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寺島実郎 Around the world in history
2010年5月23日 日曜日 午後1時16分その小説は、主人公が、ヒロインと、図書館で(正しくは図書館の前のベンチで)出逢う・・・というものでした。気温18.0℃←■気温は上がる。コメ相場は、下がる。寺島実郎さんとの火曜日の10分間は、どーしよう?
2010年5月17日 月曜日 午後2時10分その小説は、主人公が、ヒロインと、図書館で(正しくは図書館の前のベンチで)出逢う・・・というものでした。気温18.5℃←■寺島実郎さんは、来日していたストローブ・タルボット米ブルッキングス研究所所長と会ったのかな?
2010年4月20日 火曜日 午前2時46分午前4時、座禅、終了!気温-1.9℃←■5月25日に沼田町に来る寺島実郎氏へのインタビュー書を作るんだけど、何か聞きたいことない?
2007年12月17日 月曜日 午前10時36分←■今朝、「寺島実郎さんの講演会をするコネを教えてくれ」と、某ロータリー・クラブから電話(笑)。下記の特集を書いていた途中なのでビックリ。
So, 時代を、読め。 2007年7月10日(火)6:30Pm〜

限定30名の講演会を、札幌で行います。
講師は寺島実郎(三井物産戦略研究所所長)さんです。
「北海道寺島塾」の5回目で
年内に、「21世紀遠友夜会」に衣替えをする予定です。

久保さんが参加可能でしたら、
先行予約ということで承ります。
1900年とは?So, 時代を、読め。

そんなワケで、恒例の(?)久保&若林博士の珍道中♪
2007年7月10日(火)1Pm 沼田町をマークXで出て、
まずはカフェ『香聡庵』のオーナー@ろ〜ら嬢おオススメの、
☆コーヒーの湯気。カフェ『公開秘密結社 あじとⅡ』で、食事。

ここのコンセプト(?)は、
「チキューのためにできること(略して、チキでき・笑)」、らしい。
たとえば、「わりばし」は使わない・とか。
んが、かたっ苦しーお説教「地球に優しい」では、無い。
なんでも、
「まず、カネをもうける。
金になる商売を続けてこそ、楽しい。
善意だけのボランティアでは、小さな趣味で終わっちゃう。
地球のためになることをして、金をもうける。
だから、活動も持続される。
小さな趣味では無く、大きな運動になる。」っーコトだそーで。
なるほど、ポン♪
そんなモンなモンだから、料理もオーガニックにこだわっている。
あじとⅡ
2007年7月10日 札幌★アート、思索、グルメの旅
カフェ『あじと』名物の(?)地球トイレ。
広いトイレに、便器が3つ並び、2つには地球儀が乗っかっている。
「地球とシェアする」って、メッセージ(笑)?

お食事後、空いた時間でアート鑑賞♪

大丸藤井セントラル7階、ノーザンギャラリーで、
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!『山内 敦子 油彩画展』
と、
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!『後藤 昌司 油彩個展「北の大地に恵まれて」』
を、鑑賞。

さらに、札幌時計台ギャラリーも♪

『第1回 グループ水煌』
『千葉 幸子 個展』
『上野 憲男 作品による 望月芳明コレクション展』
『鈴木 京子 墨彩画展 —Lotus Asia —ベトナム・カンボジア』
『第23回 火よう会油彩展』

富士フィルムの「フォト・サロン」で、写真展も。
デジカメの発展は、さらに素人カメラマンを増やした?
山内画伯、いいねぇ〜♪
『山内 敦子 油彩画展』
・・・一見、お姫様絵画(?)みたいだけど、色彩と抽象に高度なセンスが、ちらり♪
後藤 昌司 油彩個展「北の大地に恵まれて」♪
『後藤 昌司 油彩個展「北の大地に恵まれて」』
・・・「描かれている山は、実物とは違うぞ。」と、
山が好きな若林博士は、ちょいと厳しい意見♪

Artとは?驚く?タメになる?ゴロー?テキスタイル展
『フィリピンの布と20世紀初頭のポストカード』

会場はフランス語の学校。
だから入り口はちょいと入りにくいが、
ズー&ズー&シー、私(たち)は、すんなり♪

ギャラリーはエントランスを利用したせまい空間だが、
語学学校らしい知的向上心と、
英語のカウンター言語としての反骨や
文化へのプライドが感じられ、ちょいと、いー感じ。

