■画家
Art ★神田 一明
Kazuaki Kanda
神田美術館 旭川市高砂台5丁目6−3 電話;0166−61−6976 私設 神田一明・比呂子 作品展示館 |
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夏期のみの開館。 (毎年作品の一部架け替え) 7月1日〜9月30日まで。 10:30Am〜5Pm 休廊;月 ■入場料 200円 会場にて画集、絵ハガキ等販売。 『神田一明 画集』 3500円 『神田比呂子の彫刻』 1800円 |
年月日 | できごと | |
1934年3月15日 |
東京都練馬区に生まれる。 父要一(40歳)、母ハナ(31歳) |
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1945年8月14日 |
11歳。小学校6年生。 東京の空襲が激しく、 一家(両親、兄弟5人)で開拓者として北海道河東郡鹿追村に入植。 |
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1948年 |
14歳。 帯広柏葉高等学校に入学。 |
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1955年 |
21歳。 東京芸術大学美術学部油画科に入学。 |
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1956年 |
22歳。 芸大生、岡野比呂子と結婚。 台東区弥生町に居住。 |
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1959年 |
24歳。 3月、東京芸術大学美術学部油画科、卒業。 4月、東京芸術大学美術学部油画専攻科に進級。 第14回行動美術展(東京都美術館)に初出品し、『裸婦』が入選。 |
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1966年 |
32歳。 第21回行動展で会友に推挙される。 4月、北海道教育大学旭川校美術科の教官として着任。 |
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1981年 |
47歳。 第4回北海道現代美術展(北海道立近代美術館主催)に招待出品。 第1回杜の会(梅田画廊企画)に出品。 個展(旭川市、市民文化会館)60数点出品。 4月、北海道教育大学旭川校美術科の教授に昇任。 |
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2000年10月31日 〜11月6日 | 旭川のヒラマ画廊で個展。 | |
2001年 |
北海道近代美術館が、1961年製作の『赤い室内』(油彩・キャンバス)を所蔵品にする。
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2005年 | 神田美術館に、比呂子の友人である奥村三千代(二科展)の裸婦像を2点、特別展示。 | |
2006年7月11日(火) 〜17日(月) |
ヒラマ画廊 北海道旭川市二条通8 丁目左1号 仲通り2F 電話;0166-23-9345 『全道展旭川地区小品展』 10Am〜6:30Pm(最終日4Pm) |
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2006年10月2日(月)〜7日 | 『神田 一明 個展』 in 札幌時計台ギャラリー |
『らんぷの会』 神田日勝・特集号 |
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■目次より
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神田一明(画家) 「弟、日勝のこと」 (抜粋) 1971年5月18日 『美術ペン』14号より転載。
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内田富雄 「ためらう心を持ったホモ・ルーデンス」 (抜粋) 『神田日勝遺作展』目録より転載。
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『北海道新聞』 1978年2月20日(月曜) |
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神田一明(画家) 「弟のこと」 (抜粋)
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『第6回朔展図録』 1991年 |
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神田一明(画家) 「題名不明」 (抜粋)
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『北海道新聞』 1995年1月28日夕刊 |
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神田一明(画家) 「私の一点」 (抜粋)
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『神田一明 画集』 1999年8月5日 |
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吉田豪介(美術評論家・市立小樽美術館館長) 「神田一明の画業〜その想像力と造形性」 (抜粋)
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新明英仁(北海道立旭川美術館学芸課長) 「現代社会へのメッセージ — 神田一明の一点の室内画から」 (抜粋)
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『北海道新聞』 1999年9月20日(月曜) |
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新明英仁(北海道立旭川美術館学芸課長) 「現代社会へのメッセージ — 神田一明の室内画」 (抜粋)
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※雑誌『しゃりばり』2000年6月号掲載の文章に加筆して、転載。 ■絵は同時代の証人〜神田一明氏 text by 久保元宏
絵の価値、絵の価格米屋への借金が払えなくなった未亡人は、亡き夫が大切に保管していたある画家の絵を借金の代わりに手放した。 ……なんだか、19世紀のパリのゴッホやユトリロの貧乏時代の話しみたいだが1991年のハナシだ。 かといって、その絵はバブル期のオークション品でもない。 正直言って、数十年前に故人が、その絵を買ったとき、その画家は若き無名教師だった。 さらに米屋は、その画家の名も知らず、故人と違って絵を鑑賞する才能も趣味もないガサツな男だった。 実際、数十万円の借金と交換に一枚の絵を持って帰ってきた夫を迎えた米屋の妻は、かなり驚いた。 なぜなら妻の知っている絵とはキャンバスに描かれ、立派な額に納まっている花や風景画であったのだから。 しかし、その絵はベニヤ板に描かれていて、額どころかカンナもかけられていないタル木が乱暴に四方にクギで打たれているだけなのだ。 しかも、その絵はピンクの壁の下方に空き缶らしきモノが平面的に描かれているだけ。 しかし、米屋はこの絵が気に入り、借金と交換したのだ。 全ての絵は自画像 以上はホラ話ではない。 なぜなら、その米屋とは、私の父であり、その絵は現在、私の書斎に掛けられているからである。 父によれば未亡人の説明では、どうやら作者は神田一明という人らしい。 不思議な存在感のある絵にひかれた私は、この作者の他の絵も見たくてたまらなかった。 それから数年経った2000年、北海道新聞に『神田一明 画集』の広告を発見した。 ずうずうしい私はアポなしで、画家の自宅兼アトリエにお邪魔した。 さっそく画集を買い、その場でページをめくった。 画風の実験がページごとに繰り広げられ、安易に巨匠になるコトを拒否する姿勢はシロウトの私にでも分かる。 約50年に渡る画歴を一冊にまとめた画集は、さながら絵による自伝のようだ。 画家は「絵はすべて真剣に描いているので、静物画でも風景画でも全部が自画像だ」と言う。 時系列に並べられている”自画像”は非常に個人的な絵であるのだが、同時に普遍的な同時代感覚にあふれている。 それを種明かしするかのように、画家は私の父と同じ1934年生まれであり、 父が買ったあの絵は私の生まれた1962年に描かれたのだと画家は語った。 日勝の伝説、一明の同時代性 夭折の農民画家、神田日勝(1937〜1970)は弟。 お相撲の世界では、おにいちゃん若乃花は、弟の貴乃花よりも一足先に引退したが、 芸術家は死ぬまで引退できない。 しかし、そのおかげで、 我々は、 日勝の伝説も、 一明の同時代性も、 楽しめるゼータクが味わえる。 一明と比呂子夫人とは、1956年に結婚。 当時は2人とも、東京芸大の学生。 さながら、当時の2人はサルトルとボーボワールみたいだったのでは? 1960年の全道展では、一明、比呂子、日勝の3人が同時受賞し、話題に。 比呂子は彫刻家であり、「人体の形に対する厳しさ」を一明に影響させた。 |