それにしても、『写真甲子園』の審査委員は、
立木義浩(写真家・東京都)、
大石芳野(フォトジャーナリスト・東京都)、竹田津実(写真家・小清水
町)、松原国臣(フォトジャーナリスト・札幌市)、川名廣義(ギャラリー・ディレクター・東京都)とゆー本格派なのだか ら、あなどれない。
和田くんと会場に入るとエントランスに並べられた女性のポートレイト写真の前で撮影されている着物を着た小柄な老婆がい た。
あ、写真家の吉田ルイ子さんだ。
日替わりで有名なジャーナリストが講師として登壇するのが早稲田マスコミ塾の”売り”であったワケで、私はマスコミ就職
よりも彼らの話を生で聞くことができるとゆー理由で通ったよーなもんだった。やっぱり、不純だ(笑)。
で、そんな講師に混じって吉田ルイ子さんもいた。
だから、ある意味、今回の「再会」は私と和田くんと吉田ルイ子さんの3人の「再会」でもある(笑)。
おそらく地元の日曜カメラマンらしき人の要請で写真を撮られている吉田ルイ子さんだが、その慣れた立ちポーズがスター写
真家の微妙なオーラを放っていた。
それをボケッと見ていたら和田くんも気がついたらしく、「あ、吉田ルイ子だね、ねっ。」と目を輝かす。マスコミの世界の
中心にいて連日、有名人と会っていてもこーゆーミーハー精神が衰えないのもマスコミ人として長年生活する才能なんだろー なぁ。
和田くんが私に気を使って色んな人を紹介してくれる。あーヤベェ。名刺を忘れたぁ〜。
せっかく和田くんが「こちら、沼田町の久保さんです。」と紹介してくれても、「はぁ、沼田で米屋をやってる久保です。」
と名刺抜きで自己紹介しても、話は広がるはずはなく(笑)、当然、相手も私に名刺をくれるわきゃあない(笑)。和田く ん、ごめんね。
「いいよ、いいよ。あとで、彼らのEメール・アドレスを教えるから。交流しな。」と言ってくれる優しさと期待に応えられ ない自分がマヌケである(笑)。
次々とソツなく挨拶と情報入手をこなす和田くんから離れて会場内に展示されている写真をチラチラ見る。昨日決まった『写 真甲子園』の高校生の作品だ。
ふ〜ん。と言った感じで特に印象には残らない。
写真よりも会場の雰囲気のパワーが大きく感じてしまって、落ち着いて写真に神経が集中しないのかもしれない。
会場はけっして大きな建物ではなく、むしろ行われているイヴェントの規模や招待されている写真家のネーム・バリューから いくと小さすぎるぐらいだ。
会場内を歩いている人、全員がプロのカメラマンに見えてしまう。STAFFバッジをしている人以外がVIPに見える。純
粋な観客はどこだ?・・・・・私だけかよ(笑)?
