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森山大道。Around the life in his eye


リアルな、美しい
何も無い平面、存在する平面
追いかける写実、逃げられない写実
text by 久保AB-ST元宏 (2007年7月6日 2:42Am)

2007年6月26日の『共犯新聞』ゲストブックで、元・新聞記者のジャリ天さんへのレスで、私が
たまには、札幌☆日帰り文化の旅に行きませんか?
今週、29日(金曜日)に、札幌宮の森美術館『森山大道 写真展 <記録/記憶>』の午後7時からの森山のトーク・ショーを照準にして、
北海道立近代美術館『野田弘志 展』などを観て回ってくる、ってどう?
終了後の酒のために、運転するのはどっちにするかは、ジャンケンで決めることにしてー(笑)。
イケルのなら、連絡ちゃぶだい♪

と、書いたところさっそく、カキコの翌日にジャリ天さんから電話があり、予定通り、レッツ・ゴー♪

2007年6月29日 11Am
ジャリ天さんが私の自宅に車で迎えに来てくれた。ワインを呑みたい私が助手席(笑)。
まぁ、その代わり、失業中のジャリ天さんのために、彼の愛車に呑ませるハイオク満タンは、私の、お・ご・り♪
こうせい?後世のため?★経つぞ、あれから。そして、建つぞ♪何人くるのか?・・・まさか1人じゃぁ、費用対効果はどうよ?
更生保護施設が、ちゃく&ちゃくと作られている沼田町を、ジャリ天さんの運転で出発。
★ワン♪
1Pm よゆー☆あり&ありで札幌に到着したので、
『全道展』も観ることにする。

入り口で、800円の入場券を買う。
私が買った後ろで、ジャリ天さんが、にぶく固まっている。
「あ、なるほど、ね♪」
その時は彼には言わなかったけれど、
長い間、新聞記者をしていた彼にとっては、新聞記者として取材した会場での
全ての入場料は払わないで観ていたのが、もー習慣として染み付いているの、ね♪
しかし、それは、「ジャリ天さんだから」ではなくて、「新聞記者だから」、だったワケで。
失業中のジャリ天さんを顔パスで入れてくれる美術館など、この世には、どこにも、無い。
ジャリ天さんは、なんと、今まで『全道展』は一度も観ていなかった。
しかも、これから行く、北海道近代美術館にも、一度も行ったことが無かった。
新聞記者として、それでいいのかなぁ(笑)?
『全道展』の次に観る画家「野田弘志」は多少マニアックなので知らなくてもしょーがナイが、
なんとジャリ天さんは、最後に観る「森山大道」すら知らなかった!
新聞記者として、それでいいのかなぁ(笑)?

もう20年ほど昔、ボーボワールが死んだ時に、
当時、大学生だった妹に言うと、彼女がボーボワール自体を知らなくて、驚いたことがあった。
なんと、女子大生が、女性の権利を説いたボーボワールを知らないとは!
それを団塊の世代の叔母に言うと、一瞬、言葉を呑んだ後で、
「それはモトヒロが知りすぎているだけで、
もう世の中にはボーボワールどころか、サルトルすら知らない学生ばかりだよ。」
と、言われた。・・・・・・そ、そーなんですか、おばさん!?

「世の中には『全道展』どころか、『北海道近代美術館』にすら行ってない新聞記者や、
野田弘志どころか、森山大道すら知らない新聞記者がいるのだよ。」・・・・・・がくっ。
こんなんだから、『共犯新聞』が、なか&なか大衆新聞になれないんだねぇ〜。

まぁ、そんなんだから、クルマのハイオク満タンは私が払ったとしても、
今日の美術館入場券は全て自分のサイフから出す経験をジャリ天さんにはしていただこー、
とゆーのが、私なりの「啓蒙」の仕方なのよね(笑)、
と、『全道展』の受付で、しぶ&しぶ800円を払うジャリ天さんを見ていた私なのであった〜のよ。

実は私は今年の『全道展』には、
あんまし、キョーミがわかなかったので、
観なくてもイイや、と、思っていたんだけど、
まぁ、観たら&観たで、やっぱ、観て☆良かった(笑)。

