MICO YAYOI 第1巻(No.1)
〜 超少女 弥生 〜
渚 水帆
あらすじ
大尊寺学園高校二年生の如月 弥生は、成績優秀、スポーツ万能で生徒会長も務める学園一の有名人。しかも強力な霊媒と透視能力を持つ特別な少女でもある。
その弥生がこの世で一番好きなのは、弥生の従兄弟で心臓に欠陥があり入退院を繰り返している体は弱いが類い希なる美貌と明晰な頭脳を持った透だ。透は弥生の霊媒能力を認めてくれて、いつも明晰な頭脳でベットの中から弥生の事件の解決を助けてくれる。
そんな弥生達に新たな事件が舞い込んだ。ある日、橘 一郎と名乗る学ラン姿の高校生が弥生の元に現れた。彼は交通事故で死んだのだが、生前好きだった美少女のことが心配のあまり成仏できず、弥生に美少女への告白と保護を頼む。弥生も仕方なくそれに協力するが、事件を推理していくうちに意外な事実が現れて……。1 ◇ 巫女 弥生 ◇
−1−
「やい、このブス」
「キツネ」
「お寺の化け猫」
「……」
唇を跡が付くほど強く噛みしめ、周りをぞろっと取り囲んでいる悪ガキ達を少女は強い眼差しで、きっと見据えた。
切れ長の大人びた目が、幼いながら何か徒者でない印象を与える───。
束の間、両者の間に静電気のような、殺気立った緊張感が走る───!
淡い桜の花弁の唇が、かっと開いた!!
皆、一同にはっと息を呑んだ。
その時───。
「やよい・やよい・やよい様。世界で一番美しい」
悪ガキ達一人一人に、長い人差し指で論しながら、勝ち誇ったような少女のよく通る高らかな声が神社の広い境内中に響き渡った。
「───」
「……」
悪ガキ達は、顔を見合わせホントくそ面白くないといった風にゾロゾロと帰っていった。
きっとこの時だったと思う。この時から、私はもう何からも逃げないと誓った。
他人からも自分自身からも。
そして、これからの長い人生にも。
神社の境内には、まだ肌寒い三月の風が吹き荒れていた。
2 ◆ 毎朝の修羅場 ◆
−2−
「観自在菩薩行深、般若波羅密多〜」
早朝の神社に、読経の声が響き渡る。
もう四月とはいえ、明け方はまだ寒い。
しかも板張りの床の上に正座してるんだから。
寒さと空腹で、だんだん目が据わってくる。
「即是空空即是色〜」
ちらっと斜め後ろに座っている妹たちの方を盗み見る。
二人ともお経を聞いているのかいないのか眠気と空腹で、一種の瞑想状態に入っている。
ここでちょっと家族の紹介をさせて頂く。
父、尊文。わが大尊寺の神主。タヌキ顔で、おっとりした性格。
神主のくせに酒飲みで、だらしがない。
特にお母さんが死んでからは。
−3−
でも、根がお人好しなもんで近所の人気者だ。
本当は、もうちょっとしっかりしてもらいたいものだけど。
なんせ憎めない性格なんでいつも少々の事は見逃してあげる。
妹のさつき 14才。中学三年生。
おしゃれとボーイフレンドのことしか興味がない。
只今、反抗期真っ盛りで、最近姉の言うことを全く聞かない。
こいつとはケンカばかりしている。
普通にしてたらまぁまぁ可愛いんだけれど。
末の妹 茜 12才。中学一年生。くりくり眼で華奢で大人しい。
読書がなによりも好きで文芸部に入り、小説家をめざしている。
小動物タイプでクラスでも好かれているみたいだけど。
少し大人しすぎて、姉として心配になることもある。
−4−
お母さんは、末の妹、茜が生まれてすぐに亡くなった。弥生が4つの時。
色白で首が長くて、弥生と同じ切れ長の目の上品な日本美人だった。
名前は「貴子」と言って、近所でも評判の美人で信者さんの間でマドンナ的存在だったらしい。
弥生はお母さん似だと言われるけれど。
どんなものだろう。
少なくとも、今の流行の顔ではないし。
でも、お母さんぐらい綺麗になれるかな?
