東西神社の参道
手前から、石灯籠1基、狛犬1対、注連縄石が前後2対、神社入り口に鳥居1基
正面は「奉燈」か。右側面に「弘化三丙午 九月吉日」(1846年)
台座正面と左側面に寄付者らしき名前があるが、江戸時代らしく苗字がない。
左右とも「奉献」
左内側は年号か(明治十四年■九月吉日のようだ)、右内側は施主の名
左背面は字があるのかないのか不明、右背面は判読難(読む根性がないので割愛)
注連石の碑文
(右柱)仁藹乾坤知聖徳
(左柱)明齊日月永皇圖
であろうか。(「圖」はクニガマエがない文字、あるいは「鄙」のオオザトがない字が刻まれているが、ネットでは表示できない。)
古文書ではクニガマエは左右に点を打っただけであったり、「圖」はクニガマエを省略して書かれたりしている。
(「皇圖(皇図)」とは、「天子の領土(版図)」の意)
(右柱の内側) | 願主 竹森彌三郎 |
(左柱の内側) | 竹森申歳女 齋藤幸助 |
(左柱の外側) | 斡旋人 丸本與市 石工 三谷亀造(判読難) |
(左柱の背面) | 明治三十三年庚子九月吉日 |
注連石の碑文
(右柱)降神靈萬邦教稼穡黎元
(左柱)為幽冥主宰讓顯世天孫
であろうか。(もったいぶった異体字がたくさん使われていて読めない)
神霊万邦に降り、稼穡を黎元に教え | 【稼穡(かしょく)は種まきと収穫、黎元は庶民・人民】 |
幽冥主宰と為り、顯世を天孫に譲る | 【幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)は大国主命、顯世は現世】 |
(右柱の内側) | 明治三十三年九月吉祥日 十五丁北山中 |
(左柱の内側) | ■■石工 安藤喜藤太 山地三代吉 |
刻字はない。