Carter Dickson  作品別 内容・感想

弓弦城殺人事件   6点

1934年 出版
1976年04月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 イングランド東部の荒れ果てた海岸にのぞむ古城“弓弦城”は、十五世紀の昔から崩壊もせず、修復もされずに今日まで生きながらえた数少ない城のひとつである。夜な夜な幽霊があらわれるというこの奇怪な古城で、密室殺人が起こった。二人の客が城の見物に訪れた夜、当主のレイル卿が甲冑室で殺されたのだ。しかも、容疑者は卿の愛娘だった! フェル博士、H・M卿の前身といわれる犯罪学者、ジョン・ゴーント博士登場。

<感想>
 カー・ディクスン名義であり、数々の名作を生んだカーター・ディクスンへとつながってゆく、序章となった本書。

 作風は怪奇色が強く、この当たりはバンコラン物を踏襲しているかのようだ。また、探偵役としてもバンコランを異なる形で見せようとしたかのような探偵ジョン・ゴーントが登場している。ただ、探偵として納得のいくできでなかったのか、結局これが最初で最後の登場となっている。

 内容であるが、ずばり密室における不可能殺人。犯人らしき者が入った形跡も出た形跡もないというもの。ただ内容がごちゃごちゃしていて、せっかくのレッド・ヘリングもはっきりと提示されずに話しが進み、終盤の説明によって気づいたというものが多々あったのは惜しく感じられる。それでも密室の構成手段としては面白く思えたし(というか、有名トリックの走りである)、“カチッという音”に対する謎解きの解釈の仕方が印象に残る。


黒死荘の殺人   7点

1934年 出版
1977年07月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫(プレーグ・コートの殺人)
2012年07月 東京創元社 創元推理文庫(改題:黒死荘の殺人)

<内容>
 プレーグ・コート、そこは黒死病が流行した当時に呪詛にまみれたという伝説をもつ屋敷。そこで、ロジャー・ダーワースという心霊学者による交霊術が行われることとなった。部屋に閉じこもるダーワース。その現場に居合わせたのは、館の当主ディーン・ハリディから頼まれたケン・ブレークとマスターズ警部。そしてダーワースは、誰も入ることのできない密室のなかで、博物館から盗まれたルイス・プレージの呪われた短剣によって殺害されているのを発見される。その日、ディーンの婚約者のマリオン・ラティマーをはじめとする数人の人々が別の部屋に集まっていたのだが、そこから誰かが密かに抜け出して、ダーワースを殺害したというのだろうか。さらには、密室をどのようにかいくぐることができたというのか? ケンとマスターズはヘンリー・メリヴェール卿に助けを求めることに・・・・・・

<感想>
 ハヤカワ文庫の「プレーグ・コートの殺人」のほうを読んでいたのだが、感想を書いていなかったのと、創元推理文庫から「黒死荘の殺人」というタイトルでのリニューアル本が出たので、これを機会に再読してみた。本書はH・M卿が初登場する作品でもある。

 犯人当てを試みるも難易度が高い。カーの作品ではよくあるのだが、作中で語られている人物像と、実際の人物像の相違から真犯人が暴き出されるというもの。その高度な内容の作品が本書というか、まぁ、要点がわかりにくい書かれ方であったと言っても過言ではないだろう。何しろ、カー自身(正確にはカーター・ディクスンか)。探偵の人物造形に悩みながら書き上げた作品のようであるし(当初はマスターズを主人公とする試みもあったよう)。

 実はとある有名なトリックを効果的に用いた作品でもある。このトリックの先駆的な作品であるのかどうかはわからないが、海外の古典本格ミステリでは有名なトリックといえよう。再読であるはずなのに思い至らなかった。ルイス・プレージの短剣の形状を・・・・・・と、言いすぎるとネタばれになってしまう。

 怪奇的な雰囲気のなかで、H・Mの陽気さが光る作品。カーの前期の作品は、こうした暗い雰囲気の作品が多かったのだが、それを払しょくするために登場させた人物こそがH・Mといえるであろう。とはいえ、初登場作品ゆえに、暗さや陰惨さはまだ存分に影を落としている作品であることには間違いない。


白い僧院の殺人   7点

1934年 出版
1956年02月 早川書房 ハヤカワミステリ239
1977年10月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 ロンドン近郊の由緒ある建物“白い僧院”。そこの別館でハリウッドの人気女優が殺されるという怪事件が発生した。建物の周囲三十メートルに及ぶ地面は折から降った雪に覆われ、ついている足跡は死体の発見者のものだけ。犯人がこの建物から脱出した際につけたはずの足跡は影も形もなかった。犯人は空気と化して宙に消えたのだろうか?

<感想>
 雪におおわれた足跡のない殺人事件。これに類する小説はさまざま出ており、いろいろなパターンが現在では明らかにされている。そういったものを思い起こし検討しながら、読み進め進めてゆくことになる作品。

 小説が始まり、真っ先に女優が死んでいる状態で発見される。この部分に関して解決の際に、まず女優が生きている状態でその性格とかを知らしめ、女優のその夜にとろうとしていた行動を匂わせてくれたほうが理解しやすかったと思った。まぁ、これは贅沢な悩みかもしれなく、本書においてはこれは些細な問題にしかすぎず、内容に関しては素晴らしいものである。

