アイルランド音楽について

赤字のアーティスト名、アルバム名から所有ディスク紹介の各項目ヘリンクしています。

<序章>
日本で最も知られたアイルランドのミュージシャンと言えばU2であろう。少しロックに詳しい人でホットハウス・フラワーズもしくはヴァン・モリソン、もっと一般的なところではエンヤといったところでしょうか。そんな彼等の故国では古来からの伝統音楽と現代のロック的価値観が華麗なる融合を果たした音楽シーンが展開しており、今やジワジワと欧州、北米そしてアジアへとそのマーケットを獲得しつつあります。

人口約350万、ヨーロッパの西のはずれの島国、アイルランドに住むのはかつてヨーロッパを席巻したケルト民族の末裔である。緑の島といわれるアイルランド島だが決して肥沃な土地ではなく、また大英帝国の隣国としての歴史は不遇の連続と言わねばならない。全ての民族音楽にはその民族の悲哀と喜びが込められているがとりわけ虐げられた民族の音楽にはポジティブなパワーが溢れている。それはオキナワ音楽やジャマイカのレゲエにも共通する。古来から綿々と続く彼等の「音楽」は厳しい生活の憂さを晴らすための、また民族のアイデンティティを維持するための手段であり、救いであった。
そして、アイルランドの伝統音楽は移民によって北アメリカ大陸にもたらされカントリーミュージックを生み、やがてアフリカから連れ来られた黒人奴隷の音楽と融合し、ジャズとブルースひいてはロックンロールを生みだしたのである。そしてそのブルースやロックンロールにいち早く目覚めたイングランドの若者たちの中にはアイルランドやウェールズ、スコットランドといった古代ケルト系民族の感受性を受け継ぐ者が少なからずおり、さらには英米の音楽産業の発展に刺激を受けたアイルランドの若者がアメリカのフォークやブリティッシュロックを自分達の国の伝統と融合させるという輪廻天象のようなことが起こり、そこから世界へ飛び出したのが冒頭に挙げたアイルランドを代表するミュージシャン達なのです。

COMMONGROUND と偉そうな事を言っているワタクシとてアイルランド音楽に興味を持ったのはここ数年の事です。きっかけは96年、タワーレコード新宿東口店でふと目にした「Common Ground〜魂の大地」というCDでした。アイルランドのミュージシャンを集めて制作されたコンピレーションと紹介文があり、参加ミュージシャンを見るに知っている名はエルビス・コステロU2のボノ&アダムケイト・ブッシュ、それに音は聞いたことなかったけどシネイド・オコナーだけでした。その他のズラリと並んだ名は皆目知る由もないものばかりのこのアルバムを購入した理由は、ひとつにその直前に出たE・コステロのアルバム「All This Useless Beauty」の出来がとても良かったので、彼のルーツ回帰(両親がアイルランド移民)に興味を持ったこと。それとこれもその直前、漠然とした興味で買ってしまった雑誌「STADIO VOICE」のケルト特集号。そこにケルト人の残照を宿す地域(アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランスのブルターニュ地方)の音楽シーンの紹介があり、どうやらなかでもアイルランドのシーンは相当に熱いらしいと感ずるところがあったのねん。
さうしてこの「Common Ground〜魂の大地」なるアルバム、私が名を知るロックサイドの人々はルーツ回帰という趣(おもむき)で彼等の常日頃の音楽に比ぶれば牧歌的とも言える、民謡やそういった雰囲気のオリジナルを披露しており、初めて名を見る人々(トラッドサイドと呼ぼう)は総じて伝統的な唱法/楽器を駆使した曲を披露していた。朗々と謳い上げられるどこか哀しげなメロディーのヴォーカル曲には何故か懐かしさを、そして畳みかけるようなメロディーがプリミティブなリズムに乗って躍動するインストゥルメンタルにはロックと変わらぬ高揚感を味わった。俄然、興味をもったワタクシはアイルランド音楽についてもっと知りたいと思うようになった。

