平成6年 文化庁芸術祭 東京公演
平成7年 文化庁芸術祭賞 受賞記念高知公演
「婉という女」
第一章 幽閉
第二章 赦免
第三章 生きること — 挽歌
江戸時代前期、土佐藩家老として活躍した野中兼山だったが政敵によつて失脚、
その後急逝した。「婉という女」は、兼山失脚の後に宿毛に幽閉された一族
の物語である。主人公の婉は、4歳から約40年間を宿毛の幽閉地で過ごし、
赦免後は高知の西の朝倉で悲しみを耐えて必死に日々を送る。淡々とした
婉の独白によつて物語は展開し、兄弟、姉妹がつぎつぎと他界していく過程が
語られるが、そこには悲しさよりも、婉という女の強さ、精神の気高さが感じられる。
赦免後、父兼山の思想に傾倒する谷秦山という人物が婉の前に現われる。この秦山の
存在は、婉の心のよりどころとなるが、一方ではその愛さえも昇華させてゆく。
つまり、それも婉の精神の気高さによるものかもしれない。物語を読み進むうちに、
知らず知らず婉の精神世界への引き込まれてしまう。
<解説>
土佐、高知で舞踊家として生きる内山時江にとつて、高知出身の大
原富枝氏が書いた、土佐の女「婉という女」の舞踊化は避けて通ること
の出来ぬ宿命のようなものだ。婉は、自己の政治的な理想を性急に貫く
あまり、多くの治績を残しながら失脚した、土佐藩の野中兼山の娘であ
る。兼山の失脚により家族たちは、以後四十年の長い年月、幽閉生活を
強いられることになる。
婉にとつて、少女時代(四才)からの四十年は、青春の喜びもない、
ただ絶望的な半生であつたに違いない。
男たちの激しい政争は、女たちにはただ見守るだけの世界であった。
しかし、その悲劇は、逃れようもなく確実に、彼女たちの上にも襲って
来たのだ。現実は女たちに、いつも受け身の運命を強いた。
幽閉生活の中で婉は、文通によるあこがれの「まだ見ぬ人」谷秦山
に対して、心の愛を育んだ。しかし幽閉が解けて会ったあこがれの人は、
やはり男たちの世界の人であつた。
女は愛によつて生きる。しかし婉の心を温めてくれる人はいなかった。
男たちは命を燃やして生き、そして死んで行った。女たちはそれを冷静
に見送り、しぶとく生き続けて行く。生きることに勝利して、生き残っ
た女の強さとは、はたして何なのだろう — そして、女は何のために
生きるのだろう。
今を去る三百五十年の昔、封建社会の南国土佐に生きた婉という女。
そして、音楽の到達し得る、人間の最深部までを完壁に表現したベ
ートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲。
それにモダンバレエ
この異質のジャンルの上に、内山時江が挑戦する舞踊「婉という女」
とは—
婉が内山時江か、内山時江が婉か。