Palestine
/ パレスチナ |
Zonist(ザ!イアニスト) 形)シオニズムの、シオニズムを信奉する 名)シオニスト |
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今日の一句 | 歴史から飛び出せ! ★たとえば→10月1日の歴史★ |
▲A Palestinian boy cries in the rubble of his family home after Israeli army bulldozers ! |
初メール
接続ノイズの 賑やかさ (久保元宏 2001年1月) |
歴史から飛び出せ! ★たとえば→5 月14日の歴史★ |
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歴
史から飛び出せ! ★たとえば→5月30日の歴史★ The Japanese Red Army
undertook a terrorist attack on behalf of the Popular Front for the Liberation of Palestine at Tel Aviv's Lod airport ! |
★た
とえば→5月30日の歴史★ |
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歴
史から飛び出せ! ★たとえば→9月5日の歴史★ |
歴史から飛び出せ! ★たとえば→11月15日の歴史★ |
the Freedom
Theatre / 「自由劇場」 ▲パレスチナ、ジェニン難民キャンプにある演劇集団。 このサイトで、映画のビデオクリップや、劇場の活動、ニュースが知 れる。 また、英語やアラビア語のDVDも購入できる。劇場建設の募金もで きる。 イスラエル人(=ユダヤ人)の母と、パレスチナ人の父を持つジュリ アーノが この劇場の俳優。母、アルナ・メル・ハーミス(1929〜95)は 平和活動家。 『アルナの子どもたち』 テ ロリストとして死んだ劇団の子供たちのドキュメンタリー。 |
完成記念上映会&大江健三郎講演会
映
画の完成記念上映にあたって、サイードと親交の深かった大江健三郎と、
ニューヨーク在住のサイード未亡人、マリアム・サイードを招く。 2006年4月29日(土) 2:30Pm 開場 3Pm〜 映画『エドワード・サイード OUT OF PLACE』上映 (上映前に、佐藤真監督の舞台挨拶あり) 6Pm〜 あいさつ:マリアム・サイード 講演:大江健三郎「《後期スタイル》という思 想—サイードを全体的に読む—」 会場;九段会館 大ホール (地下鉄東西線・新宿線・半蔵門線 九段下駅より徒歩1分)
東京都千代田区九段南1-6-5 TEL:03-3261-5521 入場料:当日券:4000円 前売り券:3500円 問合せ:シグロ TEL:03-5343-3101 FAX:03-5343-3102
アテネ・フランセ文化センターにて、5月16日(火)より待望のロードショー! 2006年5月16日(火)〜27日(土) *5月21日(日)は除く 上映時刻:13:30〜、16:00〜、18:30〜(トークのある日は除く) アテネ・フランセ文化センター 東京都千代田区神田駿河台2-11 アテネ・フランセ4F TEL:03
-3291-4339
入場料:当日券:1800円 前売り券:1500円 |
The National
Anthem of Palestine My country , my country My country , the land of my grand fathers My country , my country My country , my nation , the nation of eternity With my determine , my fire and the volcano of my revenge The longing of my blood to my land and home I have climbed the mountains and fought the wars I have conquered the impossible , and crossed the boarders My country , my country , the nation of eternity With the resolve of the winds and the fire of the guns And the determination of my nation in the land of struggle Palestine is my home , Palestine is my fire , Palestine is my revenge and the land of eternal My country , my country , the nation of eternity I swear under the shade of the flag To my land and nation , and the fire of pain I will live as a guerrilla , I will go on as guerrilla , I will expire as guerrilla until I will be back My country , my country , the nation of eternity |
2005年12月28日 水曜日
午前10時26分←■君は、「カディマ」を知ってるか? ↓ ↓
↓ ↓ |
▲2005年8月16日、イスラエル軍はガザ地区最大のユダヤ人入植地に続く入り口を制圧。 写真は入り口を電気のこぎりで切断するイスラエル軍兵士。 ユダヤ入植者8500人の撤退期限は翌日、17日。それまでに撤退 しなければ、強制撤去される。 (2005年 ロイター/Ronen Zvulun)
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パレスチナ闘争指揮★ア
ラファト議長、死去 75歳
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♪OCTOPUS'S
GARDEN I'd like to be under the sea 吾輩は海の底のタコツボで暮らしたい in an Octopus's garden in the shade. つまり、こっそり・とね。 He's let us in, Knows where we've been, タコくんは、パレスチナ人民がどんな情況下にいるかご存知のハズ。 in his octopus's garden in the shade んだから、タコツボ地域で、ひっそり・とね。 I'd ask my friends to come and see 吾輩は世界革命をめざす同志にここにきて、情況を見てもらいたいの だ an octopus's garden with me. だからさぁ、まずはタコツボで吾輩と仲良くしてね。 I'd like to be under the sea てなこと言っても吾輩も死んじゃったのよ〜 in an octopus's garden in the shade. エルサレムに死体で帰る前に海に沈められるかもよ。がくっ。 We would be warm below the storm 我々はイスラエル軍の攻撃から逃避し、 in our little hideaway beneath the waves. ガザ地区の難民キャンプでひっそりと暮らしたいだけよ。 Resting our head on the sea bed 脳味噌も海の底に沈めちゃって、 in an octopus's garden near a cave. のんびりと、ヨルダン川西岸で暮らしたいのよ。 We would be sing and dance around 竜宮城に来てみれば、鯛や平目の舞い踊りぃ〜ってか? because we know we can't be found まぁ、ここまで来たらイスラエル兵でも分るめぇ I'd like to be under the sea イスラエル軍に殺されたハマスの指導者、ヤシン師の暗殺のように in an octopus's garden in the shade. なりたくなけりゃあー、監禁でもなんでもされちゃうよん。 We would shout and swim about 竜宮城は「絵にも描けない美しさ」だけど、 the coral that lies beneath the waves. パレスチナ国家って、「絵に描いたモチ」?がくっ。 Oh what a joy for every girl and boy 自爆テロを続けているパレスチナの少年少女は knowing they're happy and they're safe. ブッシュとシャロンのロードマップを信じているのだろうか? We would be so happy, you and me, とにかくアラファト議長が死んだのだから No one there to tell us what to do, もう命令する人はいなくなったってわけか。 I'd like to be under the sea つまり、止まっていたパレスチナの歴史が再び動き出すんだ in an octopus's garden with you タコツボの中で世界革命戦争を、ここに公然と宣戦を布告する! in an octopus's garden with you ニッポンのオタク文化をみんなで楽しもうよ〜。 in an octopus's garden with you 脳味噌の中でなら一番遠くまで行けるの・だ・が
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■アラファト 議長の顔って、リンゴ・スターに似ていないか?
