江別市の『ポーランドの寺山修司』の久保AB-ST元宏
text by 久保AB-ST元宏 (2007年7月18日 0:27Am)
■当日、7月1日は『沼田町民運動会』っー沼田町民であれば
参加義務(?)な大イヴェントがあるのだけど、なんせ、『ポーランドの寺山修司』、である。
この怪しすぎるタイトル。参加しなければ、後悔、まちがいなし。
『沼田町民運動会』には、午前中だけの参加でカンベンしていただき、
午後1時30分、江別市へ向う。
■3Pmを少し過ぎて会場に到着。
すでに映画が始まっている暗闇を手探りで前に進むと、
誰かの耳の穴に指を突っ込み、ドキリ!
突っ込まれた人の方が、私以上に驚いたことだろう。すんません。
【第1部】
3Pm■映画上映『田園に死す』(102分)
テレビ記者>『書を捨てよ町へ出よう』や『さらば箱舟』、その他の実験映画よりも好きです。
↑
■なるほど!
商業映画の(?)『上海異人娼館』(1981年)も含めて、やはり、『田園に死す』が一番、
寺山的完成度が高いような気がします。今回、改めて観て、そう感じました。
5:30Pm■トーク;ポーランドの寺山修司
▲左・霜田 千代麿 (しもだ・ちよまろ、1943年生、元・ポーランド「グロトフスキー実験劇場」)
右・稲葉 憲仁 (いなば・のりひと、1949年生、元・「天井桟敷」、月刊テラヤマ新聞編集長)
そも&そも、『ポーランドの寺山修司』とゆーイヴェント名が、なぞ。
そのナゾが、このトークで解明した。
寺山修司は、1973年10月、ポーランド国際青年演劇祭の招聘で
天井桟敷の『盲人書簡』を公演した。
たったソレだけなんだけど、この日のイヴェントは、そこを見事に拡大&再生産した。
『盲人書簡』
作&演出 寺山修司
音楽 J・A・シーザー
美術 河田悠三
舞台監督 稲葉憲仁 制作R・テンケート 九条映子
出演 新高恵子 蘭妖子 サルバトール・タリ他
1973年9月15日〜23日(アムステルダム・メクリ劇場他オランダ各都市)
1973年10月20日から23日(ポーランド/ブロツワフ・ポルスキー劇場)
1974年1月26日から2月2日(アテネフランセ文化センター)
1974年7月26日から30日(法政大学学生会館大ホール) |
実はポーランドは、グロトフスキーの実験劇場のあることで知られる。
当時の海外誌評で「グロトフスキー以来の発見」と賞された寺山修司と、
高い芸術性を誇るポーランド文化の共通項がトークでは語られた。
霜田千代麿氏は、天井桟敷ポーランド公演のときに偶然、ポーランドに住んでいて、
寺山修司がポーランドに到着した時から、押しかけ(?)通訳として一緒にまわった。
途中、寺山修司が死んだ前後の思い出を語っている最中、霜田が突然、泣き出した。
今、霜田は仏教の寺の住職をしているそうだ。彼の人生も不思議、だ。
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テレビ記者>青森の『寺山修二記念館』に
>大学生のとき足を運び、
>このポーランドにゆかりのある
>『盲人書簡』という劇について
>説明書きがありましたが、
>実態がよくつかめないままです。
↑
■おお。うらやましいですね〜。
今回もその話題も出ました。
今月、『寺山修二記念館』に新しい展示も増えるそうで、
暗闇をペン・ライトで机の引き出しを引きつつ、
寺山が生前に使っていた黒電話を取り出して
音を聴くという展示らしいです。 |
6Pm■軽食!なんと、たった1000円の入場料なのに、ドリンクと、おにぎりが出た♪
▲おにぎりを食べながら、同じ建物内にあるギャラリーで、
木村 環(きむら・たまき) 作品展 『夢見る人』を観る。
ギャラリー会場の中心には、古書店『書肆吉成』(しょし・よしなり)の即売会。
今回のイヴェントに合わせて、寺山や演劇中心の古本が並ぶ。
久保の顔を隠しているは、パルコでの寺山演劇祭のお面型チケット。\300(笑)。
そして、左手に持つ「久保栄」とは・・・。
↓
脚本作家の久保栄は明治33年12月、
北海道開拓の先陣企業の
野幌煉瓦工場の社長、
久保兵太郎の次男として札幌で誕生。
