ピンの熊のプールで浮かびたい。I'll follow you wherever you may go! 『共犯新聞』NEW YORK地図映画歴史2001NYの旅】★BOOK [email protected]

■画家
Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、札幌のエルエテまで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!Art 神田 一明
Kazuaki Kanda

★just imagine...♪観ろ♪神田美術館 旭川市高砂台5丁目6−3 電話;0166−61−6976
私設 神田一明・比呂子 作品展示館
夏期のみの開館。
(毎年作品の一部架け替え)
7月1日〜9月30日まで。
10:30Am〜5Pm 休廊;月
■入場料 200円

会場にて画集、絵ハガキ等販売。
『神田一明 画集』 3500円
『神田比呂子の彫刻』 1800円
坂の上の芸術。この空間が持つ磁力。神田美術館・・・追求する姿勢。


▲『夕暮れに』(2000年)



★年表
年月日できごと
1934年3月15日 東京都練馬区に生まれる。
父要一(40歳)、母ハナ(31歳)
1945年8月14日 11歳。小学校6年生。
東京の空襲が激しく、
一家(両親、兄弟5人)で開拓者として北海道河東郡鹿追村に入植。
1948年 14歳。
帯広柏葉高等学校に入学。
1955年 21歳。
東京芸術大学美術学部油画科に入学。
1956年 22歳。
芸大生、岡野比呂子と結婚
台東区弥生町に居住。
1959年 24歳。
3月、東京芸術大学美術学部油画科、卒業。
4月、東京芸術大学美術学部油画専攻科に進級。
第14回行動美術展(東京都美術館)に初出品し、『裸婦』が入選。


1966年 32歳。
第21回行動展で会友に推挙される。
4月、北海道教育大学旭川校美術科の教官として着任。


1981年 47歳。
第4回北海道現代美術展(北海道立近代美術館主催)に招待出品。
第1回杜の会(梅田画廊企画)に出品。
個展(旭川市、市民文化会館)60数点出品。
4月、北海道教育大学旭川校美術科の教授に昇任。


2000年10月31日
〜11月6日
旭川のヒラマ画廊で個展。
2001年 北海道近代美術館が、1961年製作の『赤い室内』(油彩・キャンバス)を所蔵品にする。

★神田一明・個展
(2001年10月30日〜11月5日) 10:00AM〜6:30PM 最終日は4:00PMまで
無料
◎100号からSMサイズまで、近作20数点を展示。
場所 
ヒラマ画廊
〒070−0032 北海道旭川市2条8丁目左1号中通2F
(JR旭川駅から、買物公園ぞいに歩いてスグ。)
℡0166−23−9345
Fax0166−24−5533
E-mail: [email protected]
2005年神田美術館に、比呂子の友人である奥村三千代(二科展)の裸婦像を2点、特別展示。
2006年7月11日(火)
〜17日(月)
差出人 : 神田一明・比呂子
送信日時 : 2006年7月13日 8:21
宛先 : 久保AB-ST元宏

神田美術館は今年も作品の一部を架け替えて開館中です。

全道展も終わり、ひと段落しているところですが、
お客さんの対応や秋の行動展などで、落ち着かない毎日です。
が、神田美術館にいらっしゃる方のお話を聞けることが、
歓びとなって幸福な毎日を送っています。

いつも、気にかけていただき、感謝申し上げます。

来館を心よりお待ちしております。


ヒラマ画廊 北海道旭川市二条通8 丁目左1号 仲通り2F 電話;0166-23-9345
『全道展旭川地区小品展』 10Am〜6:30Pm(最終日4Pm)
出品=赤間恒子、平間文子、板谷諭使、高橋要、高橋三加子、神田一明渡辺貞之ほか
2006年10月2日(月)〜7日『神田 一明 個展』 in 札幌時計台ギャラリー



★批評
『らんぷの会』 
神田日勝・特集号
■目次より
  • 神田ミサ子 「私は生きなければ」
  • 神田一明  「弟、日勝のこと」
  • 内田富雄  「ためらう心を持ったホモ・ルーデンス」
  • 三井福源  表紙絵
神田一明(画家)  
「弟、日勝のこと」 (抜粋)
1971年5月18日  『美術ペン』14号より転載。
  • ある時、彼(日勝)の机の上に『太陽』という雑誌が置いてあるのを見て、私はおや、と思いました。
  • というのは、彼は元来読書嫌いだったからです。
  • その写真は例によって彼の絵のモチーフの一部になるのです。
  • その写真のひび入った具合や、よごれた調子などが彼の作画に役立つのです。
  • 作品は灰色の壁の前に男の顔が一つゴツンと描かれている『一人』という題の絵(多分自画像)でした。
  • 一体、彼のイメージの育ち方には部分から全体へという傾向があったようです。
  • 彼はよく、人生には良いことだとか悪いことだとかいうものは無いそんなものはみな人間が拵えた(こしらえた)観念なので、自然はそんなものとは無関係に存在。
内田富雄  
「ためらう心を持ったホモ・ルーデンス」 (抜粋)
『神田日勝遺作展』目録より転載。
  • 生前愛読していた佐藤春夫の「都会の憂鬱」をもじりながら「訪問病に患ったね」。
  • 生活を楽しくするはずの機械が経営を圧迫し小規模経営の農民の離農のテンポを早めた
  • 公の機関によって開かれる遺作展は、文化的気風に乏しい鹿追町に投じられた(つぶて)である。


