田中千博の世界
★ The World of Mr.Kazuhiro Tanaka |
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田中さんの奥さんとの電話の間中、何人かのお客さんが私を待っていた。 その中の一人が、北空知新聞の記者の方だ。 先週末に私がお願いしていた『スロバキア国立オペラ』沼田公演の後援について、いくつか確認に きていた。 その打ち合わせ中、NHKから電話が入り、「是非、オペラの後援をさせてください。」という嬉 しい内容。 北空知新聞の方に、「すみませんね、長い間、待たせちゃって。さっきまで、田中千博さんと話を していたんですよ。ご存知ですか、その方?」と聞いても、知らないよなー。 きっと、世界中の、ほとんどの人が「田中千博」を知らずに、何喰わぬ顔で生活しているのだろ う。 彼が帰ってから、数分後、郵便配達が2通の手紙を届けてくれた。 1通は、田中さんの奥さんからの、田中千博さん死亡の案内。 もう1通は、「服部栄養料理専門学校」校長の服部幸應さんからの、11月24日の東京での『田中千博氏をしのぶ会』への招待状と手紙。 それぞれの手紙には、まさに田中さんらしい、いくつかの印象的な言葉があった。その二つだけを 紹介しよう。
田中さんは、いなくなった。 しかし、田中さんが書かれた芳醇な著作は、今も元気に生きている。 田中さんの文章がいつでも読める喜びに、今夜は献杯。 text by. 久保AB-ST元宏
(2006年10月23日)
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蝦
夷鹿を喰う!
久保AB-ST元宏▲2006年1月3日、蝦夷鹿ハンター自らが燻製にした蝦夷鹿肉。 これを、沼田町のブドウ・ジュース(がくっ)と一緒に食べると、うめぇええっ! んで、あまりに美味しいので、狩猟後すぐに冷凍した大き目の蝦夷鹿肉をいただいて、 東京の食文化研究家、田中千博さんに送ってみた! 彼は特に、肉とイタリア・ワインに関して、業界の第一人者であるので、どのように食べたのか興 味津々♪ 差出人 : 田中 千博 送信日時 : 2006年5月6日 1:26Pm 宛先 : 久保AB-ST元宏 件名 : 鹿 肉賞味しました 久保元宏様 昨日、家内の甥(23歳、105㌔)が来たので、ようやく賞味できる機会ができました。 と言っても意外に小食なので、一塊を料理しました。事前に丁寧に掃除(筋取り)しないとなりま せんね。 今回はマリネしないで(乳製品禁止なので)オリーブ・オイルで焼き、塩・胡椒して焼き上げた肉 のうえに、スペイン(GIRONA)産の<フォワ・グラ>の輪切りをのせ、 付け合わせは「栗のピュレ、焼いたふじ(りんご)、カラントのジュレ」です。(フォワ・グラ 259㌘の缶入りは、全て食べて、完売。) 赤ワインは安くて美味しいイタリアのDOCG、と言えば判るでしょう。 大量の野菜も別に焼きました。本来ならアルザス風の卵麺を添えるべきところ、作っている時間が なくて省略。 結局、(朝・昼食抜きの)甥が頑張って食べてくれました。 一見、ステーキ風の料理の写真を撮りました。 食卓には前菜と冷製の「焼きリンゴ・ふじ」は出ていません。冷しているので写真にはありませ ん。 ワイングラスの背後にピュレとジュレの鉢があります。よほどの大皿でなければ乗りませんし、こ んな小さい皿では持っても様になりません。 家内が血の滴るのを嫌うので、自分用のタレを作らせ(左の緑の平鉢)、焼肉サイズに用意させま した(ロースター手前)。 中央の皿が私用で成形後の形のわるいステーキです。左の缶詰フォワグラを切って1片のせました。全面を覆うと肉 が見えなくなります。 黄色の付け合わせが栗のピュレ(季節はずれの生は打ってないので、瓶詰めの甘煮を裏漉しにしたもの)、 赤黒いのは黒スグリのジュレ(これも生は手に入らないので、粒の入った酸味のある是李で代用)。 