 足跡のない状況の成立が明らかにされたとき、それのみを取りあげればある程度予想がつきそうなもののひとつでしかない。しかし、本書の解決では、すでに主題と成るべきものが変わっており、異なる視点で状況証拠から論理的に語られて行く。死体が置かれた状況などはそれらの解決のごく一部のパーツにすぎない。その全体を通した解明が実に見事である。そしてH・Mが指摘する犯人、犯人に仕掛けた罠、それらが明らかになったときには、さらなる驚きがまっている。強烈なトリックに打ち負かされる類のものではないのだが、その全体を通しての論理の彩られ方には感嘆するより他にない。


赤後家の殺人   6点

1935年 出版
1960年01月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 世界史の中でももっとも狂乱と背徳と悲惨な時代、フランス革命当時に端を発して、150年間に四人が謎の死をとげた神秘の部屋の扉が、いまや開けられようとしている。この息詰るような瞬間をひかえて、さらに新しい惨事が突発した。その部屋で眠れば、かならず毒死するという赤後家、ギロチンの間である。事件発生の前から関係していたH・M卿ですら、なにひとつ手を打つことができなかったと、とほうにくれるほどの買い事件。密室の不可能犯罪、しかも関係者全員にはアリバイがある。その謎がやっとほぐれだしたときに・・・・・・

<感想>
 かなり前に読んで、もうすでに内容を忘れてしまっていたので再読を試みた一冊。カーター・ディクスンの本の中では一、二に取り上げられる本書であるのだが、内容をまったく覚えていないというのはなぜなのか・・・・・・

 なるほど読んでみて、なぜ内容を覚えていなかったのかが理解できた。読み始めたときの本書の核たるべきところは、“密室”であった。主題としては“部屋が人を殺すことができるのか?”というものである。そして衆人監視の部屋にて殺人が起こるのだが、その謎が解かれていくうちに、徐々に話の焦点が“密室”というものから“動機”というものへと変化していくのである。その変化の様は論理的でもあり、または物語性に富んでいるというようにもいえるものとなっている。よって、密室物として考えていたゆえに印象に残ることなく忘れてしまっていたのであろう。

 しかしながら、この作品においては“なぜ、誰それが殺されなければならないか?”もしくは“何故に彼に疑いが?”というような動機における作為的な部分が非常に良くできている。著者の作品のなかでこういった論理的な解決が用いられるものというのも珍しいのではないだろうか。カーにおいては自分が構成する密室でさえもレトリックにしてしまうといったところか。


一角獣殺人事件   6点

1935年 出版
1995年11月 国書刊行会 世界探偵小説全集4
2009年12月 東京創元社 創元推理文庫 (改題「一角獣の殺人」)

<内容>
 ライオンと一角獣が王位を狙って闘った。パリで休暇を楽しんでいたケン・ブレイクは謎の言葉につられて不可思議な殺人事件に巻き込まれることとなる。
 いつの間にか諜報部員を装う形でイヴリン・チェインと合流し、謎の男からの逃亡劇、そしてH・M卿と出会ったあげく、飛行機事故によって遭難した一行とともに謎の城へと避難することに。さらにそこで彼らを待ち受けていたのは、怪盗フラマンドからの犯行予告。そうこうしているうちに、多くの者が見ている目の前で、謎の殺人事件が起こることとなる。死体の額には、まるで一角獣に襲われたかのような傷痕が残されていた。これは怪盗フラマンドによるものなのか? フラマンドは城に潜んでいるのか、それとも誰かに化けているのか? いつしか事件の容疑がケン・ブレイクへと向けられることとなり・・・・・・

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<感想>
 国書刊行会から出た当時に読んでいたのだが、きちんと感想を書いていなく、さらに内容を忘れていたので創元推理文庫版で購入して再読・・・・・・なのだが、購入してから結構時間が経っているなぁ。

 再読してみて、前回に読んだ際に何ゆえ印象に残らかなったのかがわかった。ひとつは、ここに登場する“怪盗像”というのが私の見解とあまりにもかけ離れていたから。さらには、プロットがやたら複雑ということも原因のひとつ。

 最初に怪盗フラマンドという存在が紹介され、どうしてもルパンのような義賊的なイメージが先行していた。しかし、実際には義賊というにはかけ離れ、平気で殺人なども犯す人物。この怪盗というものに対する私的なイメージのずれが作品に対する印象をぼかしてしまっていたような気がする。

 また、登場する人物でドラモンドという兄弟がいるのだが、この人物が立場を偽ったり、生きているのか死んでいるのかわからなかったりと非常に不透明な存在。さらに真相が語られることによって、さらに分かりづらくなってしまう。今回は再読に当たり、この辺の所をきちんと確認しながら読んでいったのだが、パッと流し読みすると内容がきちんとくみ取れない可能性もある。

 というわけで、いたって分かりにくい癖のある作品であることは事実。とはいえ、カーのファンにとってはその癖もまた、たまらないものなのかもしれない。ただ、一角獣の角による殺人という部分については、方法論はともかく、兇器はやや淡白だったかなと。


パンチとジュディ   6点

1937年 出版
2004年03月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 結婚式を前日に控えたケン・ブレイクは突如、H・M卿から呼び出されることに。H・Mが言うには、国際指名手配されているスパイの証拠をつかむことができるかもしれないということで、ケンはとある屋敷に潜入するように命じられる。そしてケンが忍び込んだ屋敷で目にしたものは、その屋敷の主人の死体であった! そこで警官につかまりそうになったケンは、何とかその場を逃れることに成功する。すると、H・Mからはさらなる指令が下され・・・・・・

<感想>
 カーの作品の中ではドタバタものとでも言えばよいのだろうか。こういう作風のものはカーの作品の中で何作か見受けられるが、私的にはあまり好きなタイプの作品ではない。

