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訃報 ジョー・ストラマーが
1970〜1980年代、英国のパンク・バンド2002年12月22日、没。享年50歳。 本名 : ジョン・グラハム・メラー 生年月日 : 1952年8月21日 出身地 : トルコ・アンカラ イングランド南西部、 サマーセット州ブルームフィールドの自宅にて。 死因は心臓発作。 「ザ・クラッシュ」のボーカル&ギターとして活躍。 死の直前までリバプールでツアーをしていた。(更新日2003年1月6日) |
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▼ジョー・ストラマーが音楽を担当し、映画の主人公は、セロ
ニアス・モンクのポスターを壁に張り、愛犬にはドルフィーという名前をつけている。
『豚 が飛ぶとき』 (1993・米 95min) When Pigs Fly ★『共犯新聞』ゲストブックでも、TKB-G氏が2002年2月15日に話題にしていました! |
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The
Clash♪”The Right Profile”
邦題 「ニューヨーク42番街」
From the album "London Calling" (1979年) 作詞;ジョー・ストラマー(1952.8.21トルコ〜2003.12.22 イングランド) 訳詩;久保元宏(1962.3.31日本北海道雨竜郡沼田町〜不明) Say, where did I see this guy? 言ってみよーか?どこで俺がヤツを見かけたか・を。 In Red River? あれはハワード・ホークス監督の『赤い河』(1948年)だったか? Or a place in the sun? それとも、『陽のあたる場所』(1951年)だったか? Maybe the Misfits? たぶんマリリン・モンローとの共演作『荒馬と女』(1961年)? Or From Here to Eternity? やっぱ、『地上より永遠に』(1953年)かも? Everybody say, "Is he all right?" 野次馬が言うのさ、「ヤツ、ダイジョーブ?」 And everybody say, "What's he like?" そして誰もが「おい、ヤツ、誰かに似てるぜ」と気が付くのさ。 Everybody say, "He sure look funny." 「まったくだ。ヤツはハンサムだな。」とワイワイ&ガヤガヤ言いやがる。 That's...Montgomery Clift, honey! そりゃあ、そーだぜ。映画俳優モンゴメリー・クリフトだもんな、ハニー! New York, New York, New York, 42nd Street おお!アコガレのニューヨーク!その42番街! Hustlers rustle and pimps pimp the beat ハスラーたちがセコく稼ぎ、ポン引きたちは客引きに忙しい街角。 Monty Clift is recognized at dawn 映画俳優モンゴメリー・クリフトだってことは夜明けにバレちまったぁ。 He ain't got no shoes and his clothes are torn いやもう、ヤツはクツは履いていないし、おしゃれな服もズタズタさ。 I see a car smashed at night 駆け抜けてゆく夜のイエローキャブ。 Cut the applause and dim the light そのライトで浮かび上がったヤツの顔は野次馬の歓声を黙らせたね。 Monty's face is broken on a wheel 哀れ。美形が売り物の俳優モンゴメリーの顔はタイヤでグシャグシャ。 Is he alive? Can he still feel? ヤツはまだ生きてんのかい?まだ感覚があるのかい? Nembutol numbs it all ヤクは嫌なことを忘れさせてくれるけど、 But I prefer alcohol 俺には酒だ。酒だ。さ・け・だぁ〜! He said go out and get me my old movie stills ヤツは「わたしの古い映画のスチール写真を取って来てくれ。」と言う。 Go out and get me another roll of pills その言葉は「ヤクをくれ。」の隠語。 There I go again shaking, but I ain't got the chills しびれるぜ。でもな、俺はけっして癒されやしないんだ。 酒だ。酒だ。さ・け・だぁああうぐっぐぐどあがああああああごおぐっぶ!
