さっちゃんも、プールを観たの。I'll follow you wherever you may go!
top page⇒うぇ〜ん!『共犯新聞』♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieROCK★ロック パラパラ・・・偏 愛書物★Book Oh ! うめぇ〜♪ジューシーな豚肉ソティ!好 物★Gourmet やっぱ、映画館で観たい♪映画★Movie Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!美術★Art
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paris! paris! paris!




  • 西条八十 「わがふるさとは遠きかな」と異国生活の寂しさを歌った。
  • 金子光晴 屋根裏部屋で絶食の日々を送った。
  • 大杉栄  労働者街に庶民の生活苦を見た。
  • 横光利一 町々の教会の鋭い塔に自由平等への反抗をかぎとった。




2011年7月13日 水曜日 午後11時30分透明の石ばしる垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも。気温 20.0℃←■私が1995年に 録画したNHKテレビ『フランス語講座』のビデオを小学校5年生の娘が取り出して、見てる。
2010年1130日 火曜日 一年前は、免許が無かった・・・。  8Amの気温;−4.0℃
サントスと話していたら、一緒にネパールに行きたくなったけど、呑んでたら、少し考え直した(笑)。
→100日雛で1050円かな。あとは日割りで一日単位で値段が上がっていく。2010年革命についての12冊。←11月30日(火)に、も らっちゃった♪

2010年7 月21日 水曜日 午後10時39分みんな何んという顔だろう。人間なぞは一人もいない、(小林秀雄『おふえりや遺文』)気温21.7℃←■巴里の空の下オムレツのにおいは流れ、石井好子のシャンソンは巴里の空の上へ。
→ちゃんとそう思えるように私もほんとに頑張らなくちゃ〜。と、年頭の挨拶ぽい事言う。

人間は
養殖ばかり
鮎嗤う
(久保元宏 2001年7月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出せ!
たとえば12月29日の 歴史

「五来氏は、君を喉の所まで食ったんだ。あの人は誠実な人だから」(砂糖菓子が壊れるとき)

Old chanson Cafe in Ginza
"Silver Paris"
is closing !

全知全能の神の悲劇は、神自身には自殺の出来ないことである。

春昼(しゅんちゅう)や
ぼんやりとした
不安かな

(久保元宏 2002年4月)

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史か ら飛び出せ!
たとえば→9月2日の 歴史
ビスマルクに頭を下げて、ナポレオン3世は捕虜になり、ただのオジサンに。

Napoleon III surrendered himself
to
Bismarck
after The Battle of Sedan !

今日の一句

抽象の海に具象の船を出せ
(久保元宏 1999.9)
★どちらまで?

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★たとえば→7月 14日の 歴史★
You say you want a French ♪クリックして、見よっ!Revolution !
Wow! ★バスチーユへ♪
♪Yeah! Yeah! フランス革命の勃発から遠く。
Don't you know it's gonna be all right !
Wow! ★バスチーユへ♪
1996年4月16日 7:30Pm フランス、パ リ
うぇ〜ん!私は、『バス チィーユ・ オペラ座』で、ブリテン『ビリー・バッド』を観た。
超アバンギャルドな演出で、『戦艦ポチョムキン』のよーな物語が演じられた。
まさしく、不滅のバスチィーユ魂!
The Paris citizens attack the Bastille prison.
French Revolution breaks out !

1974
◎1月 和光晴生らが製油所を爆破、
フェリー乗っ取り。
◎8月 東アジア反日武装戦線により
三菱重工爆破事件。
◎9月13日 ハーグ事件。
日本赤軍、オランダの
フランス大使館を占拠。
フランス政府は逮捕していた
元メンバーを釈放。
◎11月 日本赤軍の名称を
正式決定。
2005年9月2日 東 京地裁 検察側の論告
重信房子は「ハー グ事件では、
パ レスチナ解放人民戦 線(PFLP)に
武器の調達を依頼するなど
まさに首謀者で、
責任は共犯者の中で も群を抜いて重い。
重大で典型的な国際テロ事 案に
厳しい姿勢で臨む必要がある。」