なには&ともアレ、最高賞である「協会賞」に選ばれた、
志田 翼 「周囲の加速」の前に行く。
★完成度?手法♪撮影は、栄通さんです〜!
ここ数年、「協会賞」は事件性を含むと言っていいぐらい、
印象的な作品が続いた。
が、昨年の油彩から離れた島津 明美の段ボール作品
選ばれたことを境に、少しコンサバに選択眼を修正したような
印象がある、今年の「協会賞」作品なのである。
★手法♪
写真ではよく分らないであろうが、
この作品は、テクニックのデパートである。
つまり、この1枚の中に考えられる技術が多く含まれている。
たとえば、
写実的な顔に、明るいブルーの影を入れるセンスは、版画の影響?
洋服の模様はあえてフラットに切り絵のように描き、
幾何学さが現代性を出している。
人物の右下は、絵の具に砂のようなものを混ぜ、
マチエールを築いている。
人物を2つの確度から描き、映画的キュビズムを演出している。
写実的に描ききる自信があるからこそ、
タッチをわざと荒くして印象を強調する。
・・・・・・、など&など。
つまり、これ1枚で、複雑な批評を複眼的に吸収できるのだ。
分りやすく言えば、審査員ウケする作品である。
★全ての道は、ここからか?まぁ、ね♪
北海道中の画家志望者が、ここの中に自分の作品が飾られることを夢見る♪
★全ての道は、ここからか?まぁ、ね♪
すげーボリューム、っス。
こんなチョーシで、1&2階、全21室ある!
今回の全道展には絵画、版画、彫刻、工芸の4つの部門に819点の応募があり、
入賞が29点、入選が284点選ばれたんだそーで。
さらに、それに会員&会友を加えて、全ての陳列数は、なんと、559作品!

そして、審査員はこの公募展の「傾向と対策」を優等生的にクリアした作品を選んだ、のである。
それは、けっして悪いことではナイし、作者の努力には大きな敬意をあらわしたい。
しかし、この「行為」と、美術作品としての「魅力」は、別なのである。
そこが残念なところであるし、「魅力」を基準にしなかった審査員のセンスを思わず振り返る私なのである。
★宮ちゃんの、顔♪
写実では、若手No.1?宮地 明人「NEXT」
では、「魅力」とは何だろう?
私は、「魅力」という視点で、
今回の『全道展』を観てみた。

その答は、である。
「協会賞」の志田の作品は、
たしかに技法のオン・パレードだが、
人物の顔が美しくない。
もしくは、顔の表情に魅力が無い。

そう思って、全作品を観て行くと、
その傾向は『全道展』の特徴のようですらある。
たとえば、若手NO.1のテクニシャン、
宮地の作品も、絵が上手いのはアタリマエだが、
やはり人物の顔(&表情)に魅力が無い
これは絵画ばかりではなく、彫刻もそうだ。
東美穂の裸婦像も美しいたたずまいだが、
やはり人物の顔(&表情)に魅力が無い。

全559作品の中で、私にとって「魅力」があったのは、以下の作品だ。
荒谷真優子、川崎さつき、岸葉子、佐々木俊二、富田知子、安井孝、輪島進一川上勉、田中守

さらに、観ていて「言葉」が浮かんでくるのは、下記の作品だ。
會田千夏、加賀見恵美、神田一明桔梗智恵美高橋三加子、中村真紀、東本恵、松田知和、吉川博幸、阿南ゆう子、小菅和成、佐藤麗子、中嶋詩子
で、『全道展』をたっぷり観て、3Pm。
「ジャリ天さん、げっぷがでたでしょ(笑)?」
ジャリ天さんは最初、第一展示室しか無いと思っていたらしく、
ゆっくり&じ〜っくり、と、絵を観ていたんだけれど、
なんと、21室もあったんだから(笑)。

昨日まで気がつかなかったんだけど、
今朝、『森山大道展』のHPをチェックしていたら、なんと、
「トークショーの入場整理券は午前11時から配ります。」の、一行。
げげっ。そ、そんなに人気あんだ、森山センセー。
ってなコトで、まずは入場整理券をもらいに、札幌宮の森美術館へ。
初めて行ったんだけど、すげーバブリーな建物。
住所がなんだか聞いたことがあるよーな?
あ、Ryoさんの自宅の近所だ。さすが、ブルジョワ爺ー(笑)!

