MICO YAYOI 2巻 (No.6)



−67−

「有希子ちゃんの家に一度電話してみようか。突然現れたら、きっとびっくりしちゃうからね」
 真咲さんが黒いケータイをピピピッと押して、岡野 有希子さんの髪を優しく撫でた。
「大丈夫だからね」
 有希子さんは、ずっと泣いていた。

 トゥルルルー…… トゥルルルー……
 ケータイが繋がって、有希子さんにとって聞き慣れたはずの声の主が出た。
「はい、岡野です」
「もしもし、真咲です。有希子さんと生前に交流がありましたテレビ明日のアシスタントディレクターです。仲のよい、お兄さんと妹みたいな関係だったんですけど」
「有希子がそちらにいってますか……」

 押し殺したような、悲しみを精一杯堪えたような声がした。

−68−


「そんな気がふとしたんです。またこの世に戻ってきたような……有希子がまだどこかで生きているような気がずっとしていましたから」
「ちょっと待って下さい……いま代わります」
 真咲さんが、黒いケータイを有希子さんの白くて華奢な手にそっと握らせた。

「お母さん……」
「有希子、有希子なのね?」
「今から、会いに行ってもいい?」
「会いに来て……有希子」
 電話のやりとりを側で聞いていた、弥生と真咲さんは、本当にほっとして。

「早速、今から行きましょう」
 今度は真咲さんのマイカーに乗って岡野 有希子さんの実家に向かった。
 外はもうすっかり暗くなって、車の走る音だけしか聞こえなかった。

−69−


「岡野」という古びた木の表札が掛けられた二階建ての家の前には、ほんのりと門灯が白っぽく灯っていた。
 車が滑るように家の前に止まると、中から慌ただしい物音が聞こえてきて。
 門戸のガラスの向こうに二人の人影が見えた。
「有希子、有希子なの?」
 お母さんがエプロン姿で現れた。
「お母さん、わたし…わたしだって分かる?」
「あなたのことを忘れたことはないの」
 お母さんが涙をいっぱいうかべた潤んだ瞳で有希子さんの顔を見た。
「また帰ってきてくれたのね」
 有希子さんとお母さんは、しっかりと抱き合った。
「また生まれ変わっても、お母さんの子に生まれてきてね」
「うん。お母さんありがとう。本当にお母さんの子でよかった」


14  †  教会での結婚式  †

−70−


「わざわざありがとうございました」
 お父さんが腰をかがめて玄関まで出てきた。
「ところでね、有希子さん。せっかくだからね、真咲さんと最後に教会の前で写真を撮っておかないかしら」

 お母さんが、部屋の奥からウェディングドレスを出してきてくれた。
「お姉ちゃんが結婚式で着たドレスなんだけどね、お前の最後の晴れ姿をこの目に焼き付けておきたいの」

 岡野 有希子さんの、うわぁというなんともいえない歓声に似た吐息がもれた。
「お姉ちゃん結婚したんだ」
「去年の秋に銀行員の人柄のよい同い年の人と挙式をあげたのよ」

−71−


「そうなんだ、お姉ちゃん幸せだね。写真はある?」
 お母さんが急いで箪笥の奧に取りに行った。
 写真の中のお姉さんはとても綺麗だった。
「お姉ちゃん幸せそうだね」
 どこか遠くの外国で式を挙げた時の1枚のスナップ───。
 お姉ちゃんが、隣の優しくて誠実そうな有希子にとってお兄さんになる人に腕を回して愛しそうに寄り添っている。
「よかったね、お姉ちゃん。小さい頃から、お姉ちゃんの後ろを追っかけて走り回って、お姉ちゃんのもの何でも欲しがったりしてよく困らせたけど、今となっては全てなつかしい。いい思い出だよ」
「有希子にとって家族ってどういう思い出なの?」
「どうしたの、お母さん」
「ちょっと聞いておきたいと思ってね」

−72−


「うん……優しくて、どこかほんわかしていてよい意味で家庭的で。それでもちゃんと厳しくしつけてくれたいいお母さんだった。お父さんは、真面目で誠実で勤勉で、多少仕事人間なところもあったけど。わたしを1人の人間としていつも認めてくれて、独立心を育ててくれたね。負けず嫌いなところもお父さんに似たのかな?」
 お父さんが、こらこらというように。相好を崩して有希子さんをお茶の間で眺めている。

「家族の反対を押し切って芸能界入りしちゃってごめんね?」
「いまとなってはね」
 お母さんがあきらめたというように、天井を仰いだ。
「なんで、あの時。あんなに頑固だったのかしらね? 有希子は」
「なんでかな?……自分の可能性を試してみたかったのかな? 夢だったの。ブラウン

