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Bill Bruford/ビル・ブラッフォード
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2000年5月31日、ニューヨークで、ビル・ブラッフォードのライブを体験。

Bill Bruford and Earthworks
Bottom Line. 7:30, 10:30pm; $22.50.

「ウチは前売りや予約はしないよ。当日、おいで」とライブ・ハウスのにいちゃんに、
電話で言われていたので不安だったが、
スッポンポンと入れた。$22.5。安いじゃん。
が、カードが使えない。うっひょ〜。さっきの美容室と地下鉄代でキャッシュは無いよ。
待ち合わせをしているハズの中神氏をちょろちょろ捜すが、見当たらない。
イチカバチカと、サイフを開くと、ギリギリあった。残金$1紙幣と小銭。
その時は考えなかったが、この残金が無ければ、地下鉄にも乗れなかったのだ!

珠玉のライブが始まった。
キング・クリムゾンで知っているハードなプレイでは無いが、
世界一知的なドラマーに見えてくる。
だいたいドラマーはリンゴ・スターやアート・ブレイキー、エルヴィン・ジョーンズ、
ハナ肇(あれ?)たちの「ガハハ」笑いを想像しちまう。彼らも演奏は知的なのにね。

ブラッフォードは、机上で手紙でも書いているように表情も変えずに、
右手と左手で違うリズムを生み出し、
繊細な両足のキックでコンピューター・クラスのポリ・リズムを生む。
そして、一旦、デーモンがビルに乗り移ると、この上なく残酷にも激しいドラミング。

バンドはサックス、ウッド・ベース、ピアノに、ビルのドラム。
ジャズなんだけど、ビルだけがジャズじゃあない。
う〜ん、ジャズの3人組でリズムをキープされているインプロヴィゼーションか。
考えてみれば、クリムゾンが本当に面白くなったのも、
ビルが加入した6作目「Lark's Tongues In Aspic」(1973)からだしね。

1982年の「Discipline」時代のクリムゾンを今は無き「浅草国際劇場」で見ているが、
ニューウェーヴ全盛期の中、すごいサルティンバンコを見せられている感じだった。
でも、私はオールド・フアンの白い目の中、立って激しく踊っていたが。

結局、あの時、私はビルのドラムに合わせて踊っていたのだと気付いた。
ニューヨーク最後の夜、最高の時間だった。
アンコールにも数回答えてくれ、深夜0時を回っているので、「赤ちゃんはもう寝なさい」と、
クリムゾン史上初のギャグも飛ばしていた。

それにしても100名ほどの観客のレベルも高い。
プレイヤーのスゴイ演奏を聞き逃さない。
新鮮なプレイが出たら、聞き耳を立てていた聴衆が「うおーっ」と雄叫びをする。

ニューヨーク。ここでは、毎晩、こんなのかい?
近くのオフ・ブロードウエイで『Blue man group tubes』を観て来て、
途中から来た中神氏は無言だったが。
感動覚めやらない直後、 北海道を代表するドラマー=Akiller氏からビルブ(←ブラピでは無い)の音源を5つ借りる。 ▼

DayWhat's happen?
1968年6月

1972年7月
■ご存知のように、
ビルは1968年6月〜1972年7月まで、
イギリスのプログレッシヴ・バンド「YES」に在籍。
1972年7月 「インプロヴィゼーションをやろう」と、ロバート・フィリップにYESから引き抜かれて、
キング・クリムゾンに入る。
その最初のアルバム1973年3月発表の
『Larks' Tongues In Aspic(邦題;太陽と戦慄)』を発表。
私としてはこのアルバムから、
第一期キング・クリムゾンのラスト・アルバムである1975年の『RED』までが、
ビルが音楽世界に最も重要な仕事を残した時期であると思う。
詩人のピーター・シンフィールドが抜けてしまって、
この時期の詩の担当者、リチャード・パーマー・ジェイムスに不満はあるが、それは別の話。
詩に対する不満は、「とーく、とーく、えれふあんと・とーく」の第二期以降にもあるし・ね。

で、忘れてならないのは『Larks' Tongues In Aspic(邦題;太陽と戦慄)』にのみ在籍した、
パーカッショニストのジェイミー・ミューアだ。
彼は、このアルバム後の1973年2月のライブ中にアクシデントを起こし、
そのままステージを降り、消えてしまう。
その後、インドやネパールでチベット仏教の宗派の修行僧として7〜8年を過ごす。
現在は画家。
このワケ分からんオヤジが、ビル・ブラッフォードと、かっちょいいカラミをしているのだ!
Akillerさん、ミューアの音源、あれば貸して下さい(笑&マジ)。
のちにダブル・ドラムスで、よりポリ・リズムを複雑化する源流はミューアとのセッションがあったと、私は思うのです。

で、キン・クリ(←略称の悪い例)解散後、ビルブは中途半端なスーパー・バンド「UK」を結成。
当時、ロンドン・ニューウェーブ全盛の時代、時代錯誤の印象を私は持ったのですが。
皆様はいかがでしたでしょーか?

