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♪シェーンベルグの1950年のお顔。Arnold Schoenberg(1874-1951)
・・・平等という共犯幻想。

アーノルド・シェーンベルグ(1874年9月13日-1951年7月13日)
20世紀を代表する作曲家の一人。
ユダヤ人の長男としてウィーンに生まれる。
第2次世界大戦の際、ナチス・ドイツに追われ、フランス経由で、
アメリカに移住したが、そこにいたもう一人の天才、ストラビンスキー とは仲が非常に悪かったらしい。
1921年に「12音技法」を確立し、現代音楽に多大な影響をもたらした。
その時彼は「これでドイツ音楽の100年間の世界的優位を保てるぞ!」と豪語した。・・・・・・そーは、ならなかったが。

「12音技法」とは、12の音を平均に使用する和音のファシズム性を拒否した、ある意味、全ての音が「平等」な音楽。
■作曲家・池辺晋一郎による解説(雑誌『音楽の友』2001年11月号より)
  • 無調の音楽と口で言うのはやさしいのですが、実際に作るのはとても難しいのです。
  • ド—ソとか弾いちゃうとその瞬間にハ長調になってしまう(笑)。
  • 本当の無調を作るのは難しいんです。
  • かつての調性音楽というのは太陽系みたいなもの。
  • ハ長調ならドが太陽で、レミファソラシというのは惑星で、そこにファ#とかレbとか衛星がくっついてくる。
  • そこには一種のヒエラルキーがあるわけです。
  • それをなくそうというのが無調音楽です。
  • 全ての音は平等である。
  • 12音技法はそういった社会思想と歩みをともにして生まれてきたものだと言えなくもない。
  • 大原則は、ひとつの音が出たら残りの11個の音が鳴るまでは再びその音が鳴ることはない。
  • シェーンベルクは感性を使わずに機械的に曲を作るつもりはなかった。
  • むしろ数学的な厳しさをおしすすめたのはウェールベルン
  • シェーンベルクはもともとロマンティックな人。
  • 20世紀は明らかにウェーベルンの流れになったね。セリエル・ミュージック(音列技法による作品。12音技法からの発展形)のように。
  • (21世紀は)むしろロマンティックになってきたよね。
  • セリエリズムはもう終わったんじゃないでしょうか。
  • セリエル・ミュージックの時代を通過してきたわけだから、セリエル的な考え方を一部に混入するとかいうことはありますけどね。


★クリックすると、♪シェーンベルグに逢えるわっ♪あん♪アン♪Arnold Schoenberg Center・・・・・・ウィーンにあるセンター。ドイツ語と英語のみだが、ここが世界の中心。

■久保AB-ST元宏のお薦め曲&CD
作品名解説
1897年
23歳
バリトンとピアノのための
《2つの歌曲》作品1
1895年に勤めていた銀行が倒産し、これを機に音楽家として自立。
弦楽四重奏曲ニ長調 のちに出版される。
翌年1898年に、ユダヤ教からプロテスタントに改宗。同年、ツェムリンスキー編曲によりウィーン楽友協会で演奏される。
1899年
25歳
弦楽六重奏曲
《浄められた夜(浄夜)》
作品4
後期ロマン派の匂いがただよう傑作。かれのごく初期の作品。
曲はデーメルの詩からとられたもの。弦の音が複雑に絡み合い、非常にロマンティックな作品である。
題材の繊細なヒャルト・デーメル(1863-1920)の詩集『女と世界』にマッチしている。

詩のテーマは、不倫した妻と愛人。シェーンベルグ自身も同じ体験を数年後にすることになる。
それは、彼が集中的に絵を描いていた時期の友人の画家ゲルストルが彼の妻と仲良くなり、その末に自殺してしまったという悲劇だ。

将来、「無調」の前衛作曲家のルーツはロマン派だという証拠。女性におすすめ。
♪お薦めCD指揮;ラインベルト・デ・レーウ、シェーンベルク・アンサンブル(録音:1984年4月 オランダ)



1900-
1911年
《グレの歌》作曲に11年もかけた大作。
1903年
29歳
交響詩
《ペレアスとメリザンド》
作品5
前年、リヒャルト・シュトラウスの推薦でベルリンのシュテルン音楽院の教師として招かれ、この年、ウィーンに帰国。
1904
30歳
《6つの管弦楽伴奏付歌曲
(6つの歌曲)》
作品8
ツェムリンスキーとともに「創造的音楽家協会」を設立。しかし、1シーズンで解散。
秋、アルバン・ベルク(1985〜1935)、アントン・フォン・ウェーベルン(1883〜1945)という重要な後継者が、弟子入り。