-73-

管の向こうの世界は、とても華やかでみんな輝いていて。その先に果てしなくキラキラしたおとぎ話のような夢の世界が広がっているような気がしたの。それでね……。その憧れの世界に、バーン☆て飛び込めそうな気がしたの」
「それでどうだったの、有希子」
「うん。頑張ったよ。睡眠時間2時間の時だって弱音を吐かなかったし、ロケバスの中の冷めたお弁当にだって文句ひとつ言わなかったし。仕事も最初は楽しかった」
「どこで、どうなって……歯車がひとつづつズレていっちゃったのかな? 有希子さん」
 弥生が話の矛先をちょっと変えてみた。
「思うように時間もとれないし、せっかくの休みの日もプライバシーが全くなくて、外に出るとすぐに写真を撮られるし。色々、ストレスがたまってきちゃって。ノイローゼ寸前になって、逃げ出したくなったの」
「逃げ出しちゃってどうだった?」

−74−

「よくなかった……結局、なにひとついいことなかったの。苦しかった……」
「ちゃんとこの世の世界に、決着をつけような? 有希子さん」
「うん……」
「有希子、こっちこっち」

 有希子さんが小さい頃から通っていた聖書教会までの道のりを有希子さんの家族と、弥生、真咲さんとで一緒に歩いた。
「なつかしいわね、有希子」
 垣根の続いた家並みに門灯が幻想的に光る。
 幼い頃から、有希子さんを知っている人達が犬を連れた散歩がてら、会釈で通り過ぎていく。
「この田園のあぜ道も覚えているの? 子供の頃によく遊びに来たでしょう?」
「うん、春には蓮華の花が一面咲き誇って、花飾りにして遊んだ。たんぽぽの茎で草笛をつくって鳴らせたね」

−75−

「いちど、家に大きいねずみがひっかかったことを覚えている?」
「覚えている。チーズより油揚げの切れ端の方が大好物だったね? あのネズミさん」
「けっきょく、ネズミ捕りで捕まえたんだけどこの田園に放しにきちゃったね」
 楽しい思いで話に花が咲いて、いっこうに話は尽きる気配がない。
「おかしかったわね。犬を飼っていたことも覚えている?」
「ハッシィーでしょ? なつかしいね。可愛かったね」
「うちに来てすぐの時、自転車の輪っかに首を突っ込んで抜けなくなってね」
「ドジだったよね、お父さん」
「数時間かけてやっと抜けたときには、ホントほっとしたよ」
「あぜ道をどんどんどん……って勝手に1人で走っていって……」
「コケたでしょ!?」

−76−

「そうそう」
「すごい勢いで走ってて、ドテっていきなりぶっ飛ぶように泥だらけの田園の中に転がって行っちゃって」
「おかしかったよね」
「側を通った親子連れが、すとんきょうな声をあげてね。あのタヌキこけた。こけたってね」
「タヌキじゃないってね!?」
「傑作だったよね」

「あれ!? あそこにいるのハッシィーじゃない?」
 数メートル先の電信柱の陰に、白くて目に茶色のブチのある鼻が真っ黒の犬の姿が見えた。
「ハッシィー、ハッシィー!」
 犬はどんどんと走ってきて、最初に有希子さん、次にお母さん、最後にお父さんにじゃれついて鼻をなすりつけた。

−77−

「みんな帰ってきたね」
「そういえばもうそろそろお盆だね」
 走馬燈がくるくると回っているのが垣根越しに見えた。
「ハッシィー、覚えてくれていたんだ?」
 白くてブチのある、なんともいえず愛嬌のあるハッシィーは元気よく尻尾をふりながら、こくんとうなずいた。
「よかったね、有希子。もうちょっとで着くからね。ほら、教会が見えてきた」
 教会へとなだらかに続く坂をなつかしい思いを込めながら、一歩一歩かみしめるように登っていく有希子さん。
「もうこれが最後なんだよね」
 弥生は有希子さんと一緒に、満点の星の空を眺めた。
「終わりがあるから、生きているものが愛しいんだよきっと」
「今日のことをよく記憶に残しておいてね、みんな」

−78−

 みんなで星空を見上げた。星の光は何億光年もかかってこの星に降り注ぐ。
 今見ている光は、ずっと昔の光りで、その長い歴史を刻む星でさえもう滅んでいるかもしれない。
 でも、確かにその光りを受け取ったよ。