 なによりも状況が極めてわかりづらい。ケンが行動することによって、死体を発見したり、他の犯罪に関するできごとに遭遇したりと、次々と騒動を引き起こすのだが、全体の構図が見えないために読んでいるほうとしては混乱してしまう。

 最終的には、それら全てのできごとにきちんと解釈が付けられるようになっている。しかし、それでも本書は全体をとらえにくくなっていると感じられた。どうも、あいまいに感じられる部分もあり明快な解決というようには思えなかった。

 本書は、コメディ・ミステリーというくらいにとらえて読んでもらったほうが良い作品であろう。カーお得意の不可能犯罪ものとはまた趣の異なるものである。あまり、かまえずに気楽に取り組んでもらえれば、それなりに楽しんでもらえる内容ではないだろうか。犯人の意外性だけは保障しておく。


孔雀の羽根   6点

1937年 出版
1980年12月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 マスターズ警部のもとに“十客のティカップが出現するでしょう”という旨の書かれた手紙が届けられる。2年前に、それと同じような内容の手紙が届けられた時は、十客の貴重なティカップと共に男の死体までもが残されていたのだった。それは未解決事件となってしまったのだが、マスターズは今回は事件を未然に防ごうと、H・M卿に相談し、さらに手紙により指定された場所に部下を配置し、監視体制を整えた。にもかかわらず、前回と同様に殺人事件が起きてしまう。被害者は至近距離で撃たれたのにもかかわらず、現場から逃走する犯人の姿は一切見かけられることはなかった。一連の謎に挑むH・Mであったが・・・・・・

<感想>
 不可解な事件現場と、不可能犯罪を描いた作品。孔雀の羽根がまるで秘密結社を表すかのように事件のたびに現れる。

 被害者は事件前に謎の行動をとる。彼が主催するはずの“殺人ゲーム”に断りもなく欠席し、誰のものともわからない帽子を持参して事件現場に現れる。また、彼が残した遺言状も事件の解明をややこしくしてしまう。

 そうしたなかで、H・Mは被害者の従者から詳細に聞き込みを行うことにより、事件解明の糸口を見つける。それは、あまりにも細かすぎて、読み手側が解決の糸口とするにはなかなか厳しいものがあるものの、感心させられてしまうのもまた事実。また、全体的な事件構成もまた複雑なものとなっている。

 この事件では、被害者の心理的な面と、加害者による見事な誘導により、不可能犯罪が成し遂げられている。ややこしく思われた事件の数々の要素が、被害者の心理的なものにより構成されていたというところには感嘆させられる他はない。

 今作ではH・Mの行動が抑えられており、終始だんまりを決め込んでいる。その間、必死に事件の解決に注意が向けられていたのだろうと思われるが、おとなしくしている分、フェル博士的な事件の解き方という風にも感じられた。


第三の銃弾 [完全版]   7点

1937年 出版
2001年09月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 密室で射殺された元判事の死体の傍らには、拳銃を握りしめた青年がたたずんでいた。しかし、被害者を襲った凶弾は青年の銃から発射されたものではなかった。そしてさらにもうひとつの拳銃が事件の中に現われ出でることになる。三つの拳銃の出所、弾丸の行方、それらを撃ったものはいったい誰?

<感想>
 カーによる不可能犯罪の到達点ではないだろうか。提示される問題自体が異様であり、また魅力的である。この事件においては読者は自ら推理せずにはいられなくなるであろう。いったいどのような計画または意図が存在すればこのような状況が創り出されるのか?? 

 解答には微妙に不満があるものの、だからといってアンフェアだとはいいきれない。それでもこの不可能犯罪を見事収束に導く名探偵振りは十分堪能させられる。


ユダの窓   9点

1938年 出版
1978年 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 アンズウェルは結婚の許しを乞うため、恋人の父親を訪ねた。勧められるままに飲み物を口にした彼は、喉に異様な感触を覚え、意識を失ってしまった。そして目を覚まして見た光景は、完全な密室で事切れている将来の義父の姿だった。当然のごとく彼は殺人の容疑に問われた。しかし、厳しい追及に対し、無実を信じるH・M卿がユダの窓の存在を主張し敢然と立ち上がった!

詳 細

<感想>
 密室を扱った小説として、密室となった経緯といい、そのトリックといい申し分ない。さすが名作といわれるだけのことはある。

 また、本編は法廷物として取り扱われている。その法廷でH・Mの弁護によって少しずつ様相が明らかになっていく様が非常にいい。どうみても被告人にとって不利だった最初の状況が徐々に覆され、事実が見えてくるという構成は見事である。しかも、この事件では法廷内で真犯人を明らかにしない方向でもっていく(もちろんそこにも意味がある)という点が法廷物として成功を収めている要因であろう。

 密室の謎だけでもすばらしいと思うが、その構成にも著者のうまさがあり、本書を密室物の代表作といわれる地位に位置付けられる理由がよく分かる。


五つの箱の死   6点

1938年 出版
1957年04月 早川書房 ハヤカワミステリ320

<内容>
 深夜、サンダース博士が仕事を終えて、家路に着く途中、ブライストン嬢に出くわす。彼女が言うには、この建物の最上階にあるフェリックス・ヘイという人物の部屋に彼女の父親が出かけていったきり、戻ってこないのだという。ブライストン嬢はサンダース博士に一緒に様子を見に行ってもらいたいと言う。二人がフェリックス・ヘイの住居へと行くと、そこには3人の人物が毒物によって意識不明となっており、さらに住居の主であるヘイは殺害されていた。さらにこの事件はフェリックス・ヘイの遺言として弁護士事務所に保管されていた五つの箱の中身が盗まれていたことにより、理解不明の難事件となる。

