偉大なる文学者としてのマルクス ★マルクスは、歴史の共犯行為。 |
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「厳密さ」と「全体構想」 Karl Heinrich Marx★脳味噌の木
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歴史から飛び出せ! ★たとえば10月2日の 歴史★ |
2003年3月22日 土曜日 マル クスをめぐるMr.竜馬@DORALへのメール | ||
She's A Rainbow♪ Mr.竜馬@DORAL
comes
in colors everywhere♪ >そうですか、久保さんは仕事もしているのですか?知りませんでした。 ↑ ■「仕事」のお陰で、「仕事」が無ければ知り合えられなかった人々と会話(=商談)したり、さわりもしなかったであろう大金や物品、工具や機械類 を操るこ とができたりと、 楽しい日々です(笑)。だいたい私は今の仕事についた時に体重は53kgだったのですが、自分より重い60kgの米をかつぐ仕事を得た不思議な新 しい世界 でした。 でも、それは「趣味」や「遊び」と置き換えても広がる世界です。 ですから、「仕事」とは「趣味」や「遊び」では不可能なことを可能に変える生活のチャンネル(=システム)ですね。 ■特に私の会社は玄米を数十トン単位で道外に売ったり、ガス器具の配管をしたり、灯油の配達をしたりと、 仕事がバラバラなので常に巨視的と微視的、大金と小金、売り手と買い手などのスィッチをガチャ&ガチャと切り替えながらの日々なので、タイクツし ません (笑)。 それは、竜馬@DORALさんのカラフルな生活&仕事も私以上にそーでしょうーねぇ! >「共犯新聞」の一面が幼稚な反戦論で飾られたらブックマークから外すかな? ↑ ■昨日から今日にかけて『共犯新聞』のカウンターが通常よりも回っているのは、連休の前だから? それも・そーでしょうが、世界が混沌に向かう時に言葉を求める指が『共犯新聞』とい う電脳ツ ブテに向いた気まぐれに個人主義の永久過渡期としての共犯幻想を想いながら深夜の国会中継を虚しく見る自分に気がつかせてくれた政治屋部落のノン キな観客 席のスマシ顔に後ろ向きのクッキーを大島弓子のマンガに出てくる母親のように夜の裏庭にそっと埋める欲望にかられる私です。 ■先日の3月6日に私の住む沼田町で座・ジローズのライブがありました。招聘側の実行委員会であった私は、ライブ終了後にメンバー たちと打 ち上げで酒を飲みました。ここのゲストブックの3月7日早朝に書き込んだように、午前5時30分まで飲んだ日のことです(恥)。 メンバーの杉 田二郎(スギタ・ジロウ、56歳★元はしだのりひことシューベルツ= 「風」、元ザ・ ジローズ)は、『戦 争を知らない子供たち』(北山 修 作詞&杉田二郎 作曲)という日本で最も売れた「反戦」歌の当事者で す。 杉田二郎さんと交わした会話を、江別市の 田原さんに伝えたメールを下記に添付します。田原さんとは、貴ギャラリーの東画伯オープニング・パーティにJIMONO氏と共に私が招待した電脳 プロ デューサーです。彼は当日は残念ながら来れませんでしたが。 ↓
■ さて、私にとっての「反戦」歌ベスト1は、1968年6月20日にジャックスが録音した「敵は遠くに」かな? この曲のサビは「♪もうたくさんだ 俺たち 傷つき合ったって 何も生まれてこないよ 敵はもっと遠くに いるんだから」というもので、「反戦」 というよ りは「内ゲバ」の不毛さを歌ったような気もしますが。 「内ゲバ」というのも距離感の問題だけであって、たとえば、アフガニスタンで考 えると、 東部=パシュトン族(人口の約半分) → さらに「ギルザイ支族」(北部系=1978年に政権をとった社会主義政党PDPA)、「ドゥラニ支族」 (南部系 =1978年以前の支配者)に分かれ、 西部=イラン系、トルコ系 と、どんどん細部に分かれていき、さらにここにイデオロギーや外交条件などで複雑にからみ合っていきますよね。 逆に巨視的に見ると、アメリカもイラクも、同じ人類としての「内ゲバ」であるとも見ることができます。 さらに、視点をズラせば、「政治」で争うよりも、「経済」の中にこそ真の敵がいるという見方も可能です。 >いえ、全て否定している訳ではありません。