ビートルズが ひとつの惑星だとすれば、 その中にジョ ン・レノンとポール・マッカートニーという 2つの超大国 (?)をかかえていたわけで、 冷戦を生む危 険のある環境を緩和したのが、リンゴ・スターだったのかも。 ■それって、 超大国に匹敵するパワーである・と、思う。 ■どう考えて もシリアスなパレスチナ問題に、 あのアラファ ト議長の顔がパワーを発したことは大きかった・と、思う。 ■もし、彼の 顔がカダフィ大佐や、ナベツネみたいだったら、 この星はとっ くの間に第三次世界大戦を起こしていたかもしれない。 ■ただし、彼 が「偉大」であるか、どーか・は、別の話。 ■指導者の最 大の「仕事」、後継者を作るのを怠った。 ■パレスチナ 過激派を掌握していたかどうかも、今となっては歴史の謎だ。 ■「革命家」 という言葉がゲバラのTシャツほどに薄っぺらくなっちまった現代、 アラファトを 「犯罪者」と記述しようとする歴史家もこれから大量にでてくるだろう。 ■ただ救われ るのは、現代は彼を無反省に「英雄」にすることはしないだろう。 「革命」と 「闘争」は熱いものだ。 しかし、クー ルにそれを演じる才能が必要なのだ。 ■パレスチナ の不幸は、リンゴ・スターしかいないビートルズだったこと。 もし、エドワード・サィードが ニューヨーク ではなくて、 パレスチナに 留まっていたら、 パレスチナの ジョン・レノンに なっていたか もしれない。 ■しかしそれ は、 別の&新しい 「カリスマ」を 求めているの ではない。 結局は毛沢東 もホー・チ・ミンも、 完璧ではな かった。 カリスマでは なく、人材なのだ。 ■我々にはパ レスチナ人の 個別の人民の 顔が見えてこない。 たとえば、音 楽家でも芸術家でも 頭に浮かぶ人 は少ないだろう。 その行為を 怠ったのが、 アラファト議 長の最大の犯罪だ。 |
7月6日
今日は何の日〜毎日が記念日〜
1917年7月6日 イギリスの軍人T.E.ロレンス(アラビアのロレンス)が、紅海の要衝アカバのトルコ軍基地を奇襲作戦で陥落 。
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差出人
: quiqu 件名 : Re: めりくり♪ クリスマスで一つネタ。 ご存知の通りクリスマスとは、「キリストの祭り(誕生祭)」という 意味。 本来は宗教的イデオロギーが強いはずなのに、 アメリカで赤いユニフォームの変なサンタクロースが出来上がってか らか、 すっかり「資本主義教」の様相に変わりましたね。 |
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そ
もそもキリスト教は砂漠で生まれたもの。 それがヨーロッパの森林精霊信仰を結びついて「もみの木」を飾るようになり、 いつの間にかアナトリア(=トルコ)出身のはずの元祖サンタクロースが、 豪雪地帯でトナカイとソリを操るようになっちゃった。 |
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ALTのジェニファーによると、彼女の故郷(モンタナ州の田舎町)
では クリスマスパレードをやるそうですが、 例のサンタさんとトナカイはいても、 決してイエスや聖母マリヤや東方の三博士は出て来ないそうです。 さすが資本主義的プロテスタントが主流のアメリカですね。 |
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そ
う言えばある本(在日オーストラリア人女性による)には こんなことも書いてありました。 「日本ではXマス(この表現の仕方も日本のみ!!)じゃなくて Hシマスですね。」 ははは・・・。 |
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その一方で、やはりクリスマスは人々の心を暖めるもの。 先日、母親から17年前に亡くなった祖母の思い出話から、 昔家族でつつましくもクリスマスを祝った時のことを聞かされまし た。 母の年齢を考えると60年近く前のことだと思います。 戦後、まだ日本(そして北海道)が 復興という希望に満ちていた時代の一コマ。 はからずも涙が出そうになりました。 |
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「衣 食足りて礼節を忘れた」現代日本は、いかんですな。 |
Where
is your home ? |
▲2002年4月4日 パレスチナ人の平和デモ。 武装したイスラエル兵に、 パレスチナ人が向けられるのはVサインのみ。 |
▼「同時多発的なものを、同時多発的に見よう」(坪内祐三、1999年の発言)
▲久保AB-ST元宏と、パレスチナの赤い花♪1990年、湾岸戦争の前夜。
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♪パレスチナの憤り The
anger in The Palestine
作;久保元宏(1983 年1月22日) 唄;外笑
ギター;サカタ@カナダ & 久保元宏 ベース;池上伸一 ドラムス;テラダヤ嘉則 (Intro) Bm / Bm / Bm / Bm / Bm D Bm A/ G A Bm D Bm A/ E Bm Bm D / Em Bm / ただれたような ヤケドをしたような Bm A / F# Bm 太陽が 砂漠に 昇ってくる ここはオリエント 太陽の国 国境線が ゆれ動く 歴史のトリックに つまずいた 難民たちが 息をひそめる キャタピラの音が遠くで 聞こえる 今日も兄弟が ひとり死んだ B C#m Hey パレスチナ F# E B 悪いのはユダヤでは ない と 知ってはいるが B C#m Hey Hey Hey Hey パレスチナ F# Em Bm 帰る 家は どこなの カミナリのような 耳鳴りが 俺の頭を かけめぐる やつは銃を取り 砂漠に 飛び出す やつは去ったが 視線は残った 居座る つもりか イスラエル いつわる つもりか 日本人 砂漠に散った パレスチナは 歴史に埋もれ 闇に咲く Hey パレスチナ 悪いのはユダヤでは ない と 知ってはいるが Hey Hey Hey Hey パレスチナ 帰る 家は どこなの Hey パレスチナ 悪いのはユダヤでは ない と 知ってはいるが Hey Hey Hey Hey パレスチナ 帰る 家は どこなの Em Bm どこなの Em /Bm D Bm A どこにも ない |
ABDULLAH,
ABBAS, SHARON, BUSH STATEMENTS WEDNESDAY, AQABA アカバにおける、アブドラ、アッバス、シャロン、ブッシュによる水曜日のステートメント 2003年6月4日 水曜日
