Nothing
But Departure |
||||
|
||||
メール (2005年9月6日 火曜日
午前2時3分)
久保様
裁許付け様おみおつけ様わんばんこ。 ヒゲなべたろうでござる。 台風直撃でオオサカ〜雨雨、 「降れ降れもっと降れ〜私の絵を買う人連れてこい」 「雨降る〜御堂筋〜あなた〜」 八代亜紀や オーヤンヒーヒー(漢字わかりません)が、出てきそうな模様です。 ←開廊花輪追加写メールです。 後ろは、渡部満 作「ルソーと奈緒子」です。 もっと見たいって? それは大阪来た人だけーん。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
① 『林田嶺一 ポップアート展』 2005年10月8日(土)〜10月30日(日) ■「林田 嶺一 Who?」と、思い、ネット検索。 すると&あら&まー&びっくり。 また&また、『共犯新聞』がヒットした(がくっ)。 また&また、私は私に教えてもらったワケ(笑)。 ↓
▲自分の過去の日記に、調べてい る人名が出てくるのも 照れる(?)が、この日記の、この部分こそ、 これを書いた当初は私も気が付かなかったが、 私の今につながる「美術逍遥」の 大きな偶然であった。 この直後に、この『elan』浦澤編集長へ激励のメールを 出したところ、彼が私に「ヒゲ〜乙〜ブルトン男爵いも」を 紹介してくれ、さらにブルトン男爵が、どらーるを紹介・・・、 そこから私の安易な「アートわらしべ長者」人生が続く。 ▲2003年8月1日 札幌ギャラリーどらーる 『北浦 晃 展』オープニングパーティにて 写真右が、林田 嶺一 画伯。
|
|
||||||
|
★ついに、エルエテなべブルトン男爵、活動再開! 乙画廊 (オト・ガロウ) 12Pm〜7Pm(日祝休) 2005年9月5日(月) オー
プン!
〒530-0047 大阪市北区西天満2-8-1 大江ビルヂング 101tel & fax 06-6311-3322
|
|
▼かつて、乙ナベぶるとん男爵が経営していた札幌のギャラリー。今は、大阪に移転! Cafe L'ete de Musee ★ギャラリーエルエテ ギャラリースペース 札幌市南1条西24丁目リードビル 2F ▲裏参道の円山郵便局前。分かり易いっしょ! 電話&FAX;011-644-7953
▲20日(木)は作家も手話通訳と同行して在廊。24日(月)のみ休廊。
『武田史子-銅版画-Selection展』 2003年2月25日(火)〜3月9日(日)11Am-6Pm ▲1963年生れ。 日本具象版画展優秀賞。 ペルー美術賞展入賞。 札幌で無名、世界で有名。 幻想的な独創の世界が品よく描かれている。 見ておくべき! ↑武田史子さんの作品「ばら」を囲むギャラリスト渡辺(左)と久保元宏。 『安元亮祐 新作札幌展』2003 年3月18日(火)〜30日(金)11Am-6Pm ▲耳が不自由な画家が生み出す、現実と非現実の間の心象風景。1954年生まれ。 |
かえ
で嬢からのメール 2003年4月6日(日)まで青山のワタリウム美術館にて
「ヘン リー・ダーガー展」が開催中です。 (久保↑このHP内に、椹木野 衣や四方田犬彦らのレクチャーもあるよ) > 先月のNHK『日曜美術館』のダーガーの紹介、見ました? 見てないんですよね〜。 私の会社ではフランスの本の日本版(といっても、内容は日本向けなので、 フランス版とは全く内容が違うんです。)にも紹介されていました。 観に行こうと思ったのは、あがたさんお奨めというのもありますが、 久保さんの「白い夏」で 「メクラが 見る夢を 一度 見て みたくて 自分の 瞳を 潰して・しまった!」 とあるように、閉鎖的な生活を送った人が描いたものって?って思ったんです。 トレースではあるけど、誰の真似でもなく、 きっとそれが当りまえだったのではないでしょうか? 盲目の人は「赤」って聞いた時に「どんなイメージ」を持つんだろうとか?と、 ずっと思ってた事に近い感覚っていうか。。。 狂気って感覚は普通の人の中にも存在する事ですし、 もちろん狂気を持つ人が果たし て頭の中は狂気なのか?現実なのか? 常に夢を見てるような状態でも無く、当然の事だったのでは? とか思ったりして。。。(2003年3月16日 日曜日) 渡辺LETE - 03/03/31 03:33:00 >画集なんかあったら欲しいね。著名作家の本の装丁に使われたり、とにかく、登場する女の子たち(両性具有らしいが)の魅力的な事。 ああそうですか!!絵の相場上がってますか??やっぱりね。う〜ん一枚ぐらい欲しかった。もっと、情報下さい。。 ↑ 久保AB−ST元宏 - 03/04/01 00:37:33 ■本日のヘンリー・ダーガー情報 ①私が知っている限りで、早い時期のダーガー画集は、1990年代の季刊美術雑誌『RAW VISION(ロウ・ビジョン)』3号ですね。 渋谷タワー・レコードで1490円で売っていました。私は持ってはいませんが、オール・カラーでかなり良い紙を使っていました。 ②装丁に絵が使われることに敏感な版画好きの渡辺LETEさんが言うところの「著名作家の本の装丁」とは、もちろん桐野夏生の新作の表紙ですよね。 ③ちなみに、現在、ダーガーの絵はアメリカやスイスの美術館に収蔵されていますが、ニューヨークの高級画廊で数百万円〜1千万円の値で売られています。 ですから、渡辺LETEさんにとっては安い買い物ですよ、もちろん。 |
