学習のヒント  国語
 国語が苦手な生徒は意外に多い、相当よい成績をとっている生徒でも、国語だけはだめだという生徒は大勢いますし、ほとんど、勉強らしい勉強もしないのに、素晴らしい成績をとる生徒もいます。不思議に思われるかも知れませんが、国語力は他の科目のように、これだけやれば必ず上がるというものではないのですから、単なるガリ勉だけではどうにもならないということなのでしょう。

 国語力を身につけるには、本当はどんどん自分の好きな本を読むのが望ましいことは言うまでもありませんが、「活字文化から映像文化へ」といったような時代の推移もあり、それは、大多数の生徒にとっては実際には不可能でしょう。課題図書などを設けて、本に親しむように指導することも可能ですが、それが強制的なものである限り、効果の程は知れています。字面を幾ら追っても、内容が理解できるわけではありません。読書という行為が成立するためには、読書する対象に関心を持つことが絶対に必要だからです。誰もが良書と認めるものでも、当人がそこに書かれている事柄に何の興味も持っていなければ、読み通すことだけに気をとられて、何ら益することがないばかりか、時間潰しに終わるのがせいぜいでしょう。だから、読書することは望ましいにもかかわらず、無理矢理読書する必要はないと思います。それより、むしろ、ここでも教科書を丁寧に読むことを勧めます。様々な問題はあるにしろ、教科書に収録されている文章の大半は熟読するのにふさわしい内容を持ち、短い割には読みごたえがあります。これを、少なくとも3、4回読み、その要点や感想などを各文章ごとに400字くらいにまとめてみるのです。書くためには、どうしても精読しなければなりませんし、また書くことによってその文章への親しみも湧き、うまい言い回しや、言葉の正しい使い方にも次第に注意が行き届くようになります。もちろん、こうした作業を実行することは、口で言うほど簡単なことではありません。

 それどころか、現在の生徒たちの貧弱な国語力では、大変な負担かも知れません。でも、思い切って始めてもらいたいと思います。書いた文章は提出すれば、なるべく丁寧に添削
してお返しします。 よく言われるように、国語力は全ての科目の基礎であり、国語力を充実させることが、本当は最優先されねばならないのです。にもかかわらず、実際は最も軽視されている、本末転倒というべきでしょう。現在の生徒たちが、かなり勉強しているようにみえながら、その実、十分な成果を上げることのできない原因の大半はここにあるのかも知れません。作文を書かせると、むしろ下の学年に行くに従って上手になるというのも不思議な現象です。それどころか、極めて優れた成績をとっていながら、文章を書かせると小学生並みの文章しか書けない生徒すらいます。これでは、先行きどうなるのだろうと不安になってしまいます。

 試験では、問題文をほとんど読まずに答えを書いても間違っているのが当たり前で、そんなことにならないためには、文章を読むことに何としても慣れねばなりません。ところが、国語を苦手としている生徒の多くは、問題文を読むことなく、答えに取り掛かり、そうするしかやりようがないと勝手に思い込んでいるのが実際です。だから、○×問題はともかく、記述式になるともうどうにもならなくなってしまいます。

 こうした生徒が、数学の文章題や英語の長文問題ができないのは当たり前といえば当たり前で、どうにも読み通せないのですから、数学力とか英語力とか云々するまでもありません。

 こんなことを続けている限り、成績が上がることは考えられません。幾ら漢字練習をやろうと、文法問題をやろうと、「焼け石に水」で、本質的には何ら変わりません。というのは、言葉はあくまで伝達の道具であり、断片的な知識を幾ら蓄えても何の役にも立たないし、それゆえ、それらは容易に忘れられてしまうからです。漢字練習をするくらいなら、自分の作文をできる限り、沢山の漢字を使って書いた方が何倍も有益なことは明白でしょう。

 試しに、最近書いた作文があったら取り出して、使われている漢字を検討してみて下さい。知っている限りの漢字が使われていれば合格です。つまり、勉強が身についている何よりの証拠です。そうでない場合は・・・仮に成績がよいとしても、点を取るためだけに汲々としている状態にあり、すでに「燃え尽き症候群」に感染していると考えた方がよいかも知れません。知識を得ることが楽しいと思っていれば、誰でもその成果を大いに利用しようとするはずであり、その成果を利用しようとしないとすれば、本当はそんな知識を欲していないと考えられるからです。そういう生徒は、もう一度、原点に立ち帰り、学ぶことの楽しさをを再度確認することから始めてもらいたいと思います。

 多くの読書が期待できない以上、少ない読書をいかに効果的に活用していくかを考えた時、先に述べた方法はまだるっこしいような気がするかも知れませんが、そうした地道な訓練を積むことが、結局は後々の飛躍−−例えば、大学受験には「小論文」はやがて必須科目になるでしょう−−−につながるのですから、苦労を厭わず、頑張って欲しいと思います。