「鷺井神社」

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青竜古墳に建つ。 青竜神社とも呼ぶ。


H29.12.19

H29.12.19

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−「國譯全讃史」中山城山著(藤田書店)によると、−

清瀧大權現 吉原村に在り。
里社なり、清瀧明神とは、醍醐山の鎭守なり。古老云ふ。空海大師唐に在りて、青龍寺の鎭守に祈り、歸朝の後其の祠を醍醐山に立つ。然らば則ち此の祠も亦大師の創立なり。農權左衛門及び三大夫其の祠を主どる。誕生院其の祭を主どる。祝及巫、東西祠に同じ。



−「西讃府志」(京極家編纂)によると、−

青龍權現 祭神大已貴命、祭祀九月十九日、社地一段二畝、社僧誕生院、祠官下瀧丹宮、神子一人



−「香川縣神社誌」(S13,香川縣神職會編)によると、−

村社 鷺井神社 吉原村大字吉原字鷺井
 祭神 少彦名命
   (すくなびこなのみこと)
 由緒 僧空海の創建と傳へらる。・・・社傳によれば、空海在唐の砌大旱あり。唐主空海に命じて雨を祈らしむ。空海乃ち少彦名命を祈ること三日にして大に雨ふる。これに依りて歸朝の後祠を建てゝ之を祀り唐青龍寺鎮守に擬して青龍大權現と稱すと。 社地の地形は一つ巴の形とし(一つ巴は水滴を意味す)その内外を濠とし、中央高くして社殿あり。瓦に一つ巴の紋を用う。こは何れも祈雨の靈驗を表示せるものなりと云ふ。・・・社前に一霊泉ありて鷺井又は青鷺井と稱す。仁壽元年九月朔日一青鷺の傷きしが此の地に下り居ること三日三夜その傷全く癒えて去れり。其の跡に清泉湧出す。時に神社童に憑りて、此の水眼病を療すべしと云ふ。 村人驚きて神水と崇めたりしが、香川信景(多度、三野、豊田三郡の領主)の子松之助頼景眼疾ありしに家士詫間大炊の勸めにより、祠官松岡刑部をして當社に平癒を祈らしめ、鷺井の水を以て眼を洗ひしに忽ち平癒せり、爾來香川氏の尊崇愈厚かりきと傳ふ。又往昔この地葦の繁茂せしを以て葦原と稱せしが後吉原と改めたり。 社傳に往昔一羽の青鷺片羽甚く損傷せるもの社前井の傍に來り居ること稍久しかりしが、傷癒え翼全くなりて飛去れり。これより社殿外濠の葦片葉となれりと。明治初年社前鷺井の名に因み鷺井神社と改稱す。明治十二年八月村社に列せられ、同四十年十月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。



「西讃府志」と「香川縣神社誌」とでは、鷺井(青龍)神社の祭神と東西神社の祭神とが入れ替わっている。どちらが正しいのか?


鷺井神社  神社背面  参道  秋祭  鷺の井  鷺の井説明板  境内末社  青竜古墳  二重環濠  歌碑  片葉の葦  玉垣

善通寺  曼荼羅寺  出釈迦寺  禅定寺  西行庵  人面石  東西神社
我拝師山  香色山  天霧山  七人同志  片山権左衛門  乳薬師  月照上人  牛穴  蛇石

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