Jordanian King Abdullah II, Palestinian Prime Minister Mahmoud Abbas, Israeli Prime Minister Ariel Sharon, U.S. President George Bush ヨルダンのアブドラ国王2世、パレスチナの首相マフムド・アッバス、イスラエルの首相 アリエル・シャロン、米国大統領ジョージ・ブッシュ Abdullah:"We simply cannot afford the alternative" to peace. ヨルダンのアブドラ国王2世「我々は、どうしてもこれに代るものの余裕があり得ない」。平和に。 "Let us have ambitions to move beyond the violence." 「暴力を越えて動くという大望を持とう。」 Abbas:"We repeat our denunciation and renunciation of terrorism against the Israelis wherever they might be." パレスチナの首相アッバス「それらがどこにことであっても、我々は、イスラエル人に対してテロリズムの我々の告発、及び、放棄を繰り返す。」 Sharon:"We will immediately begin to remove unauthorized outposts." イスラエルの首相 アリエル・シャロン「我々は、即座に違法な入植地を撤収させ始めるであろう。」 Bush:"These two leaders cannot bring about peace if they must act alone. 米国大統領ジョージ・ブッシュ「それらが単独で行動しなければならないならば、これらの 2 つのリーダは、平和をもたらすことができない。 True peace requires the support of other nations in the region." 真の平和は、地域で他の国家のサポートを必要とする。」 |
ネフド砂漠 Nefud (an-Nafud) アラビア北部に展開する大砂漠。 |
『地
名の世界地図』批判 PART1 Ver.1.02 佐藤和美 この文書は文藝春秋から発行されている文春新書の21世紀研究会編『地名の世界地図』13刷(2001年9月25日発行)について間違い・疑問点をまと めたものである。 P208 「アラブは、アラビア語で「遊牧民」のことだ。一説では、「アラブ」はヘブライ語起源ともいわれるが明らかでない。」 アラビア語もヘブライ語もセム語族なのを知っていてこういうことを書いているのか。 P208 「ナフード沙漠Nefud」 P259 「ナフード沙漠Nefud アラビア語の nefud「砂」」 「ネフード砂漠Nafud」だろう。 『EXCEED英和辞典』 Nafud n. (the 〜) ネフード砂漠 ((アラビア半島北部の砂漠)). |
映画『アラビアのロレンス』サウンドトラックCD Original Motion Picture Soundtrack "LAWRENCE OF ARABIA" The London Philharmonic Orchestra Music Composed and Conducted by Maurice Jarre cinephile - CIN CD 008 - POS(5034408 700823) 01.OVERTURE/02.MAIN TITLE/03.MIRACLE/04.NEFUD MIRAGE/05.RESCUE OF GASIM and BRINGING GASIM INTO CAMP 06.ARRIVAL AT AUDA'S CAMP/07.THE VOICE OF THE GUNS/08.CONTINUATION OF THE MIRACLE/09.SUNS ANVIL 10.LAWRENCE & BODY GUARD/11.THAT IS THE DESERT/12.END TITLE |
■1990年にパレスチナに行ってきました。これが私の最初の海外旅行でした。 ■んで、シナイ半島をバスで回ってアカバに入った時 に、マシンガンを持ったイスラエル兵に ■「アー・ユー・ジャパニーズ?」と聞かれたので、「イエス」と答えると、捕まっちゃった。えへっ。 ■無線機が沢山ある小屋に入れられて尋問されたのよ。うふっ。 ■んで、イスラエル兵は「アー・ユー・ジャパニーズ・レッド・アーミー?」 と聞いたのさ。 ■当時はまだテレ朝『スマステーション』がやっていなかったので、私は英会話が赤点だったのよ。げっ。 ■結局、お互いの勘違いとゆーコトでしたが、バスに戻ると他の客はカンカンに怒っていたぜ。イエー。 ■それでも、イスラエル兵が何度も私に言ったのは「アラブ人から手紙を預からなかったか?」という質問だよん。 ■なんでも、その頃の新型爆弾で“手紙式爆弾”とゆーのがあるそーで。 ■帰国後に日本テレビで安達由美に届いた手紙が爆発した事件があったけれど、私は思わず「あ、コレか」とひざを打ったものです。 ■さて、ヨルダン川西岸を回って最後の夜をテルアビブのホテルで迎えたら、その夜にホテル裏のビーチで爆弾テロがあったのよ。 ■あ、そーそー。いつか「早稲田マスコミ塾」のパーティで私が自分の曲「パレスチナの憤り」の歌詞を朗読したけれど、その曲を入れたテープを持っていって ユダヤ人に聴かせたら怒られちまった。で、エルサレム旧市街で知り合ったパレスチナ人にそのテープをプレゼントしてやったよん。そいつは「アイ・ライク・ ジャパニーズ、アメリカ・イズ・テリブル」と言ってたねぇ。まぁ、日本人全員が岡本公三と同じと思われても困るけれどね(笑)。 ■んで、帰国した日に湾岸戦争が始まりました。帰りにトランジットのために寄ったエジプトのギザでピラミッドの前でラクダに乗ったんだけれど、その時のエ ジプト人のおじさんがCNNニュースに出ていて「戦争がおっぱじまって、客がさっぱりでごわすよ」と言っていて懐かしかったっス。 ■ちなみに、その時の経験で英語の必要性を感じて帰国後に文部省のAET(アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー)制度で来日している地元の外国人 を利用して、地元の仲間と英会話教室を開きました。で、最初の講師がなんと、1968年の中東戦争の時にハイファからカナダに亡命したパレスチナ人だった のよ(笑)。しかも私と同じ1962年生まれで、ボブ・ディランとジョン・レノンのファンの男だったのよ。彼が「私はパレスチナ人だ。」と言うので、「お れ、さっき、パレスチナから帰ってきたんだよ。」と言うと、「オー・ノー、ミスター・クボ、アー・ユー・キディング?悪いジョークですネー。」と言いや がったので、書斎に連れてきて写真を見せたらボロ&ボロ泣き出して、「オー、ココにワタシノ両親のオレンジ畑、アリマシタ」と言ってたよん。ほー、と思 い、ギターでザ・ローリング・ストーンズの「ホンキー・トンク・ウーマン」を弾くと、彼は歌いだしたね。ああ、私の両親の世代では考えられなかったことが 今、起こっているのだねぇ〜と思ったよ。だって、まったく違う国で生まれ育った二人が同じ曲を聴いて同じ映画を見てきたんだからね。 |