なんて思う時もある───。
会いたいな、お母さん。生きていたら。
そして最後に、私。
弥生は、この大尊寺の長女で。
隣接する大尊寺学園の高校2年生で、成績優秀、運動神経抜群。(自分で言うのもなんだけどね)
先生に推薦されて、生徒会長を務めている。
ちなみに、この間の校内模試は学年一番。
−5−
ただ、性格の悪さだけは直らないようで。
自分でも、キツイ性格だと思っている。
妹達からは嫌われているが、何分私がこの神社の跡を引き継がないといけないわけで。
もっとシッカリしないといけないな、と思う日々。
家事もしっかりしないといけないし。
お母さんが死んでから。
ほとんど私がこの神社を仕切っているようなものなので。
誰にも、この家の事はもう何も言わせない。
と……まあ、こう言うわけだ。
こんなこと話してるうちに、もう足の痺れは限界に達し、空腹は頂点に達する。
しかし、この状態もあと少しで幕切れだ。
「般若心経〜」
ガーン
−6−
この終わりを告げる音と共に、うとうとしていた目は、ぱっちりと開かれる☆
そして次の瞬間には、もう走り出す!
炊事場目がけて!
「いっただっきま〜す★」
眠いところを毎朝、毎朝たたき起こされて、掃除、掃除をして、父尊文の読経を聞いて。
お腹はいい加減、極度の空腹状態☆
「お姉ちゃん、それ私のゴボ天!」
「うるさーい。弱肉強食だよ」
茜のおかずを横取り。
「あ───、もうこんな時間!」
「行ってきま〜す」
「待って、待って。私も」
さつきが大慌てで靴を履く。
これが如月家の、毎朝の阿鼻叫喚図である。
3 ♭ 放課後の教室 ♭
-7-
「2−A」と書かれた教室の戸を、ガラッと勢いよく開ける。
瞬間、あっちこっちで雑談の花を咲かせていたグループが一斉にこっちを振り返り……。
一同に「し〜ん」とする……。
ふん、私だってそういつもいつも機嫌が悪いわけじゃないわよ!?
一番前の真ん中の席まで、みんなの注目を一身に集めながらスタスタと歩いていく。
ここが私の「指定席」
席に腰を降ろすと、すぐに副学代ことクラスのまとめ役の良輔とその仲間達がやって来て。
「学代、おはようございます!」
「や、弥生さん。ご機嫌いかがですか?」
と口々に挨拶をしてくるみんなのその目が、弥生の機嫌を取ろうと必死なのがおかしい。
−8−
「おはよう。今日は、まあまあね」
黒い制カバンを開けて、今日の一限目の教科書、ノートを取り出しながら極めてクールに答える。
ここで、静かな安堵の溜息がクラス中に充満し、良輔達はしずしずと自分達の席に戻っていき、再び元の教室に戻る。
ただし、おしゃべりのボリュームはテレビのリモコンで操作したかのようにすべて一律にダウンだ。
キーンコーン☆カーンコーン☆
3時きっかりに、6時限目の終わりを告げるチャイムが全校中に響き渡る。
教科書を手早くカバンに収す音。
木の葉が擦れるような囁きと笑い声───。
放課後の教室は、秘密とお楽しみ♪
あちこちに見え隠れする、それぞれの16の顔。
−9−
「や〜よ〜いさんっ!」
校門を少し出たところで、いきなり後ろから声が掛かる。
「一緒に帰りませんか?」
振り向くと、思った通り。背だけ高い、ひょろひょろした体格の聖人がいた。
確か上にお姉さんが3人ほどいて末っ子の長男だったはず。
典型的なマザコンかつシスコン。
思わず、キッと睨みつけてしまった。
「私があなたなんかと帰りたいと思うわけ?」
「いえ……」
「それになに? さっきの言い方は、一緒に帰って頂けませんか、でしょ?」
その瞳はもう涙目だ。
「あ、はい。どうもすみません」
「もう一回」
「一緒に帰って頂けませんか、弥生さん」
「イヤ!」
−10−
スタスタ歩き始めた私に。
「ま、待って下さいよ。ひどいなぁ」
聖人があたふたと追いかけてくる。
「言っとくけど、私。あなたみたいなタイプが一番キライ」
「あっ。今、僕のナイーブなハートがぐさっと★でもでも、そんな強くて美しい弥生さんのこと僕、大好きなんです」
く〜っ。
口で言っても分からないやつ!!