『北海道新聞』 
1978年2月20日(月曜)

神田一明(画家)  
「弟のこと」 (抜粋)
  • 弟、日勝が死んでからもう八年たつ。
  • 世間は彼が開拓者であったことや独学であった事などを少々重大視し過ぎる様な気がする。
  • 何故なら、例えば現代に厳密な意味で独学でない絵の勉強などというものがあるだろうか。
  • の十日程前に「病院でじっとしているのも退屈だし少し具合がいいので絵の具とキャンバスをとって来る」といって一人で自宅まで行って来た。
  • 病名は敗血症であった。。


『第6回朔展図録』 
1991年

 神田一明(画家)
 「題名不明」 (抜粋)
  • 極端な場合を云えば、人間の全く登場しない状況、例えば静物画や室内画でも、造形的な解釈如何によっては人生のすべてを投影する世界になり得るのであり、
  • それが絵画の持つ特殊性だと云えるのである。


『北海道新聞』 
1995年1月28日夕刊

 神田一明(画家)
 「私の一点」 (抜粋)
  • モチーフの持つ意味や文学性は極力避けたいと思った。
  • 物の形空間性、などを大切にしたかったからだ。


『神田一明 画集』 
1999年8月5日

吉田豪介(美術評論家・市立小樽美術館館長)
「神田一明の画業〜その想像力と造形性」 (抜粋)
  • 11歳の時、東京大空襲を逃れて、一家をあげて十勝平野の開拓地に移住。
1.生活派—時代批評の視点(1950年代後半〜60年代)
  • 戦後の混迷から高度成長期に変化していく時代への批評
  • ”人間主義”や”ルポルタージュの絵画”。
  • 留萌の寧楽(ねいらく)に住んで描いた想像の小屋内部。
  • 壁に張った3枚のメモが白く浮き上がって、労働者の住まいとは少し違った心理的な雰囲気を出している。
  • 消費ブームの豊かさのさなかで、うち捨てられた日用品の山には、哀惜いら立ちが感じられる。
  • 育ち盛りだった戦後の飢餓感と焦慮感こそ、本物の恐怖として記憶されている。
  • 絵画のリアリティーとは、理性や写実によって指し示されるものではなく、想像力によって発見すべきものだというのが、彼の求めている美学であろうか。
  • 1966年作の『赤い室内』では部屋全体が蠕動しはじめる。
  • 当時一時的に発売された、柔らかくて伸び伸びと塗れる缶入り絵具”ハイラック・カラー”を使って描いたという。
  • アクションが生むスピード感やボリューム感
2.青い室内—託された宇宙観(1970年代〜80年代)
  • 色で物の質感が描かれるようになる。
  • 1980
  • 年代後半、短い期間だが、神田が「その日」と名付けた空間全体が強震することになる。
  • 色彩は赤から黄にゆらめき、炎の色となる。
3.人間のドラマ—生と死の距離(1990年代〜)
  • 画面に人物が登場して以来、神田の画面の表情が、慎重にだが少しずつ変化していくのを見てきた。
  • ”意味”が次第に色濃く出てきたのだ。
  • 時間と人間をめぐる題名が目につくことになる。
  • 夕暮れを指す時計と、場違いな髑髏(どくろ)だろう。
  • それが人生の夕暮れと、その先にある死のアレゴリー
  • さりげなくピストルが置かれている画面もある。
  • 消失点へ向かう方向性が”運命”に重ねられていると、読めないことも無い。
  • テレビが逆さを向き
  • ”一筆でキャンパスの端から端までとどくストロークが、気持ちいい”という彼の言葉を聞くと、彼の心の健康維持に、風景画が一役かっているよう。
  • 弁証法とは一味違った、どこか螺旋状の階段を連想する形式。
新明英仁(北海道立旭川美術館学芸課長)  
「現代社会へのメッセージ — 神田一明の一点の室内画から」 (抜粋)
  • 「室内」が「静物」よりも優先されている。
  • 絵画でなければ表現できないことを描く
  • 彼が1980年代後半から挑戦している、室内に感情を露わにした人物を配する表現主義的な作品は注目すべき。
  • その成り行きをじっくり見守っていく必要があると思う。
  • かなり思い切った作風の転換であるように見えるが、実際はどうであろうか。

  • 「静物(A)」(1976年)。彼の最も重要な作品と言えよう。
  • イスや雑然としたものの存在は、人の介在を示しており、写実的あるいは知的構成による静物画とは明らかに異なる室内空間の小宇宙の表現が目指されている。

  • やがて、室内には人物が登場し、窓を開け放して実際に外の世界と呼応し合う作品が生まれる


『北海道新聞』 
1999年9月20日(月曜)