「弥生さん、弥生さん。もう着いたよ」
 白くて大きな十字架がシンボルマークの白い教会が暗闇の中にひっそりと建っていた。

 ───悩めるものは門戸を叩きなさい

 というガラス中の掲示板に書かれた文字。
「お父さんとお母さんは、どういう時この教会に来たの?」
「お前が生まれるずっと前にね。お前と同じくらい生きることに悩んでいた時間があったの」
「お互い若かったからね」

−79−

 お父さんとお母さんが、ふふっと顔を見合わせて笑った。
「この教会で、お父さんとお母さんは結ばれたんだよ。そして、有希子とお姉ちゃんが生まれた」
「幸せなひとときをありがとうね」
「お父さんもお母さんも本当にお前のことを愛していたんだよ」
 教会の裏に回ると、庭木に神父さんが水をあげていた。弥生が声を掛けると、水をやる手を止めた。
「最近暑いですからね。日中の日照りが強い時に水をやると木が弱ってしまいますからね。今、あげているんですよ」
 そして、岡野さんの両親を見て、
「お久しぶりです。どうしましたか?」
「有希子がね、有希子が帰ってきたんですよ」
「最後の晴れ姿を祝福してやって下さい」
 笠原神父の粋な計らいで、聖堂が開けられた。

−80−

「飾り付けを手伝ってくれる、弥生さん」
 聖書教会の子供のお遊戯室のおもちゃとかクリスマスツリーの飾り付けのモールときら星の用具が詰められた宝箱を神父さんが持ってきてくれた。
 ぬいぐるみをぽんぽんぽん☆と参列者の席に置いていって。
 前後の椅子と椅子の間を金のモールでつないだ。
「なんだかメルヘンチィックでいいね」
「くまさんもぞうさんもお祝いしてくれてるよ」
 有希子さんと真咲さんが、弥生さんありがとうと笑ってくれた。
 聖壇のロウソクには、あかあかと炎が灯されみんなの安らかな笑顔の上で炎の幻影が揺れていた。
「小さい頃に、キャンドルサービスで白いロウソクを持って賛美歌を歌って回ったことを覚えてる?」

-81-

 神父さんがなつかしそうに、有希子さんの聖母マリアのような形がよくて上品な白い額を見ながら話し出す。

「きみのキャンドルだけが一番早く溶けきってしまって。きみが困った顔をして。すぐに新しいロウソクをあげたら、笑顔が戻ったね」
「神父さん優しかった」
「きみはあの頃から、ほんとうに可愛らしかったよ。天使みたいにね」
 有希子さんが頬を赤らめて、真咲さんの方を振り返った。
「ティアラをはめるよ、有希子さん」
 白い可憐な花模様のヴェールのかけられた有希子さんの頭上に燦然と輝くティアラが被せられた。
「きれい、きれい。有希子さん!」
「真咲さんもせっかくだから黒のタキシードを着ましょうよ」

−82−

 神父さんが教会の奧から、ちょっと古びた大きめのタキシードを出してきて、すぐに試着してみた真咲さんがダボダボなのがおかしくて。
 みんなでおなかを抱えて笑った。

「それでは、有希子ちゃんと真咲さんもっと寄り添って」
 ツーショットの幸せいっぱいの二人を写真に収めると。
 近所から噂を聞きつけて集まってきた人達から拍手と声援が飛んだ。
「おめでとう、有希子さん。幸せにね」

「有希子。いま、お姉ちゃんと電話が繋がったの」
 お母さんとお父さんが電話口で、有希子、有希子が帰ってきたのよ。いま、近くの教会で結婚式をあげてるの。と涙ぐみながら、それでも楽しそうに話している。

−83−

「うん、うん。有希子に代わるのね?」
 白っぽいヴェージュの電話の子機が、次々と手渡されて最後に有希子さんのもとに辿り着いた。
「はい、有希子さん」
 笑顔で電話を受け取る有希子さん。

「お姉ちゃん、結婚したんだね。おめでとう」
 よく通る明るすぎる甘い声が教会中に響きわたって。
「有希子おめでとう。そばに行ってあげられなくてごめんね。見届けてあげたかったのに」

「ううん。有希子はもう大丈夫。おねえちゃん、わたしの分も幸せになってね」
「ありがとう……お姉ちゃんの中ではいつまでも有希子は可愛い可愛い妹だからね」
「うん……」

