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Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、大阪の乙画廊まで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!阿部 典英 サンタクロース武勇伝


★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪ギャラリーどらーる 札幌市北4西17 HOTEL DORAL 1F
『阿部 典英 展』 2004年12月1日〜30日(木) 8Am-7Pm
〜〜 ネエ サンタクロース あるいは 豊饒なる「嘘」の季節 〜〜
Text by. 久保AB-ST元宏 (2004年12月23日・記)


12月の個展だからって言うわけではないが、阿部典英はサンタクロースである。So this is a X'mas !ネエ サンタクロース あるいは 豊饒なる「嘘」の季節12月の個展だからって言うわけではないが、阿部典英はサンタクロースである。
そのゴージャスな風貌、夢を届ける懐深さ、祭りの後の孤独の匂い。そしてなによりも、いかがわしい。
こうして語っていても、それが作品なのか作者本人のことなのか、もうすでに領域に意味が無くなっているのだから、やはり彼はファンタジーの国からトナカイに鞭打って作品を届けに来たのだとしか思えない。そして素直さを失った私たち子どもOBの関心は、サンタクロースは本当にいるのか?という懐疑に集中する。つまり、阿部典英は本当にいるのか?

確かにいるのだろう。私も目撃した。パルコ札幌店の横を彼が大またで歩き去っていったのを、私は自動車の中から見たことがある。
しかし、だ。たとえば、もしこれが森山誠画伯であったら私は気が付いたであろうか?・・・・・・。いや、もちろん森山画伯の外観が地味だという意味では、ない。たぶん。
では、あれはやはりサンタクロースだったのか?
そもそも芸術家とは、「いかがわしい」錬金術師である。ミケランジェロよりフェルメールは、いかがわしかった。フェルメールよりゴッホは、いかがわしかった。ゴッホよりダリは、いかがわしかった。ダリより荒川修作は、いかがわしかった。荒川修作より村上隆は、いかがわしかった。そして2004年、村上隆より小沢剛が、いかがわしい。
つまり、いかがわしさとは、可能性の代名詞なのだ。たぶん。
少し饒舌に言い換えてみよう。人類最初の職業が売春であるのならば、人類最後の職業は芸術であると、私は思う。と、すれば、人類最初の買い物が「性」であり、最後の買い物が「芸術」なのだろう。もちろん、「性」にしても「芸術」にしてもユーザー側に何らかの「渇き」がなければ価値は生れてこない。ユーザーの「渇き」をつまみ出す能力を持つ者を、「プロ」というのだろう。そして、ユーザーと同じ「渇き」を共有する者を、「オヨメサン」と言うのだ。
誰もが愛する人の前で、最後のサンタクロースになりたがる。しかし、最後のオヨメサンが幻想であるように、最後のサンタクロースも儚い運動体にすぎないのかもしれない。

それでも、阿部典英はプレゼントを届けに来てくれた。
プレゼントの箱を開ければ、そこには錬金術師の魔法がかかった宝物が詰まっている。またもや豊饒なる「嘘」の季節がやってきたのだ。我々は喜んで、阿部マリアならぬ、阿部サンタにだまされたいのだ。
狂言回しは、貝だ。それも、巻貝ではなくて二枚貝。二枚貝には、フタを開ける・という箱の暗喩が準備されている。
どうやらサンタクロースはプレゼントを作る前にスーパーマーケットで貝を買い、台所で料理し、ぺろりと食べたようだ。たぶん、暖炉のそばで。

食べられて開かれた二枚貝は、二枚の貝殻を左右に羽のように広げ、極彩色の蝶に変身する。
二枚貝、蝶、フタを開けた箱。これら全てはシンメトリーである。作者の中でシンメトリーのイメージがどんどん膨らんでゆく。
箱の下にひかれた英字新聞に当時の金大中(キム・デジュン)韓国大統領と金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長のカラー写真を見つけることが出来る。作品「貝と遊ぶ(向き合う貝)」では、箱の下にひかれた英字新聞に当時の金大中(キム・デジュン)韓国大統領と金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長のカラー写真を見つけることが出来る。つまり、韓国と北朝鮮もシンメトリーであり、二人のキムもシンメトリーとして、38度線をはさむ「向き合う貝」であるというメッセージの贈り物。
ただし、この作品で左右に広げられる歯ブラシとカラスの羽のシンメトリーは、つまらない。自然界のシンメトリーが美しくもあり想像力を激しく刺激するのに対して、人工のシンメトリーは凡庸であり思考を停止させる。箱庭であれ、タブローであれ、限られた空間に素材(=イメージ)を置いてゆくのが技法の基本であるのだから、歯ブラシや羽のように長い素材をもてあましてしまった時に陥るのが、最も安定した構図としてのシンメトリーの誘惑である。この作品は、その誘惑に負けた時に錬金術師の魔法が弱まるギリギリのラインの提示である。
同じように長い素材をもてあましても、作品「貝と遊ぶ(仕切られた部屋) 」のように対角線上にアルミの棒を置いてイメージを殺さない方法もある。
こうして作品を見てゆくと、絵画を描くときのストロークの快楽が、ここでも「オブジェのストローク」として同様に成立していることが分る。