怒り心頭に達す。
ついて来ると蹴飛ばすぞ!!
「寄るな触るな三歩後を歩け!!」
聖人は口をあんぐりあけたまま、驚きのあまり落とした制カバンを、あわてて拾い上げて、そのまま走り去っていく。
−11−
……ったく。何考えてるんだろう。
こんな奴につきまとわれるなんて。
相当男運の悪い星の下に生まれてきたに違いない!
あ───、ムシャクシャする。
横を通り過ぎていくカップルの群・群・群を横目で眺めながら思う。
でも、……お寺の跡取りには関係のないことだな……なんて。
なんか淋しいよね??
だけど。
「私が好きなのは、とーるだけ」
誰にも聞こえないくらい、小さな小さな声で、大切な名前をそっと呟いてみた。
4 〜 学生服の訪問者 〜
−12−
そわそわそわ。
ドキドキドキ。
さっきから、全く勉強がはかどらない。
これはきっと……。
ここしばらく、来なかったと思ったら。
背筋に、すーっと一筋、悪寒が走る。
動悸が更に激しくなる。
途端に、暗〜い気分が黒雲のように全身を覆う。
あっちにいけ……心の中で強く念じながら三角関係の問題に没頭しようとする。
「sin2θ+cos2θ=1」
「sin2α=2sinαcosα」
しかし、今度のはしつこい。
ちょっと気を抜いたら、すぐに弥生の意識の中に入ってこようとする。
−13−
負けないぞ★
きりりっと眉を寄せ、自分の中心に意識を集中して心を閉ざす。
あっちにいけ……。今は忙しい。
しかし、今度のは本当にしつこい。
自分と違う意識に、集中力を撹乱されて。
動悸は、ますます激しくなる。
それでも……。
「あ、あの〜」
頭の奥の方で、微かな声がする。
声のトーンからすると、まだ若い男性だ。
何かを必死で訴えかけようとしている。
仕方がない。これも人助け。
ふう〜っと、諦めて体全体の力を抜く。
「どうぞ……ってきて下さい」
すると、自分と異なる意識がすーっと自然に自分の中に入ってくる。
−14−
「何の用ですか」
つとめて冷静な声で、尋ねてみる。(これが大事ね☆)
「あ……お忙しいところ。まことに申し訳ございません」
「あなたは、いったい誰ですか」
ここで、霊にナメられてはいけない。
「あっ、こんにちは。じゃなくて、こんばんは。えっと……僕の名前は橘 一郎です」
やっと自分の存在を分かってもらえる人に会えて少し興奮気味だ。
「それで、先を続けて」
「実は、僕、一週間ほど前の塾の帰りに交差点で車に跳ねられて死んだばかりなんです」
「それで、私に何の用?」
「あの……。とても言い出しにくいことなんですが。死ぬに死ねない、大切な用件があって。でも誰も相手にしてくれなくて。みんな弥生さんの所に行けって……」
−15−
う──ん。困ったものだ。
いちいち引き受けてたらキリがない。
しばらく来なかったと思っていたら。
用件聞くだけ聞いて、冷たくしてやろう。
「それで、大事な用件っていうのは?」
「それが……、実は、僕。片思いだったんですけど、とても好きな子がいたんです。その娘にラブレターを書いたんです。そして告白しようと机の引き出しにしまっていたんですが……。とうとう告白できずに死んでしまいました」
橘 一郎という名の学生は暗がりの中、静かに姿を現した。
短髪でスラッとした長身の、いかにもスポーツの出来そうな感じの良い高校生だった。
黒い学ランに金ボタン姿がなんだか痛々しかった。
−16−
「本当に、お願いします。弥生さんしかいないんですよ。こういう特殊な能力を持った方は」
学生の目は真剣だった。
「それで……一体。どうしたいの?」
「あの……。まことに頼みにくいことなんですが、その女の子にラブレターを渡して、僕が彼女のことを好きだったこと。そして、一週間前に交通事故で死んだことを伝えてもらえませんか」
「それは、難しい話ではないけど……。家は、この辺り?」
「はい、隣町でここから歩いて20分ほどの所に住んでいます。そこのバス停で、毎朝、彼女と顔を合わせるのが楽しみでした」
学生は、そう言って写真を一枚差し出した。
「いつも肌身離さず持ち歩いていたんです。事故に遭った時も」
