<友達として>

3年になり同じ「杉本ゼミ」になった2人は、どんどん親しくなっていった。その頃JUNKOは軽音の活動と、軽音以外でビートルズのコピーバンドなんかをやりながら、大学生活を楽しんでいた。私の方は2年の夏から、ヴォーカリストとしてやっていたバンドも1年足らずで空中分解して、自分のやりたい音楽が解らなくなってきていた時だった。

そして私は必死になってバイトに精を出し、貯まったお金でアメリカへ、自分のやりたい音楽を見つけに行こうと決意していた。そして、3年の夏、私は憧れのアメリカへ放浪の旅に出かけたのだった。

アメリカから成田空港に帰国した私は、成田から横浜へとそのまま足を延ばした。横浜に会いたい女性が住んでいたからだった。

私が横浜の彼女に恋をしていた時、JUNKOには、軽音の1年先輩の彼氏がいた。お互いが彼氏の事、彼女の事など何でも相談できるような親しい友人になっていったきっかけは、桑名さんのコンサートだった。

3年の冬、JUNKOは私にコンサートに一緒に行こうと誘って来たのだった。それはJUNKOの大好きな桑名正博のコンサートだった。JUNKOは桑名フリークだった。私も桑名さんの事を最高のヴォーカリスト&ギタリストだと、「ファニー・カンパニー」の時代から敬愛していたので、「よっしゃ!行こ!行こ!」と意気投合しコンサートに行った。

1980年12月23日の事だった。コンサートは最高に盛り上がり、桑名さんも最高だった。カッコよかったなぁ・・・。その帰り2人は、銀行に就職が決まったJUNKOの彼氏の事、そしてその彼氏はJUNKOに結婚したいと言ってる事、会いたくてもすぐに会えない横浜の彼女の事、アメリカの事、これからの人生など、深夜まで本当にいろいろと話をした。

そうしてJUNKOも私も、何でも話せる異性を超えた信頼できる友人となって行ったのだった。

JUNKOはその頃の私の事を、「***君は、彼氏と違って自分が構えなくてもいいので安心できる。」ってよく口にしていた。
それは私もそうだった。それは価値観、人生観などが共通していたからである。


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