生き方の問題。
新聞紙上でのすれ違い。
訃 報 朝吹登水子(あさぶき・とみ こ=フランス文学者、本名;登水=とみ、1917年2月生れ)
2005年9月2日、腎不全のため東京都内の自宅で 死去、88歳。彼女も、パリで死ねなかった。
  第2次世界大戦前のパリに留学。1950年に再 びパリに渡り、
オートクチュール(高級注文服)のデザイナーの資格 を取得した。
 フランソワーズ・サガンの処女作『悲しみよ、こん にちは』を翻訳したのをきっかけに執筆活動に。
以後サガン作品のほとんどを手がけたほか、ボーボ ワール『娘時代』『女ざかり』(共訳)も翻訳。
作家ボーボワールと親交を結び、1966年にサルト ル、ボーボワールが来日した際に案内役を務めた。
 『悲しみよこんにちは』が映画化された1958 年、日本人として初めてカンヌ国際映画祭の審査員に。
2000年、仏レジオン・ドヌール勲章を受章。
 小説家としては1977年、自伝的長編「『愛のむ こう側」を発表。
軽井沢の古き良き時代を描いたエッセー『私の軽井沢 物語』など著書多数。
★クリックすると、「♪飯場に下請けさせて、手に泥をつけず、タコを見たこともないような人たちが、一番儲けていたはずです。」washiroh 「中野通りとパリ」朝吹登水子と、J・P・サルトルの親指の血と、ジュネと爆弾 テロ犯人。
text by . 久保AB−ST元宏(2005年9月3日)
朝刊に、 朝吹登水子が昨日死んだ記事。
フランソワーズ・サガンが2004年9月24日の夜に死んだ時、私はHP 『共犯新聞』ゲストブックに下記のように書き込んだ。

「今回、サガン関係の本を我が書斎で探してみたら、一番面白かったのが朝 吹登水子のエッセイや、
彼女が翻訳したサガンの作品の訳者あとがき。
実際、朝吹登水子って面白い女性だよねぇー。
こーゆー人が一人いるだけで「文化」ってヤツが、グーンと一気にブレイ ク・スルーするんだよねぇ〜!」

しかし、 朝吹登水子の大きさを受け止めることが出来る日本人は多くはいなかったと思う。
残念だ。

北海道新 聞の社会面には、重信房子の顔写真のほうが朝吹登水子のものよりも、大きく掲載されていた。
この二人、「世界」でダイナミックに活躍した日本女性としてオノ・ヨーコ と並んで永遠に記憶しておきたい。
「パリは冷 たく見えるけれど、他人の自由を尊重します。」 — 朝吹登水子
(2000年10月、仏レジオン・ドヌール勲章を受章を受賞した際の朝日新聞のインタビュー)

Oh !
je
voudrais
tant
que
tu
te
souviennes
des
jours
heureux
ou
nous
etions
amis
!
パラパラ・・・訃報 ★『フランソ ワーズ・サガン』
■Text by 久保元宏.(2004年9月28日)
フランソワー ズ・サガン(フランスの女性作家)が、2004年9月24日夜(日本時間25日未明)、
心臓疾患のため同国ノルマンディ地方オンフルールの病院で死去、享年69歳。

18歳のとき に7週間で書いたデビュー作『悲しみよこんにちは』(1954年)は、
父親の再婚をめぐるブルジョワ少女の傷つきやすく残酷な心を描いたベストセ ラー小説。
当時の小説の貧乏臭い匂いが無く、驚きと高い評価で迎えられ、一躍スター作家 になった。
その後も『ある微笑』、『ブラームスはお好き』などで人気を得た。1997年 の『逃げ道』も傑作。
作家サルトルに共感し、フェミニズム運動にも協力するなど、社会的な発言で注 目された。
しかしむしろ、スポーツカー事故、ギャンブル、麻薬など奔放な振る舞いが世間 の話題となる。
『地獄の黙示録』〜遠くの親戚よりも、近くの扉?『悲しみよこんにちは』も映画化され、
世界的な大ヒットとなった。本人も映画好きで有名。

