものはない。
場末のパブで「クラプトンにブルーズの
イロハを教えたのはオレなんだよ」とか
クダまいてそうなメイオール氏。
本盤はドラムがジョン・ハイズマンのせいか
ちょっとジャズっぽいが、まとまりのある仕上がりに
なっている。彼の何が魅力で多くのミュージシャンが
集まったのか実はよく分からないのだが、世の中には
彼のような役回りがいて成り立っているのだ?!
久保の眼
■いよいよ、テラさんワールド突入だね(笑)。
だいたい、こんなアルバム、誰も知らないよ(笑)。
ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズなら、
クラプトンが加入しているヤツが一番有名だよな。
そっちを選ぶのがフツーだぜ。わはは。
■ところで、ジョン・メイオールは去年、
息子と一緒に来日コンサートをしてんだよね!
もうすでに歴史の彼方の人かと思っていたから、
驚きだったね。息子は人気スカ・ミュージシャン。
■それにしても、このジャケット、イケてるねぇ!
いかにも、サイケ〜(笑)。
実際、彼らのジャケットはどれもカッコイイよね。
私が2001年にニューヨークの中古レコード屋で
見つけた彼らのLPのジャケットも良かったぞ。
欲しかったケド、スーツケースを持っていないので
買うのをあきらめたのよ。とほほほ。
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
supervision
(シューパーヴィ!ジャン)
名)監督、
指揮、
管理
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2004年2月3日
第97位
ブライアン・フェリー『イン・ユア・マインド』 1977年
ロキシーミュジック休止時期の彼のソロアルバム。
メル・コリンズ、クリス・スペディング、ジョン・ウェットン、
ポール・トンプソンらスゴ腕を迎えて制作された本作は
彼らの個性を非常にうまくコントロールしながらポップ
な仕上がりになっている。。この数年後彼はロキシー
共々、大AOR路線に向かうわけだが、ロキシー初期の
ハチャメチャサウンドとの中間的サウンドだ。私には
ちょうどいい感じだ。ポップといってもヘビーなリズム隊
が実に心地よい。数年前にTVドラマの主題歌でリバイ
バルヒットした「トーキョーJOE」も収録されているよ。
その他「パーティードール」という曲をバンド名にされた
友人もいましたね。このアルバムが発売された時の
来日公演をNHKで見た方も大勢いるではないだろうか?
ちょっと昔すぎるか?!
久保の眼
■NHK、私も観たぞ!
白いワイシャツに黒の細いネクタイのフェリーが、
マイク・スタンドにヘビのようにからみついていた。
あれって、明らかにパンクの影響だよねぇ。
■このレコード・ジャケットも今から見ると、
微妙にニュー・ウェーブを意識してたんだろーなぁ。
ロゴにタイプライター文字を使ったり、
「Mind」っーのもセックス・ピストルズを連想させる。
影がピンクとブルーっーのも、意識してるよネ。
白いTシャツってのも、オールド・ウェイブとの決別?
そして、問題はこのサングラス。・・・どうよ?
なんだか数年後に起きた某「ロス疑惑」容疑者か?
■ところで、「パーティ・ドール」という曲名は、
10年後にミック・ジャガーもソロ・アルバムで使用。
別の曲だが、女をフェリーから寝取ったミックが、
意識していたかどーか、聞いてみたいもんじゃ。
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★今日の英単語
(読み方のかなは参考。)
voice(ヴォイス)
名)声、
歌手、
発言権、
希望、
知らせ、
文法の態
他)声に出す、
言い表す、
調律する
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