共犯者の余生 ★ ジョン・レノン「Watching The Wheels」IconI'll follow you wherever you may go!
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パラパラ・・・ジョン・レノン『ビートルズ革命』の出版社が、倒産っ。 (更新日;2008年1月11日 3:39Am)
Is war over?John Lennon
共犯意訳 ジョン・レノン「Watching The Wheels」 (更新日;2009年10月9日 0:39Am)
昆虫とか楽器って、その完璧さが未知や混沌という恐怖から解き放ってくれる自由さや可能性を思わせて幸福感を与えてくれるのではないか
デビュー前のジョンとポールと、ドイツのハンブルグで。
Be-bop-a-lula
He's Mr. Gene Vincent !

He has
been dead
12
October
1971.

♪クリックして、見よっ!Be-Bop-A-Lula

作詞;Donald Graves or Bill "Sheriff Tex" Davis
作曲;♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To DieGene Vincent (1956年)

Well
Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula I don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula I don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's...
My baby doll, my baby doll, my baby doll.

Well
She's the gal in the red blue jeans
She's the queen of all the team
She's the woman walkin' that I know
She's the woman that loves me so

Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's...
My baby doll, my baby doll, my baby doll.

Well
She's the woman who's got that beat
She's the woman with the flying feet
She's the woman walk around the store
She's the woman gives me more more more

Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's...
My baby doll, my baby doll, my baby doll.

Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's my baby
Be-bop-a-lula don't mean maybe
Be-bop-a-lula she's...
My baby doll, my baby doll, my baby doll
Is war over me ?所有格の不快

共犯意訳;うぇ〜ん!久保AB-ST元宏
(2009年10月12日 月曜日 4:10Pm)


ちょっと聞いてよ、
うきうき、らんらん♪ あのコ、ぼくのカノジョ♪
うきうき、らんらん♪ ぼかぁ、くびったけ〜♪(たぶん、ね・笑。)
うきうき、らんらん♪ 宣言します!ぼくたち、つきあってまーす♪
うきうき、らんらん♪ 責任とりますっ。(ほんとかよ。)
うきうき、らんらん♪ え、え、えーと、あのコはぁ〜
ぼくのかわゆいお人形さん、かわゆい、かわゆい、お人形ちゃん♪

そんでさ、
ほら、あそこで目立ってる赤いデニムのギャルが、あのコで、
レディースのリーダーなんだよ。(怖ぇぇ〜。)
でもさぁ、ぼくの知る限りじゃ、バイクじゃなくて歩いてるけど。(ホントに知ってんの?)
実はあんまりカノジョのこと知らないんだけど、あのコはもう立派な「オンナ」で、ぼくにベタ惚れ〜♪ 「キャアーッ!」

うきうき、らんらん♪ そんなんで、ぼくはあのコを手に入れちゃったわけ♪
うきうき、らんらん♪ ズルなんか、してねーよ。(たぶん、ね・笑。)
うきうき、らんらん♪ つまり、なんちゅーか、そーゆーコトをした関係なのよ。
うきうき、らんらん♪ 責任とりますっ。(ほんとかよ。)
うきうき、らんらん♪ え、え、えーと、あのコはぁ〜
ぼくのかわゆいお人形さん、かわゆい、かわゆい、空気人形ちゃん♪

もっと言うとさー、
あのコは、もう、いー感じで、ガンガンな「オンナ」でさ、
足なんか上げちゃってさぁ、もースゴイんだから〜!
一緒に手をつないで街を歩いているだけで、もー、ぐっしょり。
いつでも、どこでも、「もっと、もっと、もっと、もっと。」って、回数をせがむのさ。

うきうき、らんらん♪ もう何度も、ヤっちゃった♪
うきうき、らんらん♪ ちゃーんと、避妊してますからっ。(そーゆー問題かっ!?)
うきうき、らんらん♪ ぼくたちはさんざんいやらしいことをした。
うきうき、らんらん♪ 責任とりますっ。(ほんとかよ。)
うきうき、らんらん♪ え、え、えーと、あのコはぁ〜
ぼくのかわゆいお人形さん、かわゆい、かわゆい、南極1号ちゃん♪

はらはら、どきどき♪ カノジョは、「ぼくのモノ」。
はらはら、どきどき♪ でも、それって意味あんの?(ホントのとこ、どーなんだろ。)
はらはら、どきどき♪ んじゃ、ぼくは「カノジョのモノ」なのかな?
はらはら、どきどき♪ 今まで、そんなこと考えたことなかった・・・。(がーん。)
はらはら、どきどき♪ え、え、えーと、あのコはどう思っているんだろ・・・?
「ぼくのモノ」が「カノジョのモノ」を愛するって、どーゆーこと?教えて、ぼくのとくべつ♪

ジーン・ヴィンセント
(Gene Vincent、1935年2月11日〜1971年10月12日)