そんな感じで、会場を歩いている人全員の作品を唯一の観客の私が全て受け止めなければならないような勘違いの義務感に圧 迫されそうになった(笑)。
「久保さん、トーク・イヴェントが始まるから聞いていこうよ。」
と、和田くんに誘われて迷路のような会場をにゅるりと進むと、うなぎの寝床(笑)のような写真パネルに挟まれた廊下のよ うな通路のようなところに出た。
その廊下のような長い空間にゴージャスなイスが10脚ほどならべられ、その前のフローリングに観客がアグラをかいて座 る。
ゾロゾロ、トークをする本当の(笑)VIPが出てきてゴージャスなイスに座る。あ、友部正人だ。それぐらいである、私が 分かるのは。
数ヶ月に渡ってロングランで行われる『東川町フォト・フェスタ』だが、後で調べると私は偶然に最も重要な時間帯に参加で きたようだ。
つまり、百人を超えるゲストが出入りするこの複合イヴェントのこの時間帯のゲストは下記の人たちだ。
↓
■フォトフェスタ・メイン会期 <8/2(土)〜5(火)>
▼東川賞受賞者-----------------[8/2〜3]
ガイ・ティリム 海外作家賞(南アフリカ共和国)
齋藤亮一 国内作家賞(東京都:札幌市生まれ)
糸崎公朗 新人作家賞(東京都)----[8/2〜5]
吉 田ルイ子
特別賞(東京都)
▼東川賞審査会委員
佐藤時啓 写真家(埼玉県)
長 野重一
写真家(東京都)
平木 収 写真評論家(東京都)----[8/2〜4]
山岸享子 写真キュレーター(東京都)
▼特別ゲスト
岡本敏子 作家・エッセイスト(東京都) ・・・・・・画家、岡本太郎の養女。
金 升坤 写真評論家(韓国)-----[8/2〜4]
友部正人 シンガーソングライター(神奈川県)
比嘉良治 写真家(ニューヨーク)--[8/2〜5]
↑
最後の
比嘉良治氏が、今回の和田くんの取材対象の「先生」だ。
箱に穴を開けただけのカメラ、ピンホール・カメラを小学生に体験させる活動をしている方で、まさしく小学館の和田くんに は魅力的な「先生」である。
後からゆっくりと資料を見ると分かることだが、この時点では私は何がなんだか分からないで和田くんから差し出されたザブ
トンを使って床にドカッと座っただけであった。
しかも会場が「うなぎの寝床」状なので、後から来た私たちはパネラーの真横に座ることになり、声だけを聞くこととなった (笑)。
まぁ、話者の顔は見れなかったが、目の前の壁に貼られた東川賞受賞者の齋藤亮一の作品をじっくり見ることができた。
1959年生まれの齋藤亮一は札幌生まれながら、スペインを拠点にした時期もあるということからも分かるように世界中を
回って活動をしている写真家だ。活
動した地域が、南米(1988年)、東ヨーロッパ(1990年)、アイルランド(1991年)、1992年(ロシア)な
どというだけあって今回の作品もか なりジャーナリスティックだ。
題は『Lost China』。
中国の都市の古い建築物のモノクロの写真。
札幌のギャラリー「エルエテ」でのオープニング・パーティで知り合った風間健介の作品を思い出す。炭鉱の廃墟をテーマに 作品を発表している写真家だ。
それを和田くんに言うと、「廃墟ブームの人だね。」と即答。ふーん、有名なんだ、あいつ。
手元の資料をめくると、なんと去年の東川賞を風間健介が受賞している。え?今年、吉田ルイ子が受賞した賞である。どーも 賞の位置付けが分からない。
さて。風間健介の作品は「廃墟」だが、齋藤亮一の作品はよく見ると人物がいる。それも生き生きとしている人物が多い。
つまり、廃墟になる直前の古き良き中国の建築物と人民(笑)の生活なのだろう。確かに古い建築物の向こうに大きな近代的
ビルディングが見える作品もいくつかある。
中国の古い建築は郷愁を誘い、ある種の観光的興味をくすぐる。エドワード・サイードが「オリエンタリズム」として批判的
に分析した視覚の植民地なのかもしれない。
今や世界の工場である中国の「成長」は人民の生活レベルの向上を準備し、古い因習と生活を変化させる。これが本当の「文 化大革命」か?
記録として魅力的な写真だ。ただし、これは写真家の力なのだろうか?素材を超えた仕事を写真家はしているのだろうか?
