世界貿易センター崩壊と世界のニューヨーク 番外編

     〜2001年9月11日(シリアス版)〜
 朝7時頃に起きて4人で少し歩いたところにあるスターバックスコーヒーで朝食をとる。ほどほどにNYの雰囲気を味わい、帰ってくると一人体調が思わしくないということで朝食を食べないで留守番をしていた子が「飛行機がビルに突っ込んだらしい」とCNNのニュースを指さして言った。この時は確か9時少し前だったと思う。

 私はそのニュースをみてかなり驚いた。最初は普通のビルに小型飛行機が激突した程度に思っていたのだが、画面を見た瞬間に一気に顔が青ざめるのをおぼえた・・・
 飛行機が激突したのは世界で4番目、アメリカに2番目に高い超高層ビル「ワールドトレードセンタービル(世界貿易センタービル)」ではないか!しかもかなり大きな穴が空いており、煙をもくもくと上げている。瞬時にこれは大変なことだと思った。何しろそのビルはとてつもなく巨大な建築物であるという事実もさることながら、今夜、私がそこに登ろうと思っていたビルだからだ。

 この時点ではテロだということには気が付かなかったが、外壁で支え、主立った柱を持たない独自のチューブ型構造を持つこのビルの外壁に巨大な穴が空き、大きな火災になっているのを見た時点でしばらくすれば崩れ落ちるのが想像出来た。というのも、私は二ヶ月程前に世界のランドマークを調べていた事があって、世界貿易センタービルのことも調べた経験があったからだ。
 その為、このツインタワーを含むワールドトレードセンター(WTC)は一日に5万人以上が働くことも知っていただけに現場は騒然としており、超高層ビルでは不可能とも言える消火活動などを考えればヘタをすれば万単位の犠牲者が出るということがふと頭をよぎった。

 また、このビルが高層ビル群の摩天楼を持つNYの中でもかなりズバ抜けて大きい建物であると言うことも知っていたので穴の大きさを見て、単なる小型飛行機の激突ではないということも察知することが出来た。


 そんな中で、大きな災害ではあるけど、まさかテロで、もう一つのビルも崩れ落ちるなどとは思ってもいなかったので、ひとまず当初の予定通りサウスフェリーから自由の女神のあるリバティー島に行く為に79st駅から地下鉄に乗って現場方向のダウンタウンへと向かうことにした。地下鉄に乗っても途中にWTCがあるので、いけるかどうかはわからなかったが、来ていきなり予定を変えることなど出来ない為、とりあえずいけるところまで行ってみようと思ったわけだ。この時点で9時を過ぎていたと思う。

 地下鉄駅へ向かう途中、通りを行く地元の人に「テレビ見たか?」と聞かれたので「見たよ、WTCのでしょ?」と答えると、「二つも飛行機がぶつかったんだ。」と言われました。その時は「二つ?一つじゃないの?」と驚いて答えたが、その時は一つ目のビルに二機突っ込んだと思っていて、まさかもう一つのビルに二機目が突っ込んでいたなどとは思いもしませんでした(そりゃそうです、単なる事故だと思っていたんですから!)。
 とりあえずその人はそのまま去っていったので状況がイマイチ把握できなかったのですが、お店以外での現地人との会話をしたのがこの話というのも皮肉な物でした。


 地下鉄に乗ると途中の駅でWTCの事故によりここで停車するというアナウンスがあり、目的地よりだいぶ前の駅で降りることになった。そこから地下鉄駅を出てWTCの方を見ると現場から4kmほど離れているのですが先程より激しく燃えているのがわかりました。しかも煙がひどく南塔の方が見えません(実はこの時点で崩れていたから煙がひどかったのです!)。周囲の人々が為す術もなく双眼鏡やカメラのファインダー越しでしか見守ることが出来ないという状況です。道路は一般車がほとんど走らず、救急車・消防車・パトカーなどがサイレンを激しく鳴らしながらひっきりなしに行き交っています。写真ではわかりませんが、ここからでも燃えている火が視認できます。

歩道に群がる人々が見つめる
 

 もう自由の女神はいけそうにありませんが、他に予定も考えていないのでひたすら南(現場方面)へと歩みをすすめた。それでもオープンカフェなどでのんきに食事をとる人などを見て「この国はどうなっているのか?!」とちょっと混乱してしまいました。


 しばらく歩くと南から来たおばさんが「ここから先は通行止めになってるから引き返した方がいいよ」と言ってきたので、これ以上行くのは断念し、目的地を変更し、引き返すことにした。そうして5番街を目指して歩いていき、もうその角度からはWTCは見えないだすが、後ろを振り向いてみると激しい煙が立ち上がっており、ひょっとしたら崩れ落ちたのかも、と悲しいながらも感じた。歩道にはカメラを手にする人がたくさんおり、道路わきに停めた車から聞こえるカーラジオに聴きいる大勢の人達や泣き崩れている人達とのアンバランスさが非常に奇妙な感じだった。
 