<感想>
 事件自体の謎についてというよりも、事件の背景について語られる部分の方が長かったように思える。要するに、何故このような不可解な事件が起こったのかというスキャンダル的な部分についてが主な内容という気がした。

 また、ここでは毒物をどのようにして混入するかというトリックが用いられているのだが、今の時代にしてみればそれほど珍しくないトリック。さらに言えば、まさかこのような単純なトリックが使われているとは思わなかったという点がむしろ盲点になっている。といいつつも、このトリックに関してはひょっとしたらこの作品で使われたのが最初かもしれないので、ある意味歴史的な作品と言えるのかもしれない。

 全編通して、HM卿が活躍する作品にしては暗い雰囲気が漂い続けた内容であった。この作品がいまだ文庫化されないのは、カーの作品にしてはあまり印象に残りづらいという内容であるからだろうか。


エレヴェーター殺人事件   6点

1939年 出版(ジョン・ロードとの共作)
1958年01月 早川書房 ハヤカワミステリ390

<内容>
 タラント出版社社長のアーネスト・タラント卿が社長専用のエレヴェーターにて、1階へと向かった。途中、銃声のような音が聞こえ、エレヴェーターが1階に到着したとき、タラント卿は血だらけとなって死亡していた。密閉されたエレヴェーターの中で、誰がどのようにして、社長を殺害したというのか。事件の第一発見者となった警察医であるグラスはロンドン警視庁で名をはせるホーンビーム警部と共に事件の真相に挑む!

<感想>
 カーター・ディクスンとジョン・ロードが共作したというわりには、意外と地道な作品(と、言えるほどジョン・ロードの作品に触れていないのだが)。エレヴェーターという現代風のものが中心になっているためか、従来のカーやカーター・ディクスンものと異なり怪奇色が少なく、全体に対する印象もやや薄め。

 本書のなかで一番面白く読めたのは、いかにも“あて馬役”というようなグラス警察医が一生懸命ホームンビーム警部に自ら考えた推理を披露するところ。中には、それが正解に近いのでは、と思わせるようなものもあるのだが、エレヴェーターの機能性やホーンビーム警部の一喝によって、軽く覆されてしまうところがまた何とも言えないところである。

 カーター・ディクスンらしく、最終的には張り巡らせた伏線を回収して披露される真相はなかなかと言えるのだが、このようなトリックにて収束するのは意外とも思えた。とはいえ、いかにもエレヴェーターを題材とした内容らしいとも言えるであろう。なんとなく、共作という形をとったがゆえに、全体的に遠慮がちというように収まってしまったように感じられてしまうのは気のせいであろうか。


読者よ欺かるるなかれ   6点

1939年 出版
1958年05月 早川書房 ハヤカワポケットミステリ409
2002年04月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 女性作家マイナが催した、読心術師ペニイクを囲んでの夕食会。招待客の心を次々と当てたペニイクは、さらにマイナの夫の死を予言する。はたして予言の時刻、衆人環視の中で、夫は原因不明の死を遂げた! ペニイクは念力で殺したというが、逮捕しようにも証拠がない。遅れて到着したヘンリー・メリヴェール卿に、ペニイクは新たな殺人予告をするが・・・・・・・不可能と怪奇趣味を極めた著者のトリックに、読者よ欺かるるなかれ!

<感想>
“超能力者 対 H・M卿”と銘をうちたくなるような小説。その謎の提示に対しては、まるでマジックを見せられているかのごとく、うさんくささを感じながらもつい見入ってしまう。そして、そこに何らかのタネが隠されているのを知りながらもトリックはわからない。実にうまく読者を魅せ、読者を惹きつける。そしてそのラストにいたっては、思い描いたマジックとは異なる展開に恐れおののく。まさに欺かれたとしかいいようがない。

 その結末であるが、トリックなどについては大掛かりという物ではなく、それについて驚くというものではない。それよりもその、表面に見えていたものとのギャップというか、超能力として成り立っていたものの裏の構造自体が実に見事に展開されている。ささいな事はおいておいて、その出来様には見事“だまされた”という爽快感をもつことができる。 


かくして殺人へ   6点

1940年 出版
1956年 別冊宝石
1999年12月 新樹社 単行本
2017年01月 東京創元社 創元推理文庫(改稿)

<内容>
 処女作「欲望」が大当たりした牧師の娘、モニカ・スタントン。周囲の反対を押し切って村を出て、彼女は映画スタジオへと行き、そこで脚本家として採用される。すると、その採用された当日、モニカは何者かから硫酸を浴びせられかけ、命を狙われる羽目に。その後も予告状までが届き、何故か命を狙われ続けるモニカ。いったい誰が彼女の命を狙おうとしているのか? モニカに一目ぼれした探偵小説作家のウィリアム・カートライトは彼女を守ろうと、ヘンリ・メリヴェール卿に相談するのであるが・・・・・・

<感想>
 新樹社版で読んでいたのだが、感想を簡潔にしか書いていなかったので、創元推理文庫版にて再読。第二次世界大戦下のイギリスの映画撮影所で起きた事件を描いたもの。

 H・M卿が登場する事件を描いた作品であるのだが、カーの作品の割には、やけにライトでちょっと異色と感じられる。どうやらこの作品、カーが映画に関わる仕事をしたものの、水が合わなく、辞めてしまったという経験を生かして描かれたよう。そんなわけで映画関係者ばかりが登場する内容となっている。

