松風ざわめいて





生家を出てから緩やかな坂を上り
左手にある境内へ入る

遊んでいる子供も語らう老人の姿もなく
近くに見えた線路は
家並みに隠れ
参道両脇の狐さんの表情も
台座に刻まれた文字も
やさしく
丸く
苔色に染みて
風化
していた

  小高い松に囲まれたこの神社へ
  君達を何回か連れてきたことがあったのを覚えているだろうか
  ざわざわとびゅうびゅんと松風がうなり
  大きな幹が揺れていた
  君達はその音に驚き
  太い幹がゆらり揺れる様を怖がった
  二人とも両手で耳をふさいで
  何かを言った
  あのとき
  君達は
  何を言ったのか
  何を叫んだのか
  ずっとずっと訊ねることが出来ないまま気になっていた

  (なぜ?)

社も鳥居も狐さんの位置も
境内を抜けて旧道へ行く道筋も
そのままであった

鳥居を背にして
参道口への階段下りる
傾斜は記憶よりも緩やかで短く
手すりも低かった
と、
後ろから駆けてきた男の子と女の子が
軽やかに階段を下りて行った

  背伸びしながら 赤いてすりに左手を乗せ 継ぎはぎズボンに
  ゴム短靴を履いた何歳かの私が 軽やかに階段を下りて行っ
  た

  何かを言っているようだが聞こえない 潮騒のような松風がざわ
  めいて聞きとれない



                                                              詩誌「密造者」第82号