気軽に読める図書館もある。
ただし、フランス語の本ばっか、だけど(笑)。
それでも、知った作家の原書や、画集、写真集などを
手にとってパラ&パラしてるだけで、いーキモチ。

展覧会は、プリミティヴな手仕事だけど、
知的好奇心の広範囲な広がりへの意志が、いーぞ♪
2007年7月10日 札幌★アート、思索、グルメの旅
おふらんしゅ〜♪アリアンス・フランセーズ
南2西5 南2西5ビル2F・入り口は西向き
電話;(011)261-2771
 休み;日曜・祝日
10Am〜7Pm (土曜日は6Pmまで)

道庁のお池で鴨と遊んで時間をつぶしてから、いよ&いよ、の会場の☆コーヒーの湯気。『赤レンガカフェ』へ♪
寺島さんは東京での仕事が押していて、30分遅れるとのコト。
会場のカフェは狭く、選ばれた(?)30人の参加者が座れば、もー☆びっしり。
大沼さんの司会で、「寺島さんが遅れるので、この時間を利用して、みなさん、自己紹介をしましょう♪」
30人、それ&ぞれ、魅力的、っーか、クセモノ(笑)っーか、なるほどなぁ〜・な、印象の方ばかり。
その中に、ろ〜ら嬢の本も売っているくすみさん。Wow!さんや、
うぇ〜ん!「近井さん、お久しぶりです♪」
「あ、久保さん!髪の毛を切ったから分らなかったよ〜♪」ってな雰囲気。
その他にも、日銀の札幌支店長や、道議会議員が数人、大学教授、新聞記者など、濃い30人。
・・・その中に、久保&若林博士(笑)。
ソクラテスのカフェから。
自己紹介をする久住さんの左に見えるのは、日銀札幌支店長の上野正彦さん。
先月のこの会は、上野さんが講演をした。
が、さすがに寺島さんが来ると、上野さんも一参加者に♪
HTBテレビの近井さん!

で、参加30人の一番最後に私が自己紹介をしている最中(笑)に、寺島さん、よーやく到着♪
2007年7月10日 札幌★アート、思索、グルメの旅
寺島さんは、毎回、最新のデータを記入し直した、
「世界潮流と日本の進路を考える基本資料」(10ページ)を塾生に配り、それに基づいてリアル・タイムの発言を加えてゆく。
寺島さんは、このようなことを語った。

『世界潮流と10の選択ポイント』
1.時代の不気味さ
  日本を除いて世界は経済成長し続けている
  「BRICs」から「BRIICS」へ
  (↑インドネシア、南アフリカを追加)

2.マネーゲーム化する原油価格
  金融経済の肥大化
  プーチンの自信を支えるエネルギー供給力
  マネーゲームのインディケーター、WTIの存在

3.サッチャー革命を後追いする日本
  イギリスから何を学ぶか?
  国の産業構造が変わる

4.経済成長力と産業力は別
  ドイツの底力

5.中東ドバイと上海を結ぶ“円”
  ホットマネーが世界を駆け巡る
  ジャパン・ファクターが言われ始めた

6.日本産業の天国と地獄
  川上インフレと川下デフレの矛盾
  景気拡大と生活実感のギャップ
  産業実態の急変

7.年収200万円以下のワーキング・プア増大
  労働人口の3分の1がワーキング・プア
  グローバル化とIT化が及ぼす労働市場への影響

8.虚偽意識が蔓延する日本社会
  引き裂かれる雇用環境
  怒らない日本のサラリーマンの不思議

9.貿易における対中と対米の逆転
  日本貿易史上初のことが起きている
  貿易構造の変化(アジア・大中華圏への比重移動)
  5分の1を割った米国との貿易
  アジア大移動時代の到来

10.極東ロシアと北海道の新しい時代
  ウラジオストックの活況
  2012年のエイペック開催
  北海道がつかむ世界見直しの好機
夏を超える思考。

さすがに(?)30人限定の集まりだけあって、中途半端&分りやすい&通り一遍の内容ではなく、
徹底して&やや分りにくく(笑)&結論が無い内容だった。
この、「結論が無い」とゆーのが、真剣に聞いている側にとっては、ちょいとビミョー(笑)。
シンクタンクの仕事は、優秀なる「現状分析」であって、「結論が無い」でオッケーなのかにゃ?

