猪牙船
江戸水上交通の花形。ってか、高速でお手軽な交通手段です。勿論、吉原通いだけに使われた訳ではありません。
名称は、速度が速い、あるいは小回りが利くからなどからきた「チョロ説」と考案した人名からきた「長吉船」説があります。

江戸は川と運河を計画的に配置した都市だったので、非常に都市内水上交通が発達しました。それと、基本的に下水や糞尿を含む汚物を直接川に流す下水を採用しなかったので、隅田川でも白魚漁が可能なほど、水がキレイで江戸湾は魚や貝、そして海藻類の宝庫だったんですよね。

ちょっと脱線すると、同時代の西洋の大都市で、庶民の都市内交通手段として軽便な小船がほとんど見られなかったり、手軽な趣味としての釣りがあまり発達しなかったのは、糞尿垂れ流しの川や水路では、ちょっとそんな気になれないって事なんです。





吉原通いは猪牙船で(^^)/
猪牙船

江戸の薀蓄本で、猪牙船を竿で動かしている挿絵がある本は、バッタ物だと思って間違いないです(笑)

名前の由来は様々あるのですが、大きくは『江戸砂子』ほかに書かれている押送(おしおくり)船の船頭長吉が明暦年間(1655−58)に考案した長吉船から転訛し、「前の部分の形が猪の牙みたいじゃん」ってことから猪牙と書くとする説と、『嬉遊笑覧』ほかに書かれている、「速度が早いことを、チョロとかチョキといってたのが元になったよ」って説とがあったりします。ただ、幕府の公式記録に、同じ型の幕府水軍の船は「ちょろ」って書かれているので、長吉説は弱くなっているのが現状です。

じゃ、どんな船かと言えば、巾は狭くて、船底を絞ってあり、舳先の尖った高速で走るのが身上の船なんですよね。江戸の川船って言うと、ヘタレた時代劇なんかで、一本の竿で、ノテ〜っと川を動いているのを想像したりするのですが、竿で突くのは桟橋って言うか岸から離れる時だけで、後は櫓で漕ぎます。って隅田川の本流へ出て、猪牙船の竿が川底に付いていたら、普通の船は航行できません。届くほど長い竿を振り回してたら、ひっくり返っちゃいます。(笑)

定説ではありませんが元々は漁師さんが使っていた二挺櫓の高速船を、吉原に通う人が借りたのが評判になって大流行し、江戸の水路交通の花形に猪牙船はなっていったようです。

ただ、二挺立の櫓だと凄くスピードが出て、他の船との事故も多かったようで正徳4年(1714)に禁止され(異説あり)、それ以降は1挺櫓になりますが、船頭一人の手軽さも受けて、その後も猪牙船と呼ばれ続け、明治になって他の交通機関に主役を奪われるまで、江戸水路の主役の座は変わりませんでした。。



(この項目は書きかけです)
ビジュアルで贈る、新吉原!  なんて、大したもんじゃないのですが<=おい!、
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