アメリカの1950年代のロカビリー・ミュージックのミュージシャン。
バンド「ジーン・ヴィンセント & ヒズ・ブルー・キャップス」のヴォーカリスト。

ブルー・キャップスのギタリスト、クリフ・ギャラップのギター奏法である
♪Too Old To Rock And Roll , Too Young To Dieギャロッピングも有名。今ではロカビリー・ギターの全般をも指す奏法。
それは、サムピックでのリズムキープと1〜3、4弦の高音弦を絡めた複音弦で
疾走感溢れるプレイを演出する奏法。
マール・トラヴィス(1917年11月29日〜1983年10月20日)が始めて、
チェット・アトキンス(1924年6月20日〜2001年6月30日)が深めて、
クリフ・ギャラップ(1930年6月17日〜1988年10月9日)が、おいしいトコ取りした。
それはカントリー・ミュージックがロックン・ロールに進化する現場でもあった。

1952年、サウス・ノーフォーク・ハイスクールを中退、アメリカ海兵隊へ。
1953年、入隊中にオートバイ事故を起こし、左足が曲がらなくなる
そのまま生涯、足に障害を持つ。除隊後、ノーフォークのローカルラジオ局と契約。

1956年、デビュー・シングル「Be Bop A-Lula」を発表、全米9位にチャート・イン。
映画『女はそれを我慢できない』(The Girl Can't Help It)に出演。
他に1958年『Hot Rod Gang』にも出演し、のちのビートルズ映画の布石となる。
シングル「Race With The Davil」(96位)、「Bluejean Bop」(49位)、
1957年、「Lotta lovin'」(14位)、「Dance To The Bop」(43位)を発表。
しかし、アメリカではすぐにロックンロールのブームが去ってしまった。

ジーンは、アメリカでの活動に見切りをつけ、
エディ・コクランやバディ・ホリーらと同様、拠点をヨーロッパに移した。
とくにイギリスではロックンロールが大ブームとなり、
10代だったジョン・レノンやポール・マッカートニーも、何度もライブへ通った

後年、ジョンは『ロックン・ロール』、ポールは『公式海賊盤』と、
それぞれのソロ・アルバムで、ジーンの「Be Bop A-Lula」をカバーしている。

1960年4月16日、イギリスツアー中にコクランらと共に乗ったタクシーが街路樹に衝突。
ジーンらは助かったが、コクランは重傷を負い、翌日死亡した。
この前年にはバディー・ホリーが飛行機事故で死んで、
チャック・ベリーは麻薬所持で逮捕され、ロックン・ロールは終わった

1971年10月12日、ロサンゼルスのインターバリー・コミュニティー病院で、
アルコールが原因の胃潰瘍のため死亡。享年、36歳
ロサンゼルスのエターナル・バレイ・メモリアル・パークに埋葬された。
目がまわらないようにしなくちゃね。

墜ちるのと昇るのとが同じに感じるくらいに目を瞑っていても。 うぇ〜ん!飯島@外笑が『共犯新聞』ゲストブックに、
 アブストの歌にカッコイイ歌なんてないんじゃないかな。
ビーマイベイビー!とか ドリーミング!とか 愛が全て!
とか歌った覚えが無いし(笑)。
2009年9月16日(水) 11:31Pm

と書いたのを読んで、私は、
「あらま。気がついていたのね。」と、思った。

それら全てについては今は書かないけれど、
少なくとも私は、歌詞を書くときは「マイ」的な所有格は避けてきた。
むしろ、所有格を嫌悪してきた、と断言してもいい。

私の初期の曲「クレイジー・レイジー」に、

♪お前は いつでも おいらを ボスに しようとするけど
恋人に なりたいのさ

とゆー歌詞があるが、
これなんぞは、「ビー・マイ・ベイビー」的な圧力を回避しようとした例かもしれない。
それを、「公平」と指摘した人もいたが、言われてみれば、なぁ〜るほど、だ。

しかし、残念ながら(?)ロックン・ロールには所有格を使った佳曲が多い。
「ビー・マイ・ベイビー」や「マイ・ガール」がそうだが、
今回とりあげた「ビー・バップ・ア・ルーラ」は歌詞で所有格を繰り返し歌っている。
「she's my baby」と繰り返すことによって生じる高揚感がこの曲の素性の全てだ。

ロックン・ロールがロックに変わった1962年以降、安易な所有格の曲は減る。
代わって使われ始めたのが、「オール・マイ・ラヴィング」や「マイ・ジェネレーション」など
具体的な「女の子」個人ではなく、抽象的な概念(=「愛」や「世代」)への所有格だ。
私がロックン・ロールを保留にし、ロックを全面的に肯定する理由のひとつもそこにある。

ただし、世間には「こいつ、オレのカノジョ。」と紹介されて喜ぶ女は今も後を絶たない。
それは、「権力はいつもやさしい」とゆーことでもあるんだけど、ね。