Art, It Has Meaning 芸術、それは、意味を持っている Born August 18, 1954 in Pyay, Bago Division and graduated from the State School of Fine Arts in Mandalay in 1974. バゴ地方のピャイにて1954 年 8 月 18 日に生れた。そして、マンダレーにある国立美術学校を 1974 年に卒業した。 The 46 year-old artist is a master of various techniques and media. 46歳のベテラン・アーティストは、様々な技術、及び、部門の権威である。 His favourites are transparent and opaque watercolour. 彼のお気に入りは、透過、そして不透明な水彩絵の具である。 He was coached by well-known Myanmar Artists and has received many prizes for his works. 彼は、有名なミャンマーの芸術家によって指導され、そして、彼の作品群によって多くの賞を受け取った。 Like many other artists in Myanmar, Ko Mg Win Hla encountered many hardships in his life and believes that enduring hardships, having integrity, and being serious is the only path for success in an artist's life. ミャンマーにおける多くの他のアーティストのように、 Ko Mg Win Hla は、人生に於て多くの辛苦に遭遇し、そして、辛苦に耐え、完全性を持ち、そして、真剣であることが人生に於て成功のための唯一の通過点であると信じてい る。 When Ko Mg Win Hla began his career, his dream was to become the most famous artist. Ko Mg Win Hla が彼の職業を始めたとき、彼の夢は、最も有名なアーティストになることであった。 After spending a quarter of a century painting, and becoming more mature and pragmatic, Ko Mg Win Hla realized that fame is less important than one's work. 絵を描き、そして、更に成熟し、実用的になるのに 1 世紀の 4 分の 1 を費やした後で、 Ko Mg Win Hla は、名声が 人の作品よりあまり重要ではないことを認識した。 A blend of these concepts enables Ko Mg Win Hla to produce better work. こうした考えをあわせ持つによって、 Ko Mg Win Hla は更に良い作品を生み出すことが可能になる。 He expresses that "art is neither nature nor a photo, but a creation that serves as a language with which one communicates and the other comprehends in silence. " 彼は、「芸術は、自然でも写真でもなくて、創造である。創造とは、一方が意思を伝え、受け取る側が沈黙の中で理解する言語の役目を果たす。」と述べてい る。 Ko Mg Win Hla likes to paint Bagan landscapes, Myanmar people's daily life, and lively traditional festivals. Ko Mg Win Hla は、 Bagan 風景、ミャンマー人々の日常生活、及び、活気のある伝統的なフェスティバルを描くのが好きである。 He often calls them the atmosphere of Myanmar. 彼は、それらをしばしばミャンマーの空気と呼ぶ。 With thick and vivid colours, Ko Mg Win Hla's oil and watercolour paintings are bold giving an almost 3D effect. 