 事件は、新たに脚本家として雇われた新進の女性作家が次々と命を狙われるというもの。ただ、その女性、映画スタジオに来たばかりで何故命を狙われなければならないか、誰にもわからない。そうしたなか、その女性作家に一目ぼれした推理小説家が体を張って彼女を守ろうとする。こうした男女の出会いなどはカーらしさでもあり、映画的でもある。

 そうして最終的にはH・M・卿が事件に乗り出し、解決に至るのであるが、あっさり目でありつつも、きちんとした解答を提示するところはカーの作品らしさが光っている。何気にミスリーディングを張って、真犯人から読者の目をそらそうとしているとことは心憎い。ページ数も手ごろで、訳も新しいので、カーの作品のなかでは非常に取っ付きやすいものと言えよう。


九人と死で十人だ   7点

1940年 出版
1999年12月 国書刊行会 世界探偵小説全集26

<内容>
 第二次世界大戦中、敵軍の襲撃を恐れつつ、イギリスへと向かう商船エドワードディック号。その商船に乗り込む9名の客員。そんな航海中、乗客のひとりの女性が喉を切り裂かれて殺害されているのを発見される。現場に残されていた血染めの指紋を調べ、他の乗客と照らし合わせたのだが、誰の者とも一致しなかった。9名の乗客の他に、謎の人物が乗っているとでもいうのか!? その船に乗り込み、イギリスへと向かっている最中であったヘンリー・メリヴェールが事件の謎に挑む!

詳 細
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<感想>
 感想をきちんと書いていなかったので、再読。10年数年ぶりに読むこととなったが、カーの作品のなかではページ数が薄めで、読みやすくとっつき易い作品と言えよう。

 メインは“何故、犯行現場に残されていた指紋が誰の者とも一致しなかったのか?”というもの。この謎についてヘンリー・メリヴェールが推理する。そうして、そのトリックを見破った時に、導き出される真相が意外な真実を暴き出すものとなっている。

 小技+大味なトリックと、うまく出来たミステリ作品であると思われる。どうしても大味なところに目が行きがちだが、カーの作品らしく、細かな伏線まできちんと気が配られている。犯人の動機に関するストーリーといい、うまくまとめられた作品。


殺人者と恐喝者   6.5点

1941年 出版
2004年04月 原書房 ヴィンテージ・ミステリ

<内容>
 心理学者による余興として催眠術が披露された。しかし、その催眠術で操られた夫人が衆人の前で夫を殺してしまうという事故(?)が起こることに。用いられていた短剣はゴムのおもちゃのはずであったのだが、いつのまにか本物とすりかえられていた。その短剣に近づいたものは誰もいなかったはずなのだが・・・・・・
 奇妙な状況の中で起こった難事件をH・M卿が暴く!

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<感想>
“論争を巻き起こした問題作!”と帯に書かれていたが、最後の解説を読んでようやくその意味に気づかされた。ただそれは本書を深く考察する上では論じるべき点となるのかもしれないが、楽しんで読むうえではあまり気になることではない。ただし、フェアプレイというものを重要視するのであればそれは大切な点となるのであろう。

 本書では催眠術によって無意識の状態になった者が取り替えられた本物のナイフにより殺人事件を起こすというもの。催眠術にかけられた者が殺害を犯した場合、それは罪に問われるのだろうか? などと考えたのだが、その点については本書では論じられていない。この事件で重要視されて論じられるのは、衆人環視の状態において誰が偽物のナイフを本物にすり替えたのかという点。一見、行き当たりばったりの犯行に思えたのだが、意外にも犯人が緻密な計算の元で犯行が行われたというところには感心させられた。ただし、そのトリックについては笑うしかないのだが・・・・・・

 また本書において一番感心させられたのは事件そのものではなく、タイトルにもなっている“殺人者と恐喝者”という関係について。H・Mによってこの点が論じられたときに、すべての真相が明らかにされることとなる。ただし、この部分を重要とするのであれば上に記載したフェアプレイという部分にひっかかりが生じてしまう。結局のところ良くできている作品だからこそ、論争の種にもなってしまうというところなのか。

 この邦題のタイトルはなかなか良いと思う。原題は「Seeing Is Believing」。これは“百聞は一見にしかず”と訳するよりは、そのまま直訳して“見ることは信じること”としたほうが本書のタイトルにはふさわしいと思う。とはいえ、やはり本書は“殺人者と恐喝者”というタイトルのほうがふさわしく思える。ぜひとも読んでその意味を確かめてもらいたい。


仮面荘の怪事件   6点

1942年 出版
1959年06月 早川書房 ハヤカワポケットミステリ491(「メッキの神像」)
1981年08月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 数多くの名画が飾られたロンドン郊外の広壮な邸宅<仮面荘>。ある晩、飾られた名画の前で、夜盗とおぼしき覆面の男が瀕死の状態で倒れていた。だが、覆面の下から現われたのは、なんと屋敷の当主スタナップ氏、その人であったのだ。なぜ、自分の家に盗みに入らねばならなかったのか? そして、彼を刺したのは誰なのか? 噂や彼の不審な言動から、いくつかの疑問の答えは明白なように思われた。だが、次々と明らかになる事実は、それらの憶測をことごとく覆してしまう。あの夜、本当は何が起きたのか? H・M卿の推理が、意外な真相を暴きだす。

<感想>
 本書における謎は、“なぜ高級な絵画が人目に触れやすい場所に置いてあったのか?”、“それを盗もうとした賊がなぜ屋敷の主人であったのか?”、“その屋敷の主人は誰に襲われたのか?”という点。事件はそれほど多くは起こらず、ほとんどこの点のみに着目され話が進んでいくというもの。