で、行ってみると、整理券Noは、83!
げっ。
もーそんなに?
「はい。でも、100番以内でしたら、本会場に入れますよ。」
「ほ・ほ、本会場?」
「整理券101番以降は、別会場で画像放送を観ていただきます。」
なんと、森山大道、大人気。
知らぬのは、元・新聞記者のジャリ天さんだけか?
★この道が、大道♪
めっちゃバブリーな建築!

★喰うぞ!ピッツアローネにて♪
オープン・カフェで白ワイン♪
ちょいと遅めの昼メシを、と、裏参道の『ピッツァローネ』へ。
ここは何度も来ているけれど、いつもクルマで来るのでワインが呑めない。
それが、今回は「運転手付き」ってコトで、冷えた辛口の白を、まず1杯。
ここは石窯でピザを焼くんだけれど、これが&また、うまい!値段は少々、高いけど(笑)。
通りに面した表側のドアをはずして、オープン・カフェ風になった席に、さわやかな風が〜。
すると、制服を着た高校生が帰宅の時間か、急に、ぞろ&ぞろ。
なんだか、彼らから、
平日の昼間っから外で酒を呑んでいるオヤジ(=不審者?)に観られているよーなキブンに。
ハイソなヨーロッパ旅行キブンから、
一気に不審者の居心地の悪さにトーン・ダウン!
がくりんこ。


4Pm ★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪北海道立近代美術館『野田弘志 展』へ。


★野田♪すごい。観よう!


さっきまで観ていた『全道展』は、上手い絵ばかりとはいえ、
しょせん、北海道のシロウトの中で上手な人が集まった展覧会(←失礼!)。
この71歳の現役画家の「絵の上手さ」とは、比較にならない。
またしても、「ワインは後戻りできない」定義がここでも当てはまってしまった。
たま&たま、沼田町からの道順で、『全道展』を先に観たんだけれど、
先に野田弘志の絵を観てしまったら、『全道展』はキツかっただろー。

野田の圧倒的な写実の技術を前に私は、
『全道展』で感じた「人物の顔(&表情)に魅力が無い。」を思い出していた。
野田が描く女の顔は、美しいのである。
まぁ、絵の女の顔が「美しい」のは、アタリマエなのかもしれない。
が、『全道展』では、そーでは無かった。
これは私の邪推かもしれないが、『全道展』の画家たちは、
美しい女の顔を描くことを恐れているのではないだろうか?
幼少の頃から「絵が上手」と周囲から言われて育った『全道展』画家たちは、
今、美しい女の顔を書いてしまうと、
幼少時の「お人形さん」を描いてしまうことになると恐れているのではないだろうか。
そこで彼らは、よりリアルなとして、
特別、美しくない顔=普通の顔を選択したのではないだろうか?
★野田♪女性の顔も、すごい。観よう! そして、野田のレベルまで絵が上手になると、
もはや美しいを描いても
リアルになるのだ。

★野田マジック。奥様の眉間♪
「メランコリア1」(1980年)
モデルは奥様、らしい。
是非、会ってみたい(笑)。

★野田マジック。空間の白の眉間♪
「THEシリーズ」(1997年〜)
・・・知的な写実。
★野田マジック。エンピツの眉間♪朝日新聞の連載小説のために描かれたデッサン群は相当なペースで描き上げたと思われるが、ミクロな線を重ねて描いた画面は、どうやって描かれたのか、近くで見てもよくわからない。高い集中力を持って描かれた緻密な画面は、白紙上に小宇宙を成しており、唖然としてしまうほどである。
「鉛筆画シリーズ」(1983年)
・・・描いた絵を縮小したと錯覚するぐらい精密。
★野田マジック。写真じゃぁーないんすよ、これ♪
「屈斜路湖八月」(1988年)
それにしても、野田は絵が上手すぎる。

左の風景画など、まるで写真である。
私はマジに、これ、
写真のパネルが展示してあると錯覚してしまった(笑)!