厚く、鮮やかな色に関して、 Ko Mg Win Hla の油彩、及び、水彩絵の具絵は、ほとんど 3 次元効果を大胆に与えている。 When renovating the Payin Bar to the Elephant Room in 1997 (room opposite the gallery), Ko Mg Win Hla created a beautiful oil painting, which added elegance to this newly decorated meeting room. Payin Bar を Elephant Room ( ギャラリーの反対側の部屋 ) に 1997 年に修復しているとき、 Ko Mg Win Hla は、美しい油絵を作成し、優雅さをこの最近飾られた会議室に加えた。 He hopes that foreigners and tourists value a Myanmar artist's work more than a bargain. 彼は、外国人、及び、旅行者が既成概念以上にミャンマーのアーティストの作品を評価することを望む。 His message is "Decorate homes with Myanmar paintings and value Myanmar art". 彼のメッセージは「家々をミャンマーの絵画、及び、価値のあるミャンマーの芸術で飾ろう」である。 If you would like to purchase any of Ko Mg Win Hla's works, or have any inquiries, please contact the Business Centre. あなたが Ko Mg Win Hla の作品のうちのいずれかを入手したいか、または、あらゆる問合せを持ちたいならば、どうぞ、ビジネス・センターに連絡してください。 A masterpiece is something the audience decides for an artist 傑作とは、鑑賞者がアーティストのために決める何かである Born, 24th May 1949, Maw La Myaing Kyun, Delta Region. La Myaing Kyunは1949 年 5 月 24 日 に 、デルタ領域に生まれた 。 Graduated from the Yangon State School of Fine Art in 1971. ヤンゴン芸術学校を1971 年に卒業した。 Trained and studied under renowned Myanmar Art Masters. 彼は有名なミャンマー芸術マスターズのもとで学んだ。 His paintings were displayed in 50 local exhibitions as well as overseas exhibitions in Bangkok (1989), USA (1993), Singapore (1994), and currently at the Orient Art Gallery. 彼の絵は、バンコク (1989 年 ) 、米国 (1993 年 ) 、シンガポール (1994 年 ) における海外展示と同じ様に、 50 の地元の展覧会において展示され、現在はオリエント美術ギャラリーでも鑑賞できる。 Zaw Min began as a commercial artist drawing cartoons, comics, illustrations for magazines, novels, and many publications from 1972 to 1988. ゾウ・ミンの活動歴 は、1972 年から 1988 年まで、漫画、雑誌や小説用のイラストを描く、多くの出版物においての商業アーティストとして始まった。 During those days, Zaw Min was able to draw only two to three fine art paintings per year. 当時の間、 ゾウ・ミンは、 1 年当たりわずかだが 2 〜 3 の芸術絵画を描くことはできた。 It wasa time when there was very little appreciation for fine art paintings. その時代は、芸術絵画に対する評価がほとんどなかった。 However, his passionate dream to become a fine artist never faded. しかしながら、彼の優れたアーティストになる情熱的な夢は、決して消えていかなかった。 When the economic doors opended in 1988, Zaw Min's dream came true. 