⇒♪テラダヤの意見

■インタビュー
エディ・ジョブソン(当時、UKのバイオリニスト)
雑誌『jam』創刊号(1979年1月 シンコー・ミュージック
◎ぼくらがUKとして仕事を始めた時、ビルはちょうどソロ・アルバムを作っていたので、
UKに貢献する材料がなかった。
 それに、その頃はまだアランはメンバーになっていなかったから、
結果的に(最年少の)ぼくが曲を受け持ち、
ジョンが歌詞をつけるということになったというわけだよ。

◎パンクみたいな音楽っていつもあったよ。
ローリング・ストーンズとかフーとかね。
ぼくにとってパンクは音楽じゃあない。
あれはちょうどジャングルの太鼓みたいなもんで、
文明とか文化の反対のものさ。
社会的現象としてのパンク、
音楽として完成度の高いものについていけなかった人たちが、
不満の声をあげるための効果的な手段としてのパンクはそれなりに意味があるだろうけど、
プロのミュージシャンとしてのぼくには全然興味ないよ。

1978年11月 お利巧なビルブは「UK」にはデビュー・アルバムしか付き合わず、
念願のバンマスになり、「ブラッフォード」を1978年11月に結成。
その1枚目が、今回、Akillerさんが貸してくれた1979年発表『One of a kind』だ。(前置き長スギ!)
で、貸してもらった2枚目がそれを補完するライブ・アルバムの1980年発表『The Bruford Tapes』。
この2枚のキー・パーソンは「UK」からの引きずりメンバー、ギタリストのアラン・ホールズワースであろう。
スーパー・バンド「UK」の4人の中では一番ネームバリューの無かったホールズワースが、
ブラッフォードにくっついてきたのは分かるが、やはり、1枚目で脱退している。
『One of a kind』はビルブ念願のワンマン・バンドにしては、
どうもフツーの日本人フュージョン・バンドみたいだ。
そう。プログレとフュージョンの似て否なる距離。
「純粋」ミュージシャンとしては、どっちでも良い演奏ができればイイのでしょーが、
こちとらにとっちゃあ、大問題でござる。ニンニン。
『One of a kind』のB面2曲目「The Abingdon Chasp」はホールズワース名義唯一の作曲作品だが、
これなんか私がピーター・シンフィールドとして(笑)参加したTKBにクリソツな音楽傾向だ。
唯一プログレ・コンプレックスなのが「The Sahara of snow」だが。イマイチ不発。
変態ドラムを期待していた当時のプログレ・フアンはどう聴いたのだろう?
これでは良質のプログレ・フアンは、ロンドン「ニューウェーブ」の方に大量流出したのも仕方あるまい。
例えば、平沢P-model進サンのよーに。
私も1970年代後半当時の「おこづかい」3千円で、
2千5百円でPILやクラッシュのLP、
250円で雑誌『ロッキング・オン』、『マンガ少年』か『朝日ジャーナル』を買っていたワケで。
Akillerさんがいつこれらのアルバムを買ったのかは記者発表されていないが、興味のあるトコロではある。
だいたい「DISK UP」というレコード店のビニール袋が懐かしいではないか!?
あたしゃあ、そこでよくヤードバーズなんかをエサ箱あさって、買ったよ。
マイルス『ビッチェス・ブリュー』やPILのアルミのフイルム缶に入った3枚組みも高値で買ったよ、そこで。
でも、当時はビルブより、そっちのほーが正統派だったんとちゃう?
どっちも、どっち!か?
それにしても、こげに「周縁」の音源を持っているってコトは、コレクションは何億枚だぁ!?
「DISK UP」って、今はどこかに移転してるの?スタッフはどこ?情報ちょーだいね。

で、ライブ・アルバム『The Bruford Tapes』では、
『One of a kind』録音直後なのにホールズワースは早くも脱退している。

代わりに入ったギタリストの名前が「the 'unknown' john clark」とジャケットに記載されていて、

笑わせてくれる。
だいたいこのアルバムは前回のアート紙、美麗ジャケットと違い、
クラフト・ダンボール紙に、タイプライター、2色刷り、タイトルも『〜テープ』で、モロ、ブートレッグ様式。
でも、これも正規盤で、日本からもポリドールで出てるのよね。
ライナーノーツが伊藤政則(笑)。「カタストロフィとの戦いが常に存在している」と、
いつもながらのバカ解説で笑わせてくれる。いいヤツじゃん。
で、このアルバムはイイ。ビルブのサラリーマンの祝辞的MCも、21世紀のニューヨークと同じ。
演奏に緊張感がある。各パートが他者にからむタイミングが攻撃的で、よろしい。
ところで、「The Sahara of snow (Part two)」の後半で、
ベースが「サンシャイン・ラブ」「政治家」「紫の煙」のフレーズを弾くのってマジ?パロディ?
そー言えばビルブはYES時代にクリームの解散コンサートに出演しているのよね。
MCではクールなビルブも、演奏はイラ立っているよーなドラミングで、ちょいパンク。

しかし、現在のビルブのバンド「アースワークス」にギタリストがいないことを考えさせられる。
ビルブは1980年以降、自分のリーダー・バンドにはギタリストを必要としていないのだ。
YES時代は、ピーター・バンクス、スティーブ・ハウ、
クリムゾン時代はもちろんロバート・フィリップ大先生と、
インテリ・ギタリストの音をサポートしていたビルブにとって、
ギタリスト抜きのバンドってのは、コペルニクス的転換のグッド・アイディアだったのかも。

「メロディー」楽器は、進化するとコンサバに落ち易いというパラドキシカルな危険があるのよね。
このアルバムの「One of a kind (Part two)」がいい例。
「無名」ギタリストが一番はりきって、ホールズワースに近い演奏をしている。これがツライ。

