<それぞれの道>

大学4年に進級した2人は以前と同じ、お互いそれぞれの道を歩んでいた。しかし、最低週一度は「杉本ゼミ」で顔を合わせ、いろんなこと話してその隙間を埋め合っていた。

JUNKOは軽音の活動を楽しんでいたし、社会人となった銀行員の軽音の先輩と付き合っていた。軽音では音楽的に厳しく後輩たちを育成し、後輩たちからの人望も厚かった。JUNKOファンも多く憧れの存在だった。
私は、バイトと、横浜の彼女に明け暮れてはいたが、あのFUKUOKAと一緒にバンドやろうって意気投合し、「FUKUOKA BAND」を結成し、スタジオ練習をやり始めていた。

夏を過ぎ、そろそろ就職活動の季節がやって来た。
JUNKOは、早々にアパレルメーカーに就職の内定をもらっていた。
私は、長かったカーリーヘアも切らないまま、相も変わらずの生活を送っていた。
そんな頃、JUNKOと2人で学校近くの喫茶店に行く機会があった。

近況報告とでも言うのか、JUNKOは就職が決まったこと、またその会社のこと、彼氏のことなどいろいろ話してくれた。
私も、横浜の彼女のこと、就職したくないこと、「FUKUOKA BAND」のことなどいっぱい話した。
JUNKOは、自分のやりたかったことを親に猛反対され、すなわち、レディース・ハードロック・バンド「みれーゆ」でのプロへの道を断念したことを、就職が決まった今、とても後悔していた。
彼氏も、その事を反対していたらしく、それ以外のことでも日頃の彼氏への不満を思い切り私に吐き出していた。
それは、両親や彼氏の価値観は違うけれど愛情表現であって、JUNKOは愛されてるんやって、そんな風なこと言ったような記憶がある。また、断念させたのは、両親や彼氏じゃなく、自分自身やってことも・・・・・
オレが彼氏やったら、絶対後悔せんように、やれるだけのことはやれって応援すれけどなぁなんて思ったけど、口には出さなかった。

私は、こんな中途半端なままで就職なんて考えられないし、またお金貯めてアメリカに留学したいって夢をJUNKOにぶつけていた。自分の才能なんて全然たいしたことないし、バンドで成功するなんてありえないことも自分で一番解ってるし、自分に何ができるねんって言えば、アメリカに住んでみたいってことしかなかった。
とにかくアメリカに住んでみたかった。アメリカに何があるって訳でもないけど・・・・・

JUNKOは私に「***君はええなぁ〜、羨ましいわ。そういう生き方私もしてみたかったなぁ〜。自分の思うように生きてみたい。でもやっぱり私には出来そうにないけど・・・・・私の分もがんばってね」って言ってくれた。
何かとても嬉しかった。解ってくれる人がいてくれて。

でも今冷静に考えると、就職するのが嫌で、ただ現実からの逃避だけかも知れない。
アメリカなんて、ただカッコつけてたに過ぎなかったのかも知れない。


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