 事件自体は単純のようでもあり、解決自体もそれほど驚かされるといったものでもない。しかし、その犯人を指摘する題材が読者の目の前にどうどうと転がっているかのような伏線の張り方は相変わらずあっぱれである。確かに読了してみれば犯人はこの者しかいないと思い知らされる。

 ミステリの内容としては著者の作品にしてみれば地味であるのだが、それとは別の本書の見所はH・M卿の手品の披露であろう。あいかわらず悪乗りしたH・M卿がまたしてもあれこれやってくれるので、これに関してはファン必見である。なかなかユーモアに満ちた一冊となっているのではないだろうか。


貴婦人として死す   6.5点

1943年 出版
1977年03月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 数学教授アレック・ウェインライトの妻リタはバリーという青年と情事をかさねていた。そしてリューク・クロッスリー医師がウェインライト家を訪ねていった夜に、リタとバリーの二人は絶壁から無理心中を図った跡が・・・・・・。後に二人の死体が海から上げられるのだが、その死因は銃によるものであった! この不可解な無理心中の様相をH・Mはどのように解くのか!?

<感想>
 読み終えた後に、意外な構成を見せてくれたという印象が残る本であった。事件は無理心中から始まる。これは残された足跡から、二人以外のものが誰も近づいていないということが明らかで、崖でその足跡がとぎれているのだから無理心中と見るより他はない。しかし発見された死体を解剖した結果、銃殺ということが判明する不可解な状況。トリックよりも、どのような過程を踏んだのかという事が気になるものとなっている。

 そしてラストにいたっては、この事件の様相がチエスタトン張りの“見えない人”とでもいいたくなるような真相が明らかにされる。これぞカー張りの“見えない人”トリックとでもいったところか。このラストで著者が用いた構成によるトリックというものに気がつかされ、読み手のほうは驚かされることになる。いやはや、なかなか絶妙な技といって良いのではないだろうか。トリックうんぬんということよりも、著者の企てた意図がきちんと伝わってくる内容となっている。

 また、本書において注目すべき点はH・Mの悪ふざけっぷり。いつもならば、1シーンのみで終わることの多いH・Mの暴れっぷりが、複数回見ることのできる痛快ぶりである。さらにそれだけではなく、H・Mの人間味あふれるところも垣間見ることができる。

 これはカーの隠されたサービス満点の本といって良いであろう。読み逃している人はお早めに。


爬虫類館の殺人   6.5点

1944年 出版
1960年10月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 第二次大戦中、さまざまな毒蛇などの爬虫類が集められたロンドンの爬虫類館で、不可思議な密室殺人が発生した。隙間という隙間が目張りされた部屋の中ではガス中毒により死亡した爬虫類館・館長の死体が・・・・・・。一見自殺と思われる状況であるが、部屋の中でキングコブラが一緒に死んでいたことから、館長が蛇を道連れにするはずがないと疑いが持たれることに。敵対するふたつの奇術師一家と爬虫類館を巻き込んだ戦争最中の事件をH・Mはどう解きほぐすのか?

詳 細

<感想>
 カー一連の作品の中では後期に分類される作品となると思われるが、まだまだ十分に脂の乗り切った時期に書かれたと思わせられる力作である。

 この作品は密室トリックを扱ったものであるが、その“密室もの”として有名な作品である。密室トリックを分類するときや、密室の解説がなされるときに、よくこのトリックが語られている。

 ただし、トリックそのものは単純である。本書において一番に注目する点は、その単純なトリックを戦時中という特殊な状況下において使用したことにより最大限の効果を発揮したということであろう。いわば、背景までもをトリックにからめて密室を作成したという力技がなされた作品として仕上げられているのである。

 また、例によってH・Mによるドタバタ劇も見ものである。さらには、ロミオとジュリエットのような二つの対立する奇術師一家の男女のロマンスも十二分に作品全体をにぎわせる存在となっている。いろいろな意味で実にH・M卿シリーズらしい秀逸な作品。


青銅ランプの呪  6点

1945年 出版
1983年12月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 女流探検家がエジプトの遺跡から発掘した青銅のランプ。しかしそのランプには持ち主が消失するという呪いがかかっていた。そして呪いどおりに、英国へ帰ったばかりの考古学者の娘が忽然と姿を消してしまい・・・・・・

詳 細

<感想>
 本作は人間消失がメインとなっている。ただその消失劇はいいのだが、それが作品全体とうまく絡み合っているのだろうか?と疑問に思う。あとがきなどでも触れているように、最初にトリックありきで書いたのだろうがそれがなんとも。

 人間消失もうまくまとまってはいるものの、劇的さに欠け、トリックが小さいというのも作品の欠点となってしまっている。うまくまとまってはいるんだけどなぁ。


青ひげの花嫁   6点

1982年11月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 牧師の娘、音楽家、占い師、そして四人目は・・・・・・謎の男ビューリーと結婚した女たちが次々と消えた事件に、住民は“青ひげ”出現と振るえあがった。しかもビューリーは警官の張り込みの中、死体と共に忽然と姿を消したのだ。11年後、ある俳優のもとに何者からか脚本が送られてきた。それは、警察しか知りえないビューリー事件の詳細を記した殺人劇の台本だった! “現代の青ひげ”にH・M卿が挑む。

<感想>
 特に“青ひげ”と呼ばれる人物はでてこないのだが、この場合では連続で妻となるものを殺害する人物の呼称ということになるのだろう。本書ではH・Mが登場するのだが今回は不可能犯罪に挑戦すると言うよりは、この“青ひげ”なる不確定な存在に対しての挑戦という展開である。