で、ビルブのリーダー・バンド「ブラッフォード」は同年、
彼らの代表作『Gradually Going Tornado』を発表して、
キング・クリムゾン再開のために解散。
1981年

1884年
1981〜1884年に3枚のアルバムをクリムゾンで発表。
その最後の曲が『Larks' Tongues In Aspic Part Ⅲ(邦題;太陽と戦慄 パートⅢ)』というのも暗示的。
クリムゾンはやっぱりフイリップの個人バンドだと私は思うが、
この頭が良すぎる男のカラマワリ的ディシプリンにおいても、
ビルブのドラムは代替できない絶対性の輝きを持っていた。
1984年 1984年。ビルブは、YESの同窓生(?)キーボード、パトリック・モラーツと、
ユニット「モラーツ=ブラッフォード」(←そのマンマやんけ!)を結成。
モラーツは、オルガン・プレイのトニー・ケイ、
シンフォニック・プレイのリック・ウェイクマンに続く、
キース・エマーソン・タイプのジャズ・プレイが得意のYESの3代目キーボード。
Akillerさんから借りた残りのアナログ盤2枚がこの時期の、
1984年『Music For Piano And Drums』(←そのマンマやんけ!)と、1985年『Flags』。

「ブラッフォード」は結局、ビルブの若書きバンドだったんと・ちゃう?
金と名声が手に入り、自分のバンドを作ったが、どうもパターンをナゾル範囲から出られなかった。
そんな時、グッド・タイミングで、もう一度、バンドのパーツとしてクリムゾンに参加できた。
なんだかんだ言っても、やはりクリムゾンの圧倒的な音の塊はスゴイ。
こうなりゃ、ビルブの音をストレートに楽しむのは、
「ブラッフォード」のよーな中途半端な(←失礼、照)バンドではなくて、
よりシンプルな形態のほうがいいと思っていたのは私だけじゃあないと思う。

当時はすでに彼らの仲間のレーベルからも、
「ペンギン・カフェ」や、
ニューヨークのジョン・ルーリー率いる「ラウンジ・リザーズ」がデビューしていたし、
イーノとハロルド・バッドの「アンビエント」シリーズも「実験音楽」から、
エリック・サティ再評価の波に乗って市民権を得ようともしていたのだし。

モラーツは安易に電気ピアノや、シンセを使わず、生ピアノとサンプリング・キーボードを使った。
それが成功の最大の理由であると思う。
生ピアノは、電気のソレと違い、「メロディー」楽器である前に、「打」楽器であるから。
ジャズでは、生ピはドラム、ベース同様に「リズム」楽器であるのだし。

ここに『Larks' Tongues In Aspic(邦題;太陽と戦慄)』の演奏における、
パーカッショニストのジェイミー・ミューアとビルブのコラボレーションを思い出させる、
と、言ったら、「また久保のコジツケが始まった」と言われるだろうか?

いずれにせよ、『Music For Piano And Drums』は好きなアルバムだ。
今回、Akillerさんから借りたアルバム中、一番欲しいのがコレ。
今にして思えば、このアルバムのタイトルって、ブライアン・イーノ的だよなあ。
やっぱ、製作前からコンセプトはそこにあったのか。?

B面3曲目の「Galatea」は美しい。

しかし、ミニマムばかりじゃあ…と、思って作ったのが、
1985年『Flags』1曲目「Temples of Joy」なのだろーが、
キモチは分かるがツマラナイ。これはモラーツの作曲。
このアルバムでモラーツは「音色」や「メロディー」への興味を積極的に増やしている。
ビルブはやはり2曲目「Split Seconds」タイプをやりたかったのであろう。
1986年 ビルブは1986年、自身のカルテットを率いて来日し、そのバンドがそのまま、
今回、2001年5月に私がニューヨークで見たジャズ・ユニット「アースワークス」になる。


『Music For Piano And Drums』で聴かせてくれたストイックな世界にこそ、
「創造性」を感じる私にとって、ビルブの嗜好を指示したい。


1999年 で、Akillerさんから借りた最後が、2枚組みのライブCD、キング・クリムゾン『サーカス』。
これは1999年発表だが、
デビュー年の1969年のサンフランシスコのヒッピーの聖地のライブ・ハウス”フイルモア・ウエスト”から、
1998年のマサチューセッツ州での実験ユニット「プロジェクト2」によるライブまで新旧さまざま。
ライブ&ベスト兼「歴史書」である本作の最も古い音源、フイルモア・ウエストに興味は向く。
この時、ボーカル&ベースの美少年、グレッグ・レイクはキース・エマーソンと意気投合して、
ロバート・フィリップも誘って新しいバンドを作ろうとしていた。のちのEL&Pだ。
そんなコトを考えながら聴く、
この「クリムゾン・キングの宮殿」にはメンバー間の複雑さが浮かび上がってくるようだ。
この曲は確か西条秀樹も歌っていたケド、これを聞くと、氷川きよしに歌わせたくなる。
現在のクリムゾンは名曲「RED」の解釈の延長に立ち、「ホラー映画音楽」路線(?)だが、
こういった「ロマン派的誇大妄想」路線(??)も、プログレのもう一つの特徴だったね。
忘れてた。
日本のグループ・サウンズのザ・テンプターズの名盤『5−1=0』に、
「宮殿に通ずる長い橋」という松崎由治の名曲があるが、このプログレっぽい曲は1969年2月発表。
これって、キンクリより早い?
同時代・現象?

