た〜と

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台の物/台屋
(続々追加予定です)
詳細

すごくザッパな (^^;; ご説明
台の物/台屋
吉原風俗図巻(部分) 菱川師宣
吉原風俗図巻(部分) 菱川師宣
延宝〜天和(1673〜1684)頃  萬野美術館蔵
揚屋から茶屋は勿論、切見世でも注文できる吉原遊廓のパーティー料理。

古くは、でかいお膳の名称だったのが、それに盛られた、みんなでつついて食べる大皿料理みたいなものの総称になってゆきました。

享保以降は、専門の業者さんから出前をしてもらうのが主力にになり、現代の「お通し」って言うか「テーブルチャージ」みたいな意味をもっていきます。


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茶屋/
引き手茶屋
吉原の花 歌麿 寛政5年(1793)頃  ワーズワース・アテネウム蔵
吉原の花 歌麿 寛政5年(1793)頃  ワーズワース・アテネウム蔵
江戸期の「茶屋」という言葉は、「接待をする場所」みたいなニュアンスのオールマイティーな意味を含みます。前にそれぞれの言葉を付けて専門化しているんですよね。

「オカマさんBAR」の「陰間茶屋」、スナックとコスプレ喫茶って言うか、今なら「お帰りなさいませ、だんなしゃま」のメイド喫茶まで併せた、早い話が看板娘がいる前提の「水茶屋」、本格的な料理を用意できる「料理茶屋」、エッチホテルって言うか連れ込み宿(古)の「出合茶屋」ナドナド、挙げれば切りがない専門化された「茶屋」があります。

薀蓄本でよく見かける「遊女とお客さんを会せて、酒宴等をする場所」っていうのは、吉原遊郭内、それも仲の町を中心にした一部の引き手茶屋なんですよね。そして、吉原の「茶屋」は引き手だけの為にあった訳ではなくて、江戸文化伝播の中心地でもありました。

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猪牙船
吉原通いは猪牙船で(^^)/
江戸水上交通の花形。ってか、高速でお手軽な交通手段です。勿論、吉原通いだけに使われた訳ではありません。
名称は、速度が速い、あるいは小回りが利くからなどからきた「チョロ説」と考案した人名からきた「長吉船」説があります。

江戸は川と運河を計画的に配置した都市だったので、非常に都市内水上交通が発達しました。それと、基本的に下水や糞尿を含む汚物を直接川に流す下水を採用しなかったので、隅田川でも白魚漁が可能なほど、水がキレイで江戸湾は魚や貝、そして海藻類の宝庫だったんですよね。

ちょっと脱線すると、同時代の西洋の大都市で、庶民の都市内交通手段として軽便な小船がほとんど見られなかったり、手軽な趣味としての釣りがあまり発達しなかったのは、糞尿垂れ流しの川や水路では、ちょっとそんな気になれないって事なんです。

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ビジュアルで贈る、新吉原!  なんて、大したもんじゃないのですが<=おい!、
私がこのサイトで使っている、あるいは使おうと思っている図をまとめてみますね。もちろん著作権の存在しているものは避けています。
版権/編集権等が残存する出版物からの転載も基本的に避けていますが、どうしてもお見せしたい物は、「引用」として、明示しておりますので、是非原本にあたって見て下さいね。っで、買ってあげて下さい。でも、アマゾンさんのアフェリエイトはやっていないので(笑)、ご随意に。
また白黒の資料は「複写・転載自由自在 江戸時代風俗さしえ集」国書刊行会(ISBN4-336-03344-7)を使用しております。

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