文庫本のことは知らんが、
単行本には続いて掌編「ロクタル管の話」が掲載されている。
この掌編の
単行本P226で、
とゆーレトリックが出てくることを私は見逃すことができない。
ここでの「正確さ」はポジティヴな使用法であり、
P188のネガティヴな使用方法と比較してしまうのである。
単行本P229にも、
とゆー使われ方がされている。
この掌編の舞台は1950年の朝鮮戦争が時代背景であり、
書かれたのは1960年、60年安保締結直前に発表された。
今日、6月19日は1960年に安保条約が自然成立した日。
1950年に朝鮮戦争が始まったのも、6月だった。
(嗚呼、6月!
『されどわれらが日々—』を語るのにもっともふさわしい月!)
長編「されどわれらが日々—」が書かれ&発表されたのは、1963年。
明らかに安保闘争の経験が作者=柴田翔に
「正確」という言葉の意味を変容させたのだと私は思う。
それまでの数学的な「正確」さの美しさに憧れる象徴としての
少年(≒純情な中学生?)から、
「正確」が「正確」であるという理由だけで、
なにかつらいものになってしまう安保後の純情。
しかし一方で、
単行本P234の、
純粋な怒り
ああその勇気!
その誠実!
本当の炎
一瞬自分らの不純さをまざまざと照らし出された |
を読んで、連合赤軍に入った女子大生も
数多くいたのではないか・とゆー「罪深さ」も感じちゃう・の。
>孤高でありながら、演奏しようとするヒトは、
>山の上にいようとはしないのではないかな?
↑
もちろん、あさま山荘も「山の上」にあったんだけど、
演奏しようとする人は観客がいる or いない・は、
二次的なもの・なのかもしれないよ。 |
▲『われら戦友たち』の表紙カバーの折り返しに書かれた
登場人物たちのセリフからの引用。
三木一生のセリフなんぞ、まるでポール・ニザン『アデン・アラビア』の出だしを思い出させる。
『われら戦友たち』は、『されどわれらが日々—』同様にタイトルに「われら」が含まれているし、
同じように政治運動に挫折する若者たちの小説だ。
しかし、1963年と1973年の10年の時間差は大きかった。
『されどわれらが日々—』はまるでジャズ・コンボのようだし、
『されどわれらが日々—』はレッド・ツェッペリンのようなきらめきがある。
しかし、「新しい」と「知的」は、また違うもので、
『されどわれらが日々—』には何物にも代えがたい不器用な永遠の「知的」さがある。 |