んなコトより、ビルブだが、もち初期キンクリに彼はまだ参加していない。
さらに、最新録音の「プロジェクト2」のドラムはエイドリアン・ブリュー(!)なので不参加。
と、言うことは逆に”ビルブが必要な曲は何か”というフィリップが選んだ意図が確認できる・とゆーもの。
もちろん、私も90年代クリムゾンの復活を喜び、
『Vroom』(1994)も『Thrak』(1995)も買ったクチだ。(中古だけど・笑)
偉大なるバンドの再結成には毀誉褒貶は付き物だが、
「過去の語り口への依存が目立ちすぎる」
「6人の馬鹿力が空回り」(松山晋也)という指摘には説得力がある。
それでも、『GOLD WAX』なるブート専門誌1997年45号における1996年ライブのブートの解説、
「1曲目の『Drums』というのは、『B'Bish』タイプのパーカッション・オンリーの曲。
今回のツアーでは、『Circular Improvisation』に取って代わっている。
この様な現代音楽的な曲が増えることは、
6人編成クリムゾンの新しい可能性を追及する上で、良い傾向だと思う」
な〜んてのを読むと、おっ、期待しちゃうよ〜ん、と、思うのである。
ちなみに、このブートには『21世紀〜』が入っていて、
ブラッフォードのドラムが暴れまくりで、良いそう。

さて、我が『CIRKUS』に戻れば、
CD2枚目の1曲目に1972年の『21世紀〜』が大サーヴィス的に入っている。
が、サックスとヴォーカルが弱い。
この時期のサックスのメル・コリンズは、
クリムゾンに1970年2作目『ポセイドンのめざめ』で参加する以前に、
「Circus」というバンドにいた。これって偶然?
ヴォーカルのボズ・バレルは、
シンフィールドとの最後のアルバム1971年4作目『アイランズ』で耽美的な美しい声を聞かせたベーシスト。
この二人をリストラ後、ビルブは加入している。

シンフィールドの「愛と平和」の耽美世界を乗り越えて、より創造的作業の世界を切り開く、
その後の『RED』に行き着くための暴力衝動を裏打ちするための知的なドラムが必要であったのではないか?

まったくフィリップにとってビルブの存在は幸運この上ない。
その後メンバー・チェンジを繰り返すが、常にビルブだけが残っている。

で、我々はさらにその向こうの世界を見たいと彼らに期待するのだ。
確かに、『RED』は行き着いた世界だ。
しかし。
『CIRKUS』の1枚目は15曲、ライブ会場も年代もバラバラだが、「RED組曲」に聞こえてしまう。

「遠く、遠く、えれぇアンタ、遠く」で、恥ずかしくもトーキング・ヘッズのマネまでしたのだから、
このさい再構築も必要でしょう・ね。

デヴィッド・シルビアンをクリムゾンに入れるというアイディアも悪くはなかったが、
私は、この際、今日の結論として、
ボーカリストをイギー・ポップにするべきであると提案したい。
本当はエイドリアン・ブリューを切れ、とも言いたいけど、ヨソ様の迷惑になるし。

90年代以降のイギーの作品には、クリムゾンの求める硬質な暴力性が原石で存在している。
20年の時間が両者の音を近づけた。
イギー⇒ ボウイ⇒ イーノ⇒ フィリップというツナガリもあるし。
坂本龍一とイギーの『リスキー』なんて、良かったじゃん。
あの歌い方で「クリムゾン・キングの宮殿」を歌えば、氷川きよしも、ブッとぶぜ!

詩なんかも、エイドリアン君よりも遥かに知的だしね。

意外と今ごろ、ニューヨークのセント・マークス通りあたりで、
イギーとビルが、寿司バーで日本酒を飲んでいたりして。

それがありえる今日このごろ。





よしっ、
ビルブラを、ふたりのドラマーと語ってみよー!
Res:akiller(北海道を代表するドラマー。パンクからジャズまで幅広い活動中。) 

題名:日記 

投稿日 : 2001年6月11日<月>13時51分/北海道/男性/37才

 
■ to 久保AB-ST元宏さん
・・・とはいえ、久保さんにこれとあれの日記を書かせるだけの、ビルブのライブと音源だったわけで、
ビルブについて語り合える15年ぶりの機会に恵まれたことに、ちょっと喜びを感じているわけです。
ただ、ビルのお皿はもう、10年も聞いていないため、即応できないのよ。(笑)
・・・ま、それはそうとして、
80年代のDisiplineは、20世紀最後になってPONTA BOX"The New Frontier"へとなんの前触れもなく影響
を与えたのですね。
おっとその前に我らが渡辺香津美とThe Spice of Life I&IIで共演してますね。残念ながら音源はない
けれども、テープだったらあったかな。ベースはJeff Berlinです。SIMMONS SDXという当時最高峰のエ
レドラを駆使してました。ライブでは、あの六角形を通常のタムのイチでなく、背後に蜂の巣のように
ならべ、前代未聞のセットをくんで、ステージングも考えているドラマーであるとの印象を持った記憶
あり。
しかし、プログレの解体とともに、それぞれ主力だったメンバーたちはNW系にいったり、よりディー
プな方向に行ったりしてるけど、ジェントルマンかつ知的なビルブは、こうして一時代を経てもリスペ
クトを集める存在なのですね。ある意味、Phil Collinsも元プログレな訳ですが、これまた全然違う経
歴で、好き嫌いは別としても、たぐいまれなポップスセンスでした。
ポリリズムということでは、Three of a perfect pairで来日したときの、あのTony Levinのスティック
と絡み合って、タマのオクタバンを使ったレガート(基本は単なるパラディドルだったが)がものすごい
衝撃で、私はずいぶんと影響を受けました。ただ、札幌でビルブ・フリークといえば、アマチュア時代、
"red"なるバンドをやり、プロデビューして、今は無き"Dead End"ドラマーをやっていた湊くんでしょう。