「日本映画は大好きで、
『羅生門』『地獄門』など素晴らしいわ。
フランス映画も好きだけれど、
アメリカのスリリングな西部劇、大好き。」
(1954年、朝吹登水子によるイン タヴューより。)

1979年、 カンヌ映画祭の審査委員長をつとめた。
コッポラの『地獄の黙示録』がグランプリをとったが、
それには映画祭 主催者側の圧力があったと、
6ヵ月後にフランス社会党系新聞『ル・マタン』紙に
発表してスキャンダルとなった。
ついでに、カンヌでは映画の審査どころか、
ギャンブルに夢中になり、金が無くなったことも暴露。
サガンはギャンブルで、ノルマンディの別荘を失う。
本名 はフラン ソワーズ・クワレーズ。
「プルーストが好き。サガンの名もプルーストの小説『失われた時を求めて』の 中からとったのよ。
詩人ではランボー……現代作家では、サルトルとマダム・ド・ボーヴォワールが 大好きです。」

6月21日 は、サガンの誕生日(1935年)でもあり、サルトルの誕生日(1905年)でもある。
1979年6月21日、サガンは「サ ルトルへのラブレター」を新聞『ル・マタン』紙上に公表
サルトルは盲目になっていたが、お礼の電話をサガンにかけ、長くとだえていた 交友が復活。
サガンは週に一度、サルトルを誘って夕食に行くようになった。
モンパルナス裏の小さなレストランで、恋人たちのように夕食をした。
しかし、翌年4月15日サルトル、没。サガンもイヴ・モンタンらと共に群集に 混じって参列した。
なんだか、パリダカ。・・・ぎゃふん。1960 年、アルジェ リア独 立に賛成した
文化人の『121人宣言』に、サガンも署名。

ボーヴォワールは次のように回想している。
「私たちはどのような政党に属したことも、
またどんな種類の固定したイデオロギーに
しばられたこともありません。
私たちは出来事が起こる度にそれに反応し、
問題ごとにわれわれの判断や考えを形成し、
そして明確な立場をとりました。
たとえば、アルジェリア戦争のあいだ、
社会党員も共産党員も戦争に反対でしたが、
アルジェリア独立をはっきり支持しなかった。
それに反し、われわれ少数の者は、
『121人宣言』に署名し、
アルジェリアの独立を要求し、さらに、
脱走や、アルジェリア戦争拒否の意志表示を
した全ての兵士の特赦をさえ要求しました。」
(1978年、映画『ボーヴォワー ル』より。)

今 日の一句

秤(はかり)針
花を切られし
鬱金香(うっこんこう)
(久保元宏 2000.6)
あっぷりけーの、あっぷっぷ!

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★たとえば→8月4 日の 歴史★
シャンソンと政治(?)のステージへ♪
Happy Birthday
to
Ms. Yoshiko Ishii !

なぜか、まずは英語から。
help A with B

AをBで助ける、


Will you have a little time this weekend to help me with my French ?

週末に私にフランス語を教えてくれる時間がありますか?

▼検索で拾った文章です。無断転載で、すみませんが、すごくいい文章なのです。何度も読んでしまった。(久保)
中野通りとパリ
at 2001 11/09 01:24 編集

 中野駅を出てゆっくりと歩く。
 深夜の帰路である。
 ついさっきまで早稲田の店で飲んでいた。同級生7人の飲み会。じつに愉しい思いを味わってきた。
 平野くんが『ドンキホーテ』を読んだ話をした。苦労するそうだ。1ページを読み切るのに1時間という感じだったという。その分、深い。ぼく は読んでいない。
 土器屋くんの話は『孫悟空』を読み終えたということだった。これがまた、たいへんな面白さらしいのだが、ぼくはこの本も子ども向けの本を読 んだきりだ。
 寺崎くんは、あの長い長い『大菩薩峠』を読んだという自慢の話を言い出さなかった。田島くんも得意のドス・パソス体験を、たぶん思いが行か なかったのだろうが言わない。
百人一首をそらんじている北澤くんも読書量の多い男だが、にこにこしながら無言。ミステリ好きの岩佐くんは黙々とみんなの水割りをつくってい た。ぼくは、ただただ舌を巻いて聴き入るばかり。
 こういう風に書いて行くと、何だか「同級生交歓」みたいでいやだな。そういうつもりではなかった。単に読書の話がもたらす独特の感動を書い ておきたかったのだ。