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モ
ンゴメリー・クリフト MONTGOMERY CLIFT(1920〜1966) ▲ヒッチコック監督『私は告白する』(1953年) アメリカのネブラスカ州オハマに生まれ。 14歳の時、初舞台を踏んだのをかわきりにニューヨークに進出。 ハリウッドからの誘いを断って舞台活動に専念していたが、 ハワード・ホークス監督の熱心なラブコールにより、 西部劇『赤い河』(1948年)に出演。 ジョン・ウェインと対立する若き美少年カーボーイのクリフトは、 その陰りのあるフェイスと安定した演技でたちまち注目の的となった。 つづく『女相続人』(1949年)では、野心家の青年を、 『陽のあたる場所』(1951年)では、貧しい青年の屈折した心理を演じて絶賛される。 『地上より永遠に』(1953年)では、 軍隊の上官のイジメに屈しないラッパ吹きを熱演し、3度目のオスカー候補に。 彼は自分の気に入らない映画には決して出演せず、 映画会社との長期契約も嫌った。 マーロン・ブランド主演の左翼映画『波止場』や、 ジェームス・ディーン主演の超ヒット作『エデンの東』などの出演依頼も断っている。 かと思えばナチス映画『ニュールンベルグ裁判』(1962年)に はノーギャラで出演した。 彼に不幸が起きたのは『愛情の花咲く樹』(1957年)の撮影中に、 自動車事故で顔に負傷したことだ。これが彼の俳優生活の致命傷となった。 なんせ、美青年で売っていた彼だ。この交通事故で美貌はグシャグシャになった。 当時、ラブ&ラブだった大女優エリザベス・テイラーからもフラレたし。 周辺の者は、事故の直後、彼の生命の安否よりも、まず美貌の安否について 興味を持って話題にしたというから複雑な悲劇だ。 この事件以降、酒と麻薬に溺れるようになる。 それでも、『若き獅子たち』(1958年)や マリリン・モンローとの共演の『荒馬と女』(1961年)などで立ち直りを見せた。 マリリンは小さいころから憧れていたクラーク・ゲーブルとの共演を果たしたが、 撮影の6日後にゲーブルは急死、マリリンもこれが遺作となってしまった。 モンゴメリーはその後、『フロイド』 (1962年)に主演。この作品は映画音楽も秀逸。 UKロック・バンドのオアシスのギャラガー兄弟の弟にしてヴォーカルのリアムと、 UKアイドル・グループオールセインツのニコル・アップルトンは恋人だが、 2000年11月、妊娠中のニコルはインタビューで 「子供は産むけど、リアムと結婚するつもりは無い」と言っていた。 ニコルとリアムが、産まれてくる子供の名前について興味深いことを語っていた。 男の子なら映画俳優と同じ”モンゴメリー・クリフト”、またはピンク・フロイドから とって”フロイド”。女の子なら゛ファラ”とつけたいというリアム。 UKロッカーにとって、かくもクリフトは特別な存在なのか!? しかし、結局は2001年7月17日に男児が誕生して、赤ちゃんの体重は3090グラムで、 ジーン・アップルトン・ギャラガーと名付けられた。なんのこっちゃ! ちなみにリアム・ギャラガーは別れた妻との間に長男をもうけており、2児の父となった。 1999年9月13日生れの長男の名前はズーズーしくも、レノン・フランシス・ギャラガー! アップルトンは初産だった。 クリフトは1966年ジョー・ストラマーと同じ心臓発作で倒れ、45歳の若さで死去 した。 ジェームス・ディーン同様、 既成の枠にはまらない反逆児のイメージは今でもクリフトの映画に息づいている。 ■1952年生れのジョー・ストラマーにとっては、 映画を意識的に観始めた14歳当時のヤツの死ということになる。 この曲が発表された当時、 「なんでパンクスがハリウッド映画俳優の歌なんか歌うのか」と疑問を持ったものだ。 しかし、その後のジョーの人生が、彼の映画好きを教えてくれた。 ジョーの死後、改めて聴くと、小粋なジャズ風ブラスバンドの明るい曲なのに、 後半、だんだんと嗚咽し始めてゆくジョーのかすれたボーカルがせつない。 <参考文献> 懐かしの映画館「近松座」★在野の映画評論家。丁寧な情 報整理が嬉しい! LP『ロ ンドン・コーリング』ライナーノーツ 黒沢美津子(雑誌『音楽専科』) |