で、"one of a kind"ですが、あれは、ねえ、80年代的には「あり」だったのよ。で、ここからは憶測
だけれども、ハイピッチスネアがビルブの一つの特徴なのですが、思い切り影響を受けたであろうと思わ
れるのが、頭狂肝児唐眼 by KAZUMI BANDの山木秀夫なのだ。ある意味あのころ一連の渡辺香津美の活動
は、確かにRobert Frippへの日本人からの返答だったよなあ。

そんなSpice of lifeの札幌公演に行かなかった私はそのころPunk&NewWaveにある意味どっぷりだったわ
けでした。ひとまず終わり。
http://w3.to/ponta/

Res:久保AB-ST元宏 

題名:ポンタ氏のビルがらみの発言って、ある? 

投稿日 : 2001年6月11日<月>23時36分/北海道

そーか。
Akillerさんの、
「ある意味あのころ一連の渡辺香津美の活動
は、確かにRobert Frippへの日本人からの返答だったよなあ。」とゆーコメントに興味あり。
昨年末、つまり私にとっての前世紀最後のライブ体験は、
渡辺香津美さんと、吉田美奈子嬢のイナカのアメニティ・ライブ(←命名・Akiller)でした。
かっこよかった。と、ゆーか、渡辺香津美さんの音楽に対する真摯な態度が心地好かった。
この間の日本経済新聞の渡辺香津美さんへのミニ・インタビューも同じ姿勢の発言でしたね。

まぁ、あの私の「日記」で分かるよーに、
『モラーツ=ブラッフォード』の1STは大好き!!!CD売ってたら、売り場、教えて!
そんなジャズ寄りのアースワクスをやってるビル、クリムゾンとの絶妙のバランス!?
Akiller紙のPとKとR(?)に値する?

■あの頃、「ニューウエーブ」って、
「ひきつり演奏形態」「ブルーノート・スケールの否定」「暴力性(又は冷めた暴力性)」
↑でしたよね。
んで、これらって、モロ、メタル・クリムゾン『RED』の世界じゃん!

今聞いても恥ずかしい、ウルトラヴォックス『ニューロマンティクス』の、
印象的なイントロのギターって、『太陽と戦慄 パートⅡ』のイントロを青春時代に聴いてきたイギリス人のセンスだよな。ふむ。こんな例、多いぞ。別にヨイが。

で、ポンタ氏のビルがらみの発言があれば、教えてちょーだいっ。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973/

件名 : ブラッフォードすき?
日付 : Tue, 12 Jun 2001 00:50:48 +0900
FROM テラダヤ(80年代初期の日本のアンダーグラウンドを代表するドラマー。パンクからジャズまで幅広い活動。)


テラダヤです
アブストをやっていた頃、ライブハウスの対バンの
ドラマーとよく話をした。当時、バンドはパンクや
PILみたいなスタイルだけどなんかビルブを意識
しているドラマーがけっこういたのさ。アレルギー
の荒木君、メトロファルスのチャバネさん、あぶら
だこのドラムの人、アブストのテラさんとか。
楽屋でこっそり「ブラフォード好き?」「わかる?」
アブストのドラムプレイの炸裂感、クリムゾンの
ビルブの炸裂感はかなり近いと思う。
ジャイミーミューアとの共演音源は、ドイツのTV
ショーの映像を持っている。かなり有名なヤツだが
演奏曲は「太陽と戦慄パート1」だ。カメラもジャイミーばかり映しているくらい、
アクションが奇妙で目立っている。


UKの1枚目はやはり中途半端だ。だれもいいプレイ
をしていない。これが出た頃、世はパンク全盛で
プログレファンもなんか物足りなく、このアレバムに
満足した人はいるのだろうか。


the Bruford Tapesは私も好きだ。炸裂している。
私はジェネシスでビルブが叩いているブートを持って
いる。ピタガブが抜けてフィル・コリンズの代わりで
チェスター・トンプソンが来るまでのUKツアーをビルブがプレイしている。期待ほど
ではないのだが。
やはり覚えたてのジェネシスの曲で炸裂しようがない
のだろう。この人、セッションはいまいちだね。
そこがスティーブ・ガッドとのよい意味での違いだろう。
「モラーツ=ブラッフォード」(←そのマンマやんけ!)
これが出た頃ラジオでちらっと聞いたが、メールを読んで欲しくなった。
一番よく聞いたのは1974年のオランダのライブだ
後にオフィシャル発売されたが、これはやはりスゴイ
そういえば、私が10年前にロンドン旅行した時、
「Town&Countory Club」でアースワークのライブが
あった。あと2日滞在が長ければ見れたのだが、
悔やまれる。このライブハウスも今はないらしい。
 というわけで、クリムソンにイギーを参加させるの
は私も賛成だ。

