学 習 方 法 に つ い て
 
 1 . 参 考 書 は 買 わ な い 方 が よ い 

 例えば、ある生徒の勉強部屋に通されたとしましょう。机の上に並んだ参考書を見れば、その生徒の苦手科目はすぐ分かります。一番数多くの参考書のある科目が苦手科目なのです。試験の結果や、通知表によって、誰でも自分が、何ができないかは知っています。そこで、何とかしようと思って、ひたすら参考書を買い込むことになります。

 しかし、元来、その科目が苦手なのですから、まず数ページやっただけで放棄してしまわざるを得ません。考えても見てください。先生方に教えてもらっている教科書さえ十分に理解できていないとすれば、独習で分かるはずはないのです。そして、その参考書は、役に立たなかったということで、本箱の飾りになってしまいます。しかし、苦手科目をそのままにしておくことはできませんから、もっと分かり易く、役に立ちそうな参考書を再び、買い込むことになります。しかし、同じ結果に終わることは残念ながら明らかです。

 仮に、幾らか、その参考書を利用したとしてみましょう。どんなふうに利用するでしょうか。多くの場合は、苦手な部分は後回しにし、読む必要のない部分、つまり、すでに分かっている部分を読んだり、問題を解いたりします。そうすることで、勉強したような気分になれるからです。あるいは、考える手間を省こうと、参考書の中から同じような問題を探す場合もあるでしょう。いずれにしろ、単なる時間潰しで、そんなことをしても、何の効果も得られないことはお分かりになると思います。

 こんなふうにして、参考書は増えるが、それに比例して成績は落ち込むということになってしまいます。


 実をいうと、参考書は、学校の勉強以上のことを学びたいと考えている生徒のためにあるので、学校の勉強すら分かっていない生徒には、百害あって一利無し、思い切って、ひ
もでくくって、押入れにでもしまっていただきたいと思います。

 2 . 教 科 書 を 読 み ぬ け ! 

 その代わり、何回でも教科書を読んでみる、これは、全ての教科に共通で、成績を上げたいと思っているなら、それ以外はありません。そして、考えても、分からなかったら、どしどし質問をする。時には、そっくり、そのまま書き写すことも有益です。何度も、何度も分からないところをを書いてみる、完全に覚えるまで書いてみる。これは、いかにも非能率的なように思われるかも知れませんが、できない生徒には特に打って付けの勉強方法だと思います。つまり、体で覚えてしまうのです。学校の定期試験は言うまでもなく、特殊な私学を除けば、高校入試で出る問題は極めて限られています。出題を予想するまでもないのです。きちんと勉強をやっていれば、誰でも、十分に合格点は取れるのです。

 では、なぜ、そうならないのでしょう。楽をしようと思うからです。要領よくやりたいと思うからです。少ない努力で済まそうとするからです。

 授業もきかず、宿題もやらず、試験に出そうな問題を教えてもらえれば十分だと思っているようでは、時には、まぐれでよい成績をとることはあっても、化けの皮はすぐに剥がれてしまいます。本当の実力をつけるためには、残念ながら、地道に努力するしかないのです。

 3 . 必 ず 自 分 で 答 え を つ く れ ! 

 勉強する際、何よりも大切なのは、何はともあれ、自分で答えを作ってみようとする意欲を持つことであり、そうした意欲さえ持つことができれば、問題の半ばは解決されていっても過言ではないでしょう。ということは、そうした意欲がない限り、例えば、今、流行のどんな教育機器を使っても効果がないということです。事実、極めて魅力的な宣伝にもかかわらず、それらは、やはり成績の悪い生徒の成績を上げることはできません。だから、よりよい勉強法を云々する前に、とにかくがむしゃらにやってみることが大切です。1例をあげれば、パソコン学習をして機械に振り回されるよりは、一生懸命作った単語カードを繰り返し眺めている方が遙かに効果的だということです。

 教師なら誰でも、教えすぎる教師は悪い教師だということを知っているはずです。逆に言うと、考えないで何でも教えてもらいたがる生徒は悪い生徒ということになるでしょう。年がら年中、教えられてばかりいると、自主性は失われ、思考能力は退化してしまいます。説明されない限り、何にも分からない創造力ゼロ人間になってししまいます。にもかかわらず、あっちの塾へ行き、こっちの塾へ行く、時間は長ければ長い程好ましいし、回数も多ければ多いほどよい、と信じている父兄や、生徒は少なくありません。家にいると、勉強しないから、と彼らはいいますが、長い時間、机の前に座っていただけでは、勉強していることにならないことは言うまでもないでしょう。これでは、勉強する喜びを感じるどころか、疲れもたまるし、能率も落ちる、生徒に、自発的には勉強するな、怠け者になれと言っているのも同じです。

 また、どうせやるならより大きな町の塾の方が好ましいと思っている父兄や、生徒もいます。しかし、近くにあるならともかく、電車やバスに乗り、通わねばならないとすれば、肉体的負担もばかにはなりませんし、時間のロスが大きいことは言うまでもないでしょう。それどころか、ゲームセンターに直行することもあるでしょうし、時には、友達ができて非行に走ることがあるかも知れません。むしろ、塾は、分からないところを、気軽に教えてもらう場所であるくらいに考えるべきではないでしょうか。つまり、勉強するのはあくまで自分なのだということを常に確認する必要があるということです。

 3 . 規 則 正 し い 生 活 習 慣 を つ く れ ! 