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久保AB−ST元宏 - 02/12/24 18:36:09 ■今年、ジョーの近作を聴いて興奮し、「おお!立つんだジョー!復 活だ!」と思っていたが、秋以降にポール・ウェラー漬けになり、 ジョーのアナクロなロック人生に食傷気味に なっていた私。 ジョーにしてみれば、「モトヒロよ、お前もか!」という気持ちであったであろう。・・・かな? それにしても、拉致事件と 同じ時間帯の24年間、プチ・ブルなポール・ウエラーよりも、男気の左翼闘士ジョー・ストラマー派であった私が、 小泉訪朝と同時にウェラー派に鞍替えしたことは、今年最大のロック思想史的事件であった。・・・か な? 北海道新聞で見た死亡記事は非常に小さなものであった。 やっぱ、元ビートルズのジョージ・ハリスンの ような大物は大きな記事になるが、元クラッシュのジョー・ストラマーではニュース・バリューは小さいのかなぁ。 なんだか寂しいなぁ。この分だと、ジミー・ペイジの死亡記事なんかも小さいんだろーなぁ。ヴァン・ モリソンなんて記事にすらならなかったりして。 ⇒どーも、ロック史的に重要な人物と世間のポピュラリティーは違うんだろーな。この分だと私の死亡 記事は死ぬまで出ソーにないなぁ。・・・かな? ■さて、かのシド・ヴィシャスが「アホウの人生」の極北であり、ポール・ウェラーが「アホウの人 生」の優等生であるとすれば、 ジョー・ストラマーは中途半端に「アホウの人生」を過ごしたと言えるでしょう。 パンクスとゆージャンルもやはり、個の集積であったと、24年たったクリスマスに しみじみと想います。 ■私はバンドをやっていた1984年暮れに某レコード会社の製作の男に「大人になるのも才能のうち だ」と説得されました。 なかなか思慮深いレトリックであると感心いたしたしだいでごじゃる。 私はアナーキーぶっているただの頭の 悪いパンクスや、無 頼ぶっているただの甘えた小説家や、過 激ぶっているただの独りよがりの革命家を沢山知っています。 Strips@Honey 君が、背負い込んでいるやつらが、「頭が悪く」て「甘え」ていて 「独りよがり」であるのなら、君はそいつらを切り捨てるべきです。 もしそーでなければ、自分の才能と天秤にかけて君より彼らが才能があると思えば、君は「アホウの人 生」のプロデューサーになるべきです。 芸術家には自分をプロデュースする才能も必要なのです。かの遠藤ミチロウや平沢進はその才能があり ました。 町田町蔵のように無さそうなパンク歌手であっても、小説家=町田康として自己プロデュースしたのだ し。 ■ジョー・ストラマーの晩年の不幸は 彼の大きな器をプロデュースできる大きな才能に巡り合えなかった点もあると思い ます。 私は北海道の山奥で、かっこいいライブ・ハウス「ROCKHOUSEディラン」を経営してい る伊藤さんや、 人 口2千人の町で公務員ながらガンガンと舞台の企画を上演している漢さんや、 ギャラリー経営者の渡辺さん、 そしてギャラリー紹介HPを主宰している「ねむいヤナイ」さんたち、多くの裏方と言う名の表現者を知っています。 彼らは日々、近寄ってくる無数の「アホウの人生」を切り盛りしているんだと容易に想像できるので す。 全ての「アホウの人生」にもメリー・クリスマス。クラブ・ヘブンに 新入会したジョーに、合掌で合唱。
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