あ〜お

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おいらん/花魁

(続々追加予定です)
詳細

すごくザッパな (^^;; ご説明








おいらん/花魁
年始まわりの遊女図 北斎 
年始まわりの遊女図 北斎 
文化12〜文政5年
(1815〜1819)フリーア美術館蔵
「花魁(おいらん)はおいらの姉さまが語源」なんて書いてあるのは、パクリ本かパクリサイトです(笑)ほんの少しでも原典やちゃんとした研究書に目を通していれば、こんな断定はしないと思うなぁ・・・。そしてパクリサイトの特長は、必ず読んでもいない本をいっぱいリスト化して、amazonさんのアフェリエイトやってたり(笑)、説明文まで、amazonさんからパクッタり (^^;;

「姉さま」説は辞書にも載っていたりするのですが、出典は近世風俗志(守貞謾稿)だけど、原典を読めばそんな断定はされていません。可能性が示唆されているだけです。

嬉遊笑覧も併せて読むだけでもすぐに判るのですが、あくまでなまった元は「おいら」あるいは「おいらの」であって、「おいらのあねさん」じゃないんですよね。

吉原遊郭で、自分の事を「おいら」と呼ぶことがあることは確認できるのですが、禿や新造が自分の付いている遊女さんを、「おいらの」と呼ぶことが一般的であった傍証は存在していません。

ってか、初期「おいらん」と呼ばれたのは、太夫の位が無くなった後、湯女さん出身が多い散茶から分かれた「呼び出し」です。

じゃぁ「散茶」の語源はって言うと、これは大きく二説あるのですが、どちらも言葉遊びで、片っ方の説は、それまでの位持ちの遊女さんは、気に入らないお客さんだと「振る」ことがあったけど、「振らない=散茶」って洒落って言うか言葉遊びなんですよね。

ことば遊びの「散茶」は定説としてありがたがって、「おいらん」の言葉遊び説は、一切省みないって、「粋」じゃありませんよね、ダンナ。


まだ傍証のある定説はありませんが、宴もたけなわな遊郭で、可愛い禿が下っ足らずな口調で
「おいらんは」
なんて言っているのを、通な遊びなれたお客さんが
「ほぉ、"おいらん”は末は太夫かいなぁ?」
なんて冷やかしたのに、男芸者さんが混ぜっ返して
「そうでげしょうな。その可愛さなら、男騙すに"尾はいらん”」(笑)
相伴している、老年のお医者さんとかが
「老人も、色香に迷う、老乱や?」
なんて雑俳で受けたなんてのが真相のような気もしています。

←花魁の図をクリックしていただくと詳細なページがあります。
大門(おおもん)
吉原中之町  落款無し 伝 奥村正信
吉原中之町  落款無し 
(伝 奥村正信)
享保年間(1716-35)頃

東都名所 吉原雪の朝 広重作
東都名所 吉原雪の朝 広重作
嘉永(1848-1854)頃 
佐野喜版


「吉原は京都島原遊郭を模した」って書いてあるのも、パクリ本とパクリサイト。って書くのも飽きちゃうぐらい、吉原はえーかげんに語られる事が多いんですよね。
原因は賢明な皆さんはお判りのように、江戸についての事項の中で、簡単に目を惹くことができるからです。そして、キチンとした研究書は高価で余り流通していないし、論文は殆ど一般の方の目に触れることが無い。

なにより、本来、先達や他者の研究書を参考にするって言うのは、説を自分なりに噛み砕いて、そこに挙げてある原典にあたって思考再構築することであって、参考文献をそのまま使えば、それは「パクリ」なのさえ判っていない。使うのなら、出典名を挙げて「引用」として明記しなくちゃいけなんですよね。あたりまえだけど。

「模した」に至っては、そもそも元吉原の方が島原遊郭より成立が早いし、そんな記述は見返り柳や大門の方角、廓造りを根拠にしたりするのですが、日本の遊里のモデルは中国の孫○(ケイ:啓の字の下が禾)が表した「北里志」(884年刊)で描かれた唐代の歓楽街平康里(ペイコーリ)であることは論を待ちません。

その形式が廓造りであり、柳を植えることであることは、江戸期の基礎教養としての漢学の範疇なんですよね。

新吉原の大門を「おおもん」と呼ぶのも「京都風」なんて馬鹿な理由ではなくて、って言うか、なんで「おおもん」が京都風なんだよ?(笑)

話を戻すと「だいもん」と発音するのは、仏閣や神社の総門なんですよね。「おおもん」はそれと区別するために、お城や砦やでかい家は、聖域である寺社への遠慮もあって、漢字は同じ「大門」なのですが、平安期にはすでに呼び分けられています。

新吉原の大門は、市井と遊郭を繋ぐ、ただ一つの出入り口であり、初期は日常と遊興を隔てる結界でした。



ビジュアルで贈る、新吉原!  なんて、大したもんじゃないのですが<=おい!、
私がこのサイトで使っている、あるいは使おうと思っている図をまとめてみますね。もちろん著作権の存在しているものは避けています。
版権/編集権等が残存する出版物からの転載も基本的に避けていますが、どうしてもお見せしたい物は、「引用」として、明示しておりますので、是非原本にあたって見て下さいね。っで、買ってあげて下さい。でも、アマゾンさんのアフェリエイトはやっていないので(笑)、ご随意に。
また白黒の資料は「複写・転載自由自在 江戸時代風俗さしえ集」国書刊行会(ISBN4-336-03344-7)を使用しております。

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