学習のヒント  社会

最近は、「社会ができなくて・・・」という声を聞く機会が多くなりましたが、残念ながらそうした生徒は社会ができないというより、社会すらできないと言う方が正しいような気がしてなりません。はっきり言うと、そうした生徒は、出来るとか出来ないとかいう以前に、何よりも勉強する意欲が欠けているのではないでしょうか。つまり、知的な好奇心が不足しているか、同じことですが、勉強するということに大した意義を認めていないのではないかと考えられるわけです。特別の記憶力に恵まれている生徒もいないわけではありませんが、大体、似たり寄ったりで、覚えられないのは、記憶力に欠陥があるというより、生活態度に欠陥があるといった方が遙かに正しいようです。多分、読書は嫌いでしょうし、新聞どころか、テレビのニュースにも関心を持たず、マンガ、ファミコン、テレビに熱中するという具合に自分中心の小さな世界に閉じ籠もって満足しているのではないでしょうか。概して、社会のできない生徒は、他人の話を聞こうとはしないし、自分の楽しみだけを追い求めるような傾向が強いように思われます。もし、そうなら、成績を上げるためには、自分の態度を反省し、もっと大きな視野に立って物事を観察する態度を持つことは、是非とも必要でしょう。

 言うまでもなく、社会は点の取りやすい科目です。教科書を覚えればいいのですから、独学でも十分にマスターできる科目です。だから、以前は、問題演習だけで十分。社会を塾で教えてもらおうなどという生徒は滅多にいなかったものです。 また、社会は、従来は、誰もがある程度の得点を取ることのできる科目でしたから、差のつきにくい科目でした。ところが、最近は、社会の成績がよいというだけで、上位の成績を取ることができるというような奇妙な事態が起こって来ました。生徒各自が以前と比べれば遙かに勉強しているはずなのに、客観的にみれば学力が低下しているとしか考えられないのは奇妙なことです。

 当塾では、教科書をまとめた問題を作っています。それを覚えれば、9割くらいの得点は取れるはずですが、実際は中々そうはいきません。やりっ放しで復習もしない、ひどい生徒になると解答すら満足に書き込まない、だから、同じ問題を何回やっても、少しも得点が上昇しない生徒もいるわけです。そしてできない、できないと嘆いている。これではどうにもなりません。ではどうすればいいのでしょう。

 社会の勉強は難しくありません。例えば、歴史を例に取ると、教科書巻末に付いている年表を暗記しているだけでも、相当点数は取ることができます。寝る前の十分か二十分、繰り返し年表を眺めれば、歴史のアウトラインは理解できます。「この事件は何だっただろう。」という疑問を感じ、索引をたよりに物語を読むように本文を読めば、その具体的な内容も把握することができるでしょう。実を言えば、これだけでも、相当なものです。

 公民も同様で、私たちが生活しているこの社会の仕組みに多少なりとも興味をもっていれば、試験に出る程度の知識を蓄えるのは容易なはずです。

 問題が比較的多岐にわたるため、成績を上げるのが比較的難しいのは地理ですが、様々な地域に興味を持って、「将来行ってみたいな。」というような気持ちで地図帳をめくり、楽しみながら、自分で白地図を作るくらいの気力があれば、これも容易に克服できると思います。

 そうした努力はしたくない。しかし、高得点を取りたい、と考えているとすれば、少し虫が良すぎることは明らかです。

 知識は最初は少なめでもよいから、基本的なことを繰り返して、正確に覚える、これが何よりも大切です。最低限の知識もなしに、選択式の予想問題ばかりやってアとかイとかに幾ら○を付けても、実際の試験で十分な得点を取れるはずもないことは、容易に分かるはずです。ところが、勉強するためのそんな常識すらわきまえていない生徒が相当数います。記号に○をつけて、解答と照らし合わせて得点を合計してお終いというのでは、何時間、部屋に閉じ籠もろうが、何冊問題集をやろうが、十分な効果が期待できるはずはありません。

 もっとも、問題を沢山、解くことで、知識を吸収し整理するという方法がないわけではありません。しかし、それができるのは、十分な力を持ったごく限られた生徒であり、そうした生徒はすでにある程度の知識を持っている場合が圧倒的に多いのです。彼らは、問題文を十分に理解し、分析するだけの力があるだけでなく、間違ったところは、やりっ放しにしないで、なぜ間違ったのかを確認するでしょうし、必ず正しい答えを覚えようとするでしょう。つまり、勉強の仕方を十分に体得しているのです。

 適切な判断力がない限り−−もし、あれば社会ができないなどというはずはありませんから−−年表を読み、白地図を作り、重要事項をある程度覚えた上で、問題に取り組む方が、最初は大変かも知れませんが、効果的なことは明らかです。問題集で得た断片的な知識はすぐ失われてしまいますが、苦心して得た知識は中々忘れないからです。逆に言えば、そうした地道な努力を厭わなければ、社会で高得点を取ることは至って簡単なはずです。

 繰り返しますが、社会の学習は、自分の生きている世界を理解し、現代人として、広い視野に立って生きていくための最低限度の知識を得るためには欠かすことのできないものです。「自分のことが分かってもらえない。」と駄々をこねる生徒は多いようですが、他人のことを分かろうとしなければ、自分のことも分かってもらえるはずはありません。だから、そうする前に、様々な時代、様々な地域で営まれた人間の生活や、現代社会の仕組みを知るによって、自分が何であるのかを客観的に捉えて欲しいと思います。勉強の目的は、単に試験で高得点を取ることではありません。というより、むしろ、そんなことばかり考えているから点が取れないのです。今、こうして様々な悩みを抱えながら生きている今の自分をより深く知るために必要な試練だと考えて、少しでも多くの知識を得るよう心掛けて欲しいと思います。「こんなこと覚えてもすぐ忘れちゃうだけじゃないか。日常生活には何の役にも立たないし。」こんなことを考えながら勉強するのではなく、学んでいる事柄に親しみを持ち、大切にすることが、結局、自分を豊かにするのだと思うことが出来れば、覚えるのは容易なはずです。社会を勉強することは、何よりも私たちの生きている世界を大切にしようという意欲をつくり出すためには必須の手段であることを再度、確認して頑張ってもらいたいと思います。