そんなことを思ってボケッと目の前の写真を見ていたらティーチ・インが始まった。
主役は今年度の海外作家賞受賞作家のガイ・ティリムだ。彼は1962年生まれ。あ、私と同じ年の生まれだ。へぇ〜。でも
禿げ上がったオデコや深い皺からは年上に見えるぜ。
彼は南アフリカ共和国のケープタウンを活動の拠点にしているらしい。
司会の平木収(写真評論家)は、彼を選んだ理由を「本年の海外賞だが、本賞も回を重ねること20回にあと1回というとこ
ろまで来て、既に世界の主要な地域
を網羅してきた。だが唯一アフリカ大陸とその諸国からの選出は果たされていなかった。」から、あえてアフリカから選んだ
のだと言う。過剰に話す彼は「肌の
色は問題ではないが、彼は見ての通り、白人である。」とまで言った。なんだか、アフリカ人かつ黒人が理想の受賞者であっ たかのような感じ。
まぁ、そんなワケで映画や文学の賞の感覚とはまったく違う選考が行われているようだ。
この受賞者ガイ・ティリムは西アフリカやアフガニスタンなどの貧困や戦争の渦中での撮影を続けている。
肩書きも「フォトグラファー」と呼ばれるよりは「フォト・ジャーナリスト」と呼ばれるのが自然なようだ。
だからと言うわけではないが、しゃべり過ぎの司会者はジャーナリズム論を語ろうとする。ティーチ・イン参加者への話題の
振り方もジャーナリズム論である。
それがツマラナイ。
なぜ、写真を語らずにジャーナリズムを語るのか?
私の弛んだ脳味噌では先ほどの車中での和田くんの「まぁ、でもさ、時々自問しちゃうよ。オレは”ジャーナリストなのか?
マスコミ労働者なのか?”って。」という言葉が思い出された。
司会者が陳腐なジャーナリズムの精神論を語るばかりであるのに対して議論を深めようとしたのか女性の評論家が「ガイさん
の作品には詩聖があります。」と文学少女ぶった発言。
う〜む。どうも違うなぁ。どれも、これも受賞者ガイ・ティリムに対してのみの特別な言葉ではなくて、フォト・ジャーナリ
ズムの一般論を繰り返しているだけなのだ。
それにだいたいにして、「詩聖」という単語を持ち出してきて全てを語ったような気分になるのはいかがなものか(←鈴木宗 男風・笑)?
強い単語に頼らずに、自分の文章で語れ!
私が聞きたいのは言い古された普遍的で抽象的な単語ではなくて、受賞者ガイ・ティリムのみを浮かび上がらせる新鮮で具体 的な言葉なのだ。
「え〜、それでは会場にいるガイさん以外の東川賞受賞者もイスに座って議論に参加してください。」と司会者が呼びかける
と、観客に混じって床にペタリと
座っていた男が立ち上がった。さっきから私が見ていた写真の作家の齋藤亮一と、座っている姿は単なるオタクにしか見えな
かった(←ごめんね)糸崎公朗であ る。司会者は残る受賞者である
吉田ルイ子も参加させたがっていたが、いつの間に彼女は会場から抜け出し
ていた。きっと、今更ながらに陳腐な熱血ジャーナリスト論を聞かされることに彼女は苦痛を感じたのではないのかな?苦痛
か、もしくは一種の恥ずかしさか?
繰り返すが、ジャーナリスト論が悪いわけだはない。陳腐なジャーナリスト論は、それだけでジャーナリズム精神の死であ る。ただ、それだけだ。
今も高田馬場あたりのマスコミ養成専門学校では、陳腐なジャーナリスト論が繰り返し「消費」されているのだろうか?