ふ〜む。白枠の写真には色白の、髪の長い
−17−
清楚なセーラー服姿の女子学生の上半身が映っていた。
アイドルタレントによくいるタイプの円らなぱっちりした瞳が印象的だった。
「なかなか可愛い子だけど……」
「女鹿 ひとみさんって言うんです。同じ中学校で、同じクラブの先輩と後輩でした。今は同じバス沿線の女子校に通っているんです。高校一年生で、ちょうど僕の一つ下なんですけど、なかなか好きだと言えずに卒業してしまいました」
学生は、眩しそうな瞳をする。こうやって見ると幽霊ながら、なかなか愛嬌のある顔だ。
「卒業式の時、一つ下の彼女が送辞を読みました。優等生だったんです。僕なんか手が届かないほどの。彼女が高校生になって、毎朝バス停で顔を見られるだけでも幸せでした」
そう言って、学生は照れくさそうに笑う。
−18−
「なんだか、こんな事相談するの。恥ずかしくなってきました」
「つまり、ラブレターをこの女鹿 ひとみさんっていう人に渡したらいいのかな」
「もし、よろしければ。そうして頂きたいんですが……」
言葉を切って、学生は少し瞳を翳らせた。
何か相当悩み事があるようだ。
「どうしたの?」
「……」
橘 一郎は急に黙り込む。
どう切り出そうか迷っているようだ。
「コーヒーでも飲む?」
こういう相談は、これでもう十数件になる。
無料奉仕のボランティアみたいなものだな。
さっさと片付けてしまう。可哀想だけれど。
「いや、結構です。そんなに気を遣ってもらわなくても」
「まあまあ、遠慮せずに」
−19−
さっさと教科書を片付けて、揃いのコーヒーカップを並べて。
煎れたてのブラックコーヒーを並々とカップに注ぐ。
「さあ召し上がれ」
「あの……。幽霊なんで、コーヒー飲めないんです」
「みんなそう言う。でも、まあ気にせずに」
頭の中を整理しなくちゃ。
こういう時は、熱いコーヒーを一杯啜るのが一番。
「なんか、相当悩み事あるみたいだけど。この際、全部ちゃんと言っといたほうがいいよ」
私もそんなにヒマじゃないし。
橘 一郎は、困ったように畳に視線を落とした後、ゆっくりと話し出した。
「実は……なんとなく、予感なんですが。彼女、何か良くない事件に巻き込まれている
−20−
みたいで」
幽霊学生は、感極まって、どうか頼みます。
と、畳に腕を付いた。
「彼女が、心配で心配で、成仏できないんです。どうか、彼女を助けてあげて下さい」
突然のことで、思わず呆気にとられて。
コーヒーカップを持ったまま、唖然としてしまった。
「その、良くない事件に巻き込まれているって言うのは……本当に?」
なんか厄介なことになってしまった。
「はい……彼女の付き合っている彼氏という人が悪い組織の人に利用されているみたいなんです。まだ、はっきりしたことは分からないですが。一刻も早く彼女に知らせてあげたいんです」
「……」
こんなケースは初めてだ。
ちょっと一筋縄ではいかないような……そんなイヤな予感。
−21−
「それって、確かな情報?」
「はい……実は、この間、ちょうど一週間前の、金曜日の夕方のことなんです。僕が事故に遭う直前に、セーラー服姿の彼女が、年上のまだ二十代後半といったところでしょうか、若い白衣姿の青年と歩いている所を偶然目撃したんです。かなり親しそうでした。近くの公園で、1時間ほど会話した後、別れたのですが、その後、若い白衣の青年がゾロッとガラの悪い集団に取り囲まれて、大型のワゴン車の中に連れ去られたんです」
橘 一郎は真剣そのものの顔で、話を進める。
「かなり抵抗しているようでしたが、周りの目を気にしてか大人しくワゴン車に乗り込みました」
「……」
「そのすぐ後、急いで家に帰って彼女に知らせようとした時、通りかかった乗用車に跳ねられてしまい……それっきりで」
−22−
「……」
「頼みます。このままでは、彼女の身に良くないことが起こりそうで」
青年は、泣き出しそうな顔をする。
「ちょっと待ってね。相談したい人がいるから、その後でいい?」
青年は静かに頷いた。
青年は窓からすっと消えるように出て行ってくれた。
カーテンを閉めて、ほっと息を吐いた。