 レーニンの話になり、ソルジェニーツィンの作品に登場するフィン列車(ロシア〜フィンランド鉄道)の話になり、レーニンのドイツスパイ説の 話になり、その背景にはロシアではなくドイツ革命を起こす戦略があったという話になり、革命にスパイ行為はつきものだと皆が言い、ロシア革命 時のブレーンがほとんど皆イスラム教圏出身であったことが全員の興味を引き、ボルシェビキが行った赤色テロの無慈悲との関連が語られ、うなず き合い、また話が変わり‥‥‥。

 こういった楽しみはそうそう得られるものじゃないなと、中野通りを歩きながら思う。
 ふと足元を見ると、イチョウの枯葉がくるくると回っている。
 ははぁ枯葉か、深夜の中野通りは枯葉が見えるほど明るいのだな。
 そのイチョウの枯葉がマロニエのそれにオーヴァーラップする。イチョウよりもはるかに大きな枯葉が一面のパリの舗道。一歩ごとにかさかさと 音が聞こえるパリの秋。

 そこからJ・P・サルトルの親指の血を思い出したのはどうしてだろう。
 ずいぶん長いこと思い出すことがなかったのに、急に浮かんできた。

 警察を呼ぶのはいやですと、そのときサルトルは言ったのだ。
 ぼくたちが訪ねたときにドアを開けてくれたサルトルの右手親指の付け根に切り傷があり、血が流れていた。何事があったのかと、ぼくたちを連れていってくれた朝吹登水子さんが訊ね、ぼくはフランス語が解らないから訳 して下さるのを聞くと、何と、毎週のように訪れる若い男がいて、彼は貧しい男で、サルトルは週に500フランを上げていたのだそうだ。
 その日も、たしか土曜日だったが、その男が現れたのでサルトルは「木曜日に上げたから今日は上げられない」と言った。ドアのチェーンは、い つもそうしているが、はずさなかったそうだ。そうしたら、そのドアの隙間をねらってナイフを振り回したのだという。とっさに引っ込めたのだろ うが間に合わず、右手親指の付け根を切られた。

 それじゃあ警察に連絡しなければ、という風なことを朝吹さんは言ったのだろう。それに対して サルトルは「警察を呼ぶのはいやです」と答えたのだった。

 どうして急にこんなことを思い出したのだろうと、中野通りを歩くぼくは首をひねる。
 やっと思いついたのはこういうことだった。
 イチョウの枯葉がマロニエの枯葉につながり、それが、まぁパリの記憶に行くのだが、その間にさっきまで一緒だった友人たちとの宴の余韻が挾 まっていたのだ。
 あの席ではサイードの代表作『イスラム報道』の話も出ていた。

 そうだ、連想が連想を生んでいたのだが、中野通りを歩くほんの数分のうちにその挟み込まれたくだりを忘れてしまっていたらしい。
 パリから、一気にサルトルの思い出に走ったのではなかったのだ。サルトルの怪我に立ち会ったのは、ぼくが二度目にサルトルを訪ねたときで、 その前年だったか、初めて訪ねた春、相前後して『泥棒日記』で知られる作家ジャン・ジュネを訪ねたのだった。やはり朝吹登水子さんのお世話に なったのだが、そのときのインタヴューで「明日、何をしますか?」という質問をしたら、ジュネ は「3人のアラブ人と会います、爆弾テロ事件で犯人とされ留置されている若者たちです」と答えたのだった。詳しいことを聞 く余裕はなかったが、逮捕以来ずっと支援しているのだと言っていた。
 友人たちからサイードの『イスラム報道』の話を聞き、帰り道に、いまジャン・ジュネが生きていたら何を言うかなと思ったのだ。じっくりと考 えながらそう思ったわけではなく、瞬時の思いつきだったのだろう。だから、歩きながらひょいと何かを避けたりしたはずみに消えてしまい、ジュ ネと会えた春にはサルトルとも会ったのだったとか、そんな具合に思いが飛んで「親指の血」のことを思い出してしまったのだろう。