*****************************
FROM テラダヤ
E-mail [email protected]
*****************************

akiller <[email protected]>
宛先 : Kubo Motohiro <[email protected]>
件名 : Re: Bill of NEW-YORK!
日付 : Tue, 12 Jun 2001 13:51:05 +0900


久保先輩へ

テラダヤさんも結構、聞いた口だね。
ところで元デッド・エンドのミナトヤさんとはお友達じゃないんだ
ろうか。

UKの中途半端さ、が言われていて、昔ボクが軽音楽サークル(笑)
にいた頃、先輩がIn the Dead of Nightを喜々としてやっていて、
それがサークルをやめるきっかけになったことを思い出しました。
そう、ボクがインドア派からアウトドア派になったきっかけ。(笑)
ジェイミーミューア音源は帰国後さがすでよろしいでしょうか。
と、同時にアースワークス(土工)もコレクション価値ありそうですね。

テラダヤ先輩はセッションいまいちとおっしゃってるけど、
それは80年代初期の話ではないか、と。

80年代後期には、The Spice of Lifeでそれこそ喜々としてセッションを楽しむ、成長した(大失礼)ビルが聞けます。

逆にスティーブ・ガッドは90年代になってよりライブワークに集中するようになり、コカインもやめて、次々名演を残し、
すっかりロック系からもリスペクトを集める存在になりつつあると思われます。exクラプトンオジサン。

たばこをやめたポンタ師匠も、ホントいい意味で枯れていくのでしょうか。

ときに、なんか80年代のオルタナティブ(笑)な音楽シーンを再評価するのが、流行なのでしょうか。

最後に、やっぱ、久保さん的にはブリュー@クリムゾンはだめなんでしょね。トムトムクラブどまりか?(笑)

とここまで、書いて(仕事中なのにいいのか(笑))
日記への返答。

DISKUPでは、バウハウスとマイルスとビルを組み合わせて
買ったりするいやな客だった私です。そのころすれ違っていたかもね。(笑)店員はどこへ行ったか知りませぬ。

Res:久保AB-ST元宏
題名:いまやドラムも、「アコースティック・ドラム」と言う時代。
投稿日 : 2001年6月12日<火>21時57分/男性/39才


ビルがあの1980年前後のニューウェーヴ時代に、
ドラマーたちに聞かれていたって、すごい重要なことだよ。
なぜ、メロディー楽器がオールド・ウエイブとなり、
打楽器は常に「新鮮」なのか?

>最後に、やっぱ、久保さん的にはブリュー@クリムゾンはだめなん
>でしょね。トムトムクラブどまりか?(笑)


あの、「スティック」だって、最初は「ひょえー」と思ったが、
しょせん、ベンチャー・マシーン。
マシンの新しさ・だけ。

アレルギーの『JBの夢』のイントロ、すごいね、と、
ギターの小野ちゃんに聞いたら、
「あ、あれ?あれ、ディレイ」。あはは、そーんな小野ちゃん、好きだぜ。

バカボン鈴木さんが、新宿ロフトで1983年の対バン(メトロファルス)の時だったか、
「スティック」をリハーサルで弾いていて、
私は「鈴木って、金持ちなんだ」との感想しかもたなかったのだ。
私って、変?

ブリューは、ボウイとの最初のツアーは、良かったゾ。
あとは、どーも、バカに見えて。・・・すみません。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3973/




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Spring 2002 saw the imaginative simultaneous release of a) a Live Double CD from London called “Footloose and Fancy Free” and b) a full-scale DVD from New York entitled “Footloose in N.Y.C”, and the replacement of Clahar with the multi-talented Tim Garland fresh from Chick Corea’s recent group.

2002年の春、

2002年1月からはインコグニート出身のパトリック・クラハーに代わり、サキソフォン奏者にベテランのティム・ガーランドを迎えました。チック・コリア等との共演で知られるこのティム・ガーランド。

The new CD was awarded the coveted "5 Stars" in Downbeat magazine.
新しい CD は、与えられた、 Downbeat マガジンにおける欲しがられた「 5 Stars 」。

Bill Bruford has three children and continues to live in the Surrey Hills with Carolyn, one cat, and one fish.
Bill Bruford には、 3 人の子供がいて、そして、キャロライン、 1 匹の猫、及び、 1 匹の魚と共にサリーヒルズにおいて生きてい続ける。

♪Oh ! ROCK!!Robert Wyattの世界♪
SOFTMACHINE


SOFTMACHINE
『Live At The Paradiso 1969』
Mike Ratledge Electric piano, Organ
Hugh Hopper Bass
Robert Wyatt Drums, Vocals



次ぎなるライブ盤は、オフィシャル・ブートレッグ95年発表の「Live at the Paradiso 1969」。69年3月のアムステルダムでの録音。
ヒュー・ホッパーをベースにした3人構成での演奏だ。もっとも内ジャケットの写真には第四の男エルトン・ディーンも写ってるのだが。
インストゥルメンタル・ジャズロックへと疾走り始める直前の演奏でありワイアットのヴォーカルもたくさん入っている。
3人とは思えない音圧と迫力のあるインプロヴィゼーションと切ないまでのリリシズムに優れたライヴ・バンドであることを再認識する。
変拍子を叩きながら絶叫するワイアット
クレイジーかつクールなフレーズをノイジーに繰り出すラトリッジそしてファズ・ベースでブンブンとスケールを駆けぬけるホッパー。
アドレナリンが頭に集まってしまいチキショウこうなったら全作聴き倒すかとばかりに興奮させられる。