又、事件の始まりだ。
とりあえず今日のところはぐっすり眠ることにした。
5 ◇ 301号室の麗人 ◇
−23−
土曜日の放課後───。
午前中の授業が終わった後、桜吹雪が降りしきる中、スタスタと急ぎ足で学校近くの病院へと向かう。
行く途中で、若芽の出た桜の枝を一本。
ポキッとへし折ってみた。
透にあげよう。
早く病気が直りますように。
白い県立病院の建物に入り、301号室のドアを軽くノックする。
そのドアには「如月 透」という細い字が書き込まれている。
私が、世界中で一番好きな名前───。
「どうぞ」
中から、しっかりした小さな声がする。
ドアをゆっくりと開ける。
−24−
この瞬間、いつも決まって胸がときめく。
「透、来たよ」
白く大きなベットの上で、透がにっこり微笑み返してくれる。
端正な彫りの深い顔立ちで、透けるように色が白く、天使のように美しい顔立ちだ。
頭脳も明晰だが、生まれつき体が弱くて、数ヶ月単位で入退院の繰り返しだ。
弥生のお母さんの妹の息子で、従兄弟にあたる。
亡くなったお母さんが代々の神社の長女で、透のお母さんがその分家を継いでいる。
両方ともお婿さんをもらって家名を継いだので、同じ如月だ。
弥生と透は同学年で、小さい頃から大の仲良しだ。
「弥生、いつもありがとう」
透がベットの上で起きあがって、迎えてくれる。
−25−
「気分はどう?」
「うん……昨日まで熱があったけど。もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「透、ホントに体弱いなあ」
「弥生はいつも元気でうらやましいよ」
透がカーテンを引いて、外の光りを病室に入れながら言う。
「弥生はいつも光り輝く太陽みたいだな。でも、もう病気も慣れたよ。こんなにしょっちゅうしてると」
透はそう言って小さく笑う。
「透、今日は桜が綺麗だよ。これ1本、取ってきたんだ」
透明なガラスのコップを一つ取ってきて窓際に起き、そっと桜の枝を差し込む。
「綺麗でしょ」
「うん……」
透と一緒に、しばらくコップの中の桜の枝を見つめていた。
−26−
「ところで、透。今日は相談事があるんだ」
「また、例の?」
「そう。だけど、今度の件はちょっと困難なんだ」
透は私の霊能力に理解を示し、尊重してくれる今のところ唯一の人間だ。
「どうぞ入って。橘 一郎くん」
そう言って、白いカーテンをさあっと開く。
すると、待ってましたとばかりに、黒い学ラン姿の長身の青年が透の枕元に姿を現す。
透は、霊視はほとんど出来ないが、それはそれは頭の回転が速く、いつも事件解決に役立ってくれる。
「昼間は、光りが強くて、姿を現すのにパワーが相当いるんだ。我慢してね、透」
透は、いつも見える振りをしてくれる。
「ごめんなさい。本当ならもう成仏しないといけない頃なんですが。どうしても、心残り
−27−
なことがあるんです。最後のお願いです。どうか協力していただけないでしょうか」
橘 一郎が深く深く頭を下げる。
「どんな心残り?」
「それが……実は、僕本当に好きで好きでたまらない女の子がいたんです。一目惚れってやつですか?」
透がふっとおかしそうに笑う。
「そんな事で、二人ともここに来たの?」
「そう。簡単に言えば。ラブレターをその娘に渡したいんだって!」
「弥生さん!!」
「ちょっと待って。でも、もちろんそれだけじゃない」
「先を続けて」
「そして、まだ詳しいことはよく分からないんですが、その僕にとってのマドンナがエリートの研究者と付き合っているみたいで。しかもその人が何だか悪い集団に利用されてるみたいなんです」
−28−
「本当に?」
「本当だって、透。公園で取り囲まれて、無理矢理ワゴン車に連れ込まれるを見たんだって」
「そうなんです。このままでは何か彼女の身に悪いことが起こりそうで。心配で、心配で……」
「どうしよう、透」
「こんな事件は初めてだね。でも、とりあえず、その女の子に話を聞かないと。名前とか住所とか分かる?」