野幌煉瓦工場は現在、沼田町にある。
社会主義リアリズムの作家として活躍。
昭和33年3月、
東京で病気療養中に自殺。
栄の弟、久保守は
明治38年(1905年)札幌生れ、
早い時期に渡欧し、
東京芸術大学で教えるなど、日本画壇の
第一人者として長期に渡り活躍。
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★タテワキさんからのEメール
2005年1月24日
野幌煉瓦陶管株式会社の沿革についてご説明します。
父親から聞いた話ですと、
(父親は死んだ爺さんから聞いたみたいだけど)
明治32年 4月 館脇煉瓦工場として発足
(初代社長はたぶん館脇米蔵)
昭和 2年 8月 野幌煉瓦株式会社設立
昭和17年12月 (有)野幌陶管製作所設立
昭和49年 1月 野幌煉瓦と野幌陶管製作所が合併し
現在の野幌煉瓦陶管株式会社
(株主には紅一点で有名な岩田醸造がいます。)
館脇煉瓦工場は野幌、沼田、名寄と
もうひとつあったそうです。
米蔵はあの原 敬に仕えていた頃に
「これから商売として儲かるのは鉄、煉瓦だから
やるんだったらそれがいい」と助言されたそうです。
↑
久保AB-ST元宏■『北の零年』という、
若林さん出演の映画が上映されていますが、
まさに煉瓦をめぐる北海道人の苦労=歴史は、
『北の一年』としての第二歩目で
あったのではないでしょうか? |
差出人 : タテワキ
送信日時 : 2007年7月20日 8:27Am
宛先 : 久保AB-ST元宏
件名 : 古書発見
おはようございます、タテワキです。
さっそくですが、件名はちょっと大袈裟かもしれませんが。
義母の実家を取り壊すときに見つけたそうです。
久保さんはこういう本の存在知っていましたか?
きのう鵜沼さんに行った時、『ばあちゃんの家壊すときに見つけたんだ』と。
舘脇煉瓦も一行載っています。
今、読んでいますが、漢字が読めなくて。
では、後々。 |
6Pm■軽食時間中に、書家・吉田つとむ本人によるポーランドのクラコフでの個展の報告。
【第2部】
6:30Pm■北海道ポーランド文化協会会長 安藤厚(ロシア文学)の挨拶。
6:40Pm■ポーランド詩と寺山修司作品の朗読。
1.ポーランド人によるポーランド詩の朗読。
2.ポーランド詩の日本語訳の朗読。
3.寺山修司作品の朗読。
歌とピアノ 「かもめ、戦争は知らない」 (佐賀優子 vo、藤井辰哉 p)
▲佐賀の歌の表現力は、客席の熱を少し上げた。
寺山短歌と舞踏のコラボレーション 「鬼のままにて老いたれば」
▲真っ暗闇に、白い面をかぶった男女がロウソクの明かりで短歌を叫ぶ。70年代的!?
歌と朗読 (ムックリタッチ&ミー)
朗読 「アメリカ」 (稲葉憲仁)
▲稲葉は読み終えた原稿用紙を飛ばしながら朗読。後半は、即興詩に融合していった。
朗読寸劇 (柴田智之&佐賀優子)
▲詩を朗読する学生服を着た男を、先ほどの女性歌手が大きな花束で、激しくぶったたく。
朗読 「日本自殺考」 (金子千絵)
映像 「かつてのポーランド、いまのポーランド」(ラファウ・ジェプカ)+『邪宗門』
▲ポーランド人によるスライド。そのBGMに『邪宗門』の演劇の音がかぶさる。
■とにかく、すごい企画でした。
私の気がつく範囲では、マスコミは『共犯新聞』しかきていませんでしたね(笑)。
もったいない!
またしても、マスコミが報道しなければ、この魅力的な一日は無かったことになるのでしょう。
大学の教授も数人来ていて、ポーランドの詩の翻訳を紹介していました。
若いパフォーマーの歌や短い劇も、濃密でした。
つまり、アカデミックと、路上の若者が見事に融合。企画者の知能指数の高さに、脱帽。
ポーランド人も10人ほど来ていて、終了後はワインで懇談会がありました。
『スロバキア国立オペラ』と半年前に交流をしたばかりの私は、
このような民間レベルの深い交流に、観劇による感激(がくっ。)すらしました。
■私の古い知人ミスターKは、寺山修司の意志を継ぎ(?)、
劇団『万有引力』の俳優になったのですが、これも不思議な話。長くなるので、止め(笑)。 |