経済のドアが 1988 年に門戸解放したとき、 ゾウ・ミンの夢は、実現した。 He left the commercial art field and started to paint the fine art paintings he longed to paint. 彼は、商業美術の領域を離れ、そして、彼が描きたいと熱望した芸術絵画を描き始めたのだ。 The result: 結果 : time stood on his side, and the market instantly fell in love with his paintings which shows detailed workmanship and the lifestyles of the Myanmar people and races. 時の経過は、彼に味方し、美術市場はすぐさま彼の絵画に愛着を持つようになった。その絵はディテールに凝っていて、ミャンマーの人民や民俗習慣の生活様式 を表現している。 His aim is to intricately, portray the hardships and the stuggles of the Myanmar people's life, but his heart only allows him to paint the superficial part of it, as he wants his audience to be soothed after viewing his paintings. 彼の目的はミャンマーの人民の生活の難しさや苦悩を描き出すことだが、彼の心はただ、人々の表面的な部分のみを描くだけである。彼は、鑑賞者が彼の絵を見 たときに、穏やかな気持ちでいてもらいたいと思っているからである。 Hence, a hidden message or a story can be found in all his paintings. つまり、彼の全作品の中から、隠されたメッセージや物語性を見出すことができるのだ。 Zaw Min values honesty and believes that purity of the mind and soul is the essential tool to create sincere brush strokes on his easel. ゾウ・ミンは、誠実さを大切にしていて、心と魂の純粋さが、イーゼル上で、彼の誠実な筆使いを生み出すのに重要な道具であると信じている。 He prefers to be humble although the market ranks his works as second best seller. 美術市場は、彼の作品を最高の商品であると評価するのだが、彼は、控え目である方を好んでいる。 From 1972 to date, Zaw Min has produced nearly 1000 fine art paintings but admits that there is not a single painting he feels totally satisfied with because the opportunity, environment, and market awaits ripe fruition to paint the masterpiece of his thoughts. 1972 年から今日まで、 ゾウ・ミンは、ほぼ 1000 の芸術絵画を生み出した。しかし、彼は完全に満足のいく絵画が1つもないことを認めている。なぜならば、彼自身の理想とする傑作を描くためには、機会、環 境、および美術市場が、それにふさわしい状態に成熟するのを待たなければならないからである。 He thinks that a masterpiece is not what an artist determines for himself but is something the audience decides for an artist. 彼は、傑作というものは芸術家が自分で決めるものではなく、鑑賞者が芸術家に対して決めるものであると考えている。 Inspiration from his Art School teacher continues to ignite an urge in him to keep on painting; 彼のアート・スクール時代の先生からのインスピレーションは、彼に絵画への衝動を刺激し、絵画活動を続けていく支えとなっている。 a factor which also placed him on the road to success. それはまた、彼を成功へと導いてゆく一つの要因となっているのだ。 PANGYI SOE MOE芸術家、映画プロデューサー、及び、映画監督。