『ニュースステーション』久米宏の降板が決定 2003年8月25日(月) 「久米キャスター(59歳)降板」は、 年齢的な要因による体調不安、 ライフスタイル変更を希望する本人の強い希望。 来春から番組を引き継ぐのは 『共犯新聞』で人気のない古舘伊知郎(48 歳)。 何度も降板希望をした久米後を熟考しなかった テレ朝は久米キャスターに頼り過ぎてい たのだ。 |
★今日の英単語 (読み方のかなは参考。) resent(リゼ!ント) 他)に憤然とする、 憤る、恨む |
私たちの内なるユダヤとしての「青春」について。 投稿者:久保AB-ST元宏 投稿日:2011年 9月19日(月)23時06分47秒 You don't know what you got, until you lose it♪ Oh Mr.外笑, baby, baby gimme one more chance♪ >民族達の家畜化計画 ↑ ■たとえロ スチャイルド家が陰謀好き家系であっても、そりゃ、とんでも説だよ(笑)。 UFOとかネッシー好きなんじゃない、シドくんって? >昨日 たまたま久々に 依田ちん と会ったので 久保ちん になってしまいましたが^^ ↑ ■mixi画像で四半世紀ぶりに依田ちんの御真影を拝ませていただい
た・・・。
相変わらずインパクトありすぎ。 >(あの歌詞の最大のポイントは 悪いのはユダヤではないと知ってはいるが) ↑ ■「最大」ではないにしても、重要ポイントであるのは間違いない。作者の私
が言うんだから(笑)。
当時、雑誌『ロッキング・オン』に私が書いた記事を読んで &詩集『共犯幻想』を読んで&「パレスチナの憤り」を聴いての手紙をたくさんいただいたけれど、 『ロッキング・オン』にザ・フーの全米ツアーの記事を書いたアメリカ在住の男性から、 「”悪いのはユダヤではない”とゆー歌詞はいかがなものか?アメリカに住んでいるとユダヤ人の罪深さを実感してるぞ。」 ってな内容の手紙もいただいた。 確かにそーゆー面もあるだろう。 でも、私が書いた意味とは違うのよね。 かと言って、ぜんぜん複雑な理由じゃありません。むしろ、ちょー単純な理由。重要なことって単純なのさ。 おおざっぱに言って理由は、2つ。 ↓ 理由1 歴史 的根拠 いわゆる、イギリスの三枚舌外交。 イギリスは第一次世界大戦中に、戦後の中東問題に対して、それぞれ、アラブ・フランス・ユダヤに配慮した内容の別々の三つの協定を結んでいた。 ☆1915年10月 フサイン=マクマホン協定 (中東のア ラブ独立 公開) ☆1916年5月 サイクス・ピコ協定 (英仏による中東 分割 秘密協定) ☆1917年11月 バルフォア宣言 (パレスチナにおけるユ ダヤ民族居住地建設 公開) 同じ土地に、別々に3つの国が権利を持つことを約束したんだから、”悪いのはユダヤではない”イギリスだ、とも言える。 少なくとも、この時期においてはイギリス(や、フランス)のやった汚い裏取引を無視してユダヤのみを責めてはいけない。 ・・・と、改めてまじめに書いたけれど、これらは世界史を少し勉強した高校生ならば知っている基礎だし、 私は1983年のライブではヤマハ池袋店などで、君のMCを休ませて、何度も上記に事を話した(笑)。なんて説教臭いロック・バンドだったんだ! 理由2 単純 な「正義」論に小さくまとめないために。 この曲を書いた当時のみならず、ユダヤ=イスラエルのアラブ=パレスチナへの残虐ぶりは目に余るけれど、 ここで、<悪のユダヤ=イスラエル>対<アラブ=パレスチナ>とゆー単純な図式をわざわざ楽曲にするほど私はヒマじゃねーよ、とゆーことです。 「パレスチナの憤り」ってタイトルであれば、「憤り」が<悪のユダヤ=イスラエル>に向けられていると思うのが当然、ってリスナーに感じられる危険を私は 明確に避けたかったのです。 だからシャウトしても歌詞が聴き取れる君の歌い方に私は助けられた。 曲がサビになって、リスナーが一番歌詞を聴き取ろうと前のめりになった部分にあえてこの歌詞を持ってきたのさ。 で、もちろん私(たち)にはユダヤのポジションからの曲「最後のモダン・ボーイ」もある。とゆーか、作った。 複数の曲(=作品)を並べることで、より正確な世界観が表現できるのは当然だけど、 それを1つの曲(=作品)だけで成すことのほうが、おもしろいしね♪ 複雑性と乱雑は違うし、きちんと複眼思考を表現しておくことで豊かさ&可能性を作品の生命力(=エロス)として込めることができるのよね。 ■と、書いておいて、それでも追記しておきたいのは、 私は「ユダヤ」という概念に大きな興味を持っている。 それは、世界最初の多国籍企業、とゆーか反国家&無国家としての国家、とゆーか。 常にメインの裏返しであることでアイデンティティを持つ因果性、とか。 そう考えれば、キリストに対峙するユダヤとして、ロックは音楽のユダヤでなければならない。 ジューダス・プリースト、ってことじゃないよ(がくっ。)。 ■また、先のhkuraの 「子達」話につなげれば、 すべての私たちの中に「ユダヤ」が含まれているとすれば、人生にとってのユダヤは「時間」のような気がする私です。 mixiで君たちの9月17日の大量の写真を見てしまったら、そう感じちゃったよ(笑)。 |
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Where
is your home ? |
▲2002年4月4日 パレスチナ人の平和デモ。 武装したイスラエル兵に、 パレスチナ人が向けられるのはVサインのみ。 |
▼「同時多発的なものを、同時多発的に見よう」(坪内祐三、1999年の発言)
▲この文章の特別完全版は、『共 犯★日記』2002年4月5日に掲載されています。 ■ちなみに、上記のヘリコプターのシーンは、 『地獄の黙示録 特別完全版』にて追加されたシーンです。 まるで『ブラックホーク・ダウン』でしょ? この映像の予言は、 イラク戦争の「ベトナム化」=「泥沼化」を暗示し ていたのだろうか?