 今回は特にミステリというよりは一つの“劇”を見せられているような気になった。世間で噂される謎の妻殺しの犯罪者。送られてきた台本。それを利用しようとする者。そしてその犯罪者になりすまして“演劇”を現実の舞台に持ち出そうとするもの。各登場人物たちの意図がわからないままに話が進み、そしてラストでそれらの展開の理由が明らかになるというもの。

 本書ではH・は元気なところは見せてくれるものの、あまり活躍の場はない。というより事件自体がH・Mにふさわしいものではない。どちらかといえばカーの作品の歴史ミステリものに雰囲気が近いと感じる。物語の厚みや楽しさは感じ取ることができるのだがH・Mの活躍を期待しているものにとっては少々寂しいかぎりである。

 あと余談ではあるが翻訳がそれほど古くないせいか非常に読みやすかったという印象が残った。


時計の中の骸骨   6点

1949年 出版
1976年10月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 画家のマーティン・ドレイクは弁護士のジョン・スタナードと話をしているうちに、閉鎖された刑務所の処刑室で夜明かしをするという挑戦を受け入れることとなる。そんなやり取りをした後、ドレイクは運命の女性ジェニーとの邂逅を遂げる。すると、そこに現れたのはドレイク旧知のヘンリー・メリヴェールであった。ドレイクはジェニーと結婚したいと思っていたのだが、なんとH・Mとジェニーの祖母ソフィアは長年互いを敵だと思っている状況。そんないさかいもあり、H・Mは欲しくもない骸骨入りの時計を競りで落とす羽目となってしまう。しかし、その時計が現在H・Mが捜査している20年前の事件の鍵となることとはつゆ知らず・・・・・・

<感想>
 ずいぶん昔に読んだような気がするのだが、内容を覚えておらず、かつ、感想も書いていなかったので再読。

 いろいろな意味でカー後期の作品としての特色がうかがえる。まずは、事件がなかなか起こらない。過去の事件を捜査しつつ、現在の事件が起こるという内容のはずであるのだが、現在の事件が起こるのは物語の半ばになってようやく。また、過去の事件も全貌が明らかになりそうで、ならない。そういったところは、ややじれったく感じられる。

 そして、ヘンリー・メリヴェールのドタバタ劇がやたらと際立っているのも、後期の作品の特徴。特に今作では、H・Mのライバル的存在、ソフィアという老齢の女性が登場し、互いに張り合うことからユーモア色の強い、さらなるドタバタ劇が繰り広げられる。

 最終的に真犯人が逮捕され、事件のあらましが語られるのだが、実はかなり陰惨な事件と言えるのであるが、全体的に楽しげな雰囲気で包みこんでいるためか、暗い影を落とさずに済んでいる。コメディあり、H・M卿の見事な推理あり、ロマンスありと、そういったところもカーの作品らしい出来栄えとなっている。


墓場貸します   6点

1949年 出版
1980年10月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 アメリカの実業家であるフレデリック・マニングに会社の金を使い込んだという噂が流れる。さらには、今まで男やもめで過ごしてきたマニングがアイリーンという女性と再婚しようと考えているというのである。マニングは息子と娘を集め、さらにはアメリカを訪問していたH・M卿までも引き込み、自分はこれから姿を消すと宣言するのであった。次の日の日中、マニングはH・M卿らが見ている前で、プールに飛び込んだ後、そのまま姿を消してしまう。プールの中には誰もいなく、脱出口などいっさいない。H・M卿は目の前で行われた挑戦に受けて立つこととなるのであるが・・・・・・

<感想>
 以前に読んだようであるのだが、感想を書いていなかったので再読してみると・・・・・・内容をいっさい覚えていなかった。ゆえに新鮮に読むことができた。プールからの消失劇を主題とした作品。

 カータ・ディクスンの後期の作品であるのだが、きちんとできていると感じられた。プールの消失劇のみならず、失踪した男の背景にまつわる謎など、読み応え十分。ページ数もちょうどいいくらいであり、なかなかの秀作である。

 消失劇のトリックについても、なるほどと感心させられるもの(本当に成功するかはいざ知らず)。また、H・M卿のコミカルな活躍も存分に見ることができ、楽しんで読むことができる作品。また、カーの作品としては近代的な味わいも感じられる内容となっている。


魔女が笑う夜   6点

1950年 出版
1982年09月 早川書房 早川ミステリ文庫(「笑う後家」改題)

<内容>
 ストーク・ドルイドの村は奇怪な事件に揺れ動いていた。村外れにそびえる異形の石像にちなんだのか、<後家>と署名された中傷の手紙が次々と村人に送られてくるのであった。そのあまりの内容に、自殺者までが出るはめに!
 旧知の村人のひとりによって、その事件を解明してもらいたいと呼び寄せられたH・M卿。彼のの眼力をもってしても、なかなか<後家>の正体は明らかにはならない。ある日ベイリー大佐の姪のジョーン・ベイリーの元に、<後家>から「今晩あなたを訪れる」との手紙が! 警戒態勢をしき、部屋の内外から見守る中、ジョーンの悲鳴が響き渡り、目の前に<後家>が現れたと!! いったい<後家>はどのようにして? そしてついには銃撃による死者が・・・・・・

<感想>
 しばらくの間、絶版していて読むことできなかった本書が2001年2月に復刊し、ようやく読めることに。これも本書が「バカミス」として紹介されていたおかげか。

