詩集 窓枠大の空 (抜粋)





明け方

明け方は
高速度カメラの呼吸による
適正焦点修正時間

無残・・・・・
言葉のうらぎりがもたらす一刻が
肺臓を埋める紫煙とは逆に
しらじらと
寸秒のひろがりですすんでゆく

こうして
変哲のない日々を感じながら
そのつど 到着するのだが
いつもわたしは遅刻者だ






風 Ⅱ

         留守になった景色の中で
風はひき殺された猫の屍に眼を奪われ
         棲家の存在を忘れている
               眼をそらしたい衝動自体が
                     全身を占めているのだ
                                      だが待て
                 何者かが屍を注視させる
                            ——そう発すると
                               僕等は思わず
ブルッルイッと身震いせずにはいられない
                       風はその動作の隙に
       あわてて通り過ぎてゆけるのだから

                                           終日
                     男をO脚にし
                    女をX脚にし
                 山を低くしているのは風だ
                この天空を自ら孕みながら
           ぼくのやせた身体を圧するのは
                                  風の本性か
  OXOXOX(ひとごみのなか)・・・・・・・
                                           嗚呼
                            この連なりの中で
                僕もいっその事自らを孕み
                       透明になってみようか






風  Ⅲ

その場かぎりの在り方で連なる
遠くからの時間
列をなし
空(くう)を削ぎ
季節の中を触れてゆく
わたしが感じたざわめきは
触れてゆくことで残された
風の一部だ
それは息をひそめ
棲家となったわたしの耳腔で
余韻を増幅させる
そうすることで
風は風であり続け
空(くう)を削ぐ時のように
時間との癒着を拒むことができるのだ

耳腔で息づくものが隠し持つ
見知らぬところからの遍歴
形づくられた風景を撫で
雑踏を抜けることで掠め取った
多くの関わり合い
停止したひとコマの映像に似た
限りない投影
遍歴の裏側の記憶に
観客席はない

季節の中に散在する
正面からの位置に
人々の変わらない流れがある
にじみ出る疲労を越え
連なりのかたちをあらわす時
耳腔はわたしのものになる
棲息した時


風とわたしとの距離は遠い








路上の重なった秋から逃げ
渡しの影から逃げ
走って走って——
影は追ってくる
執拗に追ってくる
それでも走って走って——
無理やり
秋の中に押し込められた
不本意な現実から逃げてみる

建物の影に逃げてみようか わたしの影はそ
こではじめて空中へ溶解してしまうかもしれ
ない だが 完全にわたしの影は消えてしま
うのだろうか 建物の影に同化して わたし
の逃げだす機会をあの長くなった暗くもない
暗さから眼を凝らして監視するにちがいない
建物の陰の影に隠れたわたしは その時建物
の影の重さもこの全身に負わなければならな
くなる

水の中ならどうだろう 光はもう底深くまで
は来るまい しかし暗さでのわたしに影はな
いと言えるだろうか わたしは影の中にいる
わたしになってしまうのではないだろうか

影の私
私の影
影の中の私

走って走って——
影は追ってくる
執拗に追ってくる
それでも走って走って
走って走って——





区域表示板

角をまがると
光を呑みこむ路地があって
ひとつの白さがあった

凍てつく海面に隠れた
底の闇の断面
身動きできない静寂
えらの裂け目からの
乾いた風景の流れ

異国からの
かすかな継続として

すでに靴音は
私を通り越して
遠くまで行ってしまっている

箱詰めの海の中で
水晶体を濁らせている魚達の
網膜に映ずるこのぐるりは何か

忘れてきた記憶に貼りついた
トロトロ燃えるうろこの
拡大された区域の中——






海  Ⅰ

委ねられた断末魔の叫び押し殺す
海の反逆

海は影を喰らい
叫びを沈め
空洞な体へと私を変えた
残された少しばかりの外殻は
それでもやはり
もう私ではない
すでに大気に溶けこみ浮遊している

奪い取られたもの達の外殻
屋根裏の小窓から
海へ飛び込む
刹那
もの達は 私へと還元し
落下する
得られた叫び と 影






海  Ⅱ

揺らぐ海の風景は
いつでも点在を許していたのだが
私の盲いた意思は
それを知らなかった
波間に隠された場所から遠く

海の皮を剥ぐ行為の中で
すでに私は姿をなくしてはいなかったか
つまみあげる皮の流動は
わずかに指先へ残るのだが






海  Ⅲ

たどり着いたその先からの
眠りの海
飛び淀む羽虫は知っている
沈下した敬称の重みを

陸に葬られた魚に似て
あがくことさえしない
ひからびた装いの中を
嘆きは反れて行った
哀れと思うことで
通りすごしてやった
それもまた西日の傷痕を負った
ひとつの風景であった
凪いだ表皮の内側で
私によって拒否された
点景としての形象は
叫びを発しているのかもしれない

行為としての許容——
眠りの海の皮をつまみあげる
そのためらいは
私の耳にまつわりつく羽虫の群れで
その必要を失った
羽虫への
言葉としての殺意——
だが羽虫の体内には不在だ
殺意の矛先は
私自身であるのか






