張り見世 | 引き手茶屋 | (続々追加予定です) |
詳細 | すごくザッパな (^^;; ご説明 |
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張り見世 |
通行中のお客さんから見える場所「張り見世」に遊女さんが並んで、お客さん達にお披露目をします。最初は場所の名前だったのですが、動詞が付いて「張り見世をする」になり、行為自他を「張り見世」と呼ぶようになりました。 土間と張り見世の仕切りである「籬(まがき)」について、「総籬は大見世うんぬん」書いてあるのは、間違いなくパクリ本です。そもそも「籬」は吉原の専売特許じゃなくて、木を格子状に組んだものを、平安時代からそう呼んでいたんですよね。仕切りに「籬」を組んだのであって、仕切りを「籬」と呼ぶわけではありません。 ←クリックしていただくと詳細なページがあります。 |
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引き手茶屋 (茶屋と重複) |
吉原の花 歌麿 寛政5年(1793)頃 ワーズワース・アテネウム蔵 |
江戸期の「茶屋」という言葉は、「接待をする場所」みたいなニュアンスのオールマイティーな意味を含みます。前にそれぞれの言葉を付けて専門化しているんですよね。 「オカマさんBAR」の「陰間茶屋」、スナックとコスプレ喫茶って言うか、今なら「お帰りなさいませ、だんなしゃま」のメイド喫茶まで併せた、早い話が看板娘がいる前提の「水茶屋」、本格的な料理を用意できる「料理茶屋」ナドナド、挙げれば切りがない専門化された「茶屋」があります。 薀蓄本でよく見かける「遊女とお客さんを会せて、酒宴等をする場所」っていうのは、吉原遊郭内、それも仲の町を中心にした一部の引き手茶屋なんですよね。そして、吉原の「茶屋」は引き手だけの為にあった訳ではなくて、江戸文化伝播の中心地でもありました。 ←クリックしていただくと詳細なページがあります。 |
ビジュアルで贈る、新吉原! なんて、大したもんじゃないのですが<=おい!、 私がこのサイトで使っている、あるいは使おうと思っている図をまとめてみますね。もちろん著作権の存在しているものは避けています。 版権/編集権等が残存する出版物からの転載も基本的に避けていますが、どうしてもお見せしたい物は、「引用」として、明示しておりますので、是非原本にあたって見て下さいね。っで、買ってあげて下さい。でも、アマゾンさんのアフェリエイトはやっていないので(笑)、ご随意に。 また白黒の資料は「複写・転載自由自在 江戸時代風俗さしえ集」国書刊行会(ISBN4-336-03344-7)を使用しております。 |