 本作は事件うんぬんよりも、H・Mやストーク・ドイルに住む人々の様子などの描写が実におもしろい。特に、H・Mに関しては「爬虫類館」ばりの大騒ぎを起こしてくれる。またH・Mと少女との邂逅というエピソードやインディアンの酋長ぶりといった、H・Mの魅力がふんだんに描かれている。H・Mのための本といいたくなるようなできになっている。しかし、かれこれ20年前に訳されたせいか、かなりの読みずらさが感じられる。そのへんを復刊にあたりなんとかしてもらいたかったのだが・・・・・・

 一発のみのトリックとして知られる本書であったが、うーん、なるほどそうきたか・・・・・・。なるほどといえばなるほどだし、妙といえば妙。まぁ、事件性よりもちょっとした田舎の物語として楽しんでもらいたい本書である。


赤い鎧戸のかげで   6点

1952年 出版
1982年06月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 北アフリカのタンジールに、ダイアを強奪しパリやオランダを騒がせた宝石泥棒が入国したらしい。同地で休暇中だったH・M卿は警察に協力を要請される。その夜、宝石店に現われた泥棒は完全包囲された犯行現場から忽然と姿を消す。さらに共犯と目された宝石細工師もこれまで盗んだダイアと共に衆人監視の中、煙のように姿を消した。これらの消失トリックとは?

<感想>
 宝石泥棒アイアン・チェスト 対 H・M
 従来の推理物というよりは冒険活劇といっほうがよい内容である。カーター・ディクスン(カーも含めて)の後期の作品は前半のものと比べれば牧歌的というような、なんとなくほのぼのとした雰囲気がただよう。そのような雰囲気(やや緊張感にかけた雰囲気)の中で宝石泥棒と渡り合い、若いカップルらの恋愛模様を見守り、周囲を巻き込んで大騒ぎをし、拳闘の試合(我らがH・Mは審判をかってでる)までもが展開される。

 しかし、ながら後期の作品の中ではミステリとしても見過ごせないような良い出来になっていることも確かである。宝石泥棒アイアン・チェスとの正体のみならず、室内においての宝石の消失劇も面白い。カーの短編において、部屋からの紙幣の消失というものがかつてあったが、今度は“宝石”の消失に挑戦。そのトリックはなかなか突飛なものとなっている。

 実は本書こそが後期の代表作なのかもしれない。


騎士の盃   6点

1954年 出版
1982年12月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 テルフォード館の宝である“騎士の盃”。普段は銀行に預けているのだが、その日は手違いにより屋敷で保管することとなった。盃を金庫にしまい、部屋の中で主人のトム・ブレイスが見張っていたのだが、トムはうっかり寝入ってしまう。そして、起きたときには・・・・・・なぜか盃が金庫から出され、トムの目の前に置かれていた。どのようにして、この閉ざされた部屋に出入りする事ができたのか? そして、何故犯人は盃を盗んでいかなかったのか?? 犯人の狙いはいったい・・・・・・不可解な事件をH・M卿が捜査する事に!

<感想>
 色々な意味で楽しむことができたものの、物語り全体に対してミステリの濃度が薄く感じられたのが残念な点である。後期のH・卿の作品で多くみられるように、本書もユーモアを強調するような牧歌的な描写に多くページが割かれている。そのような作風ゆえに、事件の話がなかなか語られなく歯がゆい思いをしたシーンがいくつもあった。

 と、そのような傾向が見られるものの、ミステリ作品としてきちんとできているところには相変わらず感心させられる。今作は密室に人がどのように出入りしたのか? ということと、犯人の奇妙な振る舞いの動機が問われる内容となっている。故に血なまぐさい殺人事件が起こるような内容ではない。今回の被害者は矢を尻にくらった庭師と殴られたマスターズ警部のみとなっている。

 物語が進行しているときはとりとめのない話のように思えるのだが、真相があきらかにされると物語り全体に数多くの伏線がちりばめられていて、それら全てがひとつにつながっているということに驚かされる。これについては、何作作品を書こうが衰えることのない著者の力量に圧倒されるばかりである。

 一応、本作品がH・M卿が登場する最後の事件となるのだが、別にシリーズ上これが最後だという場面が盛り込まれているわけではない。故に、これからも続いてくれるのではとか、ありえない期待をしてしまうのは決して私だけではないであろう。


恐怖は同じ   6点

1956年 出版
1961年03月 早川書房 ハヤカワミステリ626

<内容>
 1759年、フィリップ・クラバリングとジェニファ・ベアドが出会ったとき、二人はあることに気がつく。二人ははるか昔からの知り合いだったのではないかと。実は二人は1950年の時代に愛人同士であり、何故か過去の世界に飛ばされてしまったのである。二人はこの世界で結ばれようとするものの、フィリップは結婚しており、ジェニファは婚約者がいた。それぞれのしがらみを振り払い、二人でやり直そうとした矢先、フィリップは殺人の容疑をかけられることとなり・・・・・・

<感想>
 カーの作品において、このような歴史物は珍しくないのだが、本書は何故かカーター・ディクスン名義で出た作品。ミステリというよりも歴史サスペンスという趣きくらいで楽しむのがよさそうな作品。一応カーの作品らしく密室もあるものの、きわめて単純なトリックが用いられている。

 カーの歴史物というと剣劇が一般的のように思えるが、ここで用いられるのは、なんとボクシング。しかもボクシング対剣という異種格闘技が行われるという珍しい物語。

 ラストは歴史物というよりは、タイムスリップものらしさを生かした印象的な大団円がなされており、うまくまとめられている。一つの恋愛物語としてはそれなりによくできていたと思える作品。




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