右手の甥が肉にフォワグラを塗っているので、「遠慮しないで厚切りを乗せなさい」と指導的助言 をすると、塩・胡椒だけのステーキを前に、 「付け合わせは甘いものばかりですか」とふしぎそうな顔をする。 「豊富に採れる栗は薯の代わりだよ、肉に浸けて食べてごらん。」というと、まあまあと行った顔 になる。 「果実もきつい酸味と果糖でちょうど良くなる。アルザスなら腹持ちのいい卵麺の、ヴァッサー シュトリヴラを付ける。 これは練粉を湯に押し出して、どこの国にで何かパスタを付けるがその1種だ」 これは作るのに 手間がかかる。 今日は甥が空腹で来たというから、「パンと肉を腹いっぱい食べなさい。野菜の焼いたのもある が、ハーブ入りの熱いオリーブ油に浸しても良い」。 鹿料理に限らず、内外の料理はオーソドックスなレシピを探し、それを試したうえで、手持ちの材料を使うと良いでしょう。 この手順を飛ばす料理人は、おかしなところでバランスを崩し、馬(鹿)脚を著わします。 次の入手に備えて前処理やマリネ、付け合わせなど、資料を見つけたら送ります。 その時間が手に入るよう願いつつ。 また頑丈な本体と癌研な癌慢との対決が、風雲急を告げ公私ともに、整理すべき仕事が増えてしま いました。 3月中から転移らしき病状が現れ、検査すると肩と腋など、「場所によって曇り時々晴」のよう に良性と悪性が入り交じり、 また治療計画を作るのに、前からの病院と癌研、そのサテライトの3者の調整で日を過ごした、お かげで悪性の箇所が広がってしまいました。 今日、癌研に入院申込をして来ましたが、「部屋があくのが先か悪化するのが先か」と、明日の紙 芝居をお楽しみに待っている感じです。 田中千博 |
差出人 : 田中千博 送信日時 : 2006年2月6日 3:03Pm
宛先 : 久保AB-ST元宏 今日は歯科に行ってきました。 気功の方の助言では、 使っている重金属が不良だそうで、 取り替えるほうが良いと言われました。 いまさらパーツの取り替えに、何十万円も かけるのはどうかと思いましたが、 いままで「細部あっての総体」と 言ってきたこともあり通院してい ます。 |
ここで著名なワインは、何故か「B」の頭文字がついています。 バローロ(Barolo)、バルバレスコ(Barbaresco)、バルベーラ(Barbera)な どで、バローロへの有名な讃辞「王のワインにしてワインの王」の通り、 その風格と味わいが際だっています。その評価の高さに比べ値段が安いので驚きます。日本でも手に入る超高級(DOCG) の銘酒ですが、 行かれたら産地の味わいに浸って下さい。料理にも「牛肉のバローロ煮」や、「バローロ風味のリゾット」があります。
2000年の大会が終わった後、コート・ダジュール経由でマルセイユへ行こうと、ロビーで時刻表を広げ調べていました。 列車の接続が悪いので、「ミラノへ戻って乗っても、ジェノヴァ経由でも不便だなあ」と嘆いていると、 親切なマネージャーが「ニースへ行くなら直通列車があるよ」と、トーマス・クックにはない時刻表を、PCからプリントしたのを貰いましたが、 このとき「統一戦争の頃、イタリア領のニースがフランスへ割譲された」ことも教わりました。 [ 蛇 足 ] 久しぶりのニースでは、逸話の豊富な
<ホテル・ネグレスコ>に泊ま
りました。街へ出かけるとき、愛想のいいドアマンに
「始めてニースへ来たのは30年前だが、そのときは若くて金もなかったから、何時かネグレスコ に泊まろうと決めて帰った」と話しました。 この街に滞在して実感したことがあります。それは「フランスで最もイタリア料理の美味い街はニースだ」とい う発見です。 平野のトリノと海岸のニースは、いまも遠くて近い隣町だったのです。 (了) |
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2005年←久保の食文化の師匠から、大量の本が、送られてくる。★ ちょうだい日;2005年5月25日(水) | ||||||||
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