註1〜7

註1 8代目伊達林右衛門 蝦夷地の履歴では3代目と称する
が、我が家の家歴では8代目に当た
る。
註2 安政4年 増毛山道の開削は安政4年5月より
閏5月を挟んで6月には完成した、と
されている。
註3 私費1500両余 8代目伊達林右衛門の記した日記に
は、「〆金千三百拾壱両壱分、銭弐
百九拾六文、右高ニ書上候得共大
凡ニ有之、委敷取調候得者、喰料ノ
手当等ニて惣入用金千五百両余ニ
相成候」とある。
註4 ルベシベツ・ビタタヌンケ間
3里が最初とされている
新北海道史の副本である新北海道
史年表によると、これより46年も以
前の宝歴2年(1752年)に「古宇郡
の場所請負人田付新助、カブト越、
サンナイ越などの開削が計られた、」
とある。
註5
 
7代目伊達林右衛門 蝦夷地の履歴では初代と称するが
我が家の家歴では7代目に当たる。
註6 三代目伊達林右衛門 我が家の家歴では8代目林右衛門
の事。
註7 増毛場所を請負った年 新北海道史年表によると、寛政8年
7月伊達浅之助(伊達屋の江戸本店
当主)・戸木三郎兵衛が阿部屋伝兵
衛の没落に乗じ、請負金を増額して
増毛場所を松前藩家老下国豊前よ
り請負った、とある。


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