「はい……それから、実は言い忘れましたが。僕、拾ったんです。彼女の定期入れを。今日の朝、バス停で彼女がぼんやり立っているのを見ました。普段と違って、何か心配なことがあるようで、気もそぞろと言った彼氏の事が心配だったに違いありません」
「それはどうだか、分からないけれど」
透が弥生の顔を見上げて、冷たく言う。
「透、本当に真剣なんだから。橘くん」
−29−
橘 一郎が、本当に助かりますというふうに、素直な笑顔を見せる。
「透なんかには分からないだろうけど、弥生には、橘 一郎っていう見ず知らずの子の気持、よく分かるよ。
自分が死んだという事実を認めるのも辛いのに、その上、ずっと好きな子がいて告白できずにいて、結局、その好きな気持を打ち明けられずに死んでしまって、どれだけ心残りか」
透が、少し困ったようにベットの上で考え込む。
「そこに、その彼女が何か良からぬことに巻き込まれそうだとしたら……」
「どんな気持だと思う?ってところかな」
「透!!」
透は構わず、開け放たれた窓を眺めながらじっと考え事をしている。
外は絶好の春日和で、遠くで薄紅の桜の花びらがはらはらと散っているのが見える。
−30−
透の本来は大きな澄んだ瞳が少し陰って、心持ち細くなった時は、集中している証拠だ。
弥生、そっと席を立ち緑の缶から高級緑茶の葉を取り出しお湯を注ぐ。
橘 一郎は不安そうに透の横顔を見つめている。
「弥生、今月、時間ある?」
「まあ、実力試験もすんだし。放課後と土日だったらなんとか」
「そうだね……時間を有効に使わないとね。49日以内に成仏させてあげないと成仏出来るチャンスがどんどん減っていくし」
「こっちとしても、ずっと付きまとわれたら迷惑だしね」
「弥生さんに、透さん!!」
「それが、けっこう49日以内に成仏出来ない人多いんだよ」
「そうそう、特に事故で死んだ人なんか。自分が死んだことが認められなくて、ずっとそ
−31−
の場に留まっちゃって地縛霊になる人、割と多いよ」
「パワーがあるうちに成仏しないと。この世に未練が残っていたら、どんどんパワーが弱くなって成仏できなくなっちゃう。今は、弥生にははっきり見えて声も聞こえるけど、そのうちに弥生にも見えなくなっちゃうんだぞ。そうしたら助けようもないんだから」
「49日以内……」
「そう。とりあえず、こっちも全面的に協力するけど、49日以内に事件にケリがつかなかった場合は成仏することを約束してよ」
「そうですね……その時までには、気持の整理をちゃんとしとこうと思います」
「それじゃ、決まり。この事件、引き受けましょう」
「弥生のお人好し」
「本当に、ありがとうございます。捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこの事」
−32−
橘 一郎は今にも泣き出さんばかりの感激よう。
「それじゃあ。事件解決に向けての弥生の、スケジュールの調整と計画は俺に任せといて。体は動かせないし、どうせ暇だし」
「OK」
弥生、透が計画を立ててくれる間、病室をぐるっと回って東側の壁の本棚に並べてある少し黄ばんで古くなった本の背表紙を眺める。
上の一段は、何度も読み返されたエラリー・クイーン、アガサ・クリスティーといった推理小説でぎっしりだ。
小さい頃、本好きの透がよく弥生に本を貸してくれたなあ……なんて思い返しながら。
「そして誰もいなくなった」「ABC殺人事件」を、ぱらぱらっと読み返していると──。
「弥生、出来たよ」
透の弾んだ声がして、続いてピリピリッと大きめのメモ帳を破る音がする。
−33−
「どれどれ」
慌ててベットの側に駆け寄って、透がかざしているメモをひったくる。
「なになに……」
メモ帳には硬めの鉛筆で書かれた少し小さめの几帳面そうな字で、はっきりと予定が書かれてあった。
第一の指令:女鹿 ひとみさんに近づく事。
落とした定期入れを返す際に、
同じ中学のクラブの先輩の、
橘 一郎が一週間前に交通事故で、
死んだことを伝える。
その時にラブレターを手渡す。
「その為には、まず橘 一郎くんの部屋に忍び込んで手紙を取ってこないと。今日、明日のうちがいいと思うよ」
「どうしよう。橘 一郎くん」
咲夜さん作