そんな中で、気になった論点をいくつかピック・アップしてみよー。

2000年を100とすると、
素材原料の産業では、2006年12月では172.3とすごいインフレ状態となっている。
一方、最終財は91.8とデフレとなっている。
川上がインフレ川下がデフレとなっている。
新日鉄は大もうけ、それを使って工事をする建設業はボロボロ。
新日鉄は笑い、伊藤ヨーカ堂は苦しいという状態なのだ。
Oh ! うめぇ〜♪ピ−ター・ドラッカー!彼の最も論議を呼んだ仕事が補償計画にあります。(そこでは、彼が、経営幹部が最も低い有給従業員の20倍以上代償されるべきでないと言いました)。 これは彼を以前に彼を称賛した同じ人々の何人かの敵にしました。 ピ−ター・ドラッカー(1909年11月19日〜2005年11月11日)のいう、
技術革新と競争がモノの価格を劇的に下げるというもの。
原料高騰を消費財に転嫁できないねじれている状態が日本経済なのだ。

日本で消費が進まないのは、
①資産家の没落、
②低所得者(=ワーキング・プア)の増加、
③中間層の勤労者家計可処分所得[自由に使えるお金]の減少が挙げられる。

法人企業経常利益は1998年を底として、2005年までに2.4倍となっている。
1990年38.1兆円、98年21.2兆円、05年51.7兆円となっている。
この収益は汗水たらして働いたお金ではなく、海外への投資による配当やファンドなどの収益が多い。
 収益の合理的な再配分がうまくいけば、実感として景気がよくなったと感じることができる。
 労働者に分配すればよいという声も強いが、
企業は他の人では困ってしまう人材にはお金を払いたいが、
バーコードをなぞるような誰でも出来る人手にはお金を払いたくないのだ。

・松坂投手が60億円でメジャー・リーグと契約。→世界市場のハイエンドへ。
・コンビニでバーコードをなぞるだけ。→あふれるローエンド。

そんなローエンド人材を大量に産む「バーコード」を開発したのは、アメリカ最高の知性であるMITだ。

海外での運用益を日本で使うことにも抵抗を感じているようだ。
 アメリカはNPOで生きがいを持って収入を得ている人が1000万人以上いる。
日本でも、NPOで働ける仕組みを整えていくことが、
労働問題とともに社会問題を解決していく鍵となるのではないか。

そんな感じでのべられる数字と、その分析は(たぶん・笑)正確なのだろう。
しかし、それは、なんだか誰もが知っていることを科学的に「確認」しているだけのよーな気もする。
そして寺島さんは、より最新の数値で現在を脳味噌の中でバーチャルに創りあげ、そこで起きている問題を指摘しているだけで、結論は言ってない
私にとっては、そんなロジックよりも、下記のようなレトリックの面白さのほうに魅力を感じる。

「金融」と不動産ばかりでメシを喰っていていいのか?
経済の成長力と、産業力は違う。
BRIICSは、世界の成長エンジンだ。
日本は、「成熟した債権国」へ移行?・・・悩ましい(笑)。
21世紀のキーワードは、「移動」だ。
2007年7月10日 札幌★アート、思索、グルメの旅
一見、ビストロ「ル・プラ」のフォロワーと思っちゃう店内。
寺島さんとの会が終わって、若林博士と2人で食事に♪
まずは、ふきたんぽぽ嬢から教わっていたココ。
Oh ! うめぇ〜♪ジューシーな豚肉ソティ!バトー・ラヴォワール
札幌市中央区南9条西6丁目 電話;011-513-2807

1980年代後半からやっていて、古い。ムッシュ早川。
予算をまず言って、あとはおまかせにしよう。
良心的。料理のアイディアの勉強にもなると思うよ。

9条通り南側を中島公園から西に歩いていくと、
セイコーマート&喫茶サティが見えるとすぐ。

その後口直しに世界のBeer飲む余裕あれば、
すぐそば 麦酒亭。早大出のフレッドいるかな?

若林博士と、寺島さんの発言について意見交換。
私のよーに、世界のイナカどころか、北海道のイナカに住んでいると、
寺島さんのどこまでも世界に広がってゆく発言は
いささか浮世離れした別の世界のよーにすら感じてしまう。
もちろん、そーではナイし、それじゃーダメ。
だからこそ、寺島さんの言葉を、
私の住む沼田町の存在価値に換言する作業
重要になってくるのだ。
そして、その作業を、ダレがやる?

