張見世



北楼及び演劇図巻(部分) 菱川師宣
北楼及び演劇図巻(部分) 菱川師宣
寛文後期〜元禄期(1672〜89) 東京国立博物館

左端に牛(伎夫)台が見えので、湯女の吸収後の寛文以降の吉原であることがわかります。
道側の仕切りは、よく薀蓄本にに載っている紙の張ってない障子みたいな細かい格子じゃ無いことが判ります。牢屋じゃないんだから(笑)
遊女さんたちも、楽器を弾いたりしています。


張見世の図(部分) 宮川長亀
張見世の図(部分) 宮川長亀
享保(1716〜1736)頃  大田記念美術館蔵

享保年間の吉原を描いています。髪形にもご注目。
宮川春長は風俗や衣装・髪型など精密な写実が多く、その時代の実体を知るのに重要な手がかりになります。これも格子ではありませんし、土間に。籬(まがき)はありません。
この図に限らず、張り見世の図では、遊女さんは寝転んだり、三味線を弾いたりしてます。服装から弾いているのは芸者さんではないことも判ります。

扇屋夜の張見世 喜多川歌磨

扇屋夜の張見世 喜多川歌磨
文化3年(1806)  たばこと塩の博物館蔵

正面は奥との仕切り。向かって左が籬(まがき)です。総籬なので、大見世なのが一見して判り、店名、てか、遊女の名前もすべて書いてあります。
つまり宣伝としての絵なので、張り見世の時の遊女さんの並び方とは若干違います。てか、お客さんに背中見せちゃいみありません(笑)


青楼絵本年中行事 倡舗貼付彩工図 喜多川歌磨
青楼絵本年中行事 倡舗貼付彩工図 喜多川歌磨
享和4年(1804) ロンドン大英博物館蔵

張り見世の部屋の壁に鳳凰の絵を描く絵師は、歌麿の自画像だとの説があります。一つ上の絵をよくご覧頂くと、壁の絵が同じであることがわかりますよね。でも、宣伝である絵と比べると遊女さんがちょっと不細工(笑)そして、髪型はちょうど変遷期なので、明らかに違います。

この絵を背にして、張見世をするんで、遊女さんたちも真剣です。映える衣装のを色合わせたり色異論考えるんですよね。


春信 張り見世の遊女 
明和期(1764-1771)東京国立博物館

通行中のお客さんから見える場所「張り見世」に遊女さんが並んで、お客さん達にお披露目をします。最初は場所の名前だったのですが、動詞が付いて「張り見世をする」になり、行為自他を「張り見世」と呼ぶようになりました。

張り見世も時代と共に変化します。薀蓄本で描写されているのは元禄期の格に『総籬』や山東京伝の遊郭を描いた戯作が盛んに書かれた天明〜寛政期の吉原、それに文化・文政期の風俗を付け足して、ごちゃ混ぜにした描写が多くて誤解を増幅しています。

仲ノ町張りの時代変遷と共に、もう少し詳しくは別項で書こうって思っていますので、少々お待ちくださいね。

土間と張り見世の仕切りである「籬(まがき)」について、「総籬は大見世うんぬん」書いてあるのは、間違いなくパクリ本、パクリサイトです。そもそも「籬」は吉原の専売特許じゃなくて、木を格子状に組んだものを、平安時代からそう呼んでいたんですよね。仕切りに「籬」を組んだのであって、仕切りを「籬」と呼ぶわけではありません。

実際に籬が見世の格を表すようになるのは中期以降(宝暦年間)ですが、それからほんの40年後の文化・文政期には格としての大見世はすでに6軒しかありませんが、総籬の見世は11軒あります。これは、吉原細見の原本に当たればすぐに気が付く事なのですよね。吉原について書くならそれぐらいは読めよ(笑)

弘化 2年の大火の後新築された時には呼び出しのいる大見世はもう二軒だけになってしまいますが、総籬の見世は逆に増えちゃって、15軒になっています。

「呼び出しが少数になっちゃったんで、花魁道中はほとんど行われず、仲ノ町張りは閑散としちゃう」なんてことは無いわけで(笑)名前と料金が変わっただけで、大籬も花魁道中も仲ノ町張りも明治中期になるまで賑やかに続きます。

伝統や文化は継承しながらも、商売は変化させて行く。

日本でTOPの歓楽街としての地位を保ち続けるための、したたかな商売感覚がなければ、吉原は成り立ってはいなかったことは言うまでもありませんよね。
ビジュアルで贈る、新吉原!  なんて、大したもんじゃないのですが<=おい!、
私がこのサイトで使っている、あるいは使おうと思っている図をまとめてみますね。もちろん著作権の存在しているものは避けています。
版権/編集権等が残存する出版物からの転載も基本的に避けていますが、どうしてもお見せしたい物は、「引用」として、明示しておりますので、是非原本にあたって見て下さいね。っで、買ってあげて下さい。でも、アマゾンさんのアフェリエイトはやっていないので(笑)、ご随意に。
また白黒の資料は「複写・転載自由自在 江戸時代風俗さしえ集」国書刊行会(ISBN4-336-03344-7)を使用しております。

新吉原図鑑/新吉原細見/新吉原略年表/江戸のつれづれ/
表紙へ戻る目次へ戻る