 おおもとには友人たちとの酒の場面がある。
 杯を合わせ、からだの調子を聞かれ、転移がなかったことが6月に確認されたと答え、北澤くんがそれはめでたいと言ってくれた。
 低い声と高い声が入り混じり、笑顔が長いこと絶えず、しかし、アフガニスタンでの戦争をめぐる話できつい目付きを交わし合った十数分間は口 元も硬くなったものだった。
 刺身もうまかったが松茸の土瓶蒸しがうまかった。えび団子の揚げ物は食べきれなかった。
 そういう夜をもてて、よかった。  washiroh
And these visions of Johanna that conquer Ms.ろーら@ミカキチ's mind♪
text by. 久保AB-ST元宏 2008/07/17 9:41Am
>「えーーっ、だって私、もうお嫁にいけるような身体じゃないですってば〜だってほら、共犯新聞にも載っちゃったしぃ♪」

■しかし、変態の世界にジャンルも、リミットもなく、それこそ、アナーキー(笑)!
いろんな趣味の方がいらっしゃられるので、たぶん、お金持ちでイケメンな見合い写真が地下室のギ ロ男爵から、山の 上へ、そっと届けられることでしょう。

>で、共犯トップから、「中 野通りとパリ」へ飛んで、また読んでしまった。

■「そういう夜をもてて、よかった。」、そう言いたいよね、こんどの週末20日の若林博士ログハウス・パーティー、も。
で、この書き手、washirohさんって、誰なんだろう。朝吹登水子を介したとは言え(→もちろん、朝吹登水子の知人であるだけで、もー充 分、うらやましーん・だ・が。)、
パリで、生前のサルトルやジャ ン・ジュネと何度も逢って、しかも、それなりに深い意見を交換している。編集者か?もしくは、どこかの大学の仏文の教授か?
この文章にはいくつか具体的な固有名詞もあるから、うまくググれば、誰なのか or どーゆーヒトなのか突き止められそーだけど、
そーゆー興味からさえも超越(→「超越」っー下品なコトバは、この人には似合わないな。「浮いた」でじゅうぶん、な感じだね。)している文 章、だよね。
つまり、もう書き手から独立して、「文章」として一人歩きしている。
こーゆー文章こそ、高校の現代国語の教科書に載せればいいのね、ね。
と、書きつつもググってみました(笑)。う〜む。こ の人
■実は私は分かってる(笑)。
巌谷鷲郎、だよね。
このひと、童話作家・巌谷小波(いわや・さざなみ)の四男の、文芸評論家の巌谷大四(いわや・だいし、1915年2月30日〜2006年9月 6日)の甥っ子。
ちなみに、巌谷大四の長兄・巌谷慎一は劇作家、次兄・巌谷栄二は児童文学研究家で、栄二の息子の巌谷国士はフランス文学者。
なんで私、washirohが巌谷鷲郎って分かったかとゆーと、私が持っている朝吹登水子『私の巴里物語』(1989年4月16日、文化出版 局、初版・笑)っー彼女の自伝に、
ジャン・ジュネと彼女のツーショット写真の下に、
「モンマルトルの、作家ジャン・ジュネの住居を訪問
1979年、巌谷鷲郎さん写す。」っーキャプションがあるからなんでしたぁ〜 (笑)。

>クリスマスなんて、120くらい

■たぶん、8番目のクリスマスと、116番目のクリスマスは、似ている・と、思う。(←根拠、無し・笑。)
同じ理由で(←なにが「同じ」なんだ!?)、96番目のクリスマスは、39番目のクリスマスが準備していることだろう。たぶん。