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パレスチナの憤り Bm D / Em Bm / ただれたような ヤケドをしたような Bm A / F# Bm 太陽が 砂漠に 昇ってくる ここはオリエント 太陽の国 国境線が ゆれ動く 歴史のトリックに つまずいた 難民たちが 息をひそめる キャタピラの音が遠くで 聞こえる 今日も兄弟が ひとり死んだ B C#m Hey パレスチナ F# E B 悪いのはユダヤでは ない と 知ってはいるが B C#m Hey Hey Hey Hey パレスチナ F# Em Bm 帰る 家は どこなの カミナリのような 耳鳴りが 俺の頭を かけめぐる やつは銃を取り 砂漠に 飛び出す やつは去ったが 視線は残った 居座る つもりか イスラエル いつわる つもりか 日本人 砂漠に散った パレスチナは 歴史に埋もれ 闇に咲く Hey パレスチナ 悪いのはユダヤでは ない と 知ってはいるが Hey Hey Hey Hey パレスチナ 帰る 家は どこなの Hey パレスチナ 悪いのはユダヤでは ない と 知ってはいるが Hey Hey Hey Hey パレスチナ 帰る 家は どこなの Em Bm どこなの Em /Bm D Bm A どこにも ない
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映画★『ブラックホーク・ダウン』 ■Text
by 久保元宏.(2002年4月5日)
この1年間に、印象的な戦争映画が3本、アメリカから世界へ「輸 出」された。 映画の発表順が、そのまま歴史順でもある。 つまり↓ ①1946年12月8日=第2次世界大戦=『パール・ハーバー』 ②1960年代=ベトナム戦争=『地獄の黙示録 特別完全版』 ③1993年10月3日=ソマリア内戦=『ブラックホーク・ダウ ン』 続けて3本観ることにより、歴史の「お勉強」になる・のであろー か? 歴史だって、作者がいる。 人類の歴史が戦争の歴史であるとすれば、書かれる歴史は、敗れ去っ た者の手によるハズはない。 が、日本人による真珠湾攻撃=「パール・ハーバー」の映画はあるよね。 そしてベトナム戦争は、アメリカが敗れ去った戦争だったよねぇ。 なぜ作家は、負けた戦争を題材にするのか? たとえば、1982年であったか、私はドイツ映画『Uボート』を新 宿で観た。 その時、同時上映の映画がアメリカ映画で、タイトルは失念したが、 『Uボート』と同じ第2次世界大戦中のドイツ軍の潜水艦Uボートを題材にしていた。 今から考えても、その映画館が、あえて『Uボート』にそのアメリカ 映画を加えて上映した企画センスの素晴らしさは讃えられる。 つまり、モチーフはドイツ軍とアメリカ軍の潜水艦の闘いなのだが、 ドイツ映画のほうは負けて生きたまま海底に沈んでゆくドイツ潜水艦 の悲劇として描かれ、 アメリカ映画のほうは悪魔のドイツ潜水艦を退治する正義のアメリカ 海軍が勇ましく描かれていた。 かつて1960年代の学生運動が盛んな頃、デモ隊と機動隊の戦いを テレビ・カメラで報道する時に、デモ隊側か機動隊側か、どちらから撮影するかによって、同じニュースがいずれかに「偏向」する・と、言われたよねぇ。 これらの具体的な事例=作品が、映像が、映像ゆえに表現できる映像 言語というものが存在することが分かる。 そして『ブラックホーク・ダウン』も作者の意図も含めて、映像言語 が発揮された映画と言える。 この映画、及び上記に揚げた(偶然にも、実際の歴史と同じ時系列順 で発表された)3作品が、作者の意図を遥かに超えて映像言語が附加されたとすれば、 並べられた3作品の丁度中間の時期に、NY911が起こったことで ある。 しかも、『パール・ハーバー』における敵役=日本は戦争協力を表明 したが、 『ブラックホーク・ダウン』の敵役=ソマリアは、アメリカにとっ て、アフガニスタンの次の標的ではないかと言われている最中での世界上映だ。 ここで、簡単に『ブラックホーク・ダウン』の舞台背景を紹介しよ う。 ↓ ■《ソマリアの米軍ヘリ撃墜事件》 1991年より、東アフリカのソマリアで同じソマリ民族間における 氏族間闘争が激化していた。今なお無政府国家である。 1993年10月、米軍部隊が首都モガディシオのアイディド派の拠 点を急襲、同派幹部らを拘束した。 この秘密作戦は国連平和維持軍にも秘密のアメリカの単独行動であっ た。当初は1時間で簡単に終了する予定であったが、まる1日かかり、完全な米軍の失敗に終わった。 その作戦中、米軍ヘリ(=これの名が、「ブラックホーク」)2機が 撃墜され、乗員救出に向かった米陸軍部隊も攻撃を受け、18人が死亡した。この事件でのソマリア側の死者は少なくとも1千人にのぼるといわれる。 現地の住民に引きずられる米兵遺体の写真が新聞に載り、この事件を 機に米軍はソマリアを撤退。以後、米は国際紛争には極力関与しない「孤立主義」への傾斜を深めた。 この映画が企画&製作されたのは、もちろんNY911の前だ。 しかし、同時テロを行ったとされるテロ組織「アルカイダ」のキャン プがあるなどの理由で、 アメリカの対テロ戦争の対象国として急浮上したのだ。 NY911直後の11月には、ソマリア最大の金融機関「アルバラ カート」が、アルカイダとつながりがあるとして、アメリカにより資金を凍結された。 NGO「アフリカ平和再建委員会」と関係の有るフリーフォトグラ ファー、谷本美加(1969年生まれ、女性)による北海道新聞(夕刊2002年2月14日)に書いた報告によると、 その金融機関の資金凍結は、アルカイダばかりではなく、ボランティ アや海外出稼ぎからの一般国民への送金のストップも同時に意味しているという。 さらに、彼女の報告ではソマリアには、「精神科医が国内にたった一 人しかいない」のだそうだ。それなのに、長期の内戦は無数の戦争トラウマ障害者を生み続けているという。 さて、映画『ブラックホーク・ダウン』に話題をもどそう。 監督はリドリー・スコット。 私は高校生の夏休みに『エイリアン』を観たし、東京時代には『ブ レード・ランナー』、昨年は『ハンニバル』を観た。 今回の『ブラックホーク・ダウン』も含めると、別に監督を追ったワ ケではないのに、結果として、彼の映画を封切映画館で約25年間に渡って観てきたことになる。 彼の個性的かつ優れた映像造形は、やはり評価されるべき素晴らしい 才能がある。 