世界貿易センター崩壊と世界のニューヨーク その7

     二日目〜パニックする街〜
最終更新日
2002/6/19
 燃え続けている。梯子車が近づける大きさでもなく、ヘリが近づくには煙も凄く、炎上範囲も広い。・・・・もはや為す術もないのか(だから高層ビルはキライなのだが)。

 という思いよりもまず、「俺が登る前に崩れんじゃねー、バッカヤロー!」と思ったりしたのだが、それは胸のうちに秘めておくことにしておく


 しかし、このビルは2.5km程離れたものとはいえ、写真で見ているよりはるかにデカイ代物なので(写真では小さく見えますが)、肉眼でも炎が見えている。かといってどうすることも出来ないのでただ見守るだけである。

 この光景はドラえもんでスネオが超高層ホテルに泊まるって自慢しておいて、いざホテルのテレビで「超高層ビルが火事にあって助ける事が出来ない!」っていう映画を見て(様子を見に行った)ドラえもんとのび太に泣きついた光景を思い出した。・・・・キテレツ大百科だったかな?



 と考えていても仕方ないので、現場に近づくことにする。
 次々と道路を往復する救急車と消防車。現場へ急行するパトカー。今、この時点ではNYが他で犯罪が起きたとしてもどうしようもないぐらいのパニック状態になっていることなどこの時は考えもしないぐらい、事態の大きさを誰もが認識できなかったと思う。それぐらい、こんなことになるなどとは思いもよらない。いざというときに状況を冷静に判断することは予備知識があってもかなり難しいなぁ、ともいまさら思ったりする。

 パトカーなどを見ていて思ったのだが、普通の車はほとんど通らないでいる。元々こんなところではないよな〜とは思いながらも、それだけ事件の緊迫さを如実に表していたのかも知れない。道行く人々はビルを見ている。撮影している。時にはオープンカフェスタイルのレストランで食事をしている人も見かける
 いや、まだ多くの人は世紀の大事件と思ってもいないようなので、まだ写真撮ったりビデオ回している余裕があるのだ。実際この時点では、どう見ても多くの死人が出ていることなどどうしても頭から離れてしまうものだ。


 1kmほど現場に近づいて進んだときに南(現場側)から来たおばさんが「この先は行けなくなってるから引き返した方がいいよ」と教えてくれたので、迂回して目的地を変えることを考えざるを得ない状況になった。この時点でもハドソン川沿い行けば行けるんじゃないの?などと考えていた私もやはり現実のハードさを知らなかったとも言える。ひねくれ者だから知ってても一人ならいったかも知れないが。


 てなわけで5番街(※)あたり(つまり逆方向になる)を目指して進むことに変更した。ガイドブックを読んでない私は心の中で「5番街って何よ?!」と思いながらも、「よし、そうしよう」と平常を装うことにした。人間くだらないことの方が動揺するのかもしれない



 街の状況はすべてビルに中心が集まっていた。多くの人が写真を撮り、ビデオを回していた。救急車が次々と北の方へ走っていく。とてつもない数の犠牲者が出ていることが容易に想像できる。ホントにあれは両方とも崩れ落ちるのではないか(※2)と思いながら北の方へ歩いていきふと振り返ると下の方から煙が立ち上がっていたので上の部分がひょっとしたら崩れ落ちたのかもしれない。しかし、今の状況では何もわからない。

※:5th Avenueを日本語では五番街という。ブランドショップなどが立ち並ぶ私には縁の遠い通り。
アベニューはマンハッタンの南北に走る道路。ストリート(丁目)は東西に走る道路のこと。


※2:普通に考えたら1本崩れたら衝撃と地盤弱体化により崩れ落ちると思うから。

どう見ても崩れ落ちている気が・・・

反対向けばエンパイアステートビルだ

 街を歩いていくと泣いている人やカーラジオに集まる人、テレビのあるお店に集まる人など様々だ。これはNY史上最大級の事故だろう。うん。
 テレビの報道を見るとどうも事故ではなくテロによるものだというらしい。しかしその真偽は掴めていないのでなんともいえないが、周辺の交通機関(特に地下鉄)はストップ。バスも北行きしか運行しないようでバスも満車で乗れないということがあるぐらいである、いつもの様子がわからないが、歩道には多くの人が溢れるようになった。

 また、公衆電話にも人の列が出来、携帯電話を持っている人もつながらないのか公衆電話に並んでいた。はたしていったい何が起こっているのか、状況がどこまで行っているかわからなかった。そしてなぜ彼らは必死扱いて電話したがるのかわからなかった(笑)。普通するけどな。
 銀行に並ぶ人たちを見ても「戦争になるかも」状態とはこんなモンなのかな〜とか改めて思ったりする。でも戦争が起きるときに慌てて銀行駆け込んでるようならまだ安全だよな、うん。
 

建物の二階にバスケットゴールが・・・関係ないけど。

カーラジオに群がる人々

北へ北へ歩く人たち

 とりあえずその状況と、今夜の予約していたミュージカルのチケットをもらいに(ないとは思うが、とりあえず日本人スタッフであるし、通り道だから)57st.のチケット業者の事務所へと歩みを進めた。

 途中、電光掲示板によるニュースが流れているので読んでみるとなにやらボストンからロスアンゼルス行きの飛行機がジャックされてWTCにぶつかっていったらしい。かなり多くの人が立ち止まり複雑な表情でそのニュースを見ていた。このまま文字の情報だけでもらちが明かないので(読めないので)業者のビルまで行く。


 街は騒然とはしていないものの、交通機関ストップによって地下鉄周辺で人が待っている光景を多く見かけた。「都市はシステムである」、と感じさせる瞬間だ。

 この時は皆、すぐ回復するだろうと思っていたのだろう。それにしても以外とこの街には外向けのテレビ(大型ビジョン含む)がない。車載テレビもない。ほとんどがラジオから情報を得ていたようだった。携帯のメールも日本ほど発達していないようであるし、携帯はつながる以前の問題だろう。


 チケット会社のあるビルにたどり着くも日本のように看板が上から出ているわけではないので(※3)、ここでいいのか地図を確認していると外国人(アメリカ人)が「どこへ行くんだい?」と声をかけてくれたがチケット会社のスタッフがちょうど来たので親切な外国人に感謝してそのビルにはいることにした。こんな時でも慌てない人は慌てず親切にできるもんである。見習わねば。

 そしてチケット会社で現在の状況を尋ねると二つのビルが崩れ落ちてしまったというのだ(これがあとでもう一つのビルにも飛行機がぶつかっているなど知りよしもしなかったが)。で、一応ミュージカルのチケットをもらって、万一のために(ありえないが)食糧と水を買うことにした。









これは有名なやつだよ、きっと。
某誌はこれでコラージュの練習に使ってたもん。


※3:ニューヨーク景観条例(たしか)。タイムズスクウェアと駐車場以外は主に景観の理由上、看板に厳しい規制がかかっている。これによって美しい街並み、と言うのを形成するのは欧米ではよくあること。アジア圏、日本では地震があるのに看板は外に掛かっていて大変危険である。。




現場から離れたところは
人は待っていないけど閉鎖中
《参考》今回使用したお金($1=120円で計算)
 徒歩のためなし
旅行記

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