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『共犯新聞』
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NEW YORK
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◎歴史】
三宅伸治
久保元宏の
映画評論
『
ビートルズ
映画と、ビリー・ワイルダー』
記述日時=2001 04/18 01:18
歴史
から飛び出せ!
★たとえば→
6月22日
の歴史★
A
Happy
Birthday
to
Mr.
Billy Wilder
!
★ワイルダーがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!★
The Beatles Like
Marilyn Monroe
Hot
■ただ今、NHK-BS2でビリー・ワイルダー監督『お熱いのがお好き』を観終わったところです。
■もちろん、あのマリリン・モンローで有名な作品ですが、
私としては、最近、映画監督のキャメロン・クロウがインタビューした話題の本『ワイルダーならどうする?』(キネマ旬報社)つながりで、
再チェックしたかった作品でしたので、ナイスなタイミングのテレヴィ放映でした。
しかも、キャメロン監督作品『あの頃ペニー・レインと』を先日、映画館で観てきたばかりの私にとっては、
立体的に味わえました。(←この映画に関する私の感想は、私のホーム・ページ内の「日記」にあります。)
■んで、『お熱いのがお好き』を観て、まず気になったのが、モンローの髪型でした。
特に前髪をたらして首を振るシーンなどは、
シェア・スタジアムでのポールの『シー・ラブ・ズ・ユー』の「ゆの〜ゆぅーしゅうびっくらああああいぃいー」に続く
「ふぅうううー」のシーンを彷彿させられました。
それを観て、ドキリ!としたのですが、ハナシはさらに続き、
モンローにからむ俳優のジャック・レモンとトニー・カーチスが女装してジャズのビック・バンドのメンバーとして汽車で旅をするのですが、
その男2人の女装の髪型が、初期のマッシュルーム・カットじゃあないですか、社長っ!
■この映画は1959年の白黒映画ですが、
ハンブルグでビートルズやスチュ・サトクリフの恋人も見たのではないか?・・・と、想像する楽しさ。
■ビートルズの名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットに、
マリリン・モンローが出ているのは、あまりにも有名なハナシだし。ねっ。
■さらに!リチャード・レスター監督が、ビートルズの映画を撮影するとなった時、
この映画を念頭においていた可能性は高いんじゃあないかなぁ?
<理由>
①白黒である。・・・1959年はすでにカラーの時代。アメリカで白黒を選んだのは、ある意味、ワイルダーの美意識でしょう。
イギリスは確かにアメリカよりカラー化がおくれていましたが、
レスター監督がワイルダーを意識して白黒に対して否定的ではなかったのは、今回のニュープリントでの美しさでも良く分かります。
②バンドのロード・ムービーである。
③列車内で演奏するシーンがある。
▲
列車の中のマリリン。
▲
列車の中のビートルズ!
④主人公が追いかけられるドタバタがある。・・・特に『お熱い』の後半はビートルズ的!
⑤全体にある品の良いユーモア・センス。
⑥タイトルのロゴなんて、モロそっくり!
↑
似ているから、「モノマネ」だとか言うのではありません。
ビートルズがバディ・ホリーやボブ・ディランらから素晴らしいインスピレーションをもらい、
結果として、素晴らしい作品を作り上げたのに、なんだか似ているような気がしませんか?
↑
まぁ、以上は私が、さっき見終わったテレビを観ての第一印象的な感想です。
どなたか裏付けられるような情報とか、意見があれば、教えてね。・・・んじゃ。
歴史
から飛び出せ!
★たとえば→
8月5日
の歴史★
Marilyn Monroe
No return
受けたものを
ねじり返して、
強く求めたものを
知らぬ間に
破壊してしまう、
ほら、例の
『共犯新聞』の
ゲストブックだよ。
Beatles 人名録
Mary Hopkin
/メリーホプキン
ポール・マッカートニーの秘蔵っ子としてビートルズの主宰する<アップル>より登場し、
69年のデビュー・シングル「Those Were the Days(悲しき天使)/B面 ターン・ターン・ターン」が世界的なヒットを記録。
劇作家の唐十郎が、当時、喫茶店でこの曲を聴いて衝撃を受けて劇中歌に使ったそーだ。
愛らしいルックスと瑞々しいソプラノ・ヴォイスがセンセーションを巻き起こす。
しかし、もともと彼女は純粋なフォーク志向だったため、ポール側の強要する"ポップ・シンガー"の枠組みには収まりきれず、
フォーク色を強めた2ndアルバム『Earth Song, Ocean Song』(71年)の発表後、<アップル>を飛び出してしまう。
その後はT・レックスのプロデューサーとして有名なトニー・ヴィスコンティと結婚し、音楽業界からは引退するが、
70年代後半より活動を再開。
89年にはインディーズながらもアルバム『Spirit』を残している。