『エイリアン』も当初、エイリアンのキャラクター・デザイン作家 や、闘う女優=シガニー・ウィーバーの才能ばかりがクローズ・アップされたが、 こうして「名作」群を並べてみると、リドリー・スコットの独特のシ ズル感と超クールな映像は最初からあったものであると認めざるを得ない。 『ブラックホーク・ダウン』においても、ちぎれた指、もげた同僚の 腕をとっさにウエスト・バッグに入れる、医療器具を使わない外科手術など、監督の経歴作品の経験が生かされた(?)シーンも多い。戦争だからね。 極めつけは、本当の意味での「主役」であるブラックホーク(=ヘリ コプター)がダウンするシーンであろう。クレーンにヘリコプターを釣って、何度も実際に地上にぶつけたというらしーから、CG全盛のコンニチ、いい話であ る。 カメラの切替し、優れた編集センスも上映時間全てに緊張感を持たせ ている。 ストーリーとしては、いわば「忠臣蔵」の討ち入りシーンのみの内容 みたいなものなので、 170分、約20時間ほどの戦闘作戦を濃密に描いている。 数百年を3時間に収めた『ロード・オブ・ザ・リング』と比べると、 時間が贅沢に表現できている。 つまり、「映画」としては高レベルである。 俳優群もスゴイ・らしい。ほぼ戦場シーンばかりだから、男優=兵士 がワンサカ。 ヒット映画の主演男優&準主演男優が集められている。 その映画タイトルは、『パール・ハーバー』、『スター・ウォーズ・ エピソード1』、『プライベート・ライアン』、『ロード・オブ・ザ・リング』、『ソード・フィッシュ』、『ムーランルージュ』。←まるで、最近のアメリカ 映画の一覧表のようだ。 これだけの監督と俳優を集めたからには、プロデユーサーの手腕はさ ぞかしスゴウデ? そのプロデューサーが、ジェリー・ブラッカイマー。 彼の代表作が、『アルマゲドン』、そして・・・・・・『パール・ ハーバー』! 今から考えると、あの感動的な『アルマゲドン』も国策映画であった よーな気すらしてくるなぁ。 とにかく、主演男優とプロデューサーが『パール・ハーバー』がらみ であることが、「愛国」映画として内容が「あまりに一方的」と非難されている情況の裏づけにされたりしている。 ここで、先に述べた、作品の視線をどこに置くかによって、作品に 「意図」が映像言語によって附加されるという論点につながってゆく。 リドリー・スコット監督は「我々は質問を投げかけるためにこの作品 を作ったのであって、結論を下すためではない」と発言しているが、映画の終盤で兵士のひとりが「我々は英雄になりたくて闘うのではない。 戦った結果として、英雄と呼ばれるのだ。」と超アップで長回しのセ リフを語るシーンは、監督の「結論」ではないのか? 先に述べた、ふたつのUボート映画や、デモ隊VS機動隊の例が、マ サにこの映画でも繰り返されている。 構造は非常にシンプルだ。 ↓ ①連戦連勝の米軍のピクニック気分溢れる気楽な雰囲気。美しい風景 がそれをさらに演出。 ②米軍キャンプ内のささいなエピソードの繰り返しにより、観客に登 場人物のキャラを説明。 (↑しかし、皆、同じ制服、似た髪型、似たマッチョ、白人。日本の 観客は顔で区別しにくい・かも。) ③スポーツをするかのように戦場へ向かう米軍。「30分で終わる」 が強調される。 ④順調だった米軍の作戦が、ブラックホークの撃墜により、形成不利 へ。 ⑤長時間に渡る市街戦に突入。 ⑥逃げ惑う米軍兵。迷路のようなスラム街から銃撃してくるソマリア 市民。 ⑦家族を思い死んでいく若い兵士など、冒頭②によって紹介された一 人一人の伏線が、血の中で結び付けられてゆく。 ⑧作戦は失敗に終わり、命からがら米軍キャンプへ帰還。 ⑨朝もやの中、スローモーションで逃げ走る米軍兵の周りをソマリア の子供達が笑顔で追いかける。米軍は、映画の冒頭で「混乱のソマリアに秩序を回復させにきた」と説明されている。 同胞愛に満ち、敵に勇敢に立ち向かう。このシーンは、銃を持っては いても子どもは殺さない米軍を描き出す。“人道的な軍隊”だ。 ⑩戦死者の前で、「我々は英雄になりたくて闘うのではない。戦った 結果として、英雄と呼ばれるのだ。」のセリフ。 以上が流れだが、もっとシンプルにしたら、②と⑦。 そう。やっぱ、米軍の視線のみ。ソマリア人の人格、書き分け、無 し。 それが、やはり私を不快にした。 集団で武器を持ってスラム街を歩く黒人市民が、白人兵士を狙う。 なんだか、1960年代の黒人暴動みたい。 この映画、ニューヨークのハーレムでも上映されたのだろーか? そんなシーンが続くので、なんだか、私は「黒人VS白人」の映画に 見えたぞ! 死んでゆく米兵の過去も性格も映画は紹介するのだが、 ムシケラのように死んでゆく黒人に対しては、まるでテレビ・ゲーム のように無機的処理。 この映画の「モデルの米軍兵士はレイプ犯だった!」という最近の日 本政界的リークもあるらしい。まぁ、どーでもイイけどね。 ■さて、別の角度からも見てみよう。 直前に公開された『地獄の黙示録 特別完全版』について、生井英考 (1954年生まれ、映像史)が北海道新聞に書いていたのだが、 「ベトナム以後の世代があの戦争についての記録映像を編集すると、 無意識のうちに有名なヘリ攻撃の場面をはじめとする『地獄の黙示録』の表現に左右されてイメージ化する」らしい。 確かに、1960年代後半のロック・バンド、ザ・ドアーズのジム・ モリソンが歌う『ジ・エンド』が静謐に流れる中で、黒いヘリコプターがジャングルの上をゆっくり飛ぶシーンは印象的だ。 『ブラックホーク・ダウン』はマサに、そのヘリコプターを中心にお いた映画だ。 しかも、戦闘開始のシーンのBGMには、1960年代後半の代表的 なロック・スター、ジミ・ヘンドリュックスの『ブー・ドゥー』が流れる。 もし、NY911が起こらなければ、これらの材料が、この映画は、 リドニー・スコット監督によるコッポラ監督『地獄の黙示録』へのオマージュであると語られたかもしれない。 リドニー・スコットのブレイク作『エイリアン』と『地獄の黙示録』 が1970年代後半の近い時期の作品であったことも思い出させる。 ■あと気になったのは、何故、この作戦には戦車は使われなかったん だろうか? ソマリアのスラム街を米軍の装甲車が進むわけだが、これがジープに 毛が生えた程度の自動車。 武器は、その屋根から上半身を出して撃つマシンガンのみ。 これじゃあ、迷路のような町並みの無数のビルの中から、ソマリア人 が狙って撃てるじゃんか! どーして、戦車でバタバタと行かなかったのであろうか? ■戦車が市街を進む。 この映画を観た後から、テレビでは連日、この映画と同じ光景が報道 されている。 イスラエル軍によるパレスチナへの侵攻である。 |