「Hulloder」()
「Dada Was Here」()
「Thank You Pierrot Lunaire」()
「Have You Even Bean Green?」()
「Pataphysical Introduction PtII」()
「As Long As He Lies Perfectly Still」()
「Fire Engine Passing With Bells Clanging」()
「Hibou, Anemone And Bear」()
「Fire Engine Passing With Bells Clanging(Reprise)」()
「Pig」()
「Orange Skin Food」()
「A Door Opens And Closes」()
「10:30 Returns To The Bedroom」()

(BP193CD)


『Third』
Mike Ratledge Organ, Piano, Electric piano Rad Spail Violin on 3
Hugh Hopper Bass Lyn Dobson Flute on 1, Soprano sax on 1
Robert Wyatt Drums, Vocal, Organ, Electric piano, Bass Nick Evans Trombone on 2
Elton Dean Alto sax, Saxello Jimmy Hastings Flute on 2, Bass clarinet on 2



70年6月発表の「3(Third)」はこれぞジャズロックという意気込みが感じられる好盤。
アナログ時は2枚組みで片面一曲計4曲のみ。
このCDは10年前くらいに買ってずっとラックの飾りになってたが最近になって突然聴いたところ吃驚仰天、一気に身体にきてしまった。
この時点のサウンドはまだファースト、セカンド時の退廃的なポップ感覚がほんの少し残っているせいか
単なるジャズではなくもっと微妙なサイケデリック・ジャズロックとでもいうものになっている。
ホッパー、ディーンの強烈なジャズ感覚ワイアットのサイケ感覚がバランスしているといってもいいだろう。
また変則的な拍子の多用や頻繁なテンポの変化を交えつつも即興性は抑えられきっちりと計算された器楽アンサンブルが貫かれている。
音ではホッパーのファズ・ベースが面白い。なお録音は1曲目が1970年1月4日、他の曲は同年4月10日及び5月6日に行われている。

「Facelift」(18:45)は格好いい決めのフレーズを持ったメカニカルでパワフルなナンバーでSOFT MACHINEの代表作だろう。
ちょっとZAPPAのKING KONGに似てません?
モジュレータで歪んだオルガンのインプロヴィゼーションは
かなり初めの方で決めのテーマを奏でている(同時にエレクトリック・ピアノが演奏しているようにも聴える)が
次第に湧き上がってくるブラスの混沌ですぐにかき消されてしまう。
バスドラのキックと共にオルガンがテーマを提示しブラスが次第に反応し始める(5:15)。
7/8拍子の演奏。スネアとシンバルを打ち鳴らしアクセントをつけロールを繰り返すドラム。
テーマに沿った演奏だ。
そして一気に走り出すアンサンブルではブラスがテーマを発展させる。(5:54)不安定に揺らぎつつ背景に響くオルガン。
テンポが上り(7:02)オルガンがせわしない第2テーマを提示するとブラスのユニゾンが反応しオルガンとサクセロの烈しい応酬が続く。
狂おしいインプロヴィゼーション・パートである。ベースとサクセロが初め交互にやがてユニゾンで第3テーマともいうべきリフを刻む。
再び7/8拍子の演奏である。烈しいアンサンブルを経て再びオルガンによって第2テーマが再現されブラスとユニゾンする。
(10:09)クロスフェードで始まる新たなアンサンブルはベースのリフとインダストリアル風のドラムのノイズが轟く7/8拍子。
(11:02)再びクロスフェードでベースとブラスが動き出すがすぐにオルガンのエレクトリックなノイズに吸い込まれる。
フルートがフリーに暴れ(11:29)次第にバロック風の旋律へと落ち着いてゆく。オルガンのノイズはまだ続いている。
空から降るようにブラスとドラムが戻り(13:00)不機嫌なブラスが吠えフルートが再びフリー風に舞い踊る。バッキングはエレピとブラスのリノイジーなフレイン。
6/8拍子か。
暴れるドラムとサックス。暴力的な演奏だ。
ベースのリフが響き始めるとサックスをバックにサクセロがけたたましく叫び(15:00)ソロが始まる。
パワフルでしなやかな見事なソロだ。シンコペーションを上手く使ったフレージングがスリリングだ。
7/8拍子に戻ってピアノとベースがリズミカルな第3テーマ・リフを刻み始める。
(17:05)そしてオルガン、サクセロのユニゾンで第1テーマの堂々たる再現。
突如テープ逆回転効果音がかぶさりエレクトリックな混沌のイメージのまま終ってゆく。
ブラスとは思えないいくつもの音がラトリッジのオルガンの金属音に導かれてまとまっていく様はゾクゾクさせるし
不安定に揺らぐ音の創り出すフレーズはサイケデリックな快感を呼ぶ。非常に新鮮なサウンドである。
また部分を取ると強く即興性が感じられるが全体を見渡すと変拍子の展開や印象的なテーマなど意外に明確なシナリオがあるように思える。
過剰なまでに混沌としたエレクトリックなサウンドはラトリッジ以外にもワイアットやホッパーのアイデアも盛り込んでいるにちがいない。
テーマが印象的なインダストリアル・ジャズロックの傑作。ホッパーの作品。
ちなみに収録後、編集作業が行われており、特に1月10日のテイクが挿入されているとのこと。