血を流さずに国家、民族、宗教、巨大利権、そして“自由”という幻想が相克しないで済むものな らそれに 越したことは無いでしょうから。 ↑ ■東画伯が貴ギャラリーのオープニング・パーティで「自称ニヒリストの私も・・・」とスピーチするシーンが印象的でした。 PANTAが頭脳警察を解散して最初に1976年に発表したアルバムには「♪ろくでなし野郎赤い羽根/ミシンをかついだギタリスト/傘をかぶった ベーシス ト/おいらは銀河のニヒリスト」という歌詞がありました。当時の私は、まだロートレアモン『マルドロールの歌』の有名な一節「手術台上におけるミ シンと蝙 蝠傘との不意の出会いのように美しい」すら知らなかったのですが、確かに1976年という時代は世界中でニヒリストが大量生産されていました。竜 馬 @DORALさんもその一人であると想像するのは失礼なことですが、1962年生れの私と東画伯にとっては挫折の必要&権利すらなく、最初からニ ヒリスト を気取ることしかできなかった世代であると嘯いてみるのです。 八雲町の郵便局員でもある東画伯が、あれほど腰が低いのは、郵政民営化が近いから(笑)だけではありまえんよね。21世紀のニヒリストは腰を低く すること によって得る安全なアトリエ(=アジト)で準備をしているのでしょう。 ■アメリカ製のミサイルがバクダットに降る今日、フランスが「反戦」をしているからと言って、フランスパンを降らせてみた東画伯の絵が「血を流さ ずに」獲 得しえたものとは何だったのでしょうか? >四十数年前に貪り読んだマ ルクスの『共産党宣言』の序文に、下記の様な内容(細かな部分は記憶が定かでない)の小節がありました。 ↑ ■約20年前の1985年2月21日に調布大映スタジオ第4ステージで解散コンサートを行ったロック・バンド「ザ・スターリン」は、当日、「お母 さんいい 加減—先天性労働者」という曲を演奏しましたが、その歌詞はマ ルクスの『共産党宣言』の引用を全共闘のアジ演説風に(←今で言えば、ラップ?)歌ったものでした。 ↓ ♪今日まで、あらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である。 ♪今日まで、あらゆる階級闘争の歴史は敗北の歴史である。 ↑ ■なんと、このライブ録音は今でもCDでもビデオでも普通のCD屋で入手できます。内ジャケットには観客席からステージを罵倒している私の顔も撮 影されて います(笑)。 ><太古の土地の共有が崩壊して以来、世界の全ての歴史は、階級闘争の歴史であった。社会形態の発展のさまざまな段階において、搾取 階級と被 搾取階級、支配階級と被支配階級の闘争の歴史であった> ↑ ■「太古の土地の共有が崩壊」しないまでも、全ての「関係」は「階級闘争」と言い換 えること が可能です。恋愛も、流通も、芸術も、個人の内面の葛藤ですら「階級闘争」です。 ■と、私が今書いたことが誤読という意見があるとすれば、竜馬@DORALさんが引用した「社会形態の発展のさまざまな段階」という部分にマルク スの普遍 性が準備されていることに注目していただきたいのです。たとえば、労働者VSブルジョア階級として「闘争」を作ることだけがマルクスの関心の全て ではな かったんですよね。それは、『共産党宣言』の中で「ブルジョア階級は、歴史的にきわめて革命的な役割を果たした」と記述しているところでも明らか です。す なわち、「ブルジョア階級は、権力を握ったところでは、封建的な、家父長的な、牧歌的な関係をひとつ残らず破壊した」、「個人の尊厳を交換価値に おとしめ た」、「宗教的、政治的な幻影で覆われていた搾取を、あからさまな、恥知らずな、直接的な、ぶしつけな搾取に置き換えた」、「医者、法律家、僧 侶、詩人、 学者を、ブルジョア階級のお雇いの賃金労働者に変えた」。つまり、歴史上、次々と現れる全ての「階 級」は、 全て「革命的階級」であった・とゆーワケです。まぁ、よく考えればアタリマエなんですけどね。 ■ついでに、「太古の土地の共有が崩壊」と前提したことで、マルクスが個人の所有を否定したという誤読が「妖怪」のように徘徊していますが、『共 産党宣 言』の中では「資本が共同の財産に、社会全員に属する財産に変わったとしても、個人の財産が社会の財産に変わるわけではない。変化するのは、所有 の社会的 性格だけである。つまり、所有はその階級的性格を失うのだ」としているのみです。