<アイルランドの伝統音楽とは>
起源前3世紀ごろまでケルト人はヨーロッパ中に分布していた。ローマ帝国によって西へ西へと追われ、最果ての島に辿り着いたのが今のアイルランド人のルーツである。都市国家を築き上げたローマ人にとってケルト人は粗暴で無教養な「野蛮人」であったが彼らは自然を崇拝し、魂の不滅を信じる民族でありその感性は多くの妖精伝説や口承の物語を生む。現在のアイルランドは有数のカトリック国だがそのキリスト教でさえこの島の土着信仰との折衝なくして根づかなかった。このような自然と共存し奔放に生きる精神豊かな民族性と、また近代における英国による支配(クロムウェルの侵略や植民地化)や大飢饉によるアメリカへの大量移民など民族の悲劇がその音楽形成にも少なからず影響を与えている。

WOMEN'SHEART 1.ヴォーカル曲
歌唱法・・・大半の伝統歌はシャーン・ノスと呼ばれる古式唱法で歌われる。同じ歌でも節回しやコブシなど歌い手によって微妙に違う。本来は無伴奏だが現在は伴奏が付くケースが多い。歌詞は英語が大半だが古代ケルト語の流れを汲むゲール語で歌われることもある。現在のアイルランドでゲール語が日常的に話される地区は島の西端や北端の地域および離島だけだが憲法上はアイルランド国の第一言語とされている。英語に比べ抑揚が少なく、シャーン・ノスで歌われると一層幻想的な雰囲気を醸し出す。
女性ヴォーカル・・・前述のシャーン・ノスで歌われることが多く、その内容は太古の英雄物語や移民の悲劇を歌ったものなど。ドロレス・ケーンメアリー・ブラックなどポピュラーフィールドで活躍する人も多い。1992年、これらの女性ヴォーカルを集めて制作されたアルバム「Women's Heart」が大ヒットした。ちなみにエンヤも一時在籍した彼女の兄姉達のバンド、クラナドは女性ヴォーカルをメインにポップ・テイストも加えたアレンジでヒットを飛ばし、U2のボノとの共演などもある。
男性ヴォーカル・・・女性ヴォーカル同様、伝説や移民の歌が多いが、英国支配に対する反抗歌(レベル・ソング)などはギターを伴奏に力強く歌われる。第一人者はクリスティー・ムーア。グループではダブリナーズなどがいるが、彼等のフォークスタイルを巧みにロック/パンクに融合して成功したのがポーグスで彼らはダブリナーズとも共演している。またC・ムーアポーグスをカバーしてたりする。

2.インストゥルメンタル
アイルランドはその地理的条件から大陸の中世宮廷音楽いわゆるクラシックに席捲されることなく、土着のリズム、メロディが発展してきた。その器楽曲はプリミティブな躍動感に溢れており東欧や中近東の音楽との類似も見られる。これはアイルランド人のルーツであるケルト人がかつてヨーロッパ中に分布しておりローマ帝国の出現で東と西の端にその末裔が取り残された結果と言える。器楽曲の主要なものは「ジグ」や「リール」と呼ばれるダンス曲である。8分の6拍子や8分の12拍子の畳みかけるようなリズムで演奏される。
まず特徴のひとつとして複数のリード楽器がユニゾン(同じメロディ)を奏でる。フィドル(ヴァイオリン)、ブリキ製の縦笛ティン・ホイッスル、そしてアイルランドのバグパイプであるイーリアン・パイプ、さらにはコンサーティーナ(ボタン・アコーディオンの一種)などが流れるような早いメロディを競い合うように鳴らし、どんどん曲調が高揚していく。そして同じリズムのまま突然、別の曲に移行したりする。パーカッションとして主に使われるがバウロン(ボーラン)と呼ばれる大きなタンバリンのような太鼓で短いスティックの両端を手首のスナップで「ドンドコドコドコドンドコドコドコ」という感じで打ちつけ、うねるようなリズムを生み出す。他にスプーンや動物の骨を2本、指に挟んでもって「カンカラカンカラ」鳴らしたりもする。その他にリズムを刻む楽器としてギターやバンジョー、さらにはブズーキという弦楽器が使われる。ブズーキは元々、ギリシャの楽器で本国ではメロディ楽器なのだがアイルランドではパーカッシッブな使われ方をしている。このあたりの柔軟さもアイルランド音楽の特徴である。
そしてこの「ダンス曲」で踊られるのが「ステップ・ダンス」である。このダンスは上半身を動かさず、硬い靴底で床を早いリズムに合わせて踏み鳴らす。今もホールや公共施設で広く行われ、現在、欧米で大人気を博しているミュージカル「リヴァーダンス」の元にもなっているこの「ステップ・ダンス」はかつては農民の唯一の娯楽であり、村の集会場やパブなどで踊られたが、支配層である英国人地主に咎められぬよう窓から覗かれても分からないよう上半身は動かさないスタイルになったのである。この抑圧から生まれたダンスが移民とともにアメリカに渡り、そう「タップ・ダンス」になるのです。