>あるシーンのすぐ隣に、その瞬間を同時に息づく全く別の時間の気配を感じることがある

■それを我々の業界では、「時 をかける共犯」と呼び、その重層の上に生きている上達者を、「老人」と呼びます。
そして我々の業界の唯一の仕事は、「その瞬間」を準備することにあります。
それを準備する工作者のことを、Nonちゃんは「小人」と呼びますが、我々はあえてここでは仮に「バー ブ佐竹」と 呼んでおきましょう。
バーブ佐竹は、みなさまが容易に記憶の重層の中から似た(もしくは、似ていない)記憶をつまみだすことができるように、先回りをしてキーワー ドをばらまいておきます。
たとえば、マロニエ。たとえば、アラブのイメージ。たとえば、えび団子の揚げ物。たとえば、フロア中央の『アンナ・カレーニナ』。たとえば、 バンクーバーのローズマリー。
それらは植物でも、政治でも、匂いでも、想い出でも、なんでもなく、「ことば」なんでした〜♪

>石井好子の兄嫁だったんだっけ?

■正しくは、石井好子の姉婿の妹が、朝吹登水子だよ。微妙な記憶違い・だね(笑)。
まぁ、朝吹家は、すげー人脈だらけだから、多少の混乱も許す(笑)。
だって、「石井好子の姉婿」ってヒトがそも&そも、頭脳警察の歌詞にも登場するジャン・ジュネ『泥棒日記』を翻訳した朝吹三吉(あさぶき・さ んきち、1914年2月7日〜2001年2月3日)なんだから!
■雑誌『東京人』2001年5月号は、特集「古本道」(笑。すげー特集名だな。)で、鹿島茂や堀江敏幸が神保町や早稲田の偏愛古本屋を逍遥す るってー内容なんだけど、だから買ったんだけど(笑)、
雑誌の最後に、「東京の名家。」ってー連載があって、この号が☆なんと!「自由、平和、独立を伝統とする朝吹家。」!!!
この特集、いきなり出だしが、
の 二月、フランス文学者の朝吹三吉さんが、八十六歳で亡くなった。
で、
終わりが、

 取材が終わると、登水子さんのご主人アルベールさん(←ほらミカキチ、フラン ス人のアルベールが「石井桃子の兄」のわけないでしょ・笑?)がシャンパンの栓を抜き、談笑が 始まった。登水子さんが語りだす。
「1958年5月13日。ドゴールが政権を取ったとき、アルジェリアが独立するかどうか、真っ 二つに分かれたの。”市民よ銃をとれ”という貼り紙があっちこっちに 貼ってあって、機関銃も据えてあって・・・・・・」
朝吹家の卓上は、パリの宴とつながっているかのようだった。

なんだよね。フレンチ好きにゃ、たまらんっ♪
この雑誌、ちょーお買い得、でしたー(笑)。


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↓下記は、サンプルです。
■ パリ映画日記 ■
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○2001年10月5日

「A nous les lyceennes」
(La liceale)(Michele Massimo Tarantini/76年・伊)

「La Toubib aux grandes man?uvres」
(La soldatessa alla visita militare)
(Nando Cicero/77年・伊=仏)
シネマテーク・フランセーズのシネマ・ビスにて。

今夜の特集は再びセクシー・コメディ(勿論、イタリア製)だ。
一本目は早熟で魅力的な女子高生が学友や教師にもたらす動揺を、
二本目はお色気たっぷりの女医が兵士たちにもたらす動揺を描いている。
二本に共通して出ている役者が多いが、そのうちAlvaro Vitaliに注目しよう。
二本目で尻で煙草を吸う彼は、セクシー・コメディを代表する男優の一人で、
一度見たら忘れられない個性の持主だ。

○2001年10月7日
「When Tomorrow Comes」
(ジョン・M・スタール/39年・米)

