東西神社の参道

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東西神社の参道

H14.10.01

H29.12.02
手前から、石灯籠1基、狛犬1対、注連縄石が前後2対、神社入り口に鳥居1基

1. 石灯籠

H29.12.02 H29.12.02 H29.12.19

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正面は「奉燈」か。右側面に「弘化三丙午 九月吉日」(1846年)
台座正面と左側面に寄付者らしき名前があるが、江戸時代らしく苗字がない。

2. 狛犬

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左右とも「奉献」

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左内側は年号か(明治十四年■九月吉日のようだ)、右内側は施主の名

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左背面は字があるのかないのか不明、右背面は判読難(読む根性がないので割愛)

3. 注連縄石(手前)

H29.12.02

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注連石の碑文
  (右柱)仁藹乾坤知聖徳
  (左柱)明齊日月永皇圖
であろうか。(「圖」はクニガマエがない文字、あるいは「鄙」のオオザトがない字が刻まれているが、ネットでは表示できない。)
古文書ではクニガマエは左右に点を打っただけであったり、「圖」はクニガマエを省略して書かれたりしている。
(「皇圖(皇図)」とは、「天子の領土(版図)」の意)

(右柱の内側)願主 竹森彌三郎
(左柱の内側)竹森申歳女
齋藤幸助
(左柱の外側)斡旋人 丸本與市 石工 三亀造(判読難)
(左柱の背面)明治三十三年庚子九月吉日

4. 注連縄石(奥側)

H29.12.02

H29.12.02   H29.12.02
注連石の碑文
  (右柱)降神靈萬邦教稼穡黎元
  (左柱)為幽冥主宰讓顯世天孫
であろうか。(もったいぶった異体字がたくさん使われていて読めない)

神霊万邦に降り、稼穡を黎元に教え 【稼穡(かしょく)は種まきと収穫、黎元は庶民・人民】
幽冥主宰と為り、顯世を天孫に譲る 【幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)は大国主命、顯世は現世】
といったところか?

(右柱の内側)明治三十三年九月吉祥日 十五丁北山中
(左柱の内側)      ■■石工
安藤喜藤太  山地三代吉

安藤喜藤太氏はあちこちの神社へ寄進したようだ。

5. 鳥居

H29.12.02
刻字はない。





東西神社  注連石  秋祭  道標  神社外周  神社本殿  本殿背面  境内石造物  境内末社  玉垣  西東西

萬福寺   正面  本堂  境内  寄進碑  鐘楼

善通寺  曼荼羅寺  出釈迦寺  禅定寺  西行庵  人面石  鷺井神社  天満宮-三井之江  天満宮-東碑殿
我拝師山  天霧山  七人同志  片山権左衛門  乳薬師  月照上人  牛穴  蛇石
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