司会者が隣に座る
友部正人に発言をさせた時には私も少しは期待したが、その流れではさすが
の詩人も魂の抜けた言葉をニヤケて少し語るだけだった。
あ〜あ。私は持ってきた彼の本にサインでもしてもらって、せめて彼がここにいた証拠にしようかなとも思った。
思えば私が札幌で初めて彼のコンサートを見たのはマスコミ塾の同期生の斉藤佳典さんから「北海道新聞に就職したので、東
京から札幌に来たから、一緒に飲み
に行って、ススキノの安い居酒屋を教えてくれ。」との手紙をもらった年であった。せまいライブ・ハウスでの彼のコンサー
トには古いLP『にんじん』からの
曲もあり、当時の私には深く印象に残った。ライブ終了後にズカズカと楽屋に入っていくと、さらに狭い楽屋には歌い終えた
直後の彼だけが汗だくで立ってギ ターを拭いていた。突然入ってきた男に、彼はライブ・ハウスのスタッフであると思ったどろうねぇ。で、私は持っていた
友
部正人とはまったく関係のない単行本を出して「サインしてください。」
と言うと、通り魔に出くわしたかのように目をむいて言われるがままにサインをしてくれた。で、さらに私が「サインの横に 詩を書いてください。」と言い、
友
部正人はまたまた言われるがままに少し考えてから詩を書いてくれた。
で、私は右手を出して「ありがとうございます。」と強く握手をした。んだけど、ほとんどストーカー行為なんだけど、その
時の私の目はストーカー以上に狂気で真剣だったハズ。
それからも何度も彼のライブを見ているが、今日は彼のサインの横に「鉄格子を三本」と書いてもらおう、と考えながら延々
と続くステレオタイプの熱血ジャーナリズム論を聞き流していた。
救われた発言は、座っている姿は単なるヒョーロク玉にしか見えなかった(←ごめんね)糸崎公朗から発せられた。
「ガイさんの写真は戦争地域の写真ばかりで、確かにそれだけでインパクトがあるのですが、例えば、鉄棒に銃弾の跡があっ
て、さらにその向こうの壁にも銃弾
の跡がある。つまり、構図としても面白い。この穴を突き抜けた銃弾が、向こうの壁にもう一つの穴を開けたという遊戯的面 白さってゆーか。」
この発言を膨らませる才能が残念ながら司会者は持ち合わせていなかったようだ。
写真ジャーナリズムが写真を使う理由の核心にこそ触れるべきである。
飽和状態になったゲスト発言にさすがの司会者も気がついたのか、「えー、じゃ、ここで会場から質問ありませんか?」、だって さ。ティーチインの間中見ていた国内作家賞の齋藤亮一『Lost
China』に続いて展示されているのが、海外作家賞のガイ・ティリム『Depature(出発)』だ。まったく作品を
見ないままで長々と批評を聞いたと いう不思議な(?)体験をした直後なので、かなり貪欲な興味が自分の中で準備されていた。
確かに、凄い写真である。それは見る者の体温を下げるパワーを持っている。戦争に対して怒りの熱を高めることより、熱を 冷ます方が難しい。
砂漠の砂がこちらにまで届きそうな生々しい写真群である。写真は現場でなければ作業ができないジャンルであることが再確 認させられる。
つまり、写真というジャンルはモチーフが何であれ、宿命としてジャーナリスティックなジャンルなのだ。
宮沢りえのヌードも、コカコーラの広告写真も、普通の家族の夏休みの旅行写真ですら、すべての写真はジャーナリスティッ クなのだ。
そして、何を撮影するかという行為が、「政治」的なのだ。
写真家とはジャーナリズムと政治が交差する装置であると思う。そして、そのことに意識的になった時に、写真家は表現者と して自立する。と、思う。
だから、全ての写真がジャーナリスティックなのだから、「この写真はジャーナリスティックだ。」と言うことはナンセンス だ。
次のコーナーには、新人作家賞の糸崎公朗の作品が並んでいる。この作品群はユニークだ。
まず、路上の町並みを多角的に撮影して、現像された印画を切り抜いて町並みの立体パノラマを作るのだ。
おお、そうか。さっきのティーチインで糸崎公朗が「ぼくは写真がヘタクソだから、工夫しているんです。」と語っていたの はこれか!
ガイが「ミスター糸崎公朗の作品には感心した。」と言っていたが、確かにこの見て面白い写真立体パノラマは世界性を持っ てアピールできるであろう。
誰も居なくなった会場で私が一人で見ていると、糸崎公朗が写真学生と入ってきて、作品の解説を始めた。横で聞いている
と、コミカルでさえある作品だが、実際の製作にはかなりの準備と体力と知性が求められるようだ。
最後には