もうちょっとワインが呑みたかったから、もー一軒♪
Oh ! うめぇ〜♪ジューシーな豚肉ソティ!A TABLE (ア・ターブル)
札幌市中央区南7条西4丁目 五條ビルDEUX 1F
電話;011-511-0122 6Pm〜1Am 休み;月曜

まぁ〜、昔から有名なところです。
深夜を超えると急にフランクになる(笑)。

結局、世界のどこにいても、
世界の全体をイメージすることができる訓練
常に行なっていなければならない、ってコトなのだろう。
そしてそのトレーニングは、同時に、
世界の片隅で震えている人へのシンパシーを
いつでも持つことができる精神を育ててくれる
とゆーことなのだろう。
だから、寺島さんの講義は1回きりのイヴェントではなく、
継続する伴走者となるスタイルである『寺島塾』が正しいのだ。
2007年7月10日 札幌★アート、思索、グルメの旅
けっこー2〜30歳代サラリーマン男女が多く、おちつかない(笑)。
第6回「北海道寺島塾」

若林博士は前回だけで少々、食傷気味(笑)の
よーに見受けられたので、今回は私だけで参加した。

まぁ、今回も、なんだか寺島さんは
「言いっぱなしオジサン」な印象。
興味を先に引っ張る話術として、
講演中に「ここからなんですが・・・」を多用するが、
そこで語られる結論も、特に驚くことは無い。がくっ。
しかし、相変わらず、よくもまぁ調べたもんだ!
とゆー最新のデータは、お見事。

前回が7月で、今回が10月なもんだから、話題は、
「この夏は何だったのか?」とゆーテーマから始まった。
象徴的な数字は、やはり、原油の異常な高騰だ。
2001年9月27ドル/1バーレル
2007年7月70ドル/1バーレル
2007年10月90ドル/1バーレル

そしてアメリカでは、
サブプライム・ローン問題の影響による、金利引き上げ。
2005年初2.25%
2005年末4.25%
2006年6月末5.25%
2007年9月4.75%

日本では、「川上インフレ&川下デフレ」の、
素材産業の復権が続く。
2000年=100とした、価格水準は、それを証明している。

素材原料 中間財
(メーカー)
最終財
(小売店)
2005年12月
158.9
105.7
91.7
2007年8月
192.8
115.0
92.2

そして年収200万円以下の「ワーキング・プア」は、
非正規雇用の75%、全労働者では34%になる。
200万円以下の仕事で、感動&生きがい
(=クリエイティブな実力)が作れるか?が、日本の課題だ。
2007年秋、寺島さん。 寺島さんは、このようなことを語った。

『世界の動きと
故郷・北海道のこれから』
1.はじめに
2.圧縮される歴史時間
3.国際人のフロントランナー、空海
4.時代に向き合った
プロジェクト・エンジニア

5.極東ロシアと北海道の相似性
6.300年前にロシアで日本語学校
7.ウクライナと北海道の
歴史的共通点

8.プーチンに率いられる
9.「ミセス・ワタナベ」という隠語
10.企業物価指数に見える
日本産業のジレンマ
11.会場からの質問に答える
  ・ プーチンのこれから
  ・ 年収200万円と若い世代
12.補遺:「苫東」を持つ
北海道が宝の山に

ウクライナ 今回、時間を割いた話題の特徴は、ウクライナについてだった。
ウクライナについては、「ユーラシアダイナミズム」というキーワードの中で語られた。
つまり、「東京=アメリカ」の開国の前に、「北海道=ロシア」の開国があったとゆーのだ。
それを踏まえて(?)、相対的に力を増しているロシアに対する北海道の重要性を説く。
  • ロシアの「大ロシア主義」への回帰。
  • プーチンは「オイル・マネーでうるおうロシア」を6年間で演出し、国民から大人気。
  • エネルギー帝国主義=ロシア。世界一の天然ガス&原油生産量国=ロシア。
  • 2007年12月に、トヨタのカローラ工場がサンクトペテルブルグにできる。
  • 現在、サンクトペテルブルグは市長以下、ウクライナ人だらけ。
そして今、ウクライナでは、かつてナチス・ドイツとの協力を理由にスターリンによって
中央アジアへ追放されたタタール人が、2004年のオレンジ革命後、帰還運動を始めた。
クリミア半島の一等地を占拠しようとするタタール人と以前から住むロシア系は対立している。