新明英仁(北海道立旭川美術館学芸課長)  
「現代社会へのメッセージ — 神田一明の室内画」 (抜粋)
  • 今年8月、旭川市高砂台に「神田美術館」がオープンした。
  • 長い活動歴を持つ神田一明(油彩画)、比呂子(彫刻)夫妻の作品を展示する私設美術館である。
  • 自宅裏の敷地に建てられた大きなアトリエのような素敵な建物である。
  • 夫婦ともに最近、長年にわたって教鞭(べん)をとった大学を定年退職した。
  • そしてそれぞれ回顧展を開催し、さらに作品集も自費出版して再スタートを切ったのである。

  • 室内画に、彼の個性がよく反映され始めたのは、70年代前半である。
  • 画面は青色が支配的となり、人の存在や介在を意識させるイスや一見雑然とした時計やビンなどの事物が多数置かれた空間の表現である。

  • 交差する二つの方向への運動によって、室内空間はダイナミックな視覚的効果を持続する。
  • 文学性などの入り込まない、純粋な絵画空間の創造が目指されている。



★久保元宏によるエッセイ
※雑誌『しゃりばり』2000年6月号掲載の文章に加筆して、転載。


■絵は同時代の証人〜神田一明氏
text by 久保元宏

絵の価値、絵の価格
 米屋への借金が払えなくなった未亡人は、亡き夫が大切に保管していたある画家の絵を借金の代わりに手放した。
……なんだか、19世紀のパリのゴッホやユトリロの貧乏時代の話しみたいだが1991年のハナシだ。
かといって、その絵はバブル期のオークション品でもない。
正直言って、数十年前に故人が、その絵を買ったとき、その画家は若き無名教師だった。
さらに米屋は、その画家の名も知らず、故人と違って絵を鑑賞する才能も趣味もないガサツな男だった。
実際、数十万円の借金と交換に一枚の絵を持って帰ってきた夫を迎えた米屋の妻は、かなり驚いた。
なぜなら妻の知っている絵とはキャンバスに描かれ、立派な額に納まっている花や風景画であったのだから。
しかし、その絵はベニヤ板に描かれていて、額どころかカンナもかけられていないタル木が乱暴に四方にクギで打たれているだけなのだ。
しかも、その絵はピンクの壁の下方に空き缶らしきモノが平面的に描かれているだけ。
しかし、米屋はこの絵が気に入り、借金と交換したのだ。


全ての絵は自画像
 以上はホラ話ではない。
なぜなら、その米屋とは、私の父であり、その絵は現在、私の書斎に掛けられているからである。

 父によれば未亡人の説明では、どうやら作者は神田一明という人らしい。
不思議な存在感のある絵にひかれた私は、この作者の他の絵も見たくてたまらなかった。
それから数年経った2000年、北海道新聞に『神田一明 画集』の広告を発見した。

 ずうずうしい私はアポなしで、画家の自宅兼アトリエにお邪魔した。

 さっそく画集を買い、その場でページをめくった。
画風の実験がページごとに繰り広げられ、安易に巨匠になるコトを拒否する姿勢はシロウトの私にでも分かる。
約50年に渡る画歴を一冊にまとめた画集は、さながら絵による自伝のようだ。
画家は「絵はすべて真剣に描いているので、静物画でも風景画でも全部が自画像だ」と言う。
時系列に並べられている”自画像”は非常に個人的な絵であるのだが、同時に普遍的な同時代感覚にあふれている。
それを種明かしするかのように、画家は私の父と同じ1934年生まれであり、
父が買ったあの絵は私の生まれた1962年に描かれたのだと画家は語った。


日勝の伝説、一明の同時代性
 夭折の農民画家、神田日勝(1937〜1970)は弟。

お相撲の世界では、おにいちゃん若乃花は、弟の貴乃花よりも一足先に引退したが、
芸術家は死ぬまで引退できない

 しかし、そのおかげで、
我々は、
日勝の伝説も、
一明の同時代性も、
楽しめるゼータクが味わえる。

 一明と比呂子夫人とは、1956年に結婚。
当時は2人とも、東京芸大の学生。
さながら、当時の2人はサルトルとボーボワールみたいだったのでは?

1960年の全道展では、一明、比呂子、日勝の3人が同時受賞し、話題に。
比呂子は彫刻家であり、「人体の形に対する厳しさ」を一明に影響させた。




★神田美術館
私設 神田一明・比呂子 作品展示館

旭川市高砂台5丁目6−3
℡0166−61−6976

国道12号線で札幌方面から旭川市内に入る手前の「高砂台入口」を右に曲がり、坂を登ってパークホテル、かずこ美容院を越えた位置。
もよりのバス亭は、道北バス「高砂台行きパークホテル前」下車。
無料の駐車場あり。

毎年、夏期のみの開館。(毎年作品の一部架け替え)
例年は、7月1日〜9月30日まで。
AM10:30〜PM5:00(月曜休館)
■入場料 200円

会場にて画集、絵ハガキ等販売。
『神田一明 画集』 3500円
『神田比呂子の彫刻』 1800円