↓下記は、イスラエルにシンパシーを持つ人からの メールです。色んな見方が可能な分、解決への道も遠いのです。 どちらかというと、パレスチナにシンパシーを持つ私であるからこそ、こういった視点も知っておく必要があると思うのです。 |
パレスチナ難民の発生 1948年、イスラエルが独立すると周りを取り囲むアラブ諸国はユダヤ撲滅を旗印に生まれたばかりの国へいっせいに侵攻を開始します。 イスラエル独立前にすでにこの土地に住んでいたアラブ系の住民の多くはこのときに家を出て、土地を捨てまわりのアラブ諸国へと逃避行を続けました。 この人たちがのちにパレスチナ難民と呼ばれていきます。 日本での一般的な認識ではイスラエルが独立時にパレスチナ難民を追い立てたといわれていますが、 これはアラブ側のプロパガンダによるもので 実際にはイスラエル側は共存を呼びかけて戦争が始まってもそれぞれの土地にとどまるように呼びかけています。 イスラエルは建国に際し国連のパレスチナ分割案を受け入れ、パレスチナの領土にユダヤ人国家とアラブ人国家ができることを承認していました。 この分割案を受け入れなかったのは周辺のアラブ諸国であり、ユダヤ人の国だけは認めないとして各国は正規軍を送り込みました。 このときにパレスチナ人に退去するようにアラブ軍側が扇動しています。 1948年10月2日付けのロンドン・エコノミスト誌には目撃者であるイギリス人の証言がのこっていますが、パレスチナ人の流出に関して次のように述べて います。 「彼らが逃亡した背景には多岐にわたる要因があるが、一番の要因はアラブ高等委員会の運動である。 委員会はラジオを通して全アラブ人に退去を勧告し、アラブ連合国がユダヤを追い落としたときにユダヤ人の保護を受けていたものは裏切り者とみなす、と呼び かけていた」。 その他にも1948年前後の資料にはアラブ側の勧告により追い立てられた事実が残されています。 語られないユダヤ難民 このときに発生したパレスチナ難民は実質60万人に及ぶといわれます。 このパレスチナ難民の発生と同じくしてアラブ諸国に離散していたユダヤ人は国外退去を命ぜられます。 これは明らかに強制によるものでしたが、このときに発生したユダヤ難民は80万を越えました。 その多くは建国したイスラエルやアメリカ、ヨーロッパなどに散っていきました。 退去の際には財産はすべて没収され、公開処刑や令状無しの逮捕も日常化していました。 この後もアラブ諸国内に残ったユダヤ人達はイラクなどを代表する国々で非人道的な取り扱いを受け恐怖いさらされながら生き延びてきました。 アラブ諸国もユダヤ人を国外退去させる際に出国を認めるために莫大な「出国税」を要求し、 収入源になることが分かるといっせいに退去はさせず小出しに「出国」を許可するといった手段を用いました。 すべてを剥ぎ取られたユダヤ人難民は同胞の受け入れにより新天地へと再定着することができましたが、 これに反して周囲はすべて同胞のはずのパレスチナ難民は受け入れ先がなく、 アラブ諸国は第一次中東戦争に大敗を喫するとパレスチナ難民を放置してその処置を国連になすりつけました。 パレスチナ難民が「難民」である 理由 今でもニュースなどで難民キャンプが写ることがありますが、テント作りの粗末なキャンプはシリアやヨルダンなどのキャンプです。 アラブ諸国はパレスチナ人が難民でありつづけることにより世界世論を利用しての「侵略者イスラエル」といったイメージ作りが可能 であるとしています。 実際にアラブ世界では大アラブ、アラブは一つといったスローガンが流れますがこれは対ユダヤにおいてのみであり、 それ以外ではアラブ同士での血で血を洗う抗争が連綿と続いています。 今でもパレスチナ人といえばエジプトなどでは同じアラブ民族でも被差別的扱いを受けていて、 敗者、宿無し、なまりの強い田舎者とさげすまれることもしばしばで、市民権さえ与えられませんでした。 エジプト時代、フェダイーンなどのテロ組織の中心地であったガザ地区の統治がエジプトからイスラエルに移ると経済は400%以上の成長を見ます。 そして難民キャンプを閉鎖しパレスチナ人のためにあたらしい集合住宅をイスラエル政府が建設しようとしたときに反対したのはPLOでした。 パレスチナとイスラエルの問題が薄れてしまうと困るのは当のPLOおよび周辺のアラブ諸国です。 PLOの存在意義であるユダヤの撲滅が消えてしまうのは組織自体の存亡にかかわりますし、周辺諸国にとってはアラブの大儀を示す矛先がなくなってしまうか らです。 いまだ独裁制の残るアラブ諸国ですが、世界的な民主化、自由化の波は押し寄せてきています。 指導者への不満がつのると指導者側はパレスチナ問題を持ち出し反アラブであるイスラエルを追い払うヒーローとして指導者の立場を固めようとします。 サダム・フセインに代表される行為ですが、国内のデモであるはずなのにイスラエルの国旗が燃やされたり、 米英が爆撃しているにもかかわらずイスラエルにミサイルを打ち込んだりといった行動の根拠はここにあります。 アラブ諸国の存在を安定させるためにはパレスチナ人が「難民」でな くてはならないのであり、実際にそのように仕向けられています。 難民救済の実態 パレスチナ難民の救済に国連のUNRWAなどが活動していますがその資金の大半はアメリカが拠出していますが、 アラブ諸国の負担は皆無に等しい状態です。自治区になる以前、イスラエルが管理していた時代に難民キャンプのインフラ整備も進み、 水道も電気もイスラエルが供給しています。 日本もODAでパレスチナに援助を行い、JICAを中心にプロジェクトが進められています。世界各国からの援助によって現在パレスチナは成り立っていま す。 以前は開発の資本金として金銭が譲渡されていましたが、 これが結局PLO上層部の懐に入り自治区成金と呼ば れる輩が多数出てきたり、テロ活動の武器購入に当てていることが明るみに出たため、 現在では病院や学校を各国の予算で設立しています。 各国の援助により建てられた施設には援助した国の国旗を描いた看板が掲げられています。 その中でも最も多く見える看板が日本の国旗で す。ほかにアメリカやスイス、ヨーロッパ各国の国旗も見えますがアラブ諸国の国旗は皆無です。 アラブ諸国からパレスチナに行く援助金はすべてPLO、もしくは各原理主義団体に直接渡り、一般の難民に行き渡ることは絶対にありません。 そしてアラブ諸国からの援助金を使って様々な武器を買い込んでいるの が実情です。そしてそれがテロ活動が横行する温床となって抗争の激化を招いているのです。 ◆上記の原稿は、こちらから⇒http://www.hoops.ne.jp/~shaul-p |