 カメラの電池がないようなので歩いている途中で見つけたカメラ屋に入ると、多くの人が店に置いてあるテレビのニュースに食い入るように見ていて、一緒に入った人によるとどうもそこではテロによる犯行であると報道されていたようで、崩れ落ちているWTCの映像も映っていた。


 もう訳が分からないので、とりあえず今夜行く予定だったミュージカルのチケットを(やるとは思えませんが)、日本人スタッフがいるチケット業者の所へ取りに行くことにした。もうマンハッタン内の地下鉄は全線ストップし、バスも北行きのみとなり、運行していても最初の停車場で満車になり誰も乗れないというような状況なのでひたすら歩いてその業者の所へ行ったわけです。

 歩いていて気が付いたのはほとんどのお店(特に服屋)が閉まっていることで、さすがに11時にもなるのに開いてないのはおかしすぎるぞ、とか思っている余裕がありました。
 街の様子は銀行や公衆電話、ラジオを流す車に人が多く集まっているのが普通の時と違う感じでしたが、なにぶん来たばかりなのでどこまで異常なのかわかりません。車がほとんど走っておらず、地下鉄が止まったせいで多くの人が歩いていたのはやはり異常な事態だという現実に引き戻させてくれます。

 歩きながらとあるビルの電光掲示板ニュースでアメリカの全飛行場が封鎖され、ペンタゴンも攻撃されていたことがわかりましたが、WTCも文字だけではどうなっているのかさっぱり掴めませんでした。


 チケット業者の所へついた時、初めてWTCのツインタワーが二つとも崩壊していたことを知らされることになった。当然ミュージカルなどありそうもないのだが、一応チケットを受けとり一路ホテルへ向かう。大きな事件なので万が一のことを考え帰り道スーパーによって3日分ぐらいの食糧と水を買っていくことにしました。幸い私たちの泊まっているのはキッチン付きの低価格コンドミニアムなので、冷凍品なども含め火を通す物など様々な物を買うことが出来た(それが非常時に料理できるかどうかは微妙ですが)。そういうバックグラウンドがある分、まだショッピングを楽しめる段階だったとも言えるでしょう。スーパーは同じような考えを持つ人のために大変混み合っており、人々はパンや水などを買いあさっておりました。日本人らしき人がスーパーの様子を使い捨てカメラで撮っていたのも現地人との感じ方の違いを改めて感じさせました。現地の人にとっては非常事態ですが、観光客にとっては異常事態でしかないのかもしれません。


 なんとかホテルについて、テレビをつけてみるとツインタワーが崩壊するショッキングな映像が飛び込んでいました。あの時あのおばさんが引き返した方がいいといってくれなかったら夢にまでうなされたかもしれません。それでなくとも女の子達はかなりショックを受けており、今後どうするかなど必死に考えていました。ひとまず家族などに連絡を取り、無事であることを報告し(日本では深夜過ぎでしたが)、ここは現場から離れておりまわりに攻撃目標となる物(観光名所、飛行場)もない安全な場所であるということを告げておきました。


 今後の事を話しあっておりましたが、結論としてマンハッタンを出るのはやめてこのホテルで待機しておくのが望ましいということで決まる。この時期に下手に移動して連絡が取れなくなるのは危険であり、このホテルは現場から15km以上離れており、なおかつ日本の会社が経営するホテルなので日本人スタッフが待機し、電話も繋がる、テレビも見られる、一週間後なら飛行機で帰ることが出来そうである、という事でこれ以上の場所はないと判断したからです。領事館と連絡を取ってもそこから動かない方がいいと言われたので、万一・・・という限りのない確率問題の話よりも安全の確立が高い物を選択したわけです。誰であろうとこうするとは思いますが。
 海外で一番危険なのは情報がなくなることであるということを皆に納得させる必要もありました。


 同じホテルの中には今日、飛行機に乗って帰る人がいましたが、飛行場は封鎖されてしばらくは飛行機が動かないということで、急遽宿泊期間を延長していました。その内、政府専用機が迎えに来るなどといった噂が日本からの電話でありましたが、こちらの領事館にはそんな情報はまったく入っていないということで、錯綜する情報に翻弄されないようにするのに一苦労でした。

 日本からの情報は確かに日本語だからわかりやすいものの、一人が提案で言ったようなことまで大きくなるようなので必ずしも信用がおけるものではないとつくづく感じる。今回はたまたま日本の会社のホテルだから何とかよかったものの、やはり海外で何か起きた場合の為に正しい情報とネットワークを確保できる準備(と危険と向き合う覚悟)が必要ですね。


 同じ映像を繰り返すだけの報道、パールハーバーの再来だとばかりする報道を見ていると「アメリカの報道も大したことないな」と思ったりしながら皆が寝静まった夜、何かが起こるとは思えないが万一を考え夜が明けるのを待つことにする。鳴り響くのはパトカーと救急車のサイレンばかり、それも雨にかき消されて長かった9月11日は終わりを告げようとしている・・・・・・・。

 
2002/4/1  

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