共犯パーティの世界 『どうや?こう?サミット記念 飲酒トライアスロン (今な ら)豆乳付き』 2008
年7月20日(日)〜21日(月)〜永遠
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もちろん、旅も パーティも愚かなこと。そしてそ の両方とも、いつ始まったのか本人にさえ分からない。 今回のパーティは、参加者がそれぞれ別のところからスタートし、たとえどんな回り道&より道&迷い道をしても、 2008 年7月20日(日)7Pmに、沼田町の若 林博士ログハウスで落ち合えれば、しめたもの♪ っー、まるで「すごろく」のよーなパーティ。 もちろん、スタートしたが、たどり着けなかったやつ、スタートすらしなかったやつ、スタートの意味が分からなかったやつ(がくっ。)も、いた・が(笑)。 が、今回のパーティは、準備Eメール相互送信中のうちに、ど ん&どん、参加者が増殖してゆき、その過程そのものが、まるでパーティだっ た。 いちおー沼田町 民である私は、若林博士の取り巻 き(?)としてホストをすべきであったが、今回ばかりは私のスタート位置は、札幌だった。
午後2時、ミカーの3人、ねこバスの2人、そして妹背牛からミズッ
キー、沼田町から若林博士が、深川市のプ
チレストラン「にれの木」で、めでたく合流♪
若 林博士のログハウスには、もうおなじみの、長ぁ〜いテーブルがひかされていて、 今回は、テーブルの ←奥に行くにしかたって、「まじめ意見交換派」、と、玄関に近いほど、「バカ派」→ に、分かれたよ〜だ(笑)。で、私は、どっち?
ほ たる見学から、博士のログハウスに戻れば、一気に、パーティは頂上に向かった! バカ・サイドが 盛り上がっている時、川嶋さんが 登場♪ここから突然、古今東西、「笛」合戦が 始まる!
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こ
んばんわ、7月21日、月曜日。時刻は0時を回ったところで
す。
ここで、夜が、それぞれ の寝床で、朝に、なる。
タ テワキさんの工場から、『かわしま菓子舗』へ 向かった時、自 宅でまったりしていた私に電話がかかってきた。 タテワキ「今、迎えに来たから(笑)。書斎から、出ておいで。」
高田青年「久保さん、これ、ふつーの家ですよね?なんで、ぼくたちも一緒に、こ れ、見なきゃダメなんですか?意味、わかんないしー。」 久 保「しっ!ミカキチお嬢様に聴こえるぞっ。」
お 次は、一路、妹背牛町へ♪昨夜から、がん&がん呑んでいた高田青年のご実家 が、なんと、『高田とうふ屋』!そー言えば、昨夜も喰ったわ。
お次は、一路、妹背牛町のとなりの、深川市へ♪レストラン&カフェ『今保羅(こんぽら)』で、 昼食♪
バ ス亭では、ジェフとエミリーと、何度も何度もハグして。・・・登山、無理でごめんね。 エミリーはこの翌日、7月22日に日本の文部科学省との契約が切れる。ジェフも同様に、この週に北海道立教育研究所(=道研)か ら解雇される。 元々、契約は最大で3年間。 ふたりは、今後、就業ビザを観光ビザに変えて、札幌市内で無職&宿無し(?)の日々を過ごし、8月20日にアメリカへ帰国する。 思えば、今は無き『ギャ ラリーどらーる』で3年前、2005年9月1日のオープニング・パーティで、はる先生の紹介で出逢ったんだよな。 それから、何度も呑んで、ライブで踊って、沼 田町までオペラを観に来てくれて、2つの大きな山に登 り、しっかりと3年間を一緒に生きたな。
みんな、それ& ぞれの、ふりだしへもどる。 そして、もどらなくてもいいんだし、違うところへ行ってもいいんだし。それが、どこか分からなくてもいいんだし、むしろパーティはそのままでも、いいんだ し。 そう。それが、パーティ。 |