大高
未貴(おおたか みき)のレポート 2001年12月 :プロフィール 国際ジャーナリスト。1969年生まれ。フェリス女学院大学卒。 旅行代理店勤務時代に、イスラエルの研修旅行でパレスチナ問題に関心をもつ。 ジャーナリストとして独立後、世界50カ国をまわり、ダライラマ14世やアラファト議長などを取材。 宗教、生活文化、女性問題などをテーマに精力的に活躍。特にイスラム圏の取材を得意とする。 |
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●青年の絶
望とハマス なぜ、自爆テロがあとを絶たないのかというと、一言でいえば貧しいパレスチナ青年たちの“絶望”だろう。 93年の和平合意後、パレスチナ内で2極化が進ん だ。 世界各国からの援助で私腹を肥やしたパレスチナ自治政府に携わる人 達と、失業率50%近くにもなる貧困層だ。 そして、「ユダヤ人を地中海に叩き落とすまで戦う」と宣言してやまないハマス(編集部注1)は、 ボランティアで食料や仕事を供給し、貧困層からの支持を集めていった。
一方、何年たっても自分の国を持てず、同じパレスチナ人の支配者層の腐敗ぶりを目のあたりにした青 年達がハマスにオルグされるのは容易なことだった。 希望を持てないこともさることながら、イスラム原理主義の性的抑圧も 要因の一つだ。 イスラムは原則的に結婚は親が決めるものだが、これにはマハルと呼ばれる多額の 結納金が必要となる。 したがって結婚できない貧しい青年が増えるのだ。しかも結婚するまで男女交際は 厳禁だから性的欲求不満に陥ってしまうのだ。 もちろん愛する女性もできない。だからイスラム圏にホモが多いと いうのはあながち嘘(うそ)ではない。 こうして肉体的にも精神的にも、いまにも爆発しそうな欲求不満をかかえた青年たちにとって、 “殉教者になってヒーローになる”という大義名分つきの天国へのインビテーションは悪い話しではない。 実際、自爆テロを起こした場合、残された家族に数千ドルのお金が自治政府より援 助されるのだという。 超がつくほどの現実主義者で現在を生きるユダヤ人と、 コーランという聖典を信じ、来世に生きるアラブ人とが対話してわかりあえる日が、近い将来訪れるとは、私にはなかなか信じられない。 ところで暫定政権作りに入ったアフガニスタンでは、 2001年12月5日のボン会議で、シャー国王の側近中の側近であるパシュトウン人のハミド・カルザイ氏が暫定行政議長に選ばれた。 しかし、カルザイ氏の政治的指導力も未知数であるし、北部同盟内の権力抗争(ラバニ前大統領派と、カヌニ、アブドウラ派の対立)など、問題は山積みで、 タリバンが壊滅したにしろ、平和の到来を期待するのは早急すぎるだろう。 メディアは、北部同盟がカブ−ルに入った時、髭(ひげ)をそり、踊り喜ぶアフガン人の姿ばかりうつしだし、 まるで米軍と北部同盟が解放軍であるかのような報道を したが、 北部同盟はかつて、レイプ、虐殺、強奪ありの、タリバンよりもっと ひどい暴漢たちであったという暗い過去を持つている。 そして最大の問題はアフガン人の間で国民意識より部族、民族意識が強いと いうことと、国民の約8割が文盲であり貧困であるこ とだ。 また、10人のリーダーがいれば10人が大統領になりたがり、 それを選挙や任期を決めて入れ替えてゆくといった方策よりも、長い間武器がものをいってきたという独特の歴史もある。 アフガンの歴史も理解せず、日本の小泉首相はアフガン再建に人も金も出すと決意しているようだが、 身勝手なアメリカ・ブッシュ大統領の単なる走狗に終わらなければいいのだが……?
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田中宇のパレスチナ解析 【2002年4月4日】アメリカは、911をめぐってサウジ側がいろいろと協力してくれた見返りとして、 サウジがパレスチナ問題を解決してアラブ世界で指導的な立場につけるように考え、その結果出てきたのがサウジ和平案ではないか。 |
<パレスチナ映画2本上映> ===札幌初公開<パレスチナ映画祭>「パレスチナとの架け橋」=== 1) ◎ 映画名『ジェニン ジェニン』(2002年製作 53分) 配給元:Arab Film Distribution,SEA 総合プロデューサー:イヤド・サムーディ 製作監督:モハメド・パクリ カメラ:ラメズ・カルムズ / 音響:ナセル・サムラ 写真:アクラフ・ハンナ / 日本語版監修:高坂和彦 「2002年4月の「ジェニンの虐殺」。その死者・行方不明者数は、 パレスチナ側発表で2,100人以上。 証拠隠蔽を図ったイスラエル軍は、遺体を焼き、戦車やブルドーザーで引き 潰し、 その<真実>を瓦礫の下に閉じ込めてしまった かに見える…」 2) ◎ 映画名『パレスチナ パレスチナ』(フランス/2002年/カラー/75分) 監督・撮影・音響:ドミニック・デュボスク モンタージュ:ベルナール・ジョッス 制作:キノフィルム & レ・フィルム・ディスィ 協力:TVアルテ・フランス 日本語版字幕:高坂和彦 「この映画では両脇の二枚の絵が、ヨルダン川被占領区を巡回する人形使いの 辛苦と、人形劇の部分的な場面を描き、中絵はベツレヘム自治区内のキャンプの デヘイシャの難民の生活に充てられている・・・が」 ■ と き・・・・・ 6月28日(土) 午後1時開場、3時45分終了 ① 『ジェニン・ジェニン』 午後1時20分上映 ② 『パレスチナ・パレスチナ』 午後2時30分上映 ■ ところ・・・・ <札幌市教育文化会館> 4階講堂 札幌市中央区北1条西13丁目 地下鉄:東西線「11丁目」駅下車 7分 ■ 入場料・・・ 1,000円(先着150名) ■ 主 催・・・・ パレスチナ連帯・札幌 代表:松元 保昭 ℡(011)882−0705 ■ 後 援・・・・ シアター・キノ さっぽろ自由学校「遊」 WFMネットワーク Int. |