★流木など、海から打ち寄せられた廃材を、古い漁箱に詰めて再構成した作品だが、中央にはめ込んだ明るい抽象作品が、想い出の温もりを胎んで周囲の漂流物の一つ一つを照らし出し、彼にとって、何ものにも変え難い宝ものに変じている。ストロークがあるのであれば、マチエールもあるわけだが、阿部のこのシリーズの場合の特徴をあえて言えば、「死体のマチエール」であろう。
最後のサンタクロースが成立不可能であっても、人生最後のプレゼント箱は成立可能だ。つまり、それは棺桶箱である。
それは死んだ貝が(=絵画?)箱に入れられているだけの理由ではなくて、貝が無くとも私の好きな作品である「アサリ ノ ガレキ」に見ることが出来る。ここでは、木片がパズルのように箱に並べられている。一見、パズルの作業が先行した作品に見えるが、よく見ると素材は木で統一されてはいるものの、それらはけっして自然界の木だけではなく、木工場で精選加工された垂木であったり、古い道具の一部分であることを自己証明するかのように消えない紅白のペンキが塗られたままの木片であったり、錆びたクギが忘れることを許さない記憶のように刺さったままの人間の匂いの残る生活廃材であったり、流木であったりもする。それは、題が示すとおり「瓦礫」ではあるのだろうが、私には、全ての木は最初は自然界の木として生まれ、ある木は森の中の木のままに死に、またある木は家具や家屋や道具に加工されたのちに不要にされて死に、他の木は死んだまま流木として姿を変えたりしながら、それぞれの長い物語を寡黙なままに背負って、また再び、この小さな箱の中に木として「再会」しているように見えてならないのだ。もしかすると、これらの木片はかつては同じ1本の木だったのかもしれない。

ほとんどが自然物のコラージュでありながら1点、赤いペンキが記されているのが阿部の作家性の主張であろう。★流木など、海から打ち寄せられた廃材を、古い漁箱に詰めて再構成した作品だが、中央にはめ込んだ明るい抽象作品が、想い出の温もりを胎んで周囲の漂流物の一つ一つを照らし出し、彼にとって、何ものにも変え難い宝ものに変じている。このシリーズの最も初期の作品「イシカリ ノ ヌシ」(1997年)は、箱の中に崇高な記録のように黒い羽が1本、同じイシカリで拾われた流木などを従えて鎮座している。ほとんどが自然物のコラージュでありながら1点、赤いペンキが記されているのが阿部の作家性の主張であろう。そしてこの1点の赤が全体のモノトーンさを強調することに成功し、シックな雰囲気を作り上げている。
シリーズのスタートは、このように自然界の色への興味を記念品のように閉じ込めることから始まったようだ。
それは単純に石狩や朝里などの彼が住む札幌から日帰りで行ける範囲の海岸での「オトシモノ」であったり「ナガレギ」であったりしたわけだが、素材をお土産のように受け身で楽しんでいたのから徐々に「ナゲキ」や「オモイ」と言った能動的な表現欲に阿部は踏み込む。その素材に対する「受け身」から「能動」への作家としての姿勢の変化は、かなり大きい。私はその変化のきっかけの中心に、先ほど触れた「アサリ ノ ガレキ」があったのではないかと思う。それは素材への感情移入の芽生えである。

また、阿部の面白いところは小樽の朝里を、貝のアサリとダブル・ミーニングをして、題をカタカナのまま「アサリ」とした点だ。もっとも、これも私の想像だが。
偶然の造形が、女性器が貝に似ているという古典的なイメージを再発見させてくれたと思うのだ。貝という魅力的なイメージの発見は、アトリエにゴミのようにたまった海岸での拾得物を、箱から離れて作ってみた「カミガミ ノ カオ あるいは オヨメサン」の制作によってもたらされたのではないかとも、私は想像する。つまり、1992年の「オヨメサン」シリーズと、世紀末の「貝」シリーズの結婚である。偶然の造形が、女性器が貝に似ているという古典的なイメージを再発見させてくれたと思うのだ。