「ウクライナ」と私が聞いて、思い出すのは、従軍看護婦ナイチンゲールと、劇作家チェーホフ、だ。
ウクライナ南部、クリミア半島の
南西岸にあったセバストポリ要塞は、
1783年にロシアの支配下に入ると
ロシア黒海艦隊の本拠地となっていた。
ロシアがトルコに侵攻した
クリミア戦争(1853〜56年)に、
ロシアの南下が気に入らなかった
イギリスとフランスが参戦して陥落した。

この戦争で献身的な看護をしたのが
ナイチンゲール。

1942年6月、ナチス・ドイツが
ロシアのセバストポリ要塞を陥落する。
★フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日 - 1910年8月13日)
フローレンス・ナイチンゲール
Florence Nightingale
1820年5月12日〜1910年8月13日
第二次世界大戦の末期、
1945年2月に旧ソ連の南部、
今のウクライナとなった
クリミア半島の保養地ヤルタで、
アメリカのルーズベルト、
イギリスのチャーチル、
ソ連のスターリンの3巨頭が会談し、
千島列島のソ連への引渡しを認め、
戦後の日本の運命が決まった。

そのヤルタは、チェーホフが
結核で苦しみながら
1904年に死ぬ直前まで
5年弱を過ごした
高級リゾート地でもある。
★チエホフ
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ
Anton Pavlovich Chekhov
1860年1月29日〜1904年7月15日

このよーに「現在」と「歴史」の知識を交差させるのは、『共犯新聞』の方法論でもあるので、寺島氏の手法には親近感を感じてもイイのだろーが、
どーも、寺島氏の知識の豊富さに「おみごと!」と感嘆する観客にばかり時局解説(?)をしたところで、何か決定的な限界があるように感じてしまう私なのだ。

そこで、寺島氏にそこのところを突き抜ける発言を期待して、質問をしてみた。
うぇ〜ん!久保 「寺島さんの
現在の具体的な数字、事象を並べて、
そこから抽象的な問題をつまみ上げる作業の
あざやかさにいつも感嘆させられています。

そこで今日は、あえてケース・スタディとして
時事ネタを寺島さんに振った場合、
どう答えられるか、
どのように考えておられるかを知りたいのです。

さきほどから、1バーレル=90ドルという数字が出ていますが、
同じ石油の「90」という数字でも、我ら北海道人は、
灯油1リッター=90円が緊急の生活課題です。

その一方で、石油が日本の国際貢献に使われています。
国会では、20万ガロンか80万ガロンか、とか、
山田洋行の宮崎元専務の防衛省疑惑も出てきています。

寺島さんは炭鉱町であった沼田町の炭鉱商社マンの子として
生れ、三井物産に入社後から石油事業の開発を担当され、
まさしく日本のエネルギー政策のそばで生きてきたと思います。

北海道の庶民の灯油高騰に苦しむ姿と、
インド洋で大量の石油を無償で配る両義性についての
寺島さんのご意見を聞いてみたいのですが?」
2007年秋、寺島さん。

2007年秋、寺島さん。 寺島 「まず、私のテロ特措法の考えですが、インド洋での給油活動には反対です。
日本は今まで国際貢献を何もしてこないから必要だ、という議論には、
すでに日本は、オペレーションで、600億円
   アフガンODA民生支援で、1400億円
              合計で、2000億円の出資をすでにしているのです。
さらに、米軍再編、米軍のグアム移転に”おもいやり予算”として3兆円、支払う。
ここまでしていて国際的に何もしていないと言われるのは、日本の説明力不足です。

また、今、話題の民主党の小沢一郎党首の
自衛隊がアフガニスタンのISAF(国際治安支援部隊)に参加せよという論文。
あれのおかげで、急に雑誌の『世界』が売れて岩波書店は喜んでいるそうですが(笑)。
小沢一郎の国連主義は分るのですが、残念ながら今のISAFは国連軍ではない
今、アフガンにはアメリカ軍とISAFなどを合わせて外国の軍隊が5万人いますが、
そのどれもが現地のアフガン人から尊敬されていない。

この二つの議論は、「日米関係」と、「いつまでも小切手を切るだけでいいのか?」という
二つの課題の上にあります。

たとえば、ペシャワール会の中村哲さんのようなNPOの民生活動のメニューを増やすことです。
インドネシア地震の復興や、干ばつ農地の再生、地雷の撤去など、
求められ、尊敬され、日本人がもっとも得意である民生活動はまだまだあります。
そこに予算を傾注し、働く日本人にも誇りを持ってもらいたいのです。」
★1946年福岡市生まれ。1973年九州大学医学部卒。
アフガンの山岳部で診療する中村医師。