<ロックを生み、故国へ帰還したアイルランド音楽>
riverpoolmap アイルランドの歴史は移民の歴史でもある。古くから農民たちは貧しい境遇から逃れるべく、イギリスやアメリカへと渡った。その数が最も増大したのが1840年代、主要農産物であるジャガイモが枯渇病でほぼ全滅、相当数の餓死者を出し、120万人以上がアメリカへと渡った。当時の移民は英語を話せる者も少なく社会階層の底辺に置かれた。身を危険にさらす職に就くしかなく、炭坑労働や大陸横断鉄道の建設などに従事していた。その厳しい生活の憂さを晴らすべく故国への想いを込め、唄われた歌にギター、フィドル以外にバンジョーが加わり、やがてカントリーミュージックへと発展していく。
国を追われまたは夢を追ってアメリカに渡ってきたアイルランド人と同じく、新境地アメリカで過酷な待遇に置かれたものたちがいる。アフリカからの黒人奴隷である。彼らの境遇はアイルランド人のそれよりさらに不遇であったと思われる。しかし抑圧された彼らには音楽があった。アイルランドの常緑の国土と大陸の辺境が生んだメロディーと歌唱、アフリカの焼けつく大地が生んだ沸き上がるような原始のリズム。その二つの支流がカントリーとフォーク、ジャズとブルーズといった肺葉期を経て、遂には20世紀最大のレヴォリューション、ロックン・ロールを生み出した。
突然変異的に発生したロックンロールに反応したのはそのルーツである土地に程近いブリテンの若者だった。港街リバプールはアイリッシュ海に面しており、アイルランドからの移民を載せた船は必ずといっていいほど寄港していた。そこからアメリカまで長い航海に出る者もあればそのままこの英国の港街に居着く者も多かった。そんな移民の家系の若者が、ロックンロールに呼び寄せられたのは偶然ではないのかもしれない。自分達のルーツミュージックに無意識に取り憑かれた4人の若者が世界中に「自由の息吹」と共にその歓喜の音楽を広めていった。彼らはビートルズと名乗った。

<伝統音楽をポピュラー・ミュージックにのし上げた二つの流れ
〜チーフテンズとドーナル・ラニー>

BLACKVEIL 世界中を席捲したロック・ミュージックの波は当然、ヨーロッパの極西の孤島にも届く。
ちょうどその頃、アイルランドでは伝統音楽を復興させようとする二つの大きな流れの源が湧き始めていた。ひとつは、農村に残る伝統音楽の再構築を目指した作曲家ショーン・オ・リアダの楽団キョールトリ・クーランである。民族楽器にハープシコードを加えた編成で伝承曲を体系的に蘇らせたこのグループはやがて同国随一のトラッド・グループ、チーフテンズへと発展していく。
チーフテンズはアイルランドの伝統スタイルを堅実に守りながら、世界中の様々なスタイルの音楽とコラボレーションを重ねていく。またヴァン・モリソンのアルバム「アイリッシュ・ハートビート」でバックを務め、95年のアルバム「ロング・ブラック・ヴェイル」にはミック・ジャガー、スティングらが参加しているのをご存知の方も多いだろう。

