ネット言論についての走り書き
差出人: 東出センパイ
送信日時: 2008年10月18日(土曜日) 3:06Pm
宛先: 久保AB-ST元宏
久保さん、ネット言論について、追加します。
ホームページやプログを公的な立場や、ご商売などをやっている方々が
どんなかたちであれ、
自分の意見や考え、また商売上の営業やPRをすることは、どんどんやったらいいと思いますが、
単に私的な個人が何かをネット上に書きちらしても、自己満足になるだけでしょう。
それも表現の自由だから、やりたい人は何も制限する必要はないでしょうが、
特に、匿名によってなされる、言論が問題になっているのですね。
ネットの言論が、こういう匿名性の氾濫になっていることが、
今度は逆に言論の規制や検閲の強化の口実にされるだけかもしれませね。
まあネットであれ、雑誌であれ何であれ言論を規制するもの、検閲をするものは、許されませんが。
さて、私の先日の副島隆彦や植草一秀への言及は、
実質的にこの人たちはほとんど、雑誌や新聞、テレビなどから言論を排除されているので、
自らの知識人、言論人としての責任において、現下の政治や経済や金融などの状況を、
ネット上で私達に自分の考えを伝え、尚且つ今後の指針を明らかにしていることへの
私自身の彼らへの賛同のささやかなエールなのです。
排除されている理由は、副島隆彦は、あまりにも過激にこの社会の矛盾や真実を暴くからだろうし
(この人は、自らの運営する学問道場の不当な課税に対して、国税当局とさえ、裁判で闘争中ですよ)、
また植草一秀は全く、当時の政治権力の中枢への真っ直ぐな批判的言辞に対する、報復としての
痴漢冤罪があるからでしょう。
この植草一秀に対する権力の中枢の下僕の最低の仕打ちには、心底怒りを覚えますね。
久保さん、私は単なる零細企業の本屋のおじさんですが、
まだこの人たちは、本を書き自らの良心に賭けて、その本を読みたい人たちに届けること、
またネット上でも、それを遂行していることに、わずかではあれ、希望を見るのです。
言論は、何にもまして、貴重なものです、
これをもて遊び、支配や抑圧や煽動の道具とするものには、反撃をしなければなりません。
「言葉は死者と、未だ生まれないものとに属しています」(F・カフカ) とあるように、
言葉だけ(というよりも表現にかかわる詩魂)が、
私たちの父祖たちから受け継いだ貴重なかけがえのない財産であり、
未だ生まれない子供たちに手渡すべき遺産でしょう。
それではお元気で。
東出
追伸。
ところで私は、ジョセフ・E・スティグリッツ
(Joseph E. Stiglitz、1943年2月9日生まれ、アメリカ人の経済学者)は、ほとんど読んでいるのですが、
クルーグマンはあまり読んでいなくて、すいません。
それから 『共犯新聞』で青木 昌彦さんのページをゆっくり読ませていただきましたよ。
世界の青木さんに対して、
一歩もひけをとらない(誉めすぎかな?)久保さんの即興のリアクションには本当に感心しますね。
やはり、根本のところに音楽(ロック魂?)のスピード感とリズム感が、身に付いているからでしょうね!
まじめな(笑)私が、今風に言うと、あのエドはるみの真似をして、ネットでグー!
|
★ ポール・クルーグマンのネット発言 ★
2003年2月18日
ヨーロッパとアメリカはどうして急に
こんなに対立するようになったのか、
たくさんの憶測がされてきた。
文化の問題だろうか? 歴史の問題か?
しかし、今まで議論されていない明白な点が一つある。
我々が異なったものの見方をするようになったのは、
我々が異なったニュースを見ているからだ、という。
2003年2月21日
そう、これでわかっただろう。
ブッシュ政権は軍事的プランをやっているんだ、
マーシャル・プランじゃなくて。
攻撃のために何億も使うけど、
復興のためにはびた一文出さない。
2003年2月25日
信用とは、邪魔する人々を懲らしめることじゃない。
信用とは、約束を守り、真実を述べるということなのだ。
そして、そういったことに、
ブッシュ政権は問題があるのだ。
2003年4月8日
戦争が終わるまで
ブッシュ政権に対する批判は控えるべきだ、
と主張する小心者もいるだろう。
しかし、そんなのは、アメリカの伝統じゃない。
それにしても、戦争はいつ終わるのだろうか。
そして、それまで、もしラシコット氏や共和党に
基本原則を決めるのを許したら、
大統領を批判したり
選挙による政権交代を呼びかけたりすることが
誰にもできなくなるだろう。
これがどういうことか判るだろう。
もしそんなことになったら、
戦場でどういう結果になろうとも、
我々は戦争に負けたということになるだろう。
2003年5月16日
ブッシュは、テレビ上での勝利の栄光を
追い求めることのため、
アルカイダから注意を逸らし、
邪悪かもしれないが脅威ではない支配体制との戦いを
選んだ。
これ により、そんなことをしなかった場合よりも、
我々はまったく安全を失ってしまった。 |