2007年秋、寺島さん。 私からの質問はさらに、
「インド洋の給油は日本のどの商社が納品しているのか?」
とか、
「テロ特措法の理想的な民主党側の対案は何か?」
などと続いたが、それらには具体的な回答は無かった。

講演後の雑談の中で、突然、寺島さんが
「私は世代は団塊の世代なのですが、
全共闘とは違うけど、右翼心情派とかいわれました。」と、
話の流れとは違う話題を持ち出された。
おそらく私は、この講演があった月に日本経済新聞に連載されていた
青木昌彦の「私の履歴書」を意識されたのではないかと感じた。
東大で60年安保の理論担当をした青木は、
寺島の世代のインテリにとっては一つの目印であったはずだ。
青木がノーベル経済賞に世界で最も近くにいる今、
寺島さんも自分の人生の総決算(?)を意識し始めているのかも?
と、私はその発言から邪推した。
たとえば、寺島さんは以下のように北海道知事選に名前が上がる。
民主党、北海道知事選、他薦6人
北大大学院教授の山口二郎氏(48)、
財務省国際局参事官室総括補佐の渡部康人氏(38)、
三井物産戦略研究所長の寺島実郎氏(58)、
旭山動物園長の小菅正夫氏(58)、
同党衆院議員の鉢呂吉雄(58)、逢坂誠二(47)
・・・2006年7月31日

しかし、それを受け入れることを彼はしないであろう。
もちろん、このまま「講演会のスター」で終わるのもいかがなものか、だ。

それにしても、ことが石油と戦争とは、けっこー象徴的な話題だ。
そもそも、太平洋戦争のきっかけも、石油だった。
1941年7月、日本が南部仏印へ進駐したのがアメリカを不快にして、
アメリカから日本への石油輸出禁止のきっかけとなった。
右に紹介した本は、その過程を追っている。
日本の軍部は「アメリカは日本の進駐を黙認する」と誤った判断をして、
その後の圧倒的な国力の差があるアメリカとの泥沼の戦争に
国民を巻き込んだ、というのだ。
つまり、日本は石油がきっかけで戦争を起こし、石油が原因で敗戦したのだ。

筆者は元石油公団理事。
その「石油屋」が、「アブラ」を縦軸にして太平洋戦争を読み解く。
航空用ガソリン精製の日米技術力格差、
真珠湾攻撃の「石油施設見逃し」事件、
サハリン・中国・中東の油田開発の大失敗、
さらには、タンクの「最後の一滴」まで吸い上げられていた
戦艦大和の燃料の秘話、
海軍官僚の南方進出欲に踊らされた国政担当者の弱腰ぶりなど、
知られざる事実満載。
現在に続く「石油と戦争」の深い関係がよくわかる。
★石油!
パラパラ・・・岩間 敏『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』
(2007年7月13日、朝日新聞社、756円)

私が考える寺島さんの当面とるべきスタンスと仕事は、「対談」だと思う。
たとえば、中村哲と寺島さんの対談を読みたい人は多いだろう。
たとえば、どこかのテレビ局で、毎週、寺島さんをホストにして時局にふさわしいゲストと対談をさせる番組を観たい人は多いだろう。
寺島さんの持つ膨大な情報量と分析力を、世界の現場の最前線で活躍している方々にぶつけ、質問し、
偉大なるヒントを提供してゆくことがシンクタンク人生の正しい道だと思う。
そしてまた、寺島さんはモノローグ(=一人語り)ではその膨大な情報量から自家中毒(?)になってしまう危険性もある。
情報は常に世界に向けて開いておくべきである。その回路として寺島さんが、そこに立っているのは、もはや義務ですらあると思うのだ。

text by 久保AB-ST元宏 (2007年12月17日 月曜日 10:34Am)


沼田町出身の「気になる」人物
三井物産戦略研究所長

寺島 実郎
★何故、沼田町出身とおおっぴらに言わないのか?
 1947年8月11日、北海道沼田町生まれ。

「北九州に明治鉱業という名門企業があって、
僕のおやじは、その傘下の昭和炭鉱の労務課長としてきたんです。
僕はおふくろのおなかの中の状態で九州から来た。
 それで沼田で生まれ、釧路の近くの庶路で小学校に入り、
それから九州の筑豊に一回転校し、芦別に戻り、
おやじが明治鉱業の札幌事務所長になったので、
札幌にきて、幌西小、啓明中、旭丘高校と出て早稲田に行ったんです。」
〜雑誌『財界さっぽろ』2002年8月号「ビック対談 w/松田昌士(JR東日本会長})」より


