<横浜の彼女>

それは、1977年、私が高校2年の時の修学旅行での出来事だった。九州から帰る途中、横浜の高校の修学旅行一行も、同じ夜行列車に乗り合わせていた。そこで私は、その横浜の高校の1人の女性と知り合いになった。

その後、電話や手紙のやり取りを高校を卒業するまで続けていた。私が大学進学などで悩んでいた時に、遠くで精神的に支えてくれた女性である。高校を卒業して、彼女は石油会社に就職し社会人に、そして私は大学し進学した。それを境に音信が途絶えていったのだった。

それから2年後、1980年の夏、アメリカに旅立つその日、成田空港から私はそんな彼女に電話を入れた。無性に彼女の声が聞きたくなったから・・・・・。

「もしもし、***です。久しぶりやね!元気にしてた?2年ぶりやね!」と。彼女は「久しぶりー!どうしたの?」と懐かしそうに答えてくれた。そして私は、これからアメリカへ旅立つ旨を伝えた。「へぇー、そーなんだぁー。すごいじゃん!!」と彼女は言った。
そして帰国したら会って欲しいと伝えた。彼女は快く「いいよ!気をつけて行って来てね。待ってるからね。」と言ってくれた。

「待ってるからね。」と言う言葉の、心のお守りを胸に秘め、私はアメリカへと旅立ったのだった。
アメリカから何度か彼女に手紙を送った記憶がある。でも何を書いたのかは全く覚えていない。

9月の半ば、40日のアメリカ放浪の旅を終え成田空港に帰国した私は、成田から横浜へとそのまま足を延ばした。

JR横浜駅東口(その頃工事中だった)で待ち合わせた。工事中の簡易改札口の前で私は彼女を待った。3年ぶりの再会に期待と不安を募らせながら・・・・・。本当に来てくれるのだろうか、彼女の事わかるのだろうか、でも彼女は私を見たら絶対にわかる筈だ。派手なサテン地のスタジャンとロングのカーリーヘアー。これだけで十分だろう。どんな女性になってるのかなぁ?

そしてある女性が改札口の方へ歩いてきた。その女性は一目で彼女だとわかった。彼女も私の方を見て、笑顔で私の方に近づいて来た。3年の月日は、彼女をより美しく、魅力的で、大人の女性へと変えていったのだった。私は、彼女と再会できた喜びと、彼女を離したくない衝動に駆られ、彼女に夢中になってしまった。

それから10日あまり横浜に滞在し、毎日彼女と会い、最高に楽しい時間を過ごした。でもお金が底をつき、とうとう帰る日がやって来たのだった。彼女は新幹線の新横浜駅のホームまで見送ってくれた。

別れるのが本当に辛かった。このまま別れれば、もう2度と彼女には会えない気がした。新大阪行きの「こだま」がホームに入ってくる。でも体が全く動かない。2人はいつしか抱き合い、何本も何本も「こだま」を見過ごした。そして最終の「こだま」がとうとうやって来た。これに乗らないと帰れなくなる。決死の覚悟で新幹線に乗り込み、私は、アメリカ40日間、横浜10日間の旅を終えたのだった。

その後、バイトで貯めたお金は、全て横浜行きの資金になったのだった。


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