ここまで写実に描くとなると、いじわるな言い方をすれば、
画家にできることは、対象を選ぶことだけ、のよーな気がする。
だって、何を描いても、そのまんまに描き写せるのだから。
それは、つまりカメラマンが最初から「写実」を条件にしていることを疑わずに、
被写体を選ぶことと同じだ。

そんな思いを脳味噌でゆらしながら展覧会の会場を前に進んでいると、
後半に「THEシリーズ」と名付けられた、
白い空間に白い骨や白い羽を配置した作品群が待っていた。
野田の1970年代の作品群には、
「黒の時代」と呼ばれる
暗黒を背景にしたシリーズがある。
やませみ 1971年★野田マジック。写真じゃぁーないんすよ、これ♪
「やませみ」(1971年)

白い背景を持つ「THEシリーズ」は、
「黒の時代」とシンメトリーに位置しているかのように感じられる。
しかし、その連想はあまりにも単純すぎる。
つまり、黒は1種類しかなく、
白は無数の種類があることに気がついていない連想だからだ。

実際、「THEシリーズ」の背景の白い壁の「白」は無数の複雑な「白」が描かれている。
まずは、「白」い壁に横たわる白のバリエーションとしての影、だ。
さらに、野田は白い壁にわざと白い板を貼り、それを描き分ける。
また、粘着テープがはがされたような跡が白い壁に残る複雑さも正確に描きあげる。
それらは、さすがに、お見事。
30年以上前の「黒の時代」では単純に黒く塗りつぶしていただけなのが、
ここでは複雑な白が描かれているのだ。

「THEシリーズ」の恐るべき究極の作品は、「THE-9」だ。
162.1cm×130.3cmの大きなキャンバスが、ただの白い壁になっている。
その中心に上から下に向って白いロープが細くたった1本、垂れ下がっているだけの絵だ。
ここにいたって、私は野田の声を聞いたような錯覚を憶えた。
つまり、
「私は全てを正確に写実に描くことができる。
白い壁は、ペンキ職人が白く塗ったものだ。
私は、そのペンキ職人の描いた白い壁を模写したのだ。
しかも、正確に。」、と。

全てのものを、そのままに描くことができるのであれば、たとえば、
何も無くても、そのまま描けるという自信。
それは、かなり過激な思考だ。
中途半端に絵が上手い画家(=たとえば、『全道展』画家のような?)は、
存在するものを、そのままに描くことができる。
しかし、野田にとってはそんなことはアタリマエであり、
存在しなくても、そのままに描くことができるのだ。
その告白として、ペンキ職人が塗っただけの白い壁を、
ペンキ職人が塗ったままに描いたのだ。

その魅力に気がついてしまった私たちは、
たとえば薔薇の絵を観せつけられても、
薔薇よりも、その背景の「空間」の「白」を見つめてしまう。
野田の恐るべき写実の技術により、
何も無い平面が、
存在する平面へと「進化」してしまったのだ。
花よりも、白い布!「画家にとって、写実の真髄とは、存在するモノ自体が内奥にもっている凄みと美しさを視覚化することである。」(佐藤由美加氏 解説より)★野田マジック。空間の白の眉間♪

札幌に、現代日本の最高のアートが来る!
2007年6月8日(金)
〜7月29日(日) 休み;月
11Am〜7Pm
\500、高大\300

森山大道 写真展 <記録/記憶>
最新作から北海道記へ、
そして写真家の内なる旅』
★森山大道 写真展 <記録/記憶>♪
<関連イベント>
 KEIKO McNAMARA
キャンドルナイト・JAZZ LIVE!
 ゲ ス ト:ケイコ・マクナマラ
 日  時 :6月28日(木) 7Pm〜8Pm
 参加費 :展覧会入場券のみ

 DAIDO MORIYAMA ギャラリートーク
 ゲ ス ト:森山大道 他
 日  時 :6月29日(金) 7Pm〜9Pm
 参加費 :展覧会入場券のみ
2007年6月12日(火)
〜7月14日(土) 休み;月
9:30Am〜5Pm
\1000、高大\600、小中\400

『開館30周年記念
野田弘志 展
写実の彼方に』
★野田弘志♪
2007年8月10日(金)
〜9月30日(日) 会期中無休
9:45Am〜5:30Pm
\1000、高大\800、小中\400