この曲はマーラーの作品で有名な『子供の不思議な角笛』にも付曲している。
彼によれば「マーラーは、調性(=特定の基本音への依拠)を放棄したのではなく、それを拡大した」のだそうだ。
♪お薦めCD指揮:ジュゼッペ・シノーポリ、ドレスデン・シュターツカペレ(録音:1997〜1998年 ドレスデン)(WPCS-10428)
1906
32歳
15の独奏楽器のための
《室内交響曲 第1番》
作品9
長男ゲオルク(〜1974)誕生。
彼の斬新すぎる作風は、音楽界の拒否反応を呼んだ。
しかし、マーラーは「彼の考えは私には分からないが、彼のほうが新しい時代に生きているのだからきっと正しいのだろう」と擁護。
シェーンベルグは「この曲で調性音楽の限界に辿り着いた」と述懐。この曲で、調性の臨界点を体感できる。
♪お薦めCD指揮:ジュゼッペ・シノーポリ、ドレスデン・シュターツカペレ(録音:1997〜1998年 ドレスデン)(WPCS-10428)
1909年管弦楽のための5つの小品 彼の無調時代の代表的な作品である。
彼の弟子,ヴェーンベルクが得意とした音色旋律(音の音色を変化されることにより独特な雰囲気を出す)が用いられている。
1912年月につかれたピエロ 彼の代表作。ピアノの伴奏による女性声楽。
しかしながらその独特な発声法(シュプレッヒシュティンメ)は聞きてを不気味な雰囲気を醸し出している。

★クリックすると、♪シェーンベルグの時代に逢えるわっ♪あん♪アン♪『座談会 20世紀をふりかえる』・・・シェーンベルクとはなんだったか(2001年2月24日・新宿区角筈区民センターにて)
・こんな発言も⇒「シェーンベルクが無調に至った経緯とカンジンスキーが抽象主義に至った経過がまったく並行。」
「無調に入った頃の曲はいいが、12音技法完成後の曲はどうもおもしろくないですがね。」
1921-
1923年
ピアノ組曲 彼はピアノ曲を数点書いているが、これはその代表作。すべてが12音音楽の手法で書いてある。
ただしその形式が非常に古典的になっているのが面白い。名ピアニストのグールドが良く演奏したことでも知られる。
1926-
1928年
管弦楽のための変奏曲彼の考案した12音音楽をはじめてオーケストラに当てはめた曲。






1930年
56歳
《映画の一場面への伴奏音楽》
作品34
サイレント映画のBGM用のストック楽譜を出版する会社からの依頼で作曲。
12音技法を駆使した曲だが、ベルリンのクロルオーバーでの初演は、大きな喝采で迎えられた。
彼はヒニクを込めて言った。「作品はなんと聴衆の気に入ったようだ。曲の質が高くなかったということであろうか。」

のちの1973年に、フランスの実験映画監督ジャン=マリー・ストローブが、
『アーノルド・シェーンベルグの<映画の一場面への伴奏音楽>入門』という映像を発表している。
♪お薦めCD指揮:ジュゼッペ・シノーポリ、ドレスデン・シュターツカペレ(録音:1997〜1998年 ドレスデン)(WPCS-10428)
1930-
1932年
歌劇「モーゼとアロン」 強烈な音色のオーケストラの音色とシュプレッヒシュティンメの交錯する世界。
未完の三幕だが、映画化された時には完成形で上映された。
テーマは、ユダヤ人のディアスポラの歴史。ユダヤ人である彼のアイデンティティであろう。
つい最近日本初演が行なわれて話題となった。
1947年
73歳
語り手、
男性合唱と管弦楽のための
《ワルシャワの生き残り》
作品46
第2次世界大戦から2年後、彼はこの記念碑的な作品を作曲した。
これこそが、現在、反ファシズム芸術の金字塔とされているのだ。
3つの語り手は、ワルシャワのゲットーにおける大量虐殺を生き延びた「目撃者」(英語)、
加害者であるドイツ人(ドイツ語)、犠牲者である死せるユダヤ人(ヘブライ語)。
♪お薦めCD指揮:ジュゼッペ・シノーポリ、ドレスデン・シュターツカペレ(録音:1997〜1998年 ドレスデン)(WPCS-10428)