伝承によると、東西神社が現在の地へ移る前は、ここに東西神社があったらしい。
(現在は片山権左衛門碑が建っている。)
左端に、「奉唱光明真言二万遍供養塔 昭和四年 西東西」と刻まれた供養塔が建っている。
その右側にある今にも崩れそうな十五丁石製の1本が東西神社の注連縄石の片割れらしい。
とすれば、この石柱は権左衛門碑がここに移転してくる前からあったのだろうか?
(どなたか覚えている人はいませんか?)
供養塔には「昭和四年 西東西」と刻まれている。
今も百々手の時期には西東西(にしとうざい)社と書かれた小さな幟が、崩れかけた石柱の元に供えられている。
この幟は西碑殿地区を取り巻く境界を守る7つ?の祠に供えられており、東端の結界がこの西東西らしい。