『澁澤龍彦 幻想美術館』
★ジュゼッペ・アルチンボルド《ウェイター》1574年 油彩・キャンバス 大阪南港ふれあい港館蔵♪も、あるでよ。
5:30Pm 『全道展』、『野田弘志展』と観てきて、もーマンゾクなんだろーが、
今日の目的は、これから、だ。
その手★その黒♪
なんせ、生きるカリスマ、
森山大道の生トークなのだ。
まずは、作品を楽しむ。
同行のジャリ天さんは
「?????」な、感じ(笑)。
これのどこがスゴイの?
っー感じ。
「もっと大きなプリントとか
あるのかと思いましたよ。」
「あはは。新聞社では
ボツ写真にされたよーなの
ばっかが展示されている
よーな印象でしょ(笑)?」
「・・・・。そ、そーです。」
その手★その黒♪

それでも、私にとっては今まで写真集だけでしか観ていなかった森山の代表作や、
ニュー・プリントの新作が大量に観れるので、ひそかに、興奮(笑)。
野田弘志のキーワードは、
「白」と「黒」でもあったが、
白黒写真ばかりの森山も、まさに、それ。

あっ!と気がついたのは
森山のもっとも有名な作品、右の「犬の町」は、
野田の代表作「やませみ」と同じ
1971年の作品なのであった。
これって、ただの偶然!?
今年、71歳の野田と、
69歳の森山は同時代人なのだ。
その眼★その黒♪
「犬の町」〈『何かへの旅』)(1971年)

そして、野田弘志のもう一つのキーワードは、写実
しかし、「絵画」と「写真」では写実は、まったく逆の重みがある。
つまり、「絵画」では、追いかける写実であり、
「写真」では最初から、逃げられない写実であるのだ。

宗教画やパトロンの肖像画といった写実ばかりを追求させられていた画家は、
19世紀に「印象派」という脱・写実の快楽を発見した。
それ以降の「絵画」は、写実を価値としない路線であった。
しかし、その価値は画家たちが自らを催眠術にかけただけであったのだ。
画家&絵画にとって、やはり、写実とは追いかけるべき価値があったのだ。
それは、写実を達成できた野田弘志の作品が、その技術力を通じて雄弁に示している。

一方、写真は、誰がどー撮ろーと、「写実」に写ってしまう。
森山大道が「新しい」のは、写真のブレやボケをあえて引き受けて、
「写実」を超えようとしたところだ。

7Pm 森山大道の「ギャラリートーク」が始まった。事前に整理券「No.83」を入手していた私は、かなり前の席の中央に座ることができた。
客は全てで200人ほど、か。
★言葉!言葉!言葉! 森山のトーク・ショウは予定時間を大幅にオーバーして、つき進んだ。
あまった時間での「質問コーナー」では、客席から質問が途絶えない。
これは「質問」ではなく、あこがれのカリスマと「会話」をしたいだけ、
のようでもあった。
そう。観客は、若い写真学校の学生が半分。
残りは、商業カメラマンと広告代理店の社員風。
私と一緒に行ったジャリ天さんも元・新聞記者なので、
「写真」とはまったくカンケー無い観客は、
またしても(!)私、だけ・のよーな雰囲気(笑)。
帰りに、客席に美術家の阿部典英氏が座っているのを見かけた。
さすがアート界のサンタクロース!座っているだけでも、目立っていた(笑)。
っーか、彼の勉強熱心にも感心した。
本来であれば、森山の話を聞きに写真カンケーだけではなく、
アート関係も来るべきなのだ。
それどころか、演劇関係、映画関係、文学関係たち、も。
なぜなら、森山が一人で共犯の回路になっているのだから。

森山のトークは、めちゃくちゃ面白かった。
たとえば、
「写真は、うずうず、ざわざわ。」
「全ては、等価。」
「写真は、量だ。量は、欲望だ。」
「日常の中に充満している非日常を、つまみ出せ。」
「文学や絵は過去も描ける。写真は、今、しか写せない。」
「世界はいつも、決定的瞬間だ。」
といった具合に、名言マシンガンなのである。

そんな魅力的な森山の言葉の中で私が一番、印象的だったのは、
「なぜ、森山さんの写真には、あまり顔が写っていないのですか?」
という質問の答え。
「顔は具体的で、つまらない。」
この発言は、今日一日、
リアルな、美しいを考えてきた私に、ズキュン。
新宿。その眼★その黒♪
「10・21」(1968年)