−84−

 止めどなくこぼれ落ちる涙をそのままに、教会中から惜しみない拍手がいつまでも鳴りやまなかった。


15  ☆ 祈り星 ☆

−85−

「長い一日だったね」
 岡野 有希子さんが、こくりと頷いた。
「色々あったね。楽しかった?」
「うん。もう思い残すことはないの」
「どう、死んだ後の気持って」

 二人で見上げる暗い夜空には、カシオペアのW字が燦然と輝いていた。
「生きていた時の記憶ってね、死んだ後でもついさっきのことのように思い出すの。最後にいい思い出をありがとう」

「もう十分気がすんだ?」
「うん。もう十分すぎる。弥生さんありがとう」
「どういたしまして」
 しばらくそのまま星を眺めていた。

−86−

「もう帰っちゃう?」
「そろそろね。だってこの機会を逃すともう成仏できないんだもの」
「用意はいいの?」
 にっこりと岡野 有希子さんが微笑んで頷いた。
 御祓いの用具一式を広げて、神妙に呪文を唱える。
 魂が鎮静されて、安らかにあちらの世界に移行できますように。
 心を込めて祈った───。

 岡野 有希子さんの体がどんどん光りを帯びながら浄化されていく。
 ひとつの「こころ」が渦を巻きながら、どんどん空へと舞い上がっていった。

 振り返ると、いままでなかったカシオペアの星座の近くに燦然と輝く空が煌めいていた。

−87−

「有希子さんは綺麗な星になったんだね」
 こぼれそうな星空から、笑顔がこぼれ落ちたような気がした。

 さようなら───。

 星空を見上げる時には、きっとあなたのことを思い出すから───。

 安らかに眠って下さい。

 満天の星は慈しみに満ちあふれたように、地上を優しく照らしていました。

〜 おしまい 〜


16  # エピローグにかえて #

−88−

「透、またお見舞いに来たよ」
 301号室のドアをいつものように元気よくコンコンっと叩いて。
 ドアをばーっと開いたら、少し元気になった透が扉の前に立ってじっと弥生を見つめていたの。
 その瞳はどこか儚げでメランコリックで、限りない優しい慈しみの表情に満ちていた。
「おかえり、弥生」
 弥生の花束を受け取って、花びらにそっとキスをした。
 とても絵になるね、透───。

「こんどの事件は解決したの?」
「うん……事件というかね。岡野 有希子さんはこの世に未練があったのもあるしね、いい思い出をつくりたかったみたいなの」
「それでどうだったの?」

−89−

 透がブラックのコーヒーを湧かして、珍しくシュガーもミルクもなしで飲んでいる。
 しばらくみないうちに、透───。
 大人になったね。

「ああ……苦い方がいいんだ」
 ちなみに、弥生はビタースィートが好きって、関係ないか。
「岡野 有希子さんはね、あれから、透に会ってから一番好きだったアシスタントディレクターの真咲さんに会いに行ってね。好きだった気持を正直に告白してね。それから、憧れだった坂本 隆一さんに新曲を書き下ろしてもらってね。TVジャックなんかしちゃったんだよ」
「楽しそうだね」
「うん。弥生も芸能界をちょっと垣間見ちゃった気分」
「ふ〜ん」

−90−

 さっき点てたブラックのコーヒーを、弥生専用の水色のキティーの白っぽいプラスチックのマグカップに注いでくれた。
「サンキュー」
 ブラックは苦いから、ミルクと砂糖をちょっぴり入れた。
「それでね、やっぱり今までお世話になった人達のことが相当気になってたみたいで、やっぱり専属だったムリプロダクションの社長さんの所にあいさつに行って、最後には両親の所に帰ったよ。恋人の真咲さんと一緒にね」
「ふ〜ん。弥生にしては今回ちゃんとやったほうだね」
「もちろん!」
 水色のキティーのマグカップをぐいとつかんで、透がいつも寝ている病室のベットの上に、ぽーんと座ってみた。
 ふかふかで気持ちいい───。

−91−

「胸のつかえも取れたみたいだったよ」
「ちゃんと成仏してくれたんだ」
「うん。最後の家族の団らんを楽しんだ後、近くの教会に行って。真咲さんと結婚式をちゃんと挙げたんだよ。有希子さんのお姉さんが着た純白のウェディングドレスを身に纏って……」
「綺麗だったんだろうね、彼女」
 うん、と頷いて透の顔をじっと穴が開くほど見つめ返してやったの。

 ぷっとコーヒーを、吹き出しかけて。
 透はもともと透けるように白いお肌がさらに青白んじゃったの。
「やっぱり女の子だね」
「岡野 有希子さんもね」
 そう言って、黒い愛用のリュックから現像されたばかりの写真を取り出した。
 うん、ちゃんと写ってる。

−92−

「これ、その時の写真」
 透に、はいっと手渡した。
「岡野 有希子さん綺麗だね」
「なんたってアイドルだもんね」
 透と二人で見つめる、写真の中の岡野 有希子さんと真咲さんは幸せそうにいつまでも微笑んでいた。
「シャッターって永遠をも写すよね」
 うん、って透の綺麗すぎる壊れそうで儚げな横顔を愛しげに見つめてしまったの。
 弥生も今の瞬間に心のシャッターを切ったんだよ。
 透に分かったかな?