沈黙

ひと部屋の
佇立したくい違いの重みは
消えた言葉に圧制(お)されて
一隅を占めはじめる
やがてそれは天井へ這いあがり
徐々に部屋を満たしてゆく
いつも同じだった
逃げながら言葉を待っているのだ
その中にどっぷりとつかって
私は何をみていたか
(私の網膜に何が映じていたか)

容器となった部屋と
その内側で喘ぐ私との区切りはなく
私は部屋そのものだった
   部屋は私そのものだった
   だが
   注がれたものと
   注いだ容器とが
   やがて
   個々に思惑を持ちはじめるのを
   網膜は現像化しなかった
同時に空でもあった
孕まれることによって
私自身の具象性はうすれ
抹殺行為は完成されてゆくのだ
   その時
   部屋でもあり
   空でもある私は
   果たして私であったのか
   否
   部屋は果たして部屋であったのか
   空は果たして空であったのか
   その行為の時間を拡大し
   拒まれた言葉を見つけた時
   言葉以前の私の感情は
   それに与えられた客観性やら
   形象物と共に
   すでに喪失していた

   それは待っていた
   自身によって奪われた言葉を
   部屋がまだ部屋で
   空がまだ空の時を
   消えた言葉は追った
   追うことによって
   それは
   消えた言葉でありえた
   部屋を孕むことによって
   それに
   孕まれえた
   同時に
   私への表現だった






晩夏のために Ⅰ

鳥が降りて来た
そこには空がある
培っていた意志は
徐々に崩壊し始め
しかし流れ出るものもなく
殻は殻だけに依存していた
終結することのない感情が
私の唯一の賭けであるならば
光芒をも放たない
ひとかけらの燠は何なのか
蒼然とした暮色にも似た
そのうちひしがれた意志と時間
とり残されたものが
私の本質であるといえる証は
そこにはない
培ってきたものがすなわち
私の固有物であったといえる
アテナイ人(びと)にような
理論をも持たない

そこには空がある
そこにそうしてあることの
永続的な事実
軽い嫌悪
長くなりつつある影の上の
まさぐる手許のどこかに
私が降りて行くための
うす暗い階段があるはずだ
たとえば落とし穴のように
危険と感嘆を含んで
私はそこにあるべき独房で
坑木を手にし
全ての晩夏のために
空をかきみだそう——
と思う






晩夏のために Ⅱ

置いてきた日々
夥しい光を受けた窓の
一枚のそのガラスの内側で
いつも息をひそめて立っている夜がある
街のどよめきは
裏通りの
家々の間をめぐる
乾いた小路を通り
路面(ろづら)にさす透きとおった影の中に消える
それはすっかり影の中に溶けて
追いかけてゆくわたしを待ち伏せ
その小路に行き着いたわたしは
光と影の中で両手をかざす

かざした両手を越えて
宵祭りの裸電球は人々を覆い
雑踏の中で
わたしは気慣れぬ浴衣でたたずんでいた
影は寄り添い
寄り添うことで
街は激しい酔いを醸し出した
だが人々は個々に歩き
酔っていたのは影だけだ
酔っていたのは
影を見ていたわたし
見たのは夏
見たのは影






かげろう

静まりの中で意味のない言葉をはいてみる。
そしたものが果たしてあるのかどうか知らない
が、とにかく吐いてみる。私の奥で燃えている
かげろうは、その時言葉に付着して出てゆく。
出てゆくものがわたしのものであると言うことは
できない。残ったものがわたしのものであると
言う事もできない。ただ、燃えたという事だけが
わたしのものだ。燃えた寸秒に、わたしの眼が
ある。眼はどこでも同じように動くから、せめて
その時だけは静止して欲しいものだ。

とどまる事のない日脚は
この部屋にはない
自身にはね返るものたちは
路地にひそむ光の蔭で
わたしを避ける
日没までの時間
静止した眼は残滓と共に棄てられた
炎のゆらめきもなく
叫びも聞こえず

白壁の染みに同化した体臭と
吐かれた言葉のない言葉は
わたしから遠く
海の顔を持つ人々の中にある
そこでかって海の顔をつけていた事のある
かげろうは
確かにゆらめく炎を持っていた
その先端から拡散してゆくものたちもいた

天頂でくすぶるものを見る






窓枠大の空

かってわたしは
屋根裏部屋の住人だった
背を伸ばすことのできない
その世界は
終日
体臭で充満していたが
日に焼けたベニヤ板の造りを
わたしは好んでいたから
ただひとつしかない窓も開けず
寝ころんでばかりいた
その頃からだろうか
何の変哲もない深層部に
窓枠大の空が映じはじめたのは

一時間に数羽の割合で
その空に
鳥が
現れた
飛んでいる
というよりは
はばたいているだけで
飛んでいるのは
わたしのぼやけたセンチメンタリズムだ

空への身投げと飛翔
それを私は愛していた
幼少の頃から
エンドレステープのように
カラカラ音を鳴らし
飽くことなく魅了され続けてきた
ある時
屈折したわたしのセンチメンタリズムは
窓枠大の空の
限られた視野を越えて
鳥に追従していった
だが
寝ころんでばかりいたわたしには
そう思えただけで
はばたき続けたのかどうかは知らない