★写し続けろ! 森山のトーク・ショウが終わってから、
私はジャリ天さんに、少しイジワルなことを聞いた。
「数時間前にジャリ天さんが生れて初めて森山大道の写真を観た時は、
つまんねー、って感じだったけれど、
彼のトークを聞いてから、もー一度、彼の写真を観ると、
すげー魅力的に観えてきたでしょ(笑)?」
「はい。」
「言葉は、作品を成長させるんだよ。同時に、観客も育てる。」
「はい、はい。」
「それは、とっても面白いんだけど、同時にソレは、ダメなことでもあるんだよね。」
「はい?」
「作品は言葉が無くても、作品だけで自立していなければダメ、なんだ。」
「はい、はい。」
「んで、そんなコトは森山大道は、すでに承知なんだよね。」
「は、い。」
「それでも、彼は、うつむき加減で、
今夜のように饒舌に自分と写真のことを話し続けるんだよ。」
「はい。」

10Pm この日の予定が全て終わって、あとはワインを呑むだけ♪
当初は、せっかく運転手付きだから、新規開拓(笑)のつもりだったけれど、なんだか今日は、いきつけの「店」に行って、旧交を楽しみたい気分。
んで、ススキノはずれのビストロ「ル・プラ le Plat。ムッシュとマダムが2人だけでやっている店、だ。
まずは料理をじっくり選ぶ。
うん、この3品だね。
「鶏と豚のムース・パテ」
「イカのアンチョビ和え」
「牛の胃袋トマト煮、
サフラン・ライス添え」
どーだ!?

料理が決まると、
私に選ばれた料理と
私の趣味に合ったワインを
オーナー夫人の、ともちゃんが、
膨大なワイン・コレクションの
中から選び出し、
数本、テーブルに並べる。
う〜ん、どれにしよっかなー。
と、悩むのも、また楽し♪
で、カントナック・ブラウンの
セカンドワイン、
「ブリオ・デュ・
シャトー・カントナック・ブラウン」
の2001年にいたしました♪

その香り★その赤♪
★So! 久保も喰うぞ!ル・プラにて♪
「鶏のパテ」をオーダーしたら、「2人だから」と、
「豚のパテ」も添えてくれた♪
←料理を前に私の手は、ゆら&ゆら。
あれ?
これって今日、『全道展』で観た
輪島進一の絵じゃん♪
★今回も、楽しめました〜!
輪島進一「オブリガード」
野田弘志と
対等に向かい合える『全道展』の画家と言えば、
彼、か。
今年も昨年同様、魅せられました。

ここ、ビストロ「ル・プラ」は、オープンと同時に私は1988年から通っている。
当時、札幌の貧乏サービス残業サラリーマンであった私が
ワインと西洋料理の味と魅力を憶えた店だ。
金も無かったが、ワインの知識も無かった。もちろん、料理も無知。
その頃の私の「学校」でもあったワケで。
実は今でも、ここのトイレには私の書いたラクガキが残っている。
正面の右上のワイン・ラベル「DELICATO」の上に書いたやつ。
「I'm just stupid ! '89.10.23」、だって(笑)。
当時、西洋料理とワインの底無しの奥深さに
ノック・アウトされた夜のイタズラ(がくっ)。
オーナーも、これを知っていていまだに、このままにしてある(笑)。

★喰うぞ!Oh! ル・プラにて♪
★喰うぞ!ル・プラのムッシュ♪
店は午前0時までだけど、いつも、客が全て帰ってからが、長い(笑)。
この夜は、フランスの豚のハムの食べ比べ。
有名な「イベリコ豚」のハムと、
ピレネー山脈の旧地方名である「ビゴール」の、
「ビゴール豚」のハムの食べ比べ。
ムッシュが、むんずと豚の足を2種類出してきて、手酒をやりながら切ってくれた。
たしかに「イベリコ豚」も美味いが、
「ビゴール豚」のフルーツのような口の中での溶け具合には、まいった。
クリスピーな風味があると思ったら、ビゴール豚のエサは、
人間が与える、ごく少量の大麦やライ麦といった穀物類だけで、
腹をすかせたビゴール豚は、一年中、牧草とドングリをひろって食べているそーだ。
また&また、私はこの店でベンキョーしちゃったのだなぁ。