1944年、ミャンマー Pyaw Bwe 生まれ芸術教育1964〜1967年 The State school of fine art, Yangon ヤンゴン州立芸術学校教わった教師陣;ハリー・アン(アメリカ)、チン・フラー(ポスター作家)、ツェイン・ハン、チュー・カー、ルン・ギュー、チグ・ゲ イ、サン・ウィンParticipated art exhibitions 展覧会歴1968年 定期展覧会(ヤンゴン市、ジュビリー・ホール)1970年 定期展覧会(ヤンゴン市、ミャンマー絵画彫刻会議場)1971年 モー・ ウー・パン展覧会(ヤンゴン市、外交使節ホール)1972年 ソー・ウー・パン展覧会(ヤンゴン市、外交使節ホール)1973年 ミャンマー絵画彫刻中央 会議10周年記念展覧会(ヤンゴン市)1989年 第一回イラストレーター展覧会(ヤンゴン市、イニャー画廊企画展)1996年 ロウカナット画廊企画展 (ヤンゴン市)1997年 ロウカナット画廊企画展(ヤンゴン市) 東方芸術団体企画展(ヤンゴン市、トレイダース・ホテル) ミャ ンマー展覧会「4人展」(ヤンゴン市、トレイダース・ホテル)その他にも、1970年から1997年の間にミャンマーでの30回の展覧会に出品している。 Kyaw Thaung チョー・タウン生年月日;1948年 1月26日生誕地;ミャンマー ヤンゴン市芸術教育;1962〜1965年 The State school of fine art, Yangon ヤンゴン州立芸術学校 1969〜1974年 Institute of Education(B.Ed) 教育協会、ヤンゴン市賞経歴; 1965年 芸術家職人協会主催「メーデー記念 水彩画油絵コンテスト」優勝 1972年 ユネスコ主宰「生活の ための世界」入選経歴地元;「白獅子画廊」創立者 30以上の展覧会に出品 政府主催の記念絵画に参加 国立学校の芸術祭における政府賞の審 査員の一人海外;1988年 韓国ソウル市 1993年 アメリカ フィラデルフィア 1996年 「マレーシア展」シンガポール、マレーシア、 タイ収蔵;ミャンマー国立美術館(ヤンゴン市) ダーミカヤマ、バーミセ仏教寺院(ペナン市)住所;ミャンマー、ヤンゴン市電話;095−1− 548681所属;白獅子画廊 ミャンマー、ヤンゴン市 Aung Thin Oo アウン・サン・ウー生まれ;1962年出身校;マンダレー芸術科学大学、1985年卒業。芸術大学の絵画部門のいくつかの展覧会の講演者としてかかわって きた。教わった教師陣;キム・ミン・チ、チョー・レイ、チン・アイ、ゾウ・ミンマンダレーの国立芸術学校で1979年から1982年まで絵画を学んだ。連 絡先;東方画廊(オリエント・アート・ギャラリー) ミャンマー ヤンゴン市電話;95−1−534821Eメール; [email protected] Zaw Min ゾウ・ミン生まれ;1949年5月24日生誕地;マウラミン・チュン・デルタ地帯出身校;国立芸術学校(1967〜1970年)教わった教師陣;チェイ ン・ハン、チュ・カー、バ・ローン・レイ、バ・チェン・ナイ彼は仏教修道僧たちや、部族の人々、村の光景を彼の油彩や水彩画に描き、そのような伝統的なラ イフスタイルの本質と美を身に付けた。ゾウ・ミンはいくつかの地元の展覧会に彼の作品を展示し、バンコック、アメリカ、シンガポールまで海外で有名になっ ている。連絡先;東方画廊(オリエント・アート・ギャラリー) ミャンマー ヤンゴン市電話;95−1−534821Eメール; [email protected] Myint Oo ミン・ウー生まれ;1964年出身校;マンダレー国立芸術学校、1985年卒業。マンダレー芸術科学大学、1986年卒業。教わった教師陣;アウン・ミ ン、ゾウ・ミン、キャウ・レイ、ミン・マウン(タンパワディ)、チン・アイ(マンダレー)、しばしば他の芸術家たちからも習っている;フン・マウ(バン ク)、チュン・ヒュント、アウン・キンヤンゴン市の芸術大学の絵画部門で講師をしている。 |
エルエテ4周年記念 TABLEAU EXHIBITION IN SAPPORO 『タブロー 静物画展 死せる自
然その魅力』
2004年10月15日〜31日(日)11Am-6:30Pm(最終日は5:30Pmまで)
月曜定休
出展作家★赤穴宏、牛尾篤、三嶋哲也、井上長三郎、盛本学史、中佐藤滋 前田青邨、原精一、藤浪理恵子、安元亮祐
|
渋谷俊彦画伯からのEメール★
メッセージ 2004年12月21日 10:42Pm
私も伯爵のご好意により、特別コーナーを設置して頂き、展覧会に参入しております。 おまけコーナーにも「とろりん」に次ぐ ニューキャラクター「グーちゃ ん」が お披露目されております。 お嬢さんのコレクションにはもってこいか? と思っております(笑)どうぞよろしく〜♪ |
←写真左から、 ギャラリーどらーるの坂本オーナー、 エルエテのナベ@ブルトン男爵オーナー とっても美しいナベ@ブルトン夫人、 アメリカ帰りの英語教師jimonoさん、 なんでここにいるの?久保AB-ST元宏さん。 |