ラトリッジ作の「Slightly All The Time」(18:12)はクロスオーヴァー的なグルーヴと安定感のあるナンバー。
多彩なドラムとベース・リフが創る変拍子に乗って次々とメロディアスなインタープレイが繰り広げられるがやはりアンサンブルとしてのまとまりが感じられる。
ベース・リフにブラスが導かれて落ち着いた雰囲気のアンサンブルを繰り広げる。続いてエレピの伴奏によるディーンのソロ。
そして再びブラス・アンサンブルへと静かにまとまってゆく。テンポが上がるとヘイスティングスの幻惑的なフルート・デュオからアンサンブルは力を増して疾走する。
リズムを次々に変えつつ演奏は走る。中間部では9/8拍子の坦々としたリズムで、まずエレピのバッキングでサックス・ソロ、続いてオルガンがソロを取る。
サックスとオルガンがクロスフェードするが、ここのエレピとオルガンはラトリッジのオーヴァーダブなのだろう。
バス・クラリネットの柔らかな低音がベースのように響き効果的だ。
リズムが止みサックスが得意の長いリフレインを静かに決める。(「Noisette」ホッパー作)
そして13分付近から始まるフェイザーのかかったオルガンの伴奏でサクセロが静かに歌うシーンは、
幻想的であると共に意外なくらいストレートでジャジーなグルーヴを孕んでいる。サクセロのメロディは非常に美しく官能的だ。
ベースも非常に優美なプレイである。しかし一転リズムは9/8拍子へ変化しテンポ・アップ、饒舌なベースとエレピが刻むリズムに乗ってサックスが疾走する。
やがてエレピはオルガンに切り換わる。(「Backwards」ラトリッジ作)最後はうねうねとした長いリフレインが再び現われる。(「Noisette」)

またこの作品で最後になるヴォーカル・ナンバー「Moon In June」(19:08)は独特のかすれ声がセクシーなワイアットをフィーチュアした名曲。
ヴォーカルにも器楽同様電気を帯びたようなマジカルな手ざわりがあるところが面白い。
そしてヴォーカルにぴったり寄り添ってしなやかに進んでゆくバッキングのカッコよさ。
得意のスキャットも交えたインスト・パートはスペイシーな広がりの面白さを追求しているようだが
サイケな熱気を孕みつつもあくまで均整が取れた演奏になっているところがインテリジェントなグループといわれる理由だろう。
この、無闇に発散せず自らの昂揚を冷静に見つめるような演奏がじつに気持ちいい。
サイケデリックなサウンドと緊密なアンサンブルの絶妙のバランスといえるだろう。
シャープなリフを中心にしたテーマ部もインタープレイもじつにきちんとしているのだ。
またアルバムにクレジットはないがディーン以下ホーンが登場しないことからも本作はワイアット自身の多重録音も一部交えているようだ。
おそらくコード主体のエレピの演奏もワイアットだろう(ディーンの可能性ももちろんある)。
エンディング部のテープ操作による緩やかな音響効果などいかにもワイアットらしいスタイルが見られる。
ちょっぴりジョン・レノンの「I Am The Walrus」を思わせるところもある。
一つわからないのはオープニング、オルガン伴奏で歌う部分に続く間奏。明らかにギターと思うが本当はどうなのだろう?
(後日再び聴いてやはりベースかなあとも思いました。ホッパーはワイアットの名作「Rock Bottom」でも無茶なベース・ソロを見せていたし。)

再びラトリッジ作の「Out-Bloody-Rageous」(19:14)。
テープ逆回転のようなオルガンとエレピを重ねたエレクトリックで幻惑的なプロローグ/ エピローグがおもしろい。
サイケデリックな酩酊感のあるエフェクトだ。しかしテーマに導かれて始まる中心部はスリリングなリフに乗った明確な演奏である。
テーマに続いて8ビートに乗って非常にシャープなオルガンのソロが繰り広げられる。
(伴奏がピアノということはラトリッジのオーヴァーダブだろうか)一瞬オープニングのような混沌へと落ち込むが
ピアノの厳格な演奏によって再びアンサンブルが帰ってくる。
エフェクトされたオルガンとベース・リフに乗ってサックスがやや憂鬱に歌う。
ソロはデュオのユニゾンへと変化し変則的なリフで一気に演奏はクライマックスへ達する。
たたみかけるようなリフそしてノイジーなオルガンが轟くと再び電気の混沌へ。エレピのリフが次々と折り重なって現われては消えてゆく。
眩惑的な雰囲気とクリアーなアンサンブルのスリルを共に孕んだ名作。ラトリッジの作品。

まるでサイケ・ポップとジャズ、現代音楽がグツグツと煮込まれてちょうどいいスープができあがっているようなアルバムだ。
いわばこのアルバムこそが本当の「フュージョン」なのではないだろうか。フリー・ジャズとサイケデリック・ロックの微妙なところで創り上げられた初期の傑作である。

(ESCA 5535)
SOFTMACHINE