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パラパラ・・・Literary Criticism
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高橋 英生 パリの壁、上勇知の炎

2006年2月7日 火曜日 午前3時19分←■20歳若い妻と新居にて新婚生活をしている画家の家が火事で、全焼。まだまだ、72歳。もう一度、一枚目から描いてほしい。
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊、稚内の傷跡まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!パリの壁から遠く、今。……そして、もうひとつの今。

画家の家が火事になる、という意味。 text by 久保AB-ST元宏(2006年2月7日 3:00Am)
>幌新温泉「ほたる館」
>投稿者:竜馬@ギャラリーどらーる管理人
>投稿日:2004年8月1日(日) 10:24Pm

>畠山 裕二支配人、こちらこそお世話になりました。
>以前から泊まりたいと思っていたのですが、
>なかなか空きがなく初めての宿泊でした。
>
>稚内の高橋 英生画伯が住まいに隣接している牛舎を改造して、
>アトリエ兼ギャラリーを作っておりましたが、
>それが完成しオープニングパーティーを本日13時から行いました。
サロベツ原野の小高い丘の上に画伯の住居(和室)・牛舎を改造したアトリエ・ギャラリーがあり、居間・客間から利尻富士が座ったままで見える贅沢なロケーションでありました。
>当初は日帰りを予定しておりましたが、
>翌日の月曜日は仕事が詰まっている上に、
>夜はギャラリーどらーるのオープニングパーティーもあるので
>少しでも疲労を軽減しようと、どこかで宿泊することに致しました。
>当日の手配ですすからなかなか空いているホテルがなくて困っている時に、
>『共犯新聞』の久保さんが
>沼田町の幌新温泉「ほたる館」の支配人に電話をしてくれて、
>キャンセルが1件あったことを知らせてくれて宿泊できました。
>最近の秘湯ブームの上に、源泉掛け流し、飲用可という素晴らしい泉質と、
>料理の素晴らしさで評判になっている「幌新温泉ほたる館」の支配人が、
>畠山 裕二さんです。

>当日仕事を終えてから出発し、19時頃に沼田町に到着しました。
>沼田町の大通りを通行止めにして
>大焼肉パーティーのイベントを行っておりました。
>町民4,000人のうち1,000人位の人が
>モウモウと白い煙を上げながら焼肉の網を囲んでいる姿は壮観でした。
>久保さんと相棒の若林博士、そして畠山支配人
>私が到着した時にはかなり出来上がっておりましたので、
>早々にホテルへと向いました。
>前評判通りの料理、温泉、
>そして支配人差し入れの蕎麦を堪能させて頂きました。




>新生活を祝う会
>投稿者:竜馬@ギャラリーどらーる管理人
>投稿日:2004年12月4日(土) 0:22Am

>「上勇知便り」でお馴染みですが、
>日本最北の地、稚内市の上勇知という原野に移住した
>画家の高橋 英生さん(7▲歳)と、虎谷 孝子さん(50歳)の
>「新生活を祝う会」に出席して参りました。
>と云うより、伊東 秀子さん、米谷 雄平さんと共に
>発起人になっての祝賀会でありました。
>会場がレストランで、人数に制限があり
>どんなに無理に詰め込んでも54名しか席をとれません。
>その収容人数いっぱいの54名の方々の出席を頂きました。
パリの壁。そして、今。
>永遠のボヘミアン高橋 英生が
>最後にたどり着いた「上勇知」の地で幸せな生活
>されますことをお祈りいたします。

パリの壁から遠く、今。そして、もうひとつの今。
■その、”永遠のボヘミアン高橋 英生が
最後にたどり着いた「上勇知」の地で幸せな生活”が、
火事により内部が全焼したことを、2006年2月6日の新聞で知った。
そしてこれもまた、毎朝、届けられる活字にすぎない。
画家の家が燃えるということは、絵が燃えるということだ。
画家の絵が燃えるということは、人生が消えるということだ。

新聞を置いて、しばらくすると、若林博士からも確認の電話がきた。
「間違いありません。」と、言うと、絶句。
若林博士も、自分より10歳年長者の田舎暮らしを、
ご自身の奥様が永住した今年こそ一緒に訪問したいと、思っていたことだろう。

残酷な現実が、72歳の新婚の画家に舞い降りてしまった。
まったく、なんてこった。

しかし、死んだわけではない。
残酷な現実があるからこそ、さらなる創作活動をしていただきたい。
と、今は僭越ながら、ただただそう思うだけだ。
思い出しても何の意味もないが、木田金次郎のことを思い出した。

1954(昭和29)年、
岩内大火(市街地の8割を焼失)により、
それまでの作品約1,500点余を焼失したが、
その後、精力的な創作を続け、
生涯、故郷岩内を離れることなく、
独自の画境を切り開く。
1962(昭和37)年、脳出血により逝去、
享年69才。
海のストローク


■私が生れた年に木田は死んだのだが、
69歳とは今の高橋画伯よりも若いが、今の72歳はまだまだ現役だ。
たとえば、徳丸滋神田一明久保寛(がくっ。私の父。)などなど。
「その後、精力的な創作を続け、
生涯、故郷岩内を離れることなく、独自の画境を切り開く。」という
先の言葉を高橋画伯にダブらさせて、
希望を失わないでいただきたいと遠くから静かに思い続けたい。



こんばんわ、竜馬社長さま。
久保元宏です。

>茫然自失状態です。

おそらく、程度の差こそあれ、
今夜、高橋画伯夫妻の友人の方は皆さん、そうなのでしょう。
その中でも竜馬社長の程度が深いことは簡単に想像できます。

先月、私の叔父が亡くなり、稚内の手前の古丹別には頻繁に往復しています。
竜馬社長よりも私のほうが高橋画伯の家に近い距離にいますので、
なにかお役に立てればご指示ください。

というか、社長がおっしゃられるように、
「何をしてあげたらいいのか。」
それを暴力的にでも言いつけていただきたい気分です。

私もインチキ消防士の一員ですが、
火事の怖さは現場もそうですが、
火が消えても、火事は続いていることがさらに怖いのですよね。
そんな時に当事者を救うのは、
遠くにいても「友情」の存在だけでいいのかもしれません。

とにかく、竜馬社長も公私ともに多忙の日々。
まずは自らをご自愛され、明日も仕事を楽しみましょう。