今日は美術館に3ヶ所、行ったんじゃーナクって、ビストロ「ル・プラ」を入れたら、美術館、4ヶ所、だよな。
いつもは、このチョーシで、夜明けまでワインを呑むんだけど、
なんせこの日は金曜日。
翌日、っーか、数時間後の午前8時から沼田町で仕事。
さらに、午後4時から近所の後輩の結婚式だ!
帰ろー。
さっ、ジャリ天さん、運転、お願い・ね・っ(笑)♪
★日は昇る♪
夜明けを見ながら、午前4時に帰宅。
次の指令!
明けての日曜日は、
午前9時から
『沼田町民運動会』、だど(笑)。
それを午後から抜け出して、
江別市の劇場で
午後3〜8時のロング・ラン・イヴェント
『ポーランドの寺山修司』、だ。
私のオン・ザ・アート・ロード・アゲインは、
終わらない?





あ、寺山修司も、
森山大道と一緒に
写真集を出していたね。
と、思い出しながら、
お布団で午前7時まで少し、
気絶。




ジャリ天さんの日記

2007年07月01日 00:56Am
美術展めぐり


金曜日、美術好きの某氏と札幌で美術展めぐり。
1.全道展(札幌市民ギャラリー)
一枚目の写真
2.野田弘志展(北海道近代美術館)
http://www.toyohaku.gr.jp/bihaku/noda-h.htm
3.森山大道写真展(札幌宮の森美術館)
http://www.moriyamadaido.com/

で、色々と面白かったのが、森山大道写真展。
結論:森山大道って、絵画で言うピカソみたいなモンじゃなかろか。
正直、この人物についての予備知識は全くありませんでした。写真展の会場に入ったときの第一印象は「なに、この、ボツ写真供養展」と。
そのイメージはトークショウにて変わったわけですが。この方、普通にカメラマンです。ただ、そのノウハウと実績を持つ人が、自分自身の確信と論理的裏付けをもってして、ただのスナップのような写真を撮り続けるから評価を得られたと、今はそう理解しています。
森山氏は写真を「記録」だと言います。その通りです、カメラはそのレンズが受けた光を集め、フィルムやCCDに記録していく道具です。写真はその人の内面を映し出すやら何やら言われますが、根本的な本質は、まずそこにしかありません。
どうも、最近は写真ブームがあるようです。ヴィレッジヴァンガードなんかでも、フィルムカメラを扱っていて、取り扱っているフィルムの種類も街のカメラ屋さんより多いくらいです。でも、ブームにぶら下がっている人たちは、写真に関する基本的な知識をもたずに、イキナリ森山氏が知識と実績があって選択した世界を目指しているような気がしてなりません。
なんだか、集まったオーディエンスを見ていてそう思ったですよ。今回の写真展、後援に道教育大の岩見沢キャンパス美術課程がついていて、教授から動員をかけられたのか、いかにも、らしっぽい人たちがたくさん来ていました。開場までの一時間ほど、ロビーでそんな人たちの様子を見ていました。カメラを首からぶら下げている人たちがいます。カメラも(なぜか)キャノンのAE-1とかMAMIYAのレンジファインダーとか妙に古いカメラを抱えています。でも、みんなレンズキャップをしたままでシャッターを切る音は聞こえてきませんでした。ああ、ファッションの小道具でしかないのかな、とか思ってみたり。美術館のロビーだけあって、結構面白い空間だったのですよ。デザイナーズ系のチェアがあったり。鏡張りの柱があったり、さ。
ただ、トークショウの後、触発されたのか、森山グッズの物販をしている店先に群がる来場者に向かって、控えめながらもシャッターを切っている人はいましたが。
最初に書いた、ピカソのような〜、はそういう意味です。本当に写真の構図やら露出やら、現場でシャッターを切る度胸やら、焦点距離、現像の際の薬剤の選択や手焼きの感覚などを知らずに、結果だけをまねているのではないか、と。それは一時的な写真の隆盛にはつががるけど、そういうスタンスで写真を撮っている人たちは、止めるのも早いのではないか、と。
ま、別に趣味の話だからそれでいいんですが。
森山氏はTRY-X派だそうです。
ちなみに僕はネガはフジ、ポジはコダック(E200とかEPPとか)です。

二枚目の写真は、帰りに寄ったフレンチのお店で。
なにやら、複合装甲の中身のような、蜂の巣のようなハニカム構造の物体が映っていますが、…これ、牛の胃袋だそうです。