 「勉強はかなりやっているように見えるのだが、成績がどうも上がらない。」というような話をよく耳にします。原因の一つは、集中力の無いことが上げられることは言うまでもありません。部活を必要以上にやって疲れてしまっている場合、あるいは、テレビを見ながら・音楽を聞きながらといういわゆる「・・・ながら勉強」で初めから、勉強に集中しようとしていない場合、これは、今、直ぐにも直せるものなら直さなくてはいけません。しかし、集中力のない原因は、それだけではないようです。

 生活のリズムが狂っていたり、生活習慣が乱れたりしていると、誰でも集中力が失われてしまいます。そうしたことがないかどうか、考えてもらいたいと思います。

 というのは、成績が向上しているときは、概して礼儀正しく、物を大切にし、時間に正確で、身の周りがきちんと片づいています。下降している時は、ちょうど、その逆だと思えば、まず間違いないでしょう。

 例えば、理由もないのに、遅刻をする、教科書を忘れる、使った椅子はもとに戻さず、スリッパは放り投げて、急いで帰り支度をする。ノートや教科書は落書きで一杯、こんなふうに生活習慣が乱れていたのでは、成績が上がることは期待できません。

 だから、もし成績が下降気味だとしたら、問題集や参考書を買い込む前に、生活のリズムや生活習慣を改めるようにしなければなりません。身の周りをきちんと片付けたり、時間や物を大切にするよう努めるのです。物を大切に取り扱おうとする態度が身につかなければ、学んでいることを大事にしなさいと言っても、空念仏に終わってしまうは当然のことです。プリントをやる、○をつけ、×をつけるとクシャクシャにしてかばんの中に放り込む、かばんの中はくず箱そっくり、こんな態度でいる限り、何時間勉強しようと成績は上がりません。

 また、休みの日には昼近くまで寝ているとか、試験になると2時、3時まで起きているとかということも、決して好ましいことではありません。「大したものだ」と考える父兄もいるでしょうが、そんなことをしなければならないのは、普段如何にさぼっているかを証明するに過ぎません。むしろ、試験前日は、早めに寝るくらいの心の余裕がもてるようであって欲しいと思います。

 受験生はともかく、中学生は学校で授業を真面目に聞いていれば、毎日2時間くらい、しっかり勉強すれば、学校の授業を理解するには十分なはずです。

 何でも積極的に取り組めば、結構楽しくできるものです。嫌々ながらやっていたのでは苦しいし、そのくせ、少しもためにはなりません。規則正しい生活というと、何か押しつけられた規律を守りながら生活をしなければならないような気がするかもしれませんが、実を言うと、規律正しい生活をするためには、受け身であるどころか、積極的に物事に関わっていこうとする意志がなければどうにもなりません。と同時に、そういう強い意志は、規律正しい生活を通してのみ育まれるのです。

 例えば、どうしても欠席をしなければならない時は、きちんとその旨を連絡する。そうした最低限のマナーを守ることは、成績を云々する以前の問題だと思いますが、そんなことすらできない生徒も多い、自分の都合で、勝手に遅刻し、欠席して、それを当然の「権利」だと思っている、注意すれば、自分の権利が侵害されたように思って、逆恨みをする始末、これでは、責任をもって指導できるはずもありませんが、残念ながら、こういう生徒は増加する一方です。

 4 . 宿 題 は 必 ず そ の 日 の う ち に や れ ! 