様々なスタイルと邂逅を重ねつつも伝統音楽の「王道を行く」チーフテンズに対し、ロック的アプローチも辞さず、アグレッシブに疾走を続けているのがアイルランドのクインシー・ジョーンズと呼ばれるスーパー・プロデューサー、ドーナル・ラニーである。伝統歌をフォークスタイルで唄っていたクリスティ・ムーアと73年に結成したプランクシティを皮切りに続いて参加したボシー・バンドでは大胆なリズム・アレンジの導入で農村に伝えられてきたダンス音楽を怒涛のインスト・ナンバーに仕立て上げ新たな境地を見出し、再びC・ムーアと手を組んだムービング・ハーツではドラムス、ベース、エレキギターそしてサックスを取り入れプリミティブな楽器であるイーリアン・パイプと自らはキーボードを多用し、フュージョンにも通じるトラディショナル・ロックとしてのスタイルを確立した。その後プロデュース業に転じてからの偉業は数知れず、現在、現役最強のトラッド・バンド、アルタンや若手女性アコーディオン奏者、シャロン・シャノンからエルビス・コステロ(「スパイク」)マーク・ノップラーなどのアルバムも手掛けている。その集大成とも言えるのが私がアイルランドにハマるきっかけとなったコンピレーション「Common Ground〜魂の大地」である。

<アイリッシュ・ロック/ポップス・フィールド>
COORS U2のサウンドに伝統音楽の影響を見透かすのは容易ではないが、アイルランドのバンドの中には伝統音楽のスタイルを巧みに取り入れ、活躍するバンドも少なからずいる。
その先駆的存在が70年代に活躍したホースリップスなのだがあまりにマイナー過ぎてCD化も遅れておりここでは割愛する。続いて登場したのは「酔いどれアイリッシュ」を戯画的に演じて見せたシェイン・マクガワン率いるポーグス。実はメンバーの国籍はイングランドなのだが、「ニューヨークの夢」などアメリカ、イギリスのアイルランド移民(とその末裔)のノスタルジアをくすぐるヒット曲を多く持つ。またパブから漏れてくるような楽し気なナンバーも聞かせる。ウォーターボーイズは元々はスコットランドのバンドだが自分達のルーツを追ううちにアイルランドに辿り着き、トラッド・バンドデ・ダナンとのセッション・アルバムも制作、その後シャロン・シャノンを正式メンバーにした。4人の兄妹で結成されたコアーズはポップ職人、デヴィッド・フォスターのプロデュースのもと、伝統音楽を巧みにポップスと融合させヨーロッパはもとよりアメリカでもスマッシュ・ヒットを放っている。またホットハウス・フラワーズのヴォーカリスト、リアム・オ・メンリィはライブやソロ活動で震え上がるようなシャーン・ノスを聴かせてくれる。

<最後に>
アイルランド音楽はここ数年、欧米そして日本でもブームとも言える人気である。ヨーロッパの人々にとってケルト民族こそ自分たちのルーツと感ずるところがあるらしい。そしてアメリカ国民のうち、4,000万人がアイルランド系だと言われる。そんな人達の間でアイルランドの音楽が愛されるのは当然であるかもしれない。で何故か日本でも人気で、この1、2年で随分たくさんのCDが日本盤で発売されるようになった。それはそれで嬉しいことなのだが、アイルランドの人達に言わせれば自分達を「ケルト人」と意識することはないそうな。だから編集盤なんかでよく使われる「ケルティックなんとか」なんて表現はメディア側がイメージ的に付けただけに過ぎない。もっと言えばよく耳にする「トラディショナル音楽」という表現さえしないということだ。彼等にとっては民族の歴史とともに受け継いできた伝統の一部に過ぎないわけだ。
そんなアイルランドの音楽がメディアの仕掛けもあって今やワールド・ミュージックの範疇を超えて、ポピュラー・ミュージックの一ジャンルとして成立しつつある。そこには当然、ブームの功罪がある訳でいずれそれほど表立って取り上げられる事もなくなってくるでしょう。でもそんな時が来ても、ユーラシア大陸を隔てて日本から一番遠い「極西」の島の田舎のパブでは地元の腕自慢がほろ酔い気分で楽器を奏で、踊りの輪が揺れているに違いありません。いずれそんな場所で、音楽を通じてかの国の歴史や風土に魅入られてしまった私はギネス・ビールのグラスを傾けてみたいと思っています。

私の所有するアイルランド関連のCDについては「'disc'graphy」のコーナーへ

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