しがないウェートレスが、高名なフランス人のピアニストと恋に落ちる。
一日を一緒に過ごしたあと、彼女は、男に精神異常の妻がいることを知る。
レオ・マッケリーの「邂逅」(38年)と同じく
アイリーン・ダンとシャルル・ボワイエの主演による、階級差を軸にした美しい恋愛メロドラマ。
嵐を避けて二人が教会で一晩を過ごすシーンの美しさも印象的だが、
男が女を口説こうとして、ストライキを議論する労働組合の集会に潜り込むというのもちょっと奇妙で面白い。
ジョン・M・スタールは、こういう社会情勢を直接反映する要素をわざとメロドラマに取り込んで いる


○2001年10月11日

「Va savoir」(ジャック・リヴェット/2001年・仏)
↑『恋ごころ』の邦題で、2002年3月30日(土)〜4月19日(金)、札幌ポーラスターでロードショー。
▲久保AB-ST元宏・追記

イタリアの劇団がパリで劇を上演することになる。
演出家が付き合っている劇団の女優はフランス人だが、彼女は、別れた男のいるパリに行くというので気分が動揺している。
やがて彼女は彼のアパートを訪れるのだが、これは、六人の男女が入り乱れる恋愛コメディの始まりにすぎない。
相変わらず饒舌なジャンヌ・バリバールが一人で歩き回る最初のほうは見ていてちょっと不安なのだが、
主要な六人が出揃うとリヴェット独特の奇妙な演出はやはり鮮やかで、
劇場での滑稽な決闘シーンから、舞台上に六人(プラス一人)が集合するラストにいたって、
やはりリヴェットは凄いと納得してしまう。

ジャック・リヴェットのベスト10を選んでみる。

1位「セリーヌとジュリーは船でゆく」
2位「Out 1 : noli me tangere」
3位「狂気の愛」
4位「地に堕ちた愛」
5位「Duelle」
6位「北の橋」
7位「Merry Go Round」
8位「パリでかくれんぼ」
9位「パリはわれらのもの」
10位「修道女」


【クロソウスキー追悼】

 サドの神学的議論から出発し、独自の官能世界を描くとともに、自ら絵筆をとって作品の活人画の世界に入り込むという倒錯的実践を生きた小説 家。
20世紀を代表する画家バルテュスの実兄であり、バタイユやベンヤミンたちとも交流を持ちながら、「シミュラクル」の概念を造形して、フー コーやドゥルーズ
を始めとする現代思想に多大な影響を与え、その理論的著作でフランスにおけるニーチェ・ルネサンスの発火点となった著作家。
さらにはまた、ハイデガーのニーチェ論やウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』をフランスに紹介した翻訳者・・・。
今夏8月12日にパリで亡くなった、ピエール・クロソウスキー(Pierre Klossowski, 1905-2001)の多面的な活動の総体は、あるいは「多神教的」、
「異神教的」とも形容しうる、放埓な「強度」に満ちた宇宙を構築している。
いまこそ、そうした彼の作品に向きあうことを通じて、あらためてフランス現代思想の最もディープな「記号」の戦慄にこちらの思考を共振させる べきではなかろうか。

 アクセスは下記のURLから"Bouquet pour Pierre Klossowski"へどうぞ。

http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/8797/index.html


日付 : Fri, 1 Feb 2002 07:50:00

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ■◇■ ♪  JAZZLAND通信 No-20  ♪ ■◇■
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