「貝と遊ぶ−おんな」のように恐ろしいほどに完成度の高い作品に到達していったのだ。そして、2000年から阿部は一気に「貝」シリーズに突入する。その幕開けが先ほど触れた「貝と遊ぶ(向き合う貝)」だ。ここからは「受け身」の姿はまったく消えて、怒涛の「能動」作風へ突き進む。私がシンメトリーの危うさを述べさせていただいたように、「貝と遊ぶ(向き合う貝)」はやはり新展開の習作でもあったのだ。とにかく、「貝と遊ぶ(語り合う)」のようにまるで自由にスケッチをするように多作していったのであろうと思う。その結果、「貝と遊ぶ(A pen that wrote“I love you”)」や「貝と遊ぶ−おんな」のように恐ろしいほどに完成度の高い作品に到達していったのだ。

ところで貝が女性器であるのならば、男性器は何で象徴されているのだろうか。おそらくそれは、「貝と遊ぶ(向き合う貝)」などの弱々しい歯ブラシであったり、「貝と遊ぶ(夕焼け)」の滑稽な田舎紳士のような洋傘の柄だったり、「貝と遊ぶ(アワビ)」での無数の矮小な吸殻であったり、「貝と遊ぶ(A pen that wrote“I love you”)」での青白い文学青年臭のただようペンであったりするのだろう。いずれにせよ、阿部の作品では男性器よりも女性器主義(?)とでも言える賛歌を謳いあげており、「貝と遊ぶ(羽根)」中央の黄色い楕円の廃物や、タワシや蝶などの繰り返される素材もが逞しい女性器として読み取れるように散りばめられている。その結果、個展会場の全体の作品同士が素材の暗喩を呼応し合い、大きな意味を創出しだすのだ。
こうして増大する複雑性を維持する自己整序のメカニズムの中心のイメージが、やはり貝なのだ。

じっくり観る栃内先生★拾った貝、食べた貝の殻、流木や烏の羽根や紐など、海から打ち寄せられた廃材を、古い漁箱に詰めて再構成した作品だが、中央にはめ込んだ明るい抽象作品が、想い出の温もりを胎んで周囲の漂流物の一つ一つを照らし出し、彼にとって、何ものにも変え難い宝ものに変じている。それにしても、阿部はなぜこんなに貝に固執したのだろうか?
彼自身は幼少の頃を過ごした島牧の海岸でのアサリ採りをその理由として語っている。
しかし、私の説はこうだ。もしかすると、彼の美術家としてのスタートとなった1961年、彼が22歳で佳作賞を得た「シェル美術賞」のスポンサーの貝のマークのことではないのか?彼が言う「貝と遊ぶ」とは、今では北海道美術界を背負う程の「巨匠」として羽ばたいた極彩色の蝶が、もう一度、硬質な貝にもどり、「初心と遊ぶ」ということなのかもしれない。
その「初心と遊ぶ」という密室のダンディズムが、美術教育や北方圏アートプロジェクトといった他角度の初心者への「啓蒙活動」という今の彼のライフ・ワークと真っ直ぐ結びついていると私は思うのだ。今回の個展は、ギャラリーどらーるには珍しく最新作が無いというのも彼の「啓蒙活動」の多忙さの証明なのだろう。
もちろん、その副産物として多くの教え子が育っているようだ。
しかし、私は彼が中心になって活動されているいわゆるポルト・ギャラリー作家群の崇高な姿勢と技術力を認めながらも、そのあまりにもソフィストケイトされた作品に、なにか殺菌されてしまったイメージを感じてしまうことを告白しなければならない。商品にとって殺菌はセールス・ポイントだが、はたして殺菌された芸術にどこまでの魅力があるのだろうか。
私が思う阿部典英の本当のライフ・ワークとは、殺菌された美術教育ではなく、彼自身の「いかがわしさ」を街頭にばらまくことにあると思うのだ。
「殺菌」と「いかがわしさ」がシンメトリーになった奇蹟の二枚貝が、今年のクリスマス・ディナーのスペシャル・メニューになるのかもしれない。

サンタクロースは気がついているのだろうか?
子どもが本当に欲しいプレゼントは枕元の靴下に入れられた箱ではなくて、サンタクロース本人自身であるということを。

ギャラリーユリイカ 札幌市中央区南3西1和田ビル2階
『ギャラリーユリイカ 開廊25周年記念展 THE-HAIKU 俳句を描く25人の作家』
2005年7月4日(月)〜7月24日(日)
★すごい組み合わせ!全て鈴木葉子さんの企画です。
▲北海道画壇の重鎮、阿部典英画伯も参加する企画展。