「ついでにこの写真も見てよ」
 透の目の前に、ばんっ☆とあの時の写真を突きつけてやったの。
「これ誰?」
 透が目を凝らして、写真をまじまじと見つめる。

−93−

「弥生のお母さんの、貴子さんに似てるね」
 嬉しいな。透───。
 セピア色の写真の風景のように古い記憶の中の憧れのお母さんに、わたし、だんだん似てくるんだね。
 写真の中の弥生は、モデルさんのように、オリエンタル風異色美人にされて泰然と微笑んでいた。
「弥生はどんどん綺麗になっていくね」

 透が窓の外を静かに眺めていた。
 自分ひとりが飛び立てない小鳥のように、孤独をひしっと肌で感じながら。

「大変だね、弥生も。次から次へと依頼人が訪れてさ」
「ある意味、お医者さんより大変かもしれないぞ!? けっこう頭も使うし、解決するのに行動力もいるし。おまけに頭がおかしくならないようにマインドコントロールも、

−94−

 ちゃんとしないといけないんだよ? 分かる? この大変さ」

 その場が暗く沈まないように、わざと明るく振る舞ってみせた。
「ふ〜ん」
「透なんかに分からないからさ。この気持ち」
 手元にあった枕を、ぽーんと透に投げつけてやったの。
 透は首をこくんと左に曲げてうまくよけて弥生の心を和ませてくれたの。
「弥生もちょっと休まなくちゃ。いつもより顔色がよくないから」
「心配してくれているんだ」
「もちろん……元気な弥生を見ているのが本当に好き」
「ほんと、嬉しいな。透」
 それなら弥生も人一倍、元気で頑張らないとね。

−95−

 赤いスケジュール帳を見ながら、夏期講習の日程をしばし確かめていたら。

 コンコンとノックの音が聞こえて、看護婦さんが入ってきた。
「透くん、点滴の時間ですよ」
 黄色い点滴のチューブを持った看護婦さんが手際よく、セットして。
「さあ、弥生ちゃんはしばらくのいといて。透くんは横になって」
 はーいと素速くベットから立って、大人しく横になった透に優しく毛布を掛けた。
 時計の針は2時過ぎを指していた。

 点滴の針が、透の白すぎる腕の青い血管にぐさっと突き刺さり、透が苦痛に顔を歪める。
 痛々しくていつもこっちまで悲しくなる。
「透ももうちょっと元気にならないとね」
「ちょっと元気になったからと言って、安心してたらまたぶり返すからね」

−96−

「かっこ悪いな」
「弥生の前だったら、気にしなくていいの」
 小さい頃から、ずっと一緒に遊んでた弥生の前ではありのままの素顔を見せてくれていいんだよ。
 外は夏の陽射しにしては優しい光がさらさらと病院の庭に降り注いでいた。
 緑が眩しい───。
 ギブスが外れたばかりのサッカー好きの坊主頭の中学生が親に付き添われて散策している。その横のベンチの前では、お年寄りが数人、長閑にいつものように談話をしている。
 もう夏休みも半ばに入って、お見舞いの小学生の姿も多く見られる。
「平和な光景だね───」
 透の点滴がすーっと落ちていくのを背中に感じていた。
 もうすぐお盆がやってきて本格的な暑さに突入すると、また依頼人たくさん来て忙しくなる───。

−97−

 その時───。

「やよいさん。やよいさん……」
 空から一筋の光が射してきたよう声がして、空を見やると。
「私の息子を助けて下さい」
 はっきりした声が頭の中に響いた。

 後ろの透を振り返ると、いつになく子供のような寝顔で、すやすやと安らかな息をたてていた。
 ───  おやすみ 透  ───

 起こさないようにそっと301号室のドアを閉めた。
 元気そうな顔をしていたけど、やっぱり疲れていたんだね。ゆっくり休んでいてね、透。

 ドアの閉まる音に、すっきり気分を切り替えて。

−98−

 弥生は高らかに歩き出した───。
 明日に向かって。
 まだ羽ばたける翼があるから。

 また新しい事件が始まる───。


 THE END

〜 to be continued 〜



咲夜さん作




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