パリで美人の娘とデートしたいな…の巻。

 今シャンソンを聴いているんだ、ブック・オフで250円で買ったCDです。
1曲目は「枯葉/ジュリエット・グレコ」。この編曲はジャズのギル・エヴァンスの手法のように僕には聞こえるんだ。
戦前のモノラル録音は映画音楽とかに凄く名曲・名演奏があって素晴らしいと思うよ。この枯葉の演奏だってクール・ジャズに影響を与えたかもしれないね・・。
作家の開高健さんだって酔うといつも古いシャンソンを歌っていたと言うから、シャンソンには何かあると思う。ジャズとクラシックを上手く融合させたホワイト・ジャズと呼ぴたい。
3曲目の「セ・シ・ボン」もジョージ・シアリング的な編曲になっているし、編曲の醍醐味を感じさせてくれると思うよ。
若い人でギル・エヴァンスが好きな人は戦前のシャンソンを聴いてみて欲しい…、きっと何か見つけると思う。
ジャズ・マンの悲惨な人生もシャンソン歌手の人生もみんな素晴らしいロマンの結晶で、人生をかけた最高のドラマだと思う。
人生をかけて芸術家を目指す、パリの貧しいアパルトマンで成功を夢に見ながら夜中にバーやカフェで夜も更けるまで芸術論や人生論を語る。
そんな夢のような人生を駆け抜けた人達の笑い声や泣き声がシャンソンに入っている…。
だからアメリカのジャズ・メンも芸術と若者の夢と失望の都パリを目指すんだと思う。そう言えぱデクスター・ゴードンの生き方も素敵だよね。
例えばデクスターが、あの映画『ラウンド・ミッドナイト』の主人公のような人物ではないとしても魅力に溢れていると
思う、彼のレコード・ジャケットは全て素晴らしくてダンディで素敵だよね…。
老人のジャズ・メンになってパリのカフェでモダン・ジャズを演奏するなんていいじゃん、いいじゃん!格好良いよ…。
僕もJAZZLANDをパリのカフェ・ジャズ・クラブに見立てて経営しようと思っているんだ!
どんなちっぽけな店でも夢を見るのは自由さ、だから僕はいつもいろんな夢を見て、それを追い続けています。
いっも夢を追いかけていると自然にそれが現実になる時もあるし、ならなくったっていいじゃん、
夢を見て失敗した自分を老人になってから、『君は十分努力して素敵だったよ』と誉めてあげようよ…。
シャンソンを聴くといろんな事を思い出すんだよね、僕にとってシャンソンは人生を歌うイモの音楽だと思う。
いいじゃん、もうパリは混乱していて、だからこそ凄い音楽が出てくると思うよ…。
今後のパリのジャズに期待しようと思う。
それにしてもロックのリズムで歌うシャンソンはイモだね…、いやんなっちゃうよ…。
やっぱりミュゼット・アコーディオンとワルツだよね…。今回のお話はシャンソンと
ジャズと芸術がいっぱいの夢溢れるパリが主人公でした、パリで美人の娘とデートしたいな…。

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        ♪ JAZZLAND通信 ♪

発行者:JAZZLAND-CLUB


俳句は、パンク。今日の一句
冬暖(とうだん)の恋もテロルも 奪い去る
(久保元宏 2001.12)
「ひきょう」の基準は、主観的なモノサシという「政治」。

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出 せ!
たとえば→11月18の歴史
より現実的な夢のことを、野望と呼ぶんだよ。
Mr.やっぱ、映画館で観たい♪James Coburn
died of
a heart attack
while listening to
Jazzzzzzzzz!! クールの意味を知りたくて。music
at
his Beverly Hills home
!

俳句は、パンク。今日の一句
レノン忌や伸ばした髪を梳り(く しけずり)
うぇ〜ん!久保AB-ST元宏 1996年12月8日)
だから、ぼくは能澤くんに、もっとぼくの言葉を正確に伝えたかった。

★日付をクリックすると、♪好きな時代に行けるわっ♪あん♪アン♪歴史から飛び出 せ!
たとえば→12月28の歴史
透明な手紙は、届いていないだろうね。
Rien que de la Monsieur Pierre Barou !
うぇ〜ん!ちょうど1か月前の日本経済新聞に、ご本人がエッセイ「わが音楽 情熱 の半世紀」を掲載したばかりだったよ。このエッセイは世界初のインディーズ・レーヴェル共犯音楽祭★Music〜音という抽象芸術♪『サラヴァ』創立や、映画やっぱ、映画館で観たい♪『男と女』 の製作どたばた秘話、俺はギターを鏡に投げ込んだ♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieブリジット・フォンテーヌたちとの出会いなどが書かれていて、すげー魅力的だった。まだ読んでい ない馬鹿どもたちは、正月休みに会社 の総務課に忍び込んで、古新聞の束から切り抜いて来ること。

2016年12月29日(木) 1:38Pm