73年早大大学院政治学研究科修士課程終了。

東大の解放は可能か?落書きだ。Jo!「早稲田の三年、四年のとき、ちょうど全共闘運動のまっただなか、
僕は一般学生をひきいて学園の変革に情熱を燃やした時期があるんです。
全共闘とは違うけど、右翼心情派とかいわれました。
 ところが機動隊導入で学園が正常化となって、
まわりに三千人ぐらいの人が一緒にやっていたんですが、
気がつけば、みんなサーッと就職してしまって、六人だけのティーチーインをやった。
 それで、もう少しまじめに勉強してから世の中に出ようと思って大学院に行って、
二年間かなり本気で勉強した。」
〜雑誌『財界さっぽろ』2002年8月号「ビック対談 w/松田昌士(JR東日本会長})」より


同年 三井物産株式会社に入社。

「就職はテレビ局だとかいくつか決まっていたが、悩んだ結果、
フィールドワークをずいぶんやってきたし、
経済の現場に近いところで勉強したいという思いから三井物産に入ったんです。」
〜雑誌『財界さっぽろ』2002年8月号「ビック対談 w/松田昌士(JR東日本会長})」より

日本は、75年に28億円の円借款をIJPC(イラン・日本石油化学)事業に対して供与し、またさらに他の借款も与えた。
しかし、79年の革命後、イラン・イスラム共和国がいかなる外国の借款にも応ずるつもりがないことを表明すると、
日本政府はイランへの円借款を停止する。
ところが、イランは89年にホメイニが他界後、ラフサンジャニ大統領の現実主義的政策が開始され、
経済復興5ヶ年計画が明らかにされると、外国からの借款に積極的な姿勢を見せ始める。
このようなイラン政府の政策転換に対して日本もイランに対する借款の見直しを考えるようになった。
★クリックすると、”頭脳”♪あん♪アン♪『日米同盟下における「イラン脅威」の検討」宮田 律(静岡県立大学国際関係学部助教授)より


「僕にとっての最大の転機はIJPCというイランの石油化学プロジェクトにかかわったことです。
三井物産がイランで社運をかけるような大プロジェクトをやって、これが大失敗した。
 いまでもハーバードビジネススクールの、カントリーリ−スプロジェクトのケーススタディに
必ずこれが登場してくるんです。
 革命におそわれ、戦争におそわれた。要するに、革命が起こり、戦争中のイランと、
どのようにこのプロジェクトを決めていくかというテーマにぶつかった。
 僕に与えられた仕事は、世界中の中東問題の専門家を訪ねて歩くという仕事で、
イランとの交渉用の資料を作るということでした。不思議な世界に入ってしまった。」
〜雑誌『財界さっぽろ』2002年8月号「ビック対談 w/松田昌士(JR東日本会長})」より


「私自身、イスラエルのテルアビブ大学の研究所で、
革命イラン政府と交渉するための情報活動を80年代の前半にやるという体験をしました。
このIJPCの問題に関しては、語れば切りがございませんけれども、
ロレスターンの石油鉱区をめぐって突っ込んだがために 5,000億の金を失い、
三井物産は4人の人をこのプロジェクトで物理的にも亡くしました。
それほど激しいせめぎ合いの中で体験した思いがあります。
それから、ここにNNS問題と書いていますのは、 ニューポート・ニュース・シップヤードでして、
これは、ワシントンの南 100マイルのところに
アメリカの原子力潜水艦だとか空母をつくっている有名な造船会社がございます。軍事関係です。
当社は、カタールのLNGのプロジェクトにかかわっていますけれども、
LNGのプロジェクトに関連して、私がワシントンの所長を6年間やっていまして、
ホワイトハウスから問い合わせがあり、来てくれというお呼びがかかったことがあります。
ニューポート・ニュース・シップヤードからの要請を受けて、カタールのLNGのプロジェクトについては、
4隻のLNG専用船のうち2隻を ニューポート・ニュース・シップヤードにつくらせてくれと言ってきた。
なぜと聞いたら、中東を守っているのはアメリカ軍だ。
アメリカ軍が守っている枠組みの中で、カタールのプロジェクトが成り立っているのだから、
ニューポート・ニュースにつくらせて当然だというロジックです。我々の感覚からすれば、
NNSにはLNG専用船の技術さえない。
ところが、その技術さえ供与してニューポート・ニュースにつくらせるべきだ。
なぜならば、中東を守っているのは米国なのだからと。
こういうロジックが通用するのがエネルギー問題の現場でございます。」
★クリックすると、”頭脳”♪あん♪アン♪通商産業省「総合エネルギー調査会 総合部会 第2回会合」 2000年6月2日(金)より