そ して、こ の発想のほうが個人所有の否定よりも、より「過激」であると私なんかは思うのですよん。 >マルクスの言う階級闘争と全く違う次元の要因の歴史の形成を感じた時、「マルクスちゃん。あんた間違えていたよ」と呟いたことがありまし た。 ↑ ■古典的な反論かもしれませんが、やはり私は「マルクス」と「マルクス主義者」は違うと 思う のです。1990年以降、世界中でレーニン像が倒されましたが、マルクス像は倒されませんでした。なぜか?マルクス像などは、レーニン像のように 乱造され なかったからです。 マルクスは今でも読むに値します。ただし、政治書や革命書としてではなく、文学書として。 ただ、竜馬@DORALさんも読まれたでしょうが、1845年にマルクスは有名な『フォイエルバッハに関するテーゼ』の中でヘーゲル左派を批判す る文脈で 「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることで ある」と書いていますが、この文章に背中を押された若者はゴチャマンといたでしょうねぇ。 さらに、それを補助する言葉としてマルクスの人気書物『ドイツ・イデオロギー』の中の文章「現状を 止揚する 現実の運動を共産主義と名づけよう」を加えてもよいでしょう。 ■共産主義イデオロギーが破産しても、マルクスは繰り返し読まれ続けるでしょう。一度目は悲劇として。再読される時は、マルクス・ブラザーズの喜 劇として (笑)。 ■いやぁ、私も久し振りに『共産党宣言』を読み返しました(笑)。いや、実は読み返したかったんですよ。それは、今の北海道知事選挙の乱立候補た ちが、 「マニフェスト」を「政策要綱」という意味でキーワード的に流行(?)させているのを聞くたびに、ゾッとしていたからです。彼らの世代では「マニ フェス ト」とは、マルクスの『共産党宣言』を意味していたのですっよね! ■今からちょうど10年前の1993年に『共産党宣言』が『共産主義者宣言』として太田出版から新訳で出版されましたよね?それの解説を柄谷行人 が書いて いるのですが、いくつか示唆的な記述があるので、抜書きしておきます。 ↓ ・イタリアの思想家ネグリが、communismとは単独性singularityの解放だ と言った ・プロシアのフランスに対する勝利にかんして、ニーチェは、勝利したのは文化ではなく、国家にすぎないと言っている(『反時代的考察』)。 ・1960年代の「新左翼」は、「マルクス=レーニン主義」によって抑圧された諸可能性を取り戻す運動だったと言える。だが、それらをすべて呑み 込んでし まったものがある。それは、事実としての高度資本主義である。 ■『共産党宣言』の中の文章、「かれらはすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入することを、す なわち、 ブルジョア階級になることを強制する」を読み返した私は、文中の「ブルジョア階 級」を「アメ リカ」と置き換えてみて、そのあまりにものフィットさに、もう一度、ゾッとしました。←こんなのって、「幼稚な反戦論」? >プラカート抱えて、自分たちしか共感しないシュプレヒコールをすることを揶揄する資格は私には無いし、止めもしない。が、それに加わる自 分は想像 できない。ただそれだけのことです。 ↑ ■党派を組織しようとするとき、より多くの賛同者=洗脳者をオルグするために、最大公約数に近い理念を捻出するとゆー方法がありますよね。 3〜40年前の前衛政治運動が過激であれば&あるほど魅力的に見えたのは、当時はまだ直線的な成長神話=進化史観が純粋に信じられていたからで しょう。 もっとも過激な位置に立つことに使命感を持つのと、自分の理念を保留にしてでも最大公約数の捻出でより多くの「大衆」を組織することを使命とする ことは、 似ているようでも、まったく違った立場になります。ある意味、個人の美学の問題なのかもしれませんね。 >『野鴨料理か〜』『美味そうなもの喰っているな〜』 ↑ ■昨日の夕食後、同居している私の父(1934年生れ・男)が突然、「カルメ焼き」 を作って 家族の者たちに喰わせました。 普段、台所に立つことすらない人なので、「ついにボケたか?」と思いきや、日中にカルメ焼きの話題になり「俺も作れるぞ」と無駄な自慢を家庭内で してみた よーです(笑)。 ■カルメ焼きと言っても『共犯新聞』の愛読者は、竜馬@DORALさん以外には(笑)分からないんでしょーね。 第二次世界大戦後の1950年前後まで食べられたお菓子(?)だそーです。 小説家の古井由吉(1937年生 れ・男)が日本経済新聞に毎週日曜日に連載しているエッセイの中に、カルメ焼きの説明があったので下記に紹介しましょう。 ↓
