Oh !
je
voudrais
tant
que
tu
te
souviennes
des
jours
heureux
ou
nous
etions
amis
!
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訃報
★『フランソ ワーズ・サガン』
■Text by
久保元宏.(2004年9月28日)
■フランソワー
ズ・サガン(フランスの女性作家)が、2004年9月24日夜(日本時間25日未明)、
心臓疾患のため同国ノルマンディ地方オンフルールの病院で死去、享年69歳。
■18歳のとき
に7週間で書いたデビュー作『悲しみよこんにちは』(1954年)は、
父親の再婚をめぐるブルジョワ少女の傷つきやすく残酷な心を描いたベストセ
ラー小説。
当時の小説の貧乏臭い匂いが無く、驚きと高い評価で迎えられ、一躍スター作家
になった。
その後も『ある微笑』、『ブラームスはお好き』などで人気を得た。1997年
の『逃げ道』も傑作。
作家サルトルに共感し、フェミニズム運動にも協力するなど、社会的な発言で注
目された。
しかしむしろ、スポーツカー事故、ギャンブル、麻薬など奔放な振る舞いが世間
の話題となる。 |
■『悲しみよこんにちは』も映画化され、
世界的な大ヒットとなった。本人も映画好きで有名。
「日本映画は大好きで、
『羅生門』『地獄門』など素晴らしいわ。
フランス映画も好きだけれど、
アメリカのスリリングな西部劇、大好き。」
(1954年、朝吹登水子によるイン
タヴューより。)
■1979年、
カンヌ映画祭の審査委員長をつとめた。
コッポラの『地獄の黙示録』がグランプリをとったが、
それには映画祭
主催者側の圧力があったと、
6ヵ月後にフランス社会党系新聞『ル・マタン』紙に
発表してスキャンダルとなった。
ついでに、カンヌでは映画の審査どころか、
ギャンブルに夢中になり、金が無くなったことも暴露。
サガンはギャンブルで、ノルマンディの別荘を失う。 |
■本名
はフラン ソワーズ・クワレーズ。
「プルーストが好き。サガンの名もプルーストの小説『失われた時を求めて』の
中からとったのよ。
詩人ではランボー……現代作家では、サルトルとマダム・ド・ボーヴォワールが
大好きです。」
■6月21日
は、サガンの誕生日(1935年)でもあり、サルトルの誕生日(1905年)でもある。
1979年6月21日、サガンは「サ ルトルへのラブレター」を新聞『ル・マタン』紙上に公表。
サルトルは盲目になっていたが、お礼の電話をサガンにかけ、長くとだえていた
交友が復活。
サガンは週に一度、サルトルを誘って夕食に行くようになった。
モンパルナス裏の小さなレストランで、恋人たちのように夕食をした。
しかし、翌年4月15日サルトル、没。サガンもイヴ・モンタンらと共に群集に
混じって参列した。 |
■1960 年、アルジェ
リア独 立に賛成した
文化人の『121人宣言』に、サガンも署名。
ボーヴォワールは次のように回想している。
「私たちはどのような政党に属したことも、
またどんな種類の固定したイデオロギーに
しばられたこともありません。
私たちは出来事が起こる度にそれに反応し、
問題ごとにわれわれの判断や考えを形成し、
そして明確な立場をとりました。
たとえば、アルジェリア戦争のあいだ、
社会党員も共産党員も戦争に反対でしたが、
アルジェリア独立をはっきり支持しなかった。
それに反し、われわれ少数の者は、
『121人宣言』に署名し、
アルジェリアの独立を要求し、さらに、
脱走や、アルジェリア戦争拒否の意志表示を
した全ての兵士の特赦をさえ要求しました。」
(1978年、映画『ボーヴォワー
ル』より。)
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