83年〜84年ブルッキングス研究所(在ワシントンDC)に出向。

■「ブルッキングス研究所」とは、民間最大のシンクタンク。
★クリックすると、”世界の頭脳”♪あん♪アン♪公式ホームページ★The Brookings Institution (Washington, D.C.)

「これはまさに運命みたいなもので、イスラエルのテルアビブ大学のロシア研究所だとか、
ロンドンの国際戦略研究所だとか、ワシントンのブルッキング研究所とか、
教養を深めるというためでなくて、サバイバルなんですよ、会社の。」
〜雑誌『財界さっぽろ』2002年8月号「ビック対談 w/松田昌士(JR東日本会長})」より


87年〜91年米国三井物産ニューヨーク本店業務部情報・企画担当課長。
91年〜97年同ワシントン事務所長、97年4月〜99年三井物産業務部総合情報室長。
99年10月から同戦略研究所所長。

★クリックすると、♪MGSSIに行けるわっ♪あん♪アン♪公式ホームページ★三井物産戦略研究所(Mitsui Global Strategic Studies Institute)

この間世界平和研究所客員研究員、早大客員教授(システム科学研究所)、
県立宮城大客員教授、通産省産業構造審議会臨時委員、文部科学省中央教育審議会委員、
総務省情報通信審議会専門委員などを勤める。
  米主導のもうけ万能、市場原理至上主義に疑問を投げかけ、
21世紀を生き抜く国家・企業戦略として「正義の経済学」を主張している。

■最近の「気になる」発言
「日本の政治家はIT革命などを普遍的な歴史の潮流のように無批判に受け止めているが、
実は米国の国家戦略だということを認識していない」(2001年7月17日)

★NY戦争を語る。ニューヨーク2001「戦争」への発言

  主著は、『「正義の経済学」ふたたび』(日経新聞社、2001年)、
『1900年への旅─あるいは、道に迷わば年輪を見よ』(新潮社、2000年2月)、
『団塊の世代 わが責任と使命─戦後なるものの再建』(PHP研究所、1999年11月)など。

地域づくりメールネット北海道/スタッフの
谷 一之(tani kazuyuki、北海道下川町共栄町243番地)さんからの報告です。
★★★★☆★★★★★★★☆★★★★

2003年11月22日(土曜日)、東京池袋サンシャインシティワールドインポートマートにて、
「北海道移住シンポジウム」が開催されました。
  主催は、北海道と日本経済新聞社。
  基調講演は、三井物産戦略研究所所長の寺島実郎さん。
  大変興味のあるお話しをしておりました。
特に印象に残ったのは、
日本の輸出入である貿易先国の順位が、アメリカ合衆国から中国へと移り変わっているということと、
これから北海道が考えていくべきコンテンツとして、

① 特色のあるアカデミズムな連携 
② 国境を超えたグローバルな連携 ・・・・・ このような概念が重要になってくるとの問題提起がされました。
意義深い話しです。

  その後、電通の臼井さんをコーディネーターに、5人のパネリスト(私も参加)から、
それぞれの立場で移住に関わるコメントが行われ、会場の参加者も含めての熱気のあるディスカッションでした。

これで、北海道への移住のきっかけになれば・・・・・。

                         Yours truly

三井物産戦略研究所長
ふるさと講演会
〜沼田生れの論客が、ついに沼田で語る!〜

2004年7月19日(月・海の日)
3Pm〜4:30Pm
場 所;沼田町民会館 (北海道沼田町南1条)
入場料;沼田町民は無料
     町外の方は1,000円
※あらかじめ入場整理券を下記にてお求め下さい。
・沼田町役場住民生活課総合窓口 0164-35-2115
・沼田町商工会事務局 0164-35-2231
・JA北いぶき沼田支所管理経理課 0164-35-2221
フォークシンガー

細坪 基佳
★北海道沼田町出身。
フォーク・ソング・デュオ「ふきのとう」のメイン・ヴォーカリストとしてデビュー。