 また、出された宿題は、その日のうちにやってしまう習慣を、何としても身につけてもらいたいと思います。教えたことを確認するために出した宿題なのですから、忘れないうちにやってしまえば簡単に終わすことができるはずです。そうすることで、知識は整理されますし、分かっていなかった箇所を発見できるかも知れません。実は、それだけでも大した事なのです。なぜなら、成績のよくない生徒は、自分が何を分かっていないかすら分かっていないからです。同じ分からないにしても、一生懸命考えて分からなかった場合と何にもやらないで分からないのでは雲泥の差があります。「求めよ、さらば与えられん」という聖書の格言通り、前者は、求めようとしている知識を必ず手に入れることができるでしょう。

「何か、疑問がありますか。」
「・・・」
「じゃあ、分からないところは?」
「みんな、分からない。」
これではどうにもなりません。

 分からないというだけで、疑問を持とうという意欲がなければ、説明しようにも説明のしようがありません。何回、繰り返しても同じで、疑問を感じないということは、初めから聞こうという意志がないからなのです。こんな生徒は決して宿題はやりませんし、それどころか、ノートもとらず、話を聞いていないことすらあります。宿題はズルズル延ばしにすればするほど、より一層分からなくなり、結局やらず終い、これでは、成績は下がることはあっても、上がることなど思いもよりません。

 5 . 無 理 を し て 1 番 に な る な 
                成 績 の よ い 生 徒 へ 


 無理をしてまで、学年で一番をとろうとしてはいけません。中学校は、学習していく上のほんの入口にしか過ぎません。この段階で、一番になることにばかりこだわっていると、いかにも窮屈だし、エネルギーを消耗し尽くしてしまって、やがて、先へ進めなくなってしまうということも起こり兼ねません。一番になって抜かれまいとすれば、いつも追われているような気分になり、焦りも出るし、過度の期待によるプレッシャーで押しつぶされてしまうかも知れません。

 無理をせず、余裕を持って着実に本物の実力を身につけていって欲しいと思います。特別な勉強をしないでも一番になってしまう生徒はともかく、高校に行ってから飛躍的に成績が伸びる生徒は、「よく遊べ、よく学べ」をモットーに、無理のない中学校生活を送っているケースが圧倒的に多い、特訓に継ぐ特訓でやっとのことで希望高に入学したような生徒の大多数は、合格した時点で、息切れでダウン、年がら年中、補習に出席するということになってしまいます。点をとることよりも、徹底的に理解することを心掛けること、できるだけ多くの問題をやろうなどと考えず、間違ってしまった問題には十分時間をかけ、理解できるまで大いに悩んで欲しいと思います。自分の能力を信頼して、悩むことができるのは、優れた者の特権です。特権を十分に利用し、新しい知識に新鮮な感動をもって対処できるような頭脳を鍛え上げて欲しいと思います。

 6 . 教 師 を 信 頼 す る こ と − 父 兄 の 皆 さ ん へ 

 「最近は勉強の内容が難しくなって・・・」という父兄の方もいますが、実はその反対で、学習内容は、教科書が改定されるたびごとに簡単になっているのです。数学は、ますます算数に近づきつつあるし、他の科目も内容は益々、薄っぺらなものになっているのが実情なのです。しかし、父兄の方が「難しい」と言うと、「じゃあ、オレは頭が悪いんだから、分からないのは当然だ。」とばかり、勉強しなくなってしまう、子供たちに同情する余り、時として、彼らから「努力しなければいけないんだ」という気持ちを奪い取ってしまうことがあることを忘れてはいけません。

 また、最近、塾が乱立状態にあるためか、塾の教師に対する父兄の接し方も大きく変わりました。成績を上げてやればよい教師として感謝されますが、下がれば、別の塾へやるといった具合で、教師を常に批判的な目で眺めているわけです。勝手かも知れませんが、そうした父兄の心のあり方が、生徒に与える心理的効果は極めて大きいことは否定できないと思います。
 
 仮に成績が下がったとしましょう。すると、自分が怠けていたことを棚にあげて、教師の教え方が悪いからだという、こんなことを続けていれば、自分の行動に自分で責任が取れないような人間になってしまうでしょうし、そうした責任感の欠如は自主的に勉強するという意欲の発達を阻んでしまうでしょう。

 信頼に値する塾を選ぶことは大切なことですが、選んだ以上、その塾を信頼することはなお一層大切なことです。効果的な指導をするためには、父兄に信頼されていなければなりません。と言っても、もちろん、塾に入れたら任せっ放しにする方がよいということではありません。父兄の皆さんが、時々、塾を訪れ、教師と緊密な連絡を取ることは、生徒の学習状況を知るためにも、また教師の人柄や力量を知るためにも極めて有益です。と同時に、そうすることで、多くの場合、信頼関係はより深まるでしょうし、父兄が教師を信頼すればするほど、生徒も教師に対して信頼の念を抱くようになるでしょう。

 誰もが信頼できる人の話には注意深く耳を傾けるように、生徒は授業により大きな期待を持ち、教師の言葉により注意を払うようになるでしょう。そうなった場合の教育的効果は計り知れないほど大きなものになることは確実です。

 次に、各科目ごとに、どんな具合に勉強したらよいか、考えてみましょう。
学習のヒント
(次に、科目別の学習のヒントです。中学生を対象に書いていますが、小高生にも参考になると思います。)
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