↑ ■で、この話題は当時、日曜の夜9時からラジオで放送されていた三木鶏郎(←私が敬愛する三木のり平の師匠。)グループによる人気番組『日曜娯楽 版』にお けるギャグへとつながります。 こんなギャグです。→「あなたは、いま、何をしてますか?」「いま、カルメ焼きをやいています。」 笑える?まぁ、そんなことよりも、古井由吉の 思い出は「とたんに襖(ふすま)のむこうで、同じ屋根に幾世帯も暮らしていた頃のことで、隣の男性 が暗いよ うな声を立てて笑い出した」と続くのです。 ■私は1月12日にこのエッセイをここまで読んで「あれ?これ、どこかで読んだぞ!」と思いました。 すぐに分かりました。古井が1993年7月4日に同じ日本経済新聞の日曜に連載していた文章と同じなのです。私の蔵書の単行本『半日寂寞』 (1994年 刊)の最初に収録されていたのです。 10年前とは言え、同じ新聞の同じ曜日のエッセイに、同じモチーフで文章を書くとは、古井氏も忘れた=ボケたのか?とも思いましたが、本当にそー であれ ば、新聞社の担当編集者がそのダブリを指摘し、書き直させるでしょう。ですから、このダブリは意図的なのです。 ■そこで私が思い出したのは、ちょうど今月一周忌を迎えた小説家、古山高麗雄(1920〜2002.3)の遺稿集『妻の部屋』です。この私小説の 短編集 は、明らかにボケ老人作家によるモチーフの繰り返しです。先立った妻と参加した戦争の思い出。これをシツコク繰り返す。なぜか?ボケた老人は書い たことを 忘れて何度も同じことを書くからです。 んで、ソレだけでしたら、これは悲しい喜劇です。私もそう処理しかけていました。ところが、小説家の清水義範(1947年生れ)の批評は違いまし た。彼 は、ボケて繰り返すのは事実としても、繰り返されるモチーフに対する作家の思い出の角度は毎回違うという意見なのです。つまり、同じ曲でも演奏す る度にそ の時点の感情&感性が違う曲にするということ。なるほど!もちろん、それを可能にするのは優れた文学者のみの実力&才能が成し得る特権です。 ■そう考えて、古井由吉の10年を挟む「カルメ焼き」をめぐる似た文章を比較してみますと、こーゆー違いも発見できました。 ・1993年のエッセイ=昭和24年頃、ラジオの政府CMが「あなたは今、何を していますか。これからは、物よりも金の時代です。」と言っていたパロディが「いま、カルメ焼きをやいています。」であったが、もしも「これから は、金よ り心の時代です。」といきなりそう呼びかけられたら、あなたは、どうする。 ■2003年のエッセイでは、カルメ焼きを作る「大人たちの、とくに閑をもてあました男たちの姿は 子供が見 ても貧相」とか、ラジオのギャグを聴いた「隣の男性が暗いような声を立てて笑い 出した」 が強調されていました。ここに、この10年の時代の変化と著者の関心事の変化を読み取ることもできるのかなぁ〜っと思うわけです。単純な図式にす ると、 1993年「ポスト・バブル」→2003年「リストラ」ですか。 ■「マルクス」も「反戦」もモチーフにしかすぎません。モチーフを目的化することを、イデオロギーと言うのでしょう。 ■ところで、私の父が突然にカルメ焼きを思い出したのは日中の会話からだそーですが、その会話の環境に自身が体験した戦争の記憶をよみがえらせる 今回の戦 争があったと私は想像しています。 >とか、『アイルランド展て何だ?』とかボヤーッと考えておりました。 ↑ ■ああ、せっかくJIMONOさんから紹介していただいたのに近所の葬式の手伝いが入って行けませんでした。 アイルランド=ケルトは、JIMONOさんとここ数年、地味に研究(?)しているテーマです。確かきっかけはJIMONOさんがアメリカ在住時に 体験した アイルランドの40年続いているバンド、ザ・チーフタンズのライブで得た興奮からでした。今、JIMONOさんは手作りでアイルランドの民族楽器 を作って 演奏活動をされたりしているようですよ。 >北 アイルランドの宗教闘争、IRA、ケルト 伝説、アー サー王伝説そして、あのなだらかな起伏の大地などを脈絡なく思い出しておりました。 ↑ ■そして、ジェイムス・ジョイスやオスカー・ワイルド。 ニューヨークやパリがそうであるように、自分が興味があってもバラバラであったものが、同じ土地でくくることができて嬉しい発見をすることがあり ます。 >久保さんも仕事をしているらしいので(笑)、私も仕事のことを言いますと、本日50期の決算の日を迎えました。 >この二週間は営業部員のケツを叩くので精一杯でした。体重も3%落ちました(笑)。余り変わりませんね。 ↑ ■竜馬@DORALさんの会社の営業部員でなくて良かった(笑)てゆーか、こうして仕事抜きで20歳上の人から接近していただける幸福ですね。 >お二人が「絵画を欲しくなる」と言うことは素晴らしいことです。やっと文明人の仲間入りが出来ると言うものです。 ↑ ■私の書斎には2枚の油絵があります。1枚は以前説明した神田一明さんの1962年の作品。これには本人も驚いていました。 もう1枚は私より5歳年上の地元のスーパーマーケット経営者が書いた油絵です。私はコレを一目見て欲しくなり、買いました。1,000円で。スミ マセン、 安すぎて。 どんな絵かと言うと、よく言うとアンリ・ルソーのような素朴な絵。 作者の子供時代の人物が大きなサニー・サイド・アップを食べているのですが、背景の窓の外は恐竜が闊歩する原始時代。 つまり、子供時代の作家が原始時代に恐竜の卵を料理して食べているとゆー絵です。 実は私は東画伯の一連のポップよりの絵を見て、私の書斎にあるあの絵を連想したのでした。 で、沼田町で毎日のように見かける彼に、座・ジローズのライブ終了後、どら〜るギャラリーの東さんの展覧会の紹介をしました。 彼はギャラリーには興味はあるのだが、どこに行ってよいか、入りにくくはないのか・と、まるで数ヶ月前の私(笑)のような質問を私にしました。 彼は翌日、私の家に来て詳しく札幌のギャラリー事情を聞いていきました。今月末には、どら〜るに行く予定だそうです。記名帳に沼田町の男がいまし たら、彼 かもしれません。 >冗談抜きに、欧米では家を買う、造るという時には建築費の5%程度を初めからその家の壁に合った絵画を買う費用として計算していると言い ます。 ↑ ■まぁ、そんなワケで、とりあえずは私はシロートの絵で魅力的なものを発掘して、安く買うことから練習(?)しております。だめ? >ただ問題なのは、絵画を買い出すと、どうしても収集癖に陥りがちな危険性があります。 ↑ ■でしょ?そーそー。ソレなんですよぉー。絶対、私はそうなるタイプ。だから、最初の1枚を買うのが怖い。 そーでなくても日々、書斎に増殖してゆく、本、CD、ワイン、書類、新聞の切り抜き、意味のない雑貨・・・・・・。あー、北海道の田舎は土地が安 くて良 かった&良かった。 町田康が図書館を自分の書斎であると想像して通っているように、私も美術館を自分の部屋の壁と思っては、だめ? >私なんかもそうですが、毎月1〜2枚の絵を買ってしまう状態で、我が家の経済は国債ならぬ「家債」を発行しなければならない状態なのにつ い絵を 買ってしまいます。 ↑ ■ウォーホールの巨大な『ミック・ジャガー』が画廊で飾ってあるのに、画材が剥がれかかっているのを観たことがあります。 多くの絵を持つとゆーことは保存にも気を使わなければならないのですよね。だらしのない私に可能か? >作家は「売ってもらいたい」という気持ちもありますし、買い求めてくれた方には喜びを与えることが出来るのですから、売らないのは犯罪に 近いと反 省する日々です。 ↑ ■なるほど・です。この世に貨幣制度という感謝のシステム化があって良かった&良かった。 >その点では、エルエテの渡辺さんを尊敬しております。売れているのか、売れていないのかと言うこと以前に、彼は売ることに熱心です。高く 評価して おります。 ↑ ■そうですね。私も数回しか会ってないのに多くのことを学ばさせていただいております。私も大きくなったらエルエテ渡辺さんのような立派なオトナ になりた いと思います。 >もう直ぐ3月も終わり、又1日のオープニングパーティーが参ります。 ↑ ■ああ、そうか。毎月1日に違う画家のオープニングパーティーをするシステムって、今更ながらにス・ゴ・イ。 きっと、そのシステムで、作家も参加者も、ご自身も楽しんで&成長してゆくのですねぇ。暴力的に設定された「毎月1日」が、やっぱ、すごい。 はぁ〜。 